第50話 オアシスにて 2

 赤黒から夜明けの紫に変わった空に、強めの光を放つ太陽が昇っていく。


 砂の街の入り口で大剣を地面に突き立て、レンはそれに寄りかかる格好でうとうとしていた。

 目の前に広がる砂漠がまぶたに現れたり消えたりする。

 しかし待っていたかった。村人達を逃がすために囮の役を買って出た者達を。

 必ず、生きてこの街にたどり着くはずの者達を。


 そして、


「こんな所で誰か寝てると思ったら……」


 頭から降ってきた、聞き覚えのある生意気な若者の声。

 しかしいつもの呆れたような口調にも、今はどこか安堵した感じがある。

 もちろん、眠りかけていたレンはがっと目を開いた。

 瞳に映ったのは、見覚えのある四人。と一匹。


「リツミ! リツミにミヤギくんにバクにハトムギにルイ!」

「リツミ二回言ったな。てか、なんでオレが最後なんだよ……」


 ルイのぼやきに構わず、レンはリツミに向かってダイブする。


「無事だったんだね! 会いたかったよ~!」

「一日ぶりね、レン」

「微笑ましい光景だね」

「どこがだよ。一日ぶりって冷静にツッコまれてるじゃねえか」

「ああん? なんか言った?」

「うっ。いいえ、なんにも……」

「バク! ルイが心配で付いて行っちゃったんだね。大丈夫だった? ケガしてない?」

「う、ううん。おれは大丈夫だよ、レンの姉ちゃん」

「……なんでバクがオレのお守りなんだよ」

「その通りでしょ」


 気の抜けるようなやり取り。

 一日ぶり、しかしそれはひどく懐かしい光景だった。


 やっと来た。いいや帰ってきたと言ってもいいだろう。

 レンも、他の皆も、穏やかではない胸中で待っていた者達が帰還したのだ。


 昇りゆく朝日の中、砂の街の入り口にて、リツミ、ルイ、ミヤギ、バク、そしてハトムギは先を行っていた村人達に合流したのだった。


 

 

 レンに案内され、ミヤギ達は砂の街の町長の館で村人達に再会した。先にバクを休ませ、一日ぶりに村長に対面する。村の老人達はそれぞれに安堵の表情をにじませ、帰ってきた者達を迎えてくれた。


 そしてリツミはダムでの一件を話し、村長はこの街に着いてからのこと、この街の為政者と行った会談の内容について話してくれた。

 お互い事の顛末をすべて話しきるには時間がかかったが。


「今のところは、この街はあたしらに協力してくれるとさ。水はただで汲んでいけ。物資は安く分けてやる、ってね。まあ、そうしてくれるのは有り難いよ」

「村長と町長さんは友達なんでしょう? 町長さんが光領に付いたら……」

町長やつはこの街の住人を守るためなら何だってするだろう。命じられればあたしらを討伐するため軍を差し向けるかもね。まあいいのさ。そうなったら全力で受け止めてやるだけだ。今は、利用できる内に利用しとくのさ」


 老女の強かな答えに、顔に傷のある老人も頷く。お決まりの文官なる老人も口を挟んだ。


「この街は、ワシらと同じ流れ者の街。町長たちが苦労して住み着いた場所だ。最初は人が住むなど信じられんほど過酷な環境だった。それを、オアシスを見つけて商業を興して……そこを捨てるなんぞ簡単には出来んだろう」

「村を捨てたワシらと違ってな」

「文官、この世界で生きるには、一概に何がいいとは言えん。ワシらも断腸の思いで村を捨てる選択をした。町長だって、本当に光領が約束を守るかどうかは半信半疑のようだった。先のことは誰にも分からん」

「まあ、何を言っても今さら後戻りはできんからな」

「ええい、ウジウジとうるさいやつめ。命懸けで戻ってきた若者にみっともない面を見せるな!」


 言い合う二人を無視して、村長はミヤギ達に休息を促す。


「長々と説明させてすまなかったね。三人とも少し休みな」

「ふあーあ、そうしようぜ。オレ達砂漠のオアシスを出てから夜通しトロッコ漕いでたし」

「うん。そうだね」


 若者達は村長の言う通り、休息をとるため立ち上がった。

 しかしその中で老女がリツミを呼び止めるのを、ミヤギは見ていた。


「リツミ、吊橋の件だが……」

「みんなが危険だと思えば、あたしだって切り離していたでしょう。きっとそういうことよ」

「ああ……そうだね。敵を遠ざけるために村の誰かが橋を落とした。あんた達のことを信じて、ね」


 珍しくどこか不安げに老女がつぶやく。リツミはただ笑顔でその言葉に頷いた。

 あのときのことだ。光領の襲撃を受けた夜明けの谷で、ミヤギ達を残して吊橋が落とされたこと。

 しかし誰が橋を落としたのか。村長とリツミはその人物を探すつもりはないようだった。探したところで、結果的に村人達もミヤギ達もこうして無事に砂の街にたどり着いている。彼女達はその事実を優先したのだ。


 しかし、離れた場所で二人の会話に舌打ちした者がいることにも、ミヤギは気付いた。


「善人面しやがって……」


 ジュナの弟、シュゼがそう吐き捨てて背を向けたのを、ミヤギは見ていた。





 食糧や水、旅に必要な大まかな物は砂の街の町長から安く譲ってもらった。

 村人達は引き続き町長の館で休むか、個別に必要な物資を街まで買いに出ている。

 昼下がりになって、少し休んだミヤギとリツミ、そしてレンの三人も街へと繰り出した。


 ルイはまだ休んでいる。

 ミヤギも特に必要な物もなかったが、この世界の街を見たいと、買い物に行くリツミとレンに付いてきたのだ。


 砂の街はオアシスを囲むように発展した、大きな街だった。

 町長の館を出て少し歩けば、布を屋根にした簡素な造りの商店が軒を連ねている。

 

 行商で訪れた商人もいるのか、人々の服装も様々。ただ、皆きつい日光だけは避けたいのか、頭をすっぽり覆う被り物をしていた。

 あとはこの辺りに駐留している港市連合軍の兵士がちらほら。 

 

 この世界で街に来るのは初めてではない。しかし壁の街では機能している商店というものを見なかった。だから人のいる店というのはずいぶん久しぶりのような気がする。


 しかし賑やかな店先を歩いていても、ミヤギ達には陰気な会話しかできなかった。

 日常会話に見せかけて、リツミとレンが話しているのは光領のことだ。


「コウノは、あたし達の抹殺以外に何か任を負っているのかも。それに本当に異界人を消すつもりならもっと重装備で追ってくるはず。あたし達が早めに村を離れて山の中まで逃げていたのは、想定外だったのかも知れないわ」

「そうだとすると、装備を整えて追撃してくる可能性があるね。あの山を下って、どのルートで首都まで向かうかは容易に推測ができるから」

「そうまでしてあたし達を消したいなら、ね」


 リツミの声音が少し低くなる。

 話題を切り替えるように、レンは首を振った。


「他に任があるとすれば、やっぱり首都を落とすための任だろう。異界人を使う作戦といえば、内側からの防衛線の突破だね」

「防衛線を、内側から突破?」


 つぶやくミヤギに、レンは頷く。


「少人数の兵士を先兵として送り込んで暴れさせ、内側から相手の重要拠点を破る。光領がよくやる手だよ」

「少人数の先兵……それを異界人に任せるんですね」

「うん。異界人が数人いれば、街一つ陥落させるのも不可能じゃないからね。とくに港市連合は海の守りが堅い。このままじゃ戦況が長引くと思ったんだろう」


 この地方を制圧するため、わざわざ光領本国から呼び寄せられた異界人の英雄。コウノ達はその任を果たすため、恐らく守りの堅い港に派兵されるのだという。


 戦場に、敵地に数人で投入される。レンの予測が当たっているかどうかは置いても、軍人である彼らの任は過酷なものだろう。

 あの冷徹なコウノでさえ、生きるか死ぬかギリギリのところで“使われて”いる。


 思わず見上げた太陽の輝きは強く。この世界を生き残れる者にしか注がない。

 青年は手の平で光を遮った。本当はこの世界を生き残れる者ではない者も、仲間の助けで何とかまだ太陽の下にいる。

 だが……。


 自分の頼りなさに目をすがめる。

 しかしそれを見ていたリツミは、何故か気を遣うようにミヤギに声をかけてきた。


「やっぱり日差しがきついわね。日避け布を買ってきましょうか?」

「え? いや、僕……」

「いいのよ。日避けならこの街を出てからも役立つし」


 青年の言葉を待つ前に、白髪の女性はさっさと前に歩き出してしまった。

 どうやら強い陽光を浴びて眩暈でもしていると思われたらしい。


 リツミとレンは連れだって日避け布が売ってある商店を探し始めている。

 なんだか悪いことをしてしまった。こんなときまで気を遣わせるとは、自分のひ弱さが恨めしい。


 しかし……。


「うーん、この辺りにはなさそうね」

「そうだね。もう少し向こうに行ってみる?」


 キョロキョロしながら前を行く二人の背を見ていると、なんだか旅行に来た外国の街で買い物をしている気分になる。実際は切羽詰まった状況ではあるが、二人の明るさがそう思わせてくれる。

 太陽に憂鬱になっていた青年もようやく前を向いて、仲間を追いかけようとした。


 そのとき。


「おおっと。危ないよ」


 歩き出そうとしていたミヤギに、角から出てきた商人のおじさんの声がかかる。

 思わず立ち止まって、青年は目を丸くした。


 突然目の前を横切ったのは、通りを一体で埋めるような巨大な水牛……のような生き物。

 商人の後に続いて、どしどしとミヤギの目の前を歩いていく。その背は四つ足で立っているのにミヤギよりも大きく、角は空に突き上がるように太く鋭い。

 そして水牛はこれもまた見上げるほど背の高い荷車を引いていた。見慣れているのか、道行く人々は特に驚いた様子もなかったが。


 黒く巨大な体躯が過ぎるまで、青年は呆然とそれを見ていた。

 しかし大変なのはその商人と水牛が横切った後、ミヤギがリツミ達を見失ったということだ。


 こんな所でもまた鈍臭さが出た。


 どこかで路地を曲がってしまったのか、真っすぐ向こう側にリツミとレンの背はない。

 しばらくキョロキョロと探したが、近くに二人の気配はなかった。

 完全に迷子だ。自分で付いてきたいと言っておいて。


 いや今までの危機と比べればかなり地味なピンチだが、この状況は焦る。

 知らない街で一人になってしまった。


 それを助けるように、青年のポケットのハトムギが鼻をスンスンする。


「え? あっち?」


 相棒の嗅覚を頼りに、ミヤギは見知らぬ街の、一本先の通りへと導かれたのだった。

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