七、シアの歌
タルティーニ神父は牢屋で気がついた。酷く頭が重たくて空咳を何度かした。嗅がされた薬は軽いものだったらしい。
気絶してから一晩しか経っていないようだ。鉄格子がある窓から見える日差しの角度を見て午前だとわかる。
タルティーニ神父はまさか最初に尋ねた枢機卿がいきなり黒だった事に驚き、軽率だった自分の行動を少し恥じて頭を掻いた。
「やれやれ困ったのぅ。一生涯マリユス教を信じてきたこの私が、まさかこの様な仕打ちをされるとは。いや、これもまたマリユス様から与えられた試練に違いない」
タルティーニ神父が捕らえられている場所は、異端の者を閉じ込めておく牢屋で、その中でも比較的罪の軽い者が捕らえられる場所だった。
なんとか昨日見た事をティルに伝えねばと思い、懐から小さい紙を取り出した。しかし書く物がない。仕方なく身に付けていた装飾具で自分の腕に傷を付けて、滲んだ血をインク代わりに使用した。
内容はランドルフィ枢機卿が教会の意に沿ぐわず、聖音域の研究をハルモニア大聖堂写本室の地下で行なっていた事と、音狂いを自らの力で操れるようにし、教会の権威と権力の為に使用しようとしている旨を省略文で綴った。
「書いた紙をどうやって届けるか……。おぉ、そうであった。コイツを試してみるか」
タルティーニ神父は懐から奇妙な笛を取り出した。ティルがゼーフェルトから離れる時、ティルから貰ったもので、肌身離さず持っていた物だ。ティルの話ではどこでも伝書鳩を呼ぶことが出来るらしい。しかし吹き方が分からず、強く吹いたり弱く吹いたり、反対側から吹いたりとイロイロ試してみたが音は鳴らない。少し疲れて呼吸を整えた。
すると鳩が窓際に飛んできた。ゴッツの家に来た時の伝書鳩と同じ白い鳩だ。
「なんという利口な鳩じゃ」
その笛の音は聖音域に響いており、この世界に音は響かないように出来ていたようだ。鳩は聖音域の音を聞き分ける事が出来ると言われていて、飛んできた鳩はティルの笛の音と同じ音に反応してそれを辿ってきた。
鉄格子の隙間から早速書いた紙を鳩の足に結んだ。
「ほれ、頼んだぞ」
鳩はその場で二三回羽ばたいてから空に飛び立っていった。
「後は若い者がなんとかしてくれるだろう」
タルティーニ神父は牢屋に備え付けてある小さいベッドに横になった
城ではフェリクス二世が街の商人から街道の舗装修理について話していた。
その話がまとまる所で謁見の間の扉が乱暴に開き、ダリオが入ってきた。タルティーニ神父からの手紙を受け取ったのはダリオだった。
「国王陛下!」
「なんだダリオ、騒々しいぞ」
謁見していた商人も驚いていた。だがお構い無しに玉座の手前で跪いて手紙を差し出した。
「こちらを御覧下さい」
ダリオがタルティーニ神父が血で認めた手紙をフェリクス二世に渡した。
王もその事態を飲み込んだようだ。謁見していた商人を下がらせ玉座から立ち上がる。
「近衛師団長を呼べ。お前はこの手紙をティルにも見せろ。奴は今図書館に居る」
「御意」
ダリオは手紙を受け取って早々に立ち去った。
城の図書館では昨日に引き続きティルが調べ物をしていた。机の上に本が積み重なって塔の様に幾つも立ち並ぶ。
図書館の扉が開いてダリオが入ってティルの方へ歩いてくる。ティルは足音で誰か分かるようで振り向かずに話した。
「あぁ、ダリオか。暇だったらちょっと手伝ってくれると――」
ティルが言い終わらないうちにダリオはタルティーニ神父の手紙を机の上に置いて見せた。
「ティル様これを御覧下さい」
その手紙を見てティルが立ち上がり、慌てて本を確認した。
目の前の本を翻訳した部分と、手紙に書かれていた聖音域についての儀式について書かれている部分があったからだ。その後直ぐに本の表紙を見た。
「なるほど。対の本か。だからだ……」
「ティル様?」
「事情は分かった。僕も後から行く」
ティルは再び座って急いで何か書いている。ダリオは城内が不安にならないよう王の代わりに勤めを果たしに図書館を後にした。
フェリクス二世は近衛師団長率いる近衛第一部隊と共に自ら馬に乗ってディメル市国へ赴いた。
前線にいる騎士団と武装は違うし、数もそんなに多くはないが、王を護衛する直属の部隊に恥じない気高さや気品を有していた。
近衛師団長が門の前にいる神官に近づいてランドルフィ神父の罪状を読み上げ、連れてくるように命令した。
神官は何のことか分からなかったが、言う通りにハルモニア大聖堂へランドルフィ神父を探しに行った。
その様子を門の上に居たランドルフィ神父の部下が目撃していて、直ぐに神父の下へ走った。
ランドルフィ神父は写本室の地下で音狂いを現界させる最終工程に入っていた。
部下がランドルフィ神父の背後からハルモニア大聖堂の前で行われている事を告げた。
「タルティーニ神父は牢に閉じ込めているのに一体どこで嗅ぎつけられた。まぁいい。この力のお披露目といこうじゃないか」
ランドルフィ神父は本を開いて左手に持ち、目の前の調奏陣に掲げながら何か小声で呟いている。
調奏陣はその言葉に同調して光が増していった。そして小さな音狂いが現れ、次第に大きくなっていく。それをランドルフィ神父は右手で持っている音叉を添えて本の中へ移した。
「完璧だ」
ランドルフィ神父は不敵な笑みを浮かべて地下室を後にした。
ハルモニア大聖堂の前では、王の一部隊が扉を開けるよう急かしていた所でゆっくりと開
いた。扉からランドルフィ神父が悪びれた様子もなく出てきた。
その周りを近衛兵達が囲って一人が剣を抜いて切っ先をランドルフィ神父に向けた。
「城まで来てもらおうか」
ランドルフィ神父は無言で持っていた本を開いて何かを呟いてから音叉を持った右手を払った。すると音の衝撃波が不協和音と共に現れて、ランドルフィ神父を囲っていた近衛兵達が吹き飛ばされた。
その様子を見て近衛兵達は一斉に剣を抜いた。フェリクス二世はその間を縫って進み、ランドルフィ神父の前に出た。
「グァルト・ランドルフィ。何の真似だ? 貴様は間諜の容疑を掛けられているだけだが、連行されることを拒み、我が兵に攻撃を加えるとはどういうことだ。貴様の行動は我が国家に対する反逆。言い逃れはできんな」
そう言うとフェリクス二世も剣を抜いてランドルフィ神父に突きつけた。
「神の教えを蔑ろにする愚かな王とその配下達か。忌々しい。今から私が粛清してやろう」
先ほどより力を込めて同じように払った。強い衝撃波だ。王はその衝撃で馬から落とされたが華麗に着地した。
追い打ちをかけるようにもう一度薙ぎ払った。しかし王はその音の衝撃波を剣で切り裂いた。
「ほほぅ。」
続けて放った衝撃も王の剣閃に見事切り裂かれた。
「俺の力を見くびるなよ」
「ならばこれならどうだ」
ランドルフィ神父は音叉を本で軽く叩き、それを高く掲げた。
「――ぐっ」
フェリクス二世に音狂いの症状が出始めた。頭の中に響く不協和音に耐えられず耳を塞いで膝を付いた。しかし再び立ち上がり剣を構えた。
「なんという精神力だ」
ランドルフィ神父は更に力を込めて本に移した音狂いを巨大化させる。その効力は周囲にいる人まで無差別に音狂いにした。
その頃ティルはディメル市国内の牢屋がある建物へ向かっていた。教会の者達は皆忙しく走り回っているので、ティルの侵入には気が付かない。
ティルは牢屋に辿り着くと、鍵をピッキングし、一瞬で開けてしまった。
「タルティーニ神父」
「おぉ。ティル殿。一体何が起こっているのです」
「表でランドルフィ神父とフェリクスが暴れているようです。それよりも手紙にあった写本室の地下に案内してくれませんか」
「分かった」
タルティーニ神父は急いで写本室にティルを案内した。
ドアを開けるとランドルフィの部下の司教がいきなり斬り掛かってきた。タルティーニ神父は驚いて尻餅を付いてしまったが、そのお陰で司教の一太刀目をかわす事が出来た。ティルはその隙に襲ってきた人物の喉にナイフを投げた。
司教は悲鳴を出せずに息絶えた。
「無事ですか」
「やれやれ。命拾いしました。地下への道はそこから行けます」
タルティーニ神父は本棚の間を指さした。
「タルティーニ神父はここで待っていて下さい。直ぐに終わらせてきますから」
ティルは剣を抜いて隠し扉の中へ入っていった。階段を降りると奥の影に何人か居るのが見える。ティルは気付かれないように後ろにまわり、背後から首を刎ねた。それに気がついた者が侵入者に攻撃を仕掛けようとした瞬間ティルの剣が喉を貫いた。
ティルは一撃で確実に仕留めていき、その場にいる全員をあっという間に殺してしまった。
「ふぅ……」
調奏陣に近づいて本を開いて確かめた。
「なるほど。よく出来たものだ」
ティルは懐から音叉を出して音を鳴らし、それを床に付けた。そしてポケットから古代の文字が書かれた紙を取り出して音叉に翳して何か呟いた。
すると調奏陣の光が暗くなり、床に描かれた文様が蒸発するように消えた。
「これでよし」
地下室から出るとタルティーニ神父がティルを心配していた。
「ティル殿お怪我はありませんか。少し無茶が過ぎるのでは」
「なんともないよ。ただ地下の死体は後で何とかしてもらわないとな。とにかく今は表の騒ぎを何とかしないと」
「なんとかすると申しましても、老いぼれの私は戦力にはなりませんぞ」
「いやいや、そんなに無理なお願いはしませんよ。タルティーニ神父はこの手紙をセリアに渡してくれますか」
「手紙?」
ティルは図書館で書いた手紙をタルティーニ神父に渡した。
「僕だけであれを何とかするのはしんどいかもしれない。だからセリアに手伝ってもらい
ます。お願いします。僕は過去の物語の復活を阻止してきます」
ティルはハルモニア大聖堂の正門に急いだ。
ハルモニア大聖堂の前で王の近衛兵は音狂いに発狂しそうにもがいている。ティルはその中で一人だけ這い蹲りながら剣を振るっている王を見つけた。
王は渾身の一振りも安々とかわされて剣を落とした。
その後ろからティルがフェリクス二世の肩を掴んだ。
「遅れてごめん」
「遅いぞ馬鹿者……」
ティルが来たことを確認するとフェリクス二世は力尽きて意識を失った。
ランドルフィ神父に向き直った。
「ランドルフィ司教。いや、今は枢機卿になられているようですね」
ティルの顔を見て誰だったか思い出すような仕草をして、記憶と一致する人物と同じだと気がついて頷いた。
「久し振りだな。ティル・クリストフ・シェーンベルクよ。お前がマリユス教を破門されて惨めに去る姿は今でも覚えているぞ」
「研究の邪魔をされた貴方にとってはさぞ楽しい出来事だったでしょう。だがそのおかげで僕は様々な事を知ることが出来た」
「私もお前がしていた研究を引き継いでこれを完成させることが出来たぞ」
「その研究の為にこの本が必要だったわけか。そして配下に僕から奪わせようとしたのはお前か。いや、この本を手に入れる為にリークラントに口入れしたのはお前だな」
「左様。私が城の図書館で見つけた本は対になっていると知ってな。その対の本がラトナ国にあると突き止めた。ラトナ国は鉱物資源が豊富だ。リークランと帝国はそれだけでも攻めるには十分な理由だ。それで攻めやすいようにお膳立てしてあげたのです。そして私はラトナ国にある聖音域と音狂いの知識を頂こうという訳だ。だがどうしたことか、我々が手にしたい本が無いではないですか」
「直前に僕が持ち去ったからな」
「だいぶ後になってあなたが所持している事を突き止めましたが、消息は分からず。諦めていました。しかし一昨日ふっとこの国に帰って来られているではないですか。まぁ殆どこの本だけで研究は完成していたのだが、手に入れられるならそれに越したことはない」
「あぁ。この本が奪われなくて本当に良かった。でなければ貴方に抵抗することはできませんでしたよ。そもそも対になっているのですから二冊必要なんです。そちらには理論的な事しか書かれていない。じゃあこちらには?」
聞かれてもランドルフィ神父は答えず無言だ。
「『想い』だ」
「想い?」
それを聞いてランドルフィ神父は高らかに笑った。
「随分笑かしてくれるではないか。マリユス教に対する信仰心、即ち想いと言う事でよかろう」
笑うのを予測していたようで、全く動じずに話を続けた。
「音楽に対する想いだ。そっちの本に書かれていないことを少し話してやろう。聖音域は音楽家達の想いで形作られている。音霊はその想いから生まれ、音狂いは想いが乱れた物という事とこの本では結論づけられている。そしてこの本が書かれる発端となる事件が過去ラトナ国であった。その事件とは、ラトナ国のシア城であった悲劇だ。城主ヴィルヘルム王は恋人のリリトを亡くし、あまりの悲しさで神を呪った。その罰として魂は救済されず、亡霊となり、生者に暴虐の限りを尽くした。それを見かねたリリトの姉、調律師サリアが救済の為の曲を作曲家に依頼し、シアの歌が完成した。その歌と共に王の亡霊を聖音域に封じた。お前が軽んじておもちゃにしているものは、過去ラトナ国で起こった悲劇その物だ」
「なんとも悲しいお話だ。しかし『おもちゃ』とは聞き捨てならない」
「この本とその本は王の怨念によって生じた音狂いに対処する為に書かれた物だ。その様な愚行を許す訳にはいかない」
「もうよい。崇高な力でお前も音狂いに苦しんで死ね」
ランドルフィ神父は音叉を掲げた。音狂いが異様な形に広がっていく。
しかしティルの服が微かに揺れる程度だった。
「ランドルフィ神父……。その本によって音狂いがある程度自分の意志で人を音狂いに陥れることが出来るのは見て分かる。だが根本的に間違っている。その力でお前は何も出来ない。お前自信は何の力も持っていないからだ」
ティルは剣を抜いてランドルフィ神父の心臓めがけて投げた。剣は肋骨に対して水平に突き刺さり、柄の所まで見事に突き刺さった。
ランドルフィ神父は小さく呻き声を上げた後に大量の血を吐いた。
「何故お前は音狂いにならない……」
「さっき言ったでしょ。お前が使っている音狂いは悲劇そのものだと。そしてこの本は悲劇を治めるシアの歌が書かれている。この本自身が音狂いから守ってくれるんだよ」
ランドルフィ神父は再び大量の血を吐いてその場に倒れた。
「何を言っても無駄だったな。さて、この厄介な音狂いをなんとかしますかねぇ」
ティルは音叉を取り出して聖音域に入った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます