八、大調律
セリアとアネットは昨日と同じく、貧しい人達が暮らす付近で音狂いの治療に勤しんでいた。
セリアがまた一人治療を終えたのを見てからアネットが話しかけた。
「ティル様の調べ物って一体なんなのでしょうね」
「分かりません。ティルは何かがあると何時もコソコソ動きまわるんです。大抵そのいざこざがこっちに回ってくるんです。今回は何事もないといいですね」
セリアは次の患者に向かおうかと思って周囲の様子を見た。ディメル市国の騒動がこの付近まで届いていて、人々が慌ただしく動き回っている。
「それにしてもなんだか騒々しいですね」
「ええ」
セリアは気になって聖音域に居るコルに尋ねた。
(コル、なにか知ってる?)
(あねご。大変なんだよ。あの音狂い何とか――うわ~~)
(ちょっとコル)
それからコルの声が聞こえなくなった。
「いや、なんか大変な事になってるみたい」
「私達も行ってみましょう」
アネットがセリアを急かして騒動の下へ駆けつけると、セリアの視界にとんでもない光景は目に入った。
「な……なんなの一体。あれは音狂い。なんでこっちの世界に」
街の人達は何事かと沢山集まり、異常な事が起こっている事が分かると悲鳴を上げて逃げ出していった。
音狂いの周辺には影響を受けた人達が耳を塞いで苦しんでいる。その中には城の近衛兵にフェリクス二世も居た。そしてマリユス教の誰かがティルの剣で心臓を一突きにされている。
「な……なんとかしなくちゃ。アネット。私の身体支えてて」
「はい」
セリアは直ぐに音叉を鳴らして聖音域に入った。聖音域にも同じ音狂いが存在していた。距離のズレはない。そこで調律しているティルの姿が見えた。コロルと何か話している。
(これが王の音狂いか。シアの歌が聞こえずらい。この本だけじゃまずいかな。コロル!)
(わかりません。抑えているシアの歌に嘆きが侵食している感じがします)
(となると、侵蝕を抑えつつ調律すれば王の亡霊はなんとかなるってことか。もっと深部まで入れるか?)
(やってみます)
王や亡霊と聞こえてきてもセリアにはまったくわからなかったが、二人が奥へ入ろうとする前にセリアが呼びかけた。
(ティル!)
(セリア! 何でこっちに。タルティーニ神父から手紙は貰ったか)
(手紙? 何の事ですか)
(うぇ~読んでないの?)
(それよりもこの音狂いを何とかしないと)
(とにかくタルティーニ神父から手紙を貰って読んで)
(でも……)
(いいから!)
ティルはセリアの方を向いて拳を繰り出した。全然届かない距離だがその衝撃がセリアを弾き飛ばし、そのまま聖音域の外まで押し返された。
ティルはセリアが聖音域から出るのを見計らって一枚の紙を懐から取り出した。それは譜面なのだが譜線に書かれていたのは音符ではなく文字だった。それを音叉でなぞって音狂いがある反対側へ放り投げた。 すると文字が広範囲に離散して細い線で結び合って壁を作った。
(これで聖音域には入ってこれないな)
コロルはティルのやろうとしてる事が分からず心配そうに声を掛けた。
(一人で調律なさるつもりですか)
(それはちょっと無理。セリアには此処と外を繋げてもらわなきゃ駄目なんだ。それまでこっちで頑張るよ。コロル)
(はい)
コロルはティルの背中に回って吹き飛ばされないように支えた。
アネットが抱えていたセリアの身体に意識が戻ったようで、セリアは自分の力で離れた。「セリア様。大丈夫……でしょうか」
アネットは普段の落ち着いたセリアの姿を見ているので、目の前でセリアが焦っているのを助けてあげたいと思っても、何も出来ない自分に歯痒さを感じていた。
「わからない。手紙ってなに? もう一度入ってみます」
セリアはアネットに身体をお願いして、聖音域に再び入ろうとした。だが入った瞬間弾きだされてしまった。
「どうして」
元の世界に返ってきたセリアはどうすべきか分からない。混乱している所で群集の中からタルティーニ神父が駆け寄ってきた。
「セリア殿! 探しましたぞ!」
「タルティーニ神父! ティルが手紙がどうとかと」
「こちらで御座います」
手紙の文章は短く要領だけ書いてあった
『いきなりだけど、セリアはラトナ国の王女なんだ。
言おうかどうしようか悩んでたんだけど、言い難くて書いた、ゴメンゴメン!
それで昨日の本を解読したら、音狂いの元凶らしい物をセリアのご先祖様が
封じたって書いてあってさ、それは特別な音狂いで、セリアの血族じゃないと
完全な調律が難しいらしんだよね。
その特別な音狂いをマリユス教のランドルフィ神父が利用しようとしてるんだ。
そこら辺はタルティーニ神父に聞いて。
そうそう。特別な音狂いの調律のやり方なんだけど、音叉の印の所にチョンと
血を乗せて調律すると上手く調律出来るみたいよ。
過去を知ってもセリアは僕の弟子って事に変わりはないから。
じゃ、後ヨロシク(^^)』
ティルらしい軽い文章で綴られた手紙を読み終えたセリアは怒りに震えていた。
「何よ。何が(^^)よ!」
セリアは今にも怒りが爆発しそうな低い声を出して手紙を握りつぶした。
アネットもタルティーニ神父もセリアの感情にたじろいだ。
「タルティーニ神父!」
「はい!」
「この手紙に書いてあるランドルフィ神父が音狂いを利用しようとしている事は事実なわけ?」
「はい……。あ、ですがランドルフィ猊下はあちらで……」
タルティーニ神父はティルの剣で一突きされているランドルフィ神父の亡骸を指さした。
その横には音叉を聞いているティルとフェリクス二世が倒れている。
「じゃあ目の前で起こってるこの惨事が教会内のいざこざの結果なわけ」
「さ、左様でございます。その、申し訳ございません」
タルティーニ神父は萎縮して小声で謝った。
タルティーニ神父を攻めても仕方がない。セリアは深呼吸をして目の前で吹き荒れる音狂いの前で構えた。
「いいですよ。ティルの弟子ですからね。見事調律してやりますよ」
懐からナイフを取り出して指を少し傷つけた。手紙の通りその血を音叉の文字が彫ってある所へ付けて、ナイフの柄で音叉を鳴らした。
その音で一時的に聖音域とこちら側の世界が一緒になった。丁度ハルモニア大聖堂入り口辺りの広場がその領域だ。コルは音の乱れに吹き飛ばされてぐるぐる回っていた。
(あ、あねご! 助けて~)
セリアはコルが丁度いい所に飛んできた所で捕まえた。
(掴まってなさい)
(おう。あれ、あねごの身体が) セリアは実態を持ったまま聖音域とこちら側の世界とが合わさった所にいる。この領域の
中では、元々実態を持っていた者は身体と意志が分離しないようだ。こちら側にあったティルの身体と先に聖音域に居たティルが一緒に合わさった。ティルは自分の身体を確かめてからセリアに言った。
「流石理解が早いな。我が弟子よ」
「師匠がもっと早く動いていればこんなことになってないんです」
セリアは何時も名前で呼んでいるが、この時初めて師匠と呼んだ。言った瞬間セリアは恥ずかしくなって、師匠と呼んだ事を後悔した。
「僕の読みがあまかったようだ。弁解のしようがない。ごめん」
「とのかく調律しますよ」
二人掛かりでも音狂いはなかなか調律されない。不協和音が衝撃となって調律している手と頬が少し切れて血が垂れる。
荒れ狂うその中へティルが一歩前へ進んだ。
「危険です!」
「大丈夫。基準音を聞き逃すなよ」
その時ティルは自分の音叉をその中心に掲げるのが見えた。その瞬間光が広がって、音狂いが一気に収縮しだした。
一瞬の静寂が訪れたと思ったらこちら側の世界と重なっていた聖音域がバラバラに弾け飛んだ。その吹き飛ぶ聖音域の一つにティルがいるのが見えた。
「ティル!」
叫んだセリアはティルの手を掴もうとしたが、手は届かずに虚しく空を掴んだ。
――音狂いは消えた。跡形もなく。ティルと共に。
「ティル……? うそ、冗談でしょ……?」
今おこった事が本当なのか理解出来ずセリアはその場にへたり込んだ。そして頭の中に様々な理由を考えた。自分の力が至らなかった所為。次から次へと自分の不甲斐なさが浮かんできて。全てが自分の力不足のような気がして、押し込めようとした涙が次から次へと溢れでて止まらない。
タルティーニ神父とアネットが駆け寄った。
「セリア殿。ティルはどうしたんじゃ」
「わ…わかりません。私には……私は……何もできなかった」
「セリア様……」
二人はどう声を掛けていいか分からず。すすり泣くセリアを見守ることしか出来なかった。その時周囲に金色に光る物質がふわふわと飛び回り、セリアの顔の目の前に来た。
「あねご~~」
「コル、なんでこっちの世界にいるの」
涙を拭って声を詰まらせながらコルに聞いた。
「聖音域がバラバラに吹き飛んだ時、こっちの世界に来ちゃったみたい」
コルの周りには契約されてない音霊も金色に光って辺りをふわふわと漂っている。
「そんなに泣くなよ。あねごが悲しむと、おいらまで悲しくなるんだよ」
「そう……だね。」
コルが来たことによりセリアの感情が少し楽になった事に二人はほっとした。
「セリア殿は何も出来なかった事はありませんよ。見事音狂いを調律なさったではございませんか」
「そ、そうですよ。私よりも全然凄いんですから。どうかご自分を責めないで下さい」
「二人共……ごめんなさい。なんか……泣いてしまいました」
セリアは赤くなった目で笑顔を作った。そしてそのままアネットに寄りかかって眠ってしまった。ティルがいなくなったショックと特殊な調律を行なった所為でセリアはそうとう疲れてしまっていた。
辺り一帯の音狂いは、セリアとティルの調律で全て治ったようで、フェリクス二世
も近衛兵達も意識を取り戻して立ち上がった。しかし辺りの建物は所々崩れており、巻き込まれて怪我をした住人などもいた。フェリクス二世は近衛兵に指示を出し、後始末に追われた。
辺りは夕日に照らされて、劇の終幕のように赤い光に包まれて、忙しく動く人の影と崩れた瓦礫の影が明日を指し示すように長く伸びていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます