四、フェリクス二世

ロトーノ村を出てから、ティルとセリアは西の方角へ向かって歩いていた。

「これから何処へ向かうんですか?」

「アストリア国の王都ゼーフェルトだよ」

「ティルの故郷ですか。少し楽しみです」

「通り過ぎる予定だったんだけど、手紙が来たからね。行かないわけにはいかないさ」

「戻りたくない理由でもあるのですか?」

「そういう訳じゃないんだけど、ほら。僕は国の調律師でしょ。そのせいで教会に疎まれてるんだよね。彼らはあまり僕を国には入れたくないんじゃない?」

「でもマリユス教にそこまでの力は無いですよね。故郷を出てから随分立っているから大丈夫じゃないでしょうか」

「まぁ教会に疎まれるのはいいんだけど、それ以外に僕を知ってる人が沢山いるし、なんだかんだ言って居心地がいいんだ。甘えちゃうんだよね」

 故郷はそういうものだろう。セリアは故郷の記憶が無い。だから、帰るべき所があるティルが羨ましかった。

「手紙にはなんと?」

「『音狂いが国で増えているから戻って手伝え』だってさ。嫌になっちゃうよ。あ、そうだ。せっかくゼーフェルトに行くんだ。セリアの音叉も王様から貰っておかないとね」

 セリアはすっかり音叉の事を忘れていた。音叉が無いと音霊の存在がわからないし、調律も出来ない。これでは調律師とは名乗れないだろう。ティルが持っている音叉でコルに話しかけられないか試してみたが、この距離だと駄目らしい。相当近くないと干渉できないようだ。


 一週間ほど歩いた。ロトーノから2日程でアストリア国境内に入り、そこからゼーフェルトに近づくに連れて街道には警備兵が多くなる。そのおかげで野党や魔物に襲われる事も無く、所々小さい宿場もあったので、野宿は二日だけで済んだ。

 首都ゼーフェルトに近づくにつれて人が多くなってくる。そして、遠くからでも分かるほど大きい城壁が視界に入った。

「あれがアストリア国の首都ゼーフェルトですか。ティルのホラかと思っていたのですが、そうではないようですね」

「でしょ。いや~壮観だよね。あれだけ大きいのを作るのは大変だよな~って子供の頃から思ってたよ」

 門の所から長い行列が伸びている。どうやら入るのに手続きがあるようだ。セリアはその末尾に並んだが、ティルから「何してるの」という感じで手を引かれ、列の横をスタスタと連れて行かれた。

 門の下まで来ると、兵士達が忙しそうに書類を書いたり、行商人の積荷を調べたりしていた。積荷を調べていた兵士がティルとセリアに気がついて怒鳴った。

「コラ! 其処の二人。ちゃんと並べ」

「いや、あの……」

 怒鳴った後兵士は直ぐに仕事に戻り、ティルはその場でやりようが無く立ち尽くした。並んでいる人達にも睨まれてしまった。その様子を見てセリアがぼそりと呟いた。

「みすぼらしい格好をしてるからですよ」

「もう、怒鳴らなくてもいいのにさ」

 ティルは懐から王から任を与えられた調律師の証書を出して、その兵士の目の前に突き出した。

「これを見てください」

「なんだ?」

 怪訝な顔をして兵士はその紙をひったくった。

「調律師……王のサイン入りって、こんな大それたもの偽造するんじゃないよ。まぁ一応調べてやる」

「あとこれ」

 ティルはもう一枚懐から出した。兵士はそれも乱暴に引ったくり、二枚を纏めて若い兵士に渡した。その後は「邪魔だから門の端に行ってろ」と手で追い払われてしまった。

 暫く列が流れていくのを眺めていたが、本物かどうかを確認しに行った兵士はなかなか戻ってこなかった。ティルは懐中時計を取り出して時間を確認した。

「遅いなぁ、まったく」

 顔は糸目で笑ったような表情なのに、イライラしているオーラはセリアにも分かった。セリアは普段ティルにイラつかされる事がよくあるので、少し気分が晴れたのだろうか、フードの下で少し笑っていた。

 懐中時計を仕舞った後、確かめに行った若い兵士が直ぐに駆けつけてきた。

「間違いないようです。先ほどは申し訳ありませんでした」

「君が謝る事はない。向こうでつっけんどんな仕事してる兵士さんに謝ってもらいたいよ」

 若い兵士に向かってティルが手を仰向けにして差し出した。そして指先をクイクイっと手前に動かした。さっき渡した書類を早く返してくれという合図だ。兵士は直ぐに確認が取れた書類を渡した。

 ティルはそれをさっと懐に仕舞い、不機嫌な足取りで門を潜っていった。その後にセリアも続いた。

兵士が一緒に入ろうとするセリアを呼び止めようとしたのをティルが少し強い口調で兵士が口を開くのを遮った。

「僕の弟子だ」

 その声に兵士はたじろいで一二歩下がり、去っていく二人の背中を暫く見ていた。


 門を潜ると広い大通りが真っ直ぐ続いている。その先に噴水があり、そこを中心にして大通りが東西南北に分かれている。

 アストリア国王が居る城は、都の北東の高台にある。高台にあれば、敵の動向が見えやすく、攻め込まれ難い。地形を利用するのは戦略の上で重要な事だったのだろう。しかし今は大砲や銃などの火器の発達によって却って的になってしまう。それでも城壁は厚く、且つ巨大な城なので、落とすのは容易ではないことが分かる。ティルとセリアが歩いている門の付近からでも城は確認できた。

 通り沿いにある町家は石と木を組み合わせた家が立ち並ぶ。中には煉瓦だけで造られた家もあり、そういった家は少し裕福だと分かる。どの家も三、四階ぐらいの高さがあり、一階は殆どが店になっていた。

「凄く賑やかですね。こんなにお店が並んでる街は初めてです」

「一応王都だし、大通り沿いだからね。ただ、賑やかなのはいいんだけど、それに混じって慌しさがあるような……」

 ティルが視線をあちらこちらに向けると、マリユス教の調律師達が人混みの中を行ったり来たりしているのが目に付く。

「手紙の通り音狂いが多発しているのでしょうか」

「そうだと思うけど、伝染病と違うから一部で患者が増えるなんて事はないはずなんだけどな」

 ティルは顎を擦りながらその様子を見ていた。心配して横からセリアが尋ねた。

「治しに行かなくて良いのですか?」

「焦って治しに行っても仕様がないじゃん。彼らだってちゃんと調律できるんだ。それよりもまずは、王に報告しに行かないとね」

「行って直ぐ会えるようなものなんでしょうか?」

「一応王に認められている調律師だよ。僕は」

 分かってはいるが、セリアはティルの身なりを心配した。こんななりで謁見できるものかと。


 城の付近まで来ると街並みが途絶えて辺りが開ける。そこから百メートル程の道が城の門まで続いている。これも城に近づく不振な人物を発見しやすくする為だ。

 道を歩いていくと跳ね橋の先に二人の兵士が立っている。この都に入った時みたいにまた手続きがあるのかとセリアは思ったが、今度は違った。

 ティルは手を振って門兵の名を呼んだ。

「クラウス!」

どうやらティルの知り合いらしい。ティルは跳ね橋の先に居る兵の下へ足早に近づいて行った。向こうは最初ティルだと分からなかったらしく、目を細めて「誰だったか」といった感じに首をかしげていた。ティルが近づくにつれて分かったようだが、誰か分かるのに時間が掛かったのは、ティルの身なりの所為だということは言うまでもない。クラウスと呼ばれた青年も跳ね橋の中央まで迎え出てくれた。

「ティル! 久しぶりだなぁ」

 ティルとクラウスは力強く握手を交わしながらお互いの肩を軽く叩きあった。

「何時戻ってきたんだよ? どれくらい此処に居る予定なんだ? また直ぐに行っちまうのか?」

 相当ティルの帰りを喜んでいるらしく、クラウスは矢継ぎ早に質問をした。

「いっぺんに聞くなよ」

 ティルは握手していた右手を離した。セリアはティルの後からゆっくりと歩いてきて、ティルの左後ろに立ち止った。

「そっちの人は?」

「ああ、僕の弟子だよ」

 セリアはフードを取って名前を名乗った。

「セリアです。以後お見知りおきを」

「やぁ。俺はクラウス・コルヴィッツ。君かわいいねぇ。ティルったら何処でこんな子モノにしたのさ。隅に置けない奴だなぁ」

 クラウスがにやにやしてティルの肩をぽんぽんと叩いた。

「弟子だと言ったでしょう。僕をからかおうなんて千年早いよクラウス。あの頃の二の舞にしてあげようか?」

 ティルの糸目がいつもより開いている。

 クラウスのニヤケ顔が引きつった笑いになった。クラウスにとってよほど怖い過去があるようだ。昔ティルに何かされたか弱みでも握られているのだろう。

「悪かった。詰め所に行ってくるから少し待ってろ」

 クラウスは門の横の門衛が居る塔の中へ入っていった。しかし五分も経たないうちに戻ってきた。

「なんだよ。上にはもう話が通ってたぜ。一人そこに居た使用人を連れてきた。その形りじゃあ流石にまずい。こいつにその乞食みたいな装いをなんとかしてもらいな」 

 クラウスに背中を押されて前に出てきた使用人は、かなり引っ込み思案の娘だ。眼を合わせようとせず、緊張しているのか顔が赤くなっている。

 歳はセリアと同い年ぐらいだ。まだ仕事に慣れてないと言わんばかりの細い声で戸惑いながら挨拶をした。

「アネットと申します」

「やぁ、始めまして。僕は調律師のティル。こっちは弟子のセリア。よろしくね」

「はい、宜しくお願い致します。えと……どうぞこちらへ」

 自己紹介を終えたらアネットは直ぐに顔を伏せ、回れ右をしてチョコチョコと歩いていってしまった。クラウスは若干肩を落としたが、ティルはまぁ大丈夫だろと少し笑った。そしてクラウスに手を軽く振って別れ、セリアは軽く一礼してから使用人のアネットに付いて行った。


 アネットに案内されて城の門の中に入ると、見事に手入れされた中庭がある。外側は城の体を保っているが、内側は相当手が入れられた宮殿が建てられていた。

正面にある建物が王の居る宮殿だろう。その右側に兵舎や厩舎がある。ただ、今はこの王都、王城に直接攻め入るのは困難であり、あくまで地方の軍を統率する為の軍寮が住まうだけで、物々しい雰囲気は感じられない。戦乱激しく、アストリアが国がまだ小国として他国と争っていた時代は、陰惨で血生臭い瘴気が漂っていたことだろう。ティルとセリアは王宮の左側にある居館の方へ案内された。案内されてはいるが、ティルは歩きなれている感じだ、むしろ無駄な広さにうんざりしているようでもある。それに比べてセリアは建物の大きさや、庭園の美しさに目を奪われていた。

 居館の中は使用人たちがせかせかと働いている。王族や貴族達も幾人か回廊で立ち話などをしていた。その横を通ると貴族達は皆ティルとセリアを蔑んだ目で見た。

「まったく。これだからウンザリするよ。人を見た目で判断して」

 ティルが小声で呟いた声にセリアが答える。

「言っている事はもっともですけど、蔑まれても仕方ないようにも思えますよ。特に

ティルは」

 アネットは貴族達の会話やティルの愚痴も聞こえないほど切羽詰まった感じでいる。まだ館の中を完全に把握していないようで、一部屋ずつ記憶と確かめながら歩いている。幾つかの扉を通り過ぎた後、目的の部屋に着いたらしい。扉を開けて二人を招いた。

「こちらの部屋です。先にセリア様のお召し物を。ティル様は少々お待ち頂けますか?」

「あ、いいよ。僕は自分でやるから」

 ティルがアネットに断って廊下の奥へ歩こうとした時、遠くから声が響いた。

「ティル様では御座いませんか!」

「ダリオ!?」

 ダリオと呼ばれた老齢の男が歩いてくる。矍鑠として気品がある。それに周囲を黙らせるようなオーラを纏っているのか、ざわざわとしていた廊下が静かになった。ティルはダリオが歩いてくるだけで少々身構えている。セリアはティルが誰かに対して怖気づいているのを始めて見た。

「一体何時お戻りになられたのですか。あぁ、何という格好をしているのです。直ぐにこちらへ来てください」

「あっ! ちょっと待ってよ」

 問答無しにティルは引き連れられて、ダリオは廊下にいた適当なメイドにも声をかけて廊下の奥へと行ってしまった。

 その様子をセリアとアネットは呆然と見ていた。

「ダリオ様はティル様とお知りあいなのでしょうか」

「さぁ……。私もよく分かりません」

 ティルの事は放っておいていいだろうとセリアはアネットに話し、二人は客間に入る。セリアが見たこともない豪華な家具が置かれていた。

「凄いわね。流石はアストリア王の宮殿」

「はい。ですが私は掃除中に傷を付けてしまうのではないかと思っていつもヒヤヒヤしております」

セリアはアネットが恐る恐る掃除をしている姿が直ぐに思い浮かべる事が出来た。そして更に奥のドアへと案内された。

来客した客人の衣装を直したり婦人の化粧を直したりする部屋である。

「その椅子に掛けてお待ちください。今幾つか衣装をお持ちしますので」

「セリア様。少し失礼します」

 アネットがセリアのクロークを脱がせた。セリアは男物の服を着ていた。白いシャツに黒いズボンを着用している。あちこち擦り切れたり継ぎ接ぎがしてあるが、こまめに洗濯をしているようで清潔に保たれている。

服はシンプルなのに装備はゴテゴテとしていた。腰のベルトにはショートソードが掛けられていて、ナイフが三本収納されている皮のベストを着ている。小さめの雑嚢を肩から下げており、ストラップの部分に何かしらの仕掛けが施してあるようだ。他にもアネットが見た事もない奇っ怪な装備が幾つかある。両腕には毒針が仕込まれたトリックリストまで嵌めていた。

「驚いた? 物騒だからってティルが。後は自分で脱ぎますよ。武器を人に触らせたくはないですし」

 下着姿になったセリアを見てアネットは更に驚いた。無数の傷がついていて、治ってはいるもののその一つ一つが深い。

「あの……。まさかティル様に」

「アネット、たぶん貴女が思った事とは違うんじゃないかと……」

「そ、そうですよね。私ったらなんて。申し訳ございません。早速お着せ致します」

 アネットが持ってきた服は裾が長く袖口や襟元にはフリルが付いており、装飾が煌びやかに施されたドレスだった。色合いは落ち着いた水色をしている。貴族の女性が着る中ではポピュラーな方だが、セリアはそういった服に対して何故か拒否感があった。

「待って。そういうのはちょっと……」

「お気に召しませんか? ――ならこちらは」

 二着目を勧めようとした所でセリアが奥の方にある服に目をつけた。

「あぁ……これでお願いします」

「こちらは修道服ですが」

「貴族ではない私がそういったドレスを着るには恐れ多い。それに王様に対して失礼でない服装であるなら問題ないでしょう」

「はぁ……。では、こちらでお化粧を」

「え――いや、大丈夫です」

「それではせめて御髪だけでも」

 あまり断るのもアネットに申し訳ないと思ったので髪だけ丁寧に結和ってもらった。


部屋から出るとティルが待っていた。

 あの頃の姿と殆ど変わらない。髪を整え、髭を剃り、服を新しくしただけでこうも極端に変わるとは。

「似合っていますよ。その方が」

 セリアは素直に感想を述べた。

「デザインは前と変わらないよ。……セリアはドレスじゃないのか。というかマリユス教の修道服~?」

「ドレスよりこっちの方がマシです」

 本当はティルが着ている調律師の服に少なからず憧れを抱いてはいるが、自分の未熟さ故に調律師の服を着たいとは言えなかった。

「お二人ともこちらへどうぞ」

二人の服装が整った所でアネットは二人を王の下へ案内した。


 長い通路を歩き、突き当たりの扉を開くと広いホールに出た。中庭からみて正面の扉を開けた所だろう。人の出入りが思ったより多い。ホールの左側にある大きな階段があり、アネットはそちらの方へ歩いて行く。

階段は途中から二股に別れて二階に架けられていた。そこからまた中央の階段を登り三階に謁見の間があった。

 謁見の間の前に人が並んでいる。扉の前に居た衛兵にアネットが話しかけた。どうやら順番を待たずに通してくれるようだ。

「それではティル様、セリア様、私はこれで失礼致します」

 アネットは深くお辞儀をして去っていった。

 衛兵は扉を開けて二人を中へ通した。


謁見の間は思っていたより小さい。だが衛兵は謁見する者が少しでもおかしな事をしたら即座に殺せる間合いで王を守っている。

 ティルは衛兵の間合いの手前で膝まずき、セリアもそれに習って膝をついた。

「ティルよ。報告をしろ」

 ティルは顔を上げて応えた。

「はっ。フラギス国ソアルからリメア国に入り、国境沿いを歩き、途中のロトーノ村で音狂いの治療をしました。そこで手紙を拝読しアストリア国ゼーフェルトを目指しました」

「うむ。大方手紙の通りだな。ソアルから音狂いの治療はその一家の長男のみだな?」

「相違ありません」

「手紙ではその時は弟子が治療をしたそうだが、其の方がティルの弟子セリア・ベルリオーズで間違いないか?」

 フェリクス二世は持っていた手紙に目を通した後セリアに返事を求めた。

「はい」

「面をあげよ」

 鋭い目で威圧するように全身を見た後、視線はセリアの目で止まった。目の奥、心の奥まで見透かすようなフェリクス2世の視線にセリアは目を逸らしてたじろく。

「してセリアよ。そなたはなぜマリユス教の修道服を纏っている」

「こ、これはその……」

「ふっ。後で調律師の服を与えよう。そなたはもう音狂いの調律を行えるとティルの手紙に書いてあったが相違ないな」

「はい。まだ未熟ではありますが……」

「うむ。国が認めている調律師で女は初めてだ。師に学び、精進せよ。それから音叉も用意させる。後で家宰のダリオから受け取るがよい」

「ありがとうございます」

 フェリクス2世はティルの方へ向き直った。その時少し不自然な手の動きをしていたのをセリアは何だろうと思ったが、癖のようなものかと大して気にはしなかった。

「この時に戻ってきてくれて助かるぞ。我が国内でも音狂いが増えている。マリユス教の調律師にばかり頼ってはおれん。明日から働いてもらう。従者を一人つけてやる。今後必要な事はその者に言いつけよ。二人共、下がってよい」

 二人は深く礼をして玉座の間を後にした。


 ドアを出た後にセリアはどっと疲れがでた。ティルはなんだか慣れているようだったがやはり苦手らしい。吹き抜けになっている手摺の部分に手を掛けて背中を伸ばしている。しばらくするとダリオがやってきた。

「先程はご挨拶もしないで大変失礼致しました。セリア様のお召し物をお持ち致しました。申し訳ございませんが音叉は用意が間に合わず明日になります」

「わかりました」

「お部屋もご用意致しましたので、今晩はこちらに――」

「いや、ダリオ。僕達は城下の宿に泊まるよ」

 ティルはダリオの言葉を遮って自分の意見を言った。

「しかしティル様……」

「そう決めたから。それよりセリアに早く着替えを」

 ティルが少し語気を強めると流石のダリオも引かざるをえないようだ。国家に認められている調律師ではあるわけだから、それなりに権威があるのかも知れない。

「はい……ではセリア様。こちらへ」

 ダリオは先程ティルを着替えさせる時のように近場にいた年配のメイドに声を掛けて先導して歩いていった。ティルは「中庭で待ってるよ」とセリアに告げて一人でスタスタと歩いて行ってしまった。


 セリアは先程着替えた部屋に装備も置いてあるとメイドに告げた。なんとなく装備の事や傷の事をまた説明しなければならないような気がして、アネットの方が良かったなと思っていた。       

 案の定着替えさせてもらった時、年配のメイドは傷を大層心配してくれたが、セリアにとっては少し煩わしかった。武器について言われた事も然りである。

 調律師の服はセリアが着ていた服とほぼ変わらない。白いシャツに黒いズボン。違う点はシャツの袖に刺繍が控えめに入っていて、ズボンはセリアにとっては大きめだったが紐で調整出来るようになっている。特徴的なのはサーコートだろう。記憶の中のティルが着ていた服の色と一緒だ。表にアストリアの紋章が胸の所に小さめに刺繍されている。裏の肩の部分には音楽の加護が得られる祝福文と印が書かれていた。生地も麻ではなく綿で織られている。

 セリアは羽織った時に何か特別な思いを感じた。

セリアはサーコートが邪魔にならないか軽く動いてみた。ナイフを取り出したり剣を抜いてみたりして動きを確認する。

 ――悪くはない。

 年配のメイドはその動きを見て女が粗野な事をして……と思ったが。セリアの素早く無駄のない動きに美しいとも思った。

 しかしこの服では顔を隠す事は出来ないので、少々厚着になってしまうがクロークを羽織った。だがこれだと調律師である事が分からない。どうしようかと悩んでいたメイドが調律師の徽章を差し出した。ティルは付けずに懐に入れっぱなしだったが、セリアはクロークの左胸の辺りにつけた。これで調律師と言う事はわかるだろう。


 セリアはメイドに礼を言い、少し急いで入り口に向かった。

 扉を出て辺りを見回す。中庭のベンチで音叉の音を聴いているティルが見えた。きっとコロルと話しているのだろう。そう言えば契約したコルはコロルの近くに居たりするのだろうか。会話は出来ても聖音域に入らないと向こう側の状況はわからない。今どうしているか少し気になった。

「ティル」

 セリアはティルが音叉を離すのを見計らって声を掛けた。

「お、やっと来た。どうだい調律師の服は」

 セリアはクロークの前を少し開けて控えめにティルに見せた。

「いい色ですよね」

「うん。でも直ぐに色褪せるんだ」

「嫌な事言わないで下さい」

「それじゃあ賑やかな城下町へ向かうとしますか」

 ティルは音叉を懐にしまい「よっこらしょ」と、じじ臭い声を出した後に思いっきり背伸びをした。

見てくれは良くなっても中身は全然変わってないとセリアはため息を付いた。



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