九、調律師

 松明の灯りが廊下を照らしている。そこを十歳ぐらいの女の子が歩いている。幼さが残る自分だ。どうやら何処かへ向かっているらしい。

――ああ、また夢だ。夢を夢だと認識できる。そう言えばティルからの手紙に自分はラトナ国の王女だと書かれていた。と言うことは彼女が歩いているのはラトナ国のお城かもしれない。

 目的の部屋についたようで、その部屋の扉を開けて中へ入る。

 中は無数の本棚が立ち並んでいる。城の書庫らしい。その奥で灯りが揺らめいている。

 今より少し若いティルだ。

「誰だい」

「私よ。ティル」

 幼いセリアは書庫の入口にあった小さい椅子を持ってきてティルの横に置いてそれに座った。今よりも少し我儘な話し方だ。

「なにかお話して」

 ティルは少し困った表情をした。

「夜に部屋を抜けだしてくるとは仕様がないお姫様だね」

「えへへ。お昼寝したから眠れないの。夜だとピアノの練習も出来ないし」

「確かに。でも今は調べ物をしているから、明日じゃダメかな」

「ダメよ。その本はなんなの? とっても綺麗な本だけど」

「姫のご先祖様のお話を書いた本のようです。このシアの城が舞台になってますね」

「へぇ~。そのお話をしてよ」

「生憎現代語への翻訳がまだまだです」

「そう……、それは残念ね」

「そうだ、さっき見つけたこの本はどうでしょう。手紙屋さんが色んな国を旅して色んな騒動に巻き込まれてしまうというお話みたいです」

「面白そう。それでお願いするわ」

 ティルが読み始めようとした時、轟音が鳴り響き、城が大きく揺れ、本棚から本が無数に散らばった。咄嗟にティルはセリアを庇う。

「なに?」

「分かりません。姫様。どうかここから動かないで下さい。私が様子を見てきます」

 ティルは急いで書庫から飛び出していった。残されたセリアは不安そうに閉じた書庫の扉を見つめていた。


 ティルは螺旋階段を駆け上がっている時に窓の外を見た。

「軍隊?」 

 再び轟音とともに城が揺れる。階段を登りきり、王の寝室へ急いだ。廊下では兵士達が武器を手に動きまわっていた。その向こう側で兵に指示を出しながら謁見の間に向かう途中のオーレリアン王が居た。

「オーレリアン様。一体何が」

「ティルか。リークラントが攻めてきた。夜襲だ。奴らが国境をどう越えられたのかわかんが、状況はかなり悪い。城門まで辿り着いているとなると恐らくこの城は落ちる」

「そんな……」

「そなたに頼みがある。この城の地下の倉庫に国境の外まで続く隠し通路がある。奥から二つ目の床の石だ。セリアを連れて逃げてくれ」

「……はい」

 オーレリアン王の覚悟が伝わったので、ティルは王も共に国外へ亡命すべきではと進言する事はできなかった。恐らく兵達もこの国を守るために最後まで闘う意志だろう。しかし娘だけは……という親心がそうさせたのだ。ラトナ国の人間ではないが、ティルは王の信頼を得ていたし、他国の者なら国と命を共にする必要がない。その事もティルは理解していたので、そう返事を返すことしか出来なかったのだ。


 ティルは急いで書庫へ戻ってきた。が、其処にセリアは居なかった。幼いセリアにとって孤独の不安に耐えられず外に出てしまったらしい。

「くっ!」

 ティルは調べていたテーブルの上にある本を懐に仕舞ってセリアを探しに行った。

 城内にはもうリークラント兵が攻め込んできている。ティルは通路を塞いでいたリークラント兵に斬りかかった。

「邪魔だ退け!」

 ティルの剣はリークラント兵の鎧の隙間を通して首を貫いた。続けざまに二人の兵士も一突きで絶命させたが、その後ろから何人も連なってきた。流石のティルも多勢に無勢では勝ち目がなく、横の道に逸れて、できるだけ戦闘を回避しながら進んだ。


 セリアは倒れた兵の脇を怯えながら進み、王や王妃、ティルの名前を啜り泣きながら呼んで探していた。しかしその声は怒号や断末魔にかき消されてしまう。

 やっとの事で謁見の間の後ろ側に辿り着いたが、其処は敵味方入り乱れての乱戦になっている。

 其処ではオーレリアン王も剣を振るっている。

 セリアは柱の影から戦闘の様子を見ていた。

「お父様……。お母様……」

 セリアの母ルイーズ王妃は、玉座から離れた椅子に座ってオーレリアン王の闘いを見守っている。

 オーレリアン王の剣は鋭く重く、何人もリークラント兵を切り裂いていった。だが一人の兵士の剣に突き刺されてしまった。続けて何人も王に剣を突き刺した。オーレリアン王は最期の一振りで刺した兵を薙ぎ払ったが、剣を床に突き刺し、それに凭れて息絶えた。

 ラトナ国の兵士は王の死を見ても士気を下げずに戦い続けている。ルイーズ王妃は王の死を見届けてから短剣を喉に刺して自刃した。

 セリアは王と王妃の最期を目の当たりにして、悲痛な叫び声をあげた。

 その声にティルが気が付き、セリアの声が聞こえた謁見の間の方へ向かう。謁見の間に入ると玉座を挟んだ向かい側に居るセリアを見つけた。

「姫様!」

 ティルはセリアに呼びかける。だがセリアには聞こえていないようだ。座り込んで放心している。ティルが駆け寄ろうとした時轟音が鳴り響いて再び城が揺れた。その砲撃で謁見の間の半分が崩れ、それにセリアが巻き込まれてしまった。

 瓦礫の中は暗くて痛くて息苦しい。

怖い……。全部嘘なら……。全部夢なら……。


――そうか、この時から私は記憶を無理矢理閉ざしたんだ。


 瓦礫がどかされティルがセリアの生存を確認した。

「誰?」

 セリアのその言葉にティルは少し驚いた表情をしたが、直ぐに瓦礫からセリアを助けだした。

「急いで逃げるよ」

 とにかくティルはセリアの手を無理に引いて、オーレリアンに王に言われた地下の隠し通路へ急いだ。

 そして最初の記憶の場所に辿り着いた。


 目を開けると知らない場所に寝かされていた。ティルは……と思って横を見るとアネットが椅子に座っていた。どうやらずっと付き添ってくれていたらしい。こちらの世界に来てしまったコルはアネットの膝の上でスヤスヤ眠っている。

「……アネット」

「お気づきになられましたか。ここはお城の客室です。あれから二日ほど経っております」

 聞かれるであろう事にアネットが先に答えた。

「そう……。ティルの夢を見てました」

 ティルの名前をセリアの口から聞いたアネットは、どう励ましたらいいのかわからずに俯いてしまった。

「私がティルの弟子になる前は、ティルは私に敬語で話していたの。それがなんだか可笑しかった」

「ティル様は……きっと大丈夫です」

「そうね」

「私はこれから王様に報告して参ります。セリア様は音狂いの疲れがまだ残っているとお伝えしておきますので、ゆっくりお休みになって下さい」

「ありがとうアネット」

 アネットは膝の上に寝ていたコルをセリアの横に置いて静かに部屋を出た。セリアはコルの頭を撫でてみる。

「音霊って温かいのね」

 セリアはコルを抱えて再び眠りについた。



 セリアが目覚めてから二日が経った。フェリクス二世はディメル市国及び周辺の崩れた建物等の再建の指示と、マリユス教の今後の扱いについて城内の会議室で話し合いがされていた。

当事者としてセリアも席に加わっている。コルは流石にこの様な場所に連れてくるわけにはいかず、城の上空を飛んでいてもらった。

 ダリオが会議の進行役を務めていて、最初の建設についての話し合いが終わり、次にマリユス教について話し合われる事になった。

「この場にクラウディオ聖下がいらしたこと。誠に光栄に思います」

 クラウディオ聖下と呼ばれた人物は、マリユス教の最高指導者の教皇である。フェリクス二世は敬意を表し聖下と言う呼称で呼んだ。クラウディオ教皇は少し項垂れ、

フェリクス二世に謝罪した。

「この度は私の監督不行き届き、高位聖職者がこの様な惨事を招いた事、真に申し訳ないと思っている。私がディメル市国を留守にしてる間に……」

 クラウディオ聖下は弱々しく申し訳なさげに話した。

 同席しているタルティーニ神父が教皇とマリユス教を庇った。

「多くの者は知らなかったのです。何卒お慈悲を」

 その言葉にフェリクス二世が少し強い口調で返した。

「知らなかったで済む問題ではない。マリユス教がしかるべき措置を取らなければならなかったのだ。だがしかし、これは王である私の責任だ。私は国の全ての事を把握していなければならない。この国で起こった全ての責任は私にあるのだ」

 その言葉の重さがその場にいる全員に伝わった。

 一国の君主たる王の足を引っ張ることはアストリア国を危険に晒してしまうと言うことだ。それはこの国に住む一人一人が責任の一端を背負っていると言うことに他ならない。

「クラウディオ聖下。ティルが事件に関わる使徒を何人か殺したようだが、まだこのような事態を招く輩が出てくるかも知れない。早急に使徒の行動を洗い直してください」

「畏まりました」

 次にフェリクス二世は会議に列席しているセリアの横にいる調律師に視線を向けた。

「それから音狂いだ。発生件数は減ったものの未だに音狂いの患者は後を絶たない。これはランドルフィ神父が利用していた音狂いとはまた別の音狂いが存在している事を表している。引き続き我が国の調律師団には国外の音狂いの状況。バラバラになった聖音域の調査を行なってもらいたい」

 会議には国の調律師が二人列席していたが、ティルを含めて五人と言っていたので二人はゼーフェルトに戻れなかったようだ。

 そしてフェリクス二世はセリアに視線を向けた。

「セリアよ。お前にはティルが行方不明の間、この国の調律師として働いてもらう。ティルの弟子と言う立場であったが、貧しい人々の音狂いを相当数治療してくれたと報告を受けている。お前の力を見込んでの事だ。ティルに当てていた仕事を其の方に託しても良いな」

「はい」

 あまり覇気のない返事を聞いてフェリクス二世は顔を顰めたが直ぐに隣にいたダリオに無言で会議を終わらせよと命じた。

「それでは皆様。これで会議を終わりにいたします」

会議は終わり、それぞれがそれぞれの役割を果すために早々に立ち去った。

 セリアは会議の内容は把握できてはいたが、ティルがいなくなってから心に力が入らずなかなかその席から立つ事が出来なかった。すると王の鋭い声が響いた

「セリアよ。立て!」

「はい!」

 セリアは条件反射的に立ち上がった。

「こっちに来い」

 フェリクス二世も席を立ち、会議室のベランダへ出ていった。

セリアもそれに続いてベランダに出た。城が高台にある所為か風が心地よく吹き抜ける。そして城壁の向こう側まで見渡せる。あの時見た光景になんとなく似ているとセリアは思った。

 フェリクス二世は腕を組んでその眺めを暫く見てからゆっくりと息を吸って話し始めた。

「貴様はあの馬鹿の弟子だから賢い筈だ。だからあいつの事でいろいろ頭がいっぱいだろう。しかしな、この混乱が静まったのはお前のお陰だ。感謝してるぞ」

 フェリクス二世の声は雄大で、それでいて砕けた話し方になった。

「勿体無いお言葉です。ありがとうございます」

 フェリクス二世は振り返ってセリアに笑いかけた。

「セリアよ。堅苦しい言葉は抜きにしていいぞ。あいつの弟子なら少しぐらい奴の傍若無人な所を見習ったらどうだ」

「ですが……いえ、ではそうさせて頂きます」

 セリアの肩の力が抜けたのを見てからフェリクス二世はティルが持っていた本をセリアに差し出した。

「ハルモニア大聖堂の前に落ちていた。これはお前が持っていろ。元々はお前の国のものだ」

「この本は……」

「まぁ先の事件の鍵のようなものだ。中にティルが翻訳した文があっちこっちに書き込まれている。本当は国が管理すべきだが、この本は対になっていてランドルフィ神父が持っていたものが国にある。それだけで十分だ」

 セリアは本を開いて所々書きこまれた文を読んでみる。掴み所が無い性格を表した線は間違いなくティルの筆跡だった。

「字の汚さは昔から変わらんな」

 フェリクス二世は呆れるように肩を竦めた

「ほんとう。でも、なんだかティルらしいですね」

 フェリクス二世とセリアは静かに笑いあった。


 王から命令が出たのはその三日後だった。

 その証書には会議で話された事が格式張って書き直されていた。世界にはまだ特別な音狂いが存在していると結論づけ、各国で調律がしやすいように特例が書かれていた。その証書は国の調律師団全員に渡された。しかしセリアの命令には別の紙が一枚余計に入っており、ついでのようにティルの捜索の命令も書かれていた。

「王様もなんだかんだ心配なのね」

 その証書を懐に仕舞い、ゼーフェルトの門まで歩いてきた。そこにはタルティーニ神父とアネットが立っていた。見送りに来てくれたようだ。

「セリア殿。これで暫くは会えないですな」

「タルティーニ神父。ティルの昔話をもっと聞きたかったですけど、それは今度戻ってきた時の楽しみに取っておきます」

 続いてアネットがセリアに話しかけた。

「セリア様。なんだかとても名残惜しいです」

「おいらもなごりおしいよ~」

 コルはこの一週間ですっかりアネットに懐いてしまった。何でもアネットの髪とレース付きのカチューシャがお気に入りらしい。アネットは困ったように笑っている。

「あなたねぇ。置いてくわよ」

「置いてってもいいよ――うわ」

 セリアはコルの首をネコのように掴んでアネットから引き離した。セリアは軽く咳払いしてからアネットに挨拶をした。

「アネット。いろいろとありがと」

「こちらこそ。セリア様のお陰で自分に少し自身が持てた気がします。これからもお城のお仕事頑張ります」

「それじゃあそろそろ――」

「ちょっとお待ちを」

 タルティーニ神父はティルから貰った笛をセリアの首に掛けた。

「ティル殿から頂いた物なのですが、伝書鳩が呼べるのですよ。私が持っているよりセリア殿が持っていて下さい」

「ありがとうございます。二人共お元気で」

 門から出る時は、入る時に手間取った手続きは必要なかった。門兵達に話が通っているらしく、セリアに敬礼をしている。

 セリアは大きく手を降ってから後ろを振り返らず前を向いて歩き出した。タルティーニ神父とアネットはセリアの姿が見えなくなるまで手を降っていた。

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