第51話 オアシスにて 3
「うーん、多分こっちじゃないんじゃないかな……」
ポケットの相棒に向けて、端から見れば独り言のようなその言葉を、ミヤギはぶつぶつ呟いた。
ハトムギに導かれ、一本通りを経ればそこはもう商店のない裏通りだった。
もちろん買い物に行ったリツミとレンの姿はない。
辺りを見渡す。
ここは旅人用の宿が立ち並ぶエリアだ。
故に道行く人も少なく商店街とは違って閑散としている。
一体なんでハトムギは自分をこっちに誘導したのか。
困惑するミヤギが来た道を戻ろうとしたそのとき。
「こら、どう! どう!」
閑散とした通りに響いた、馬をなだめるような怒鳴り声。
思わず振り返ると、実際それは馬を御そうとする男性の声だった。
ミヤギが目を向けた通りの向こう側。そこには商人の一隊と思われる男性達がいた。
馬に乗る者、乗っていない者様々で十人ほど。いずれも白い日避け布を頭から被っている。
その内の一人。小太りの中年の男性が通りにいっぱい腕を伸ばして、けたたましく地面を蹴り上げる暴れ馬を鎮めようとしているのだ。
しかし馬は一向に収まる気配がなく、前肢を宙に浮かして今にも男性に突進しそうな勢いで暴れ続ける。
この世界の馬は体が大きい。以前光領の基地の前でメルベと二人乗りしたときも思ったが、ミヤギの世界の馬と比べて体格がいい。
あのときの光領の馬が特別なのかと思っていたが、今通りにいる馬もなかなかに大きかった。
男性に突進すればケガでは済まないだろう。
「くっ」
暴れる馬にどうしようもなくなったのか、男性がとうとう剣を抜いた。
馬の首をはねようとする彼を制して、
「どうどう。これが痛かったんだね」
ミヤギは馬の前まで進み出ていた。
前肢にささったとげを、ゆっくりと引き抜く。
痛みが和らいだのか、馬はゆっくりと前肢を下ろして、ミヤギの手に鼻先を擦り付けた。
じっくり見れば体は大きくても可愛いものだ。つぶらな両目が青年をじっと見ている。
そしてそれは先程馬をいなしていた男性もしかり。
驚いて固まった表情で、ミヤギを凝視している。それはそうだ。
激しくいななく暴れ馬の前に、急に歩み出す人間がいたらびっくりだろう。
「うっ、あの、すいません。突然」
気まずくなって、青年は思わず謝った。
男性の方もぽかんとした顔で、「ああ、いや……すまなかったな」と言うばかりで、いまだ事態が飲み込めない様子だ。
ミヤギはさらにもう一回謝って、さっさとその場を去ろうとした。
しかしその背に声をかけた人物が一人。
「待たれよ、そこの君」
深みのある声にミヤギは振り返った。
声の主は事の顛末を見守っていた、商人達の中で一番毛並みのいい黒馬に乗った男だった。
この男の馬には他の商人のように荷物がくくられていない。
この商隊をまとめる主か何かだろうか。見るからに位が高そうだ。
男は日避けの被り物をとると、馬を降りてこちらに近付いてきた。
高い背の、その中程まで伸ばされた黒髪がなびく。
「礼も受け取らずに去ろうとは、見上げた御仁だ。しかしそのような御仁に非礼をはたらく訳にはいかない。少し待ってくれ」
外見はまだ若そうだが、慣れた優雅な言葉遣い。
口元が面白そうに笑っていた。
道行く者が思わず目を見張る、ずいぶんな美丈夫だ。
ミヤギから見ても、彼は驚くほど印象的な目をしていた。
前髪の隙間に輝く鷲のように鮮烈で鋭い瞳。一度見たら忘れられない目、とでも言えばいいだろうか。
馬を降りてこちらへ歩いてくるまで、ゆったりと余裕のある仕草にも華があった。しかし同時にどこか剣呑さを纏っている。どの動作をとっても隙がない。
男は先程の暴れ馬の前に立つと、鎮まった頭にそっと手を置いた。
馬はミヤギのときのように鼻先さえ擦り付けたりはしなかったが、男を主と認めているのか大人しくしていた。
「見事だな。この西風号は普段から気性が荒いので有名なのだが、ケガをして荒ぶっているのを収めるとは。君、獣医か何かか?」
「いえ。僕はただの……旅人です」
男の隣に立って、ミヤギも馬の頬に触れる。
その手にまたもや馬が擦り寄るのを、男は目を丸くして見ていた。
「いい子ですよ、彼は。肢に傷が無ければあんなに暴れたりしなかった」
「はは。まるで馬の言葉が分かるようだな」
「『言葉』は分かりませんよ。でも、」
「目を見れば分かるというやつか? 俺の知り合いにもそういう変わった力を持つ人間がいるのだが……いや、それにしても見事なものだ。本当に助かった」
剣呑な雰囲気を纏っているが、それは男からミヤギへ、含みのない賞賛の言葉だった。
男はさらに、「誰か、彼に礼を」と部下らしき商人を呼ぶ。
「え? いや僕は、そんなつもりじゃ……」
「いいから受け取れ。この砂漠で馬を失う訳にはいかなかったからな。君がいてくれて助かった」
焦って首を振るミヤギに、ジャラジャラと音のする布袋が押し付けられる。
その後十回ほど首を振ったが受け入れられず、青年はしぶしぶそれをもらうことになった。
男が満足げに微笑む。
そして「ああ、そうだ」とまた部下を振り返った。豪快な礼の渡し方、人に指示することに慣れている様子から見ても、やはり彼は大物らしい。
指示された部下は商人達の向こうから、一頭、人間の腰元ほどの背の小さな馬を引いて戻ってきた。
「旅の途中で買った子馬だ。良ければ名付け親になってくれないか? どうせ名を付けるなら、馬の気持ちが分かる者が付けてやったほうがいいと思ってな」
唐突だ。唐突過ぎて困った依頼だ。
礼をもらった上に名付け親になれとは。
うーん……名前……。
ぱっと思い付いた名を、ミヤギは男に告げた。
「た、旅人よ。それは一体……」
今まで笑顔だった男の表情が、何故か一瞬にして凍りつく。そしてミヤギが提案した名前は、何故かやんわり却下になった。
さっきはノリノリで名付け親になってくれと言ってきたのに、なんでだろうか?
最後に愛想笑いを残して、男は乗っていた馬の方へと戻っていった。
「改めて礼を言う、旅人よ。縁があれば、またどこかで」
そう言って彼は颯爽と馬にまたがった。
片手で手綱をとり、もう一方の手でミヤギに手を振る。
手を振り返すと、男は満足そうに馬のきびすを返した。
そうして十人の商人達を連れて、通りの奥へ消えていってしまった。
その場には重い布袋を持ったミヤギ一人が残される。
一体彼は何だったのだろう。
嫌な感じがするとまではいかないが、不思議な人物だった。
独特な優雅さや豪快さのことではない。その点でも確かに珍しい人物だったが、陽光のように輝く華に隠して、彼は最後までじっとミヤギを"見て”いた。
いや直接ではない。どこかもっと意識の奥の方で、それとなく観察するように。
しかし行商の長ならば、会ったばかりの人間の胸の奥を探る癖があってもおかしくはないか。
多分、砂漠で生き抜く商人の職業病というものだろう。そう思うことにした。
今はそれどころではないのだ。
「早く二人を見つけないと」
一悶着あったせいで時間をとられた。リツミとレンはさらに遠くへ行ってしまっているかも知れない。
ミヤギは急いで元の通りへ戻ると、また最初から二人を探し始めた。
人の目も少なくなった裏通り。そこに響く数頭の蹄の音。
日影に入ったところで、部下は『主』に馬を並べた。
「よろしいのですか、将軍」
「ん?」
「さっきのあの青年、異界人では?」
その言葉に、将軍……鷲の目の男は真っすぐ前を見たまま答えた。
「ここでこうして通りすがりとして会った分には、俺とあいつはただの旅人同士。互いの行き先に口を挟む義理はない。それに、助けてもらったしな」
蹄の音が響く。それにかき消えるか消えないかの声で、彼は続けた。
「運命ならばまた巡り会うだろう。敵としてか、味方としてかはまさにその運命次第だ」
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