第49話 オアシスにて 1
ダムのある山頂付近からさまようことしばらく。
ミヤギ達が山を下りたときには、すっかり太陽も低い所に落ちていた。
道なき道をかき分け、太陽の位置と方角を確かめながら何とかここまできたが、ずいぶん時間がかかってしまった。
ここまで、先を進んでいるはずの村人達とは出会っていない。
どうやら彼らは、ミヤギ達がダムで光領に追われたり山をさまよったりしている内にだいぶ先まで進んでいるらしい。
しかし落ち合う所は分かっている。
山を下りて、青年達の前に現れたのは赤い砂の原。
どこまでも続くこの砂漠の先に待つ、『砂の街』まで行かねばならない。
そこは文字通り砂漠のなかに存在する小さな街だという。
「砂の街には囲む門がないから、夜でも入れるわ。このまま先へ進んでしまいましょう」
夜の移動は危険とはいえ、ここでは野宿もできない。
三人には火を起こす道具も、食料も、砂漠の夜気を防ぐ外套もなかった。
ならば先へ進まねば、今は立ち止まることのほうが危ないだろう。
「荒れてんな、この地域」
目の前の大砂漠を眺めながらルイが呟く。
砂漠といっても大砂丘が連なる砂山ではなく、平坦に近い地面に赤い砂利が溜まっている。れき砂漠、というものだろう。
幸い今は日が暮れかかっているが、昼間の炎天下に立たされれば無事ではいられないだろう。長時間かけて歩いて渡ることは難しそうだ。
しかしだからこそ、ここには一つ、街までの移動手段が確保されているようだった。
赤いれきの海。その真ん中を裂くように走った一本の線路。
線路の部分だけ高く盛り上がって、れき砂に埋もれてしまうのを防いでいる。
恐らくあの線路に列車か何かの乗り物が走っているのだろう。
しかし今はその乗り物らしき物は影も形もない。
あるのは線路だけだ。
リツミいわく普段ここには、
「エンジンを積んだトロッコが走ってるんだけど、それは全部出払ったみたいね。あたしたちは、」
そして彼女は線路の脇にできた鉄屑置場を見る。
「あそこでひっくり返ってるのを使いましょう」
そこには重なったバケツのように、茶色く錆びた簡単な貨車が何台か積み上がっていた。
荷を運ぶための四角い胴体に小さい車輪が付いているだけで、エンジンのようなものは見当たらない。代わりにその真ん中に、車輪と連動したシーソーのようなハンドルが付いているだけだ。
「あれってまさか、手動……」
察したルイが苦く呟くが、リツミは動じた様子もない。
ひっくり返ったトロッコを一台持ち上げ、車輪を線路のレールに噛ませると、車体の点検を始めた。
「うん、これはまだ動きそうね。さ、みんな乗って。交代で漕いでいきましょう」
尚も嫌そうなルイが、線路の先に霞む木立のようなものを指差す。
「……向こうに見えるのが例の砂の街?」
「いえ、あれは中継点のオアシスよ。街はもっと大きい」
「マジか……」
「僕らの今の力なら何とか漕げるよ。がんばろう」
「ミヤギ、お前適応はえーな……」
「あ、オアシスが見えてきたよ!」
トロッコから身を乗り出してバクが叫ぶ。
ギッコンバッタン、ハンドルを上下に息を切らして漕ぎ手を務めていた異界人達は、ほっと息をついた。
夕陽が地平線まで迫っていた。
いつの間にか、ミヤギの服も貯水湖の臭いが飛ぶほどパリパリに乾いている。
山の麓から出発して結構な距離を漕いできた。
オアシスまで入ると、ヤシのような大きな木がわずかな陽の光を遮る。
その真ん中に、夕日を映す澄んだ泉があった。
「休憩ー! よーし、水も飲めそうだな! じゃ、オレ一番乗り!」
「まったく、こんなときに子どもみたいに……」
「そんなこと言ってないでお前も来いよ、バク。気持ちいいぞ」
「うわっ」
よほど疲れていたのか湖の中にダイブしたルイが、水のしぶきをバクに向かって飛ばす。
「もう! 冷たいなあ!」
バクも湖の淵から、ルイに水を掛け返して応戦した。
その攻撃に、ルイはますますはしゃぎ出す。
「やったな、ほらお返しだ!」
「ちょ、こんなことではしゃがないでよ、兄ちゃん!」
なんだかんだ言ってバクも楽しそうに水遊びに興じていた。
二人で泉に浸かって、バシャバシャと水しぶきを上げている。
思えば、水浴びというのもヴァイオレンシアではなかなか出来ない贅沢なのかもしれない。飲める水の中で、思い切り泳ぎ回るということは。
泉で水遊びに興じるルイとバクを遠目に、リツミとミヤギの二人は木陰で静かに休息していた。
「ミヤギも、無理しないで水浴びしてきたら?」
「僕はいいよ。もう臭いも気にならないほどだし、街までもう一漕ぎするし。……それに僕、水の中があんまり得意じゃないみたい」
わずかにリツミが目を見張る。
その理由が自分の瞳の陰りだと気付いて、それを隠すように、青年は手の甲で額の汗を拭った。
ついでに話題を変える。
「あのときは本当にありがとう、リツミ。村からここまで、助けられっぱなしだね」
この世界で降りかかる難は、彼女がいなければ突破できないことばかりだった。
最初にハトムギとこの世界を歩いていこうと決めたとき、少しだけ持っていた自信を打ち砕かれるくらい。一人では何もできなかった。
リツミの答えはあのときと同じ。
「いいのよ」
それ以上何も言うことはなかった。
「イタタ! 背中イタっ!」
泉に、はしゃぎまくって背中の傷を忘れていた男の叫びが響く。
陽が沈んでしばらく、一行はそこで休息をとった。
「さっそくこの街の為政者と会談だなんて、婆さん達は一体何をやってた人達なの?」
「とある国の主とその家来……って言ってたけど、まあそれは冗談だろうな」
赤黒い空にわずかな星が輝く。
その星明かりを映す湖のほとり。砂の街の長が住まう館の前に立って、レンとジュナは空を見上げていた。
ただ暇を持て余しているわけではない。この中にいる人を待っているのだ。
吊橋でリツミ達と別れて、もうすぐ一日が経とうとしている。
村人を連れて山を下り、砂漠のトロッコにすし詰めに乗り込み、陽のある内になんとかこの『砂の街』までたどり着いた。
そして街に着いてしばらく、村長とその他二名ほどの老人はこの街の長の館へと連れられたのだ。
しかし連れ去られたわけではない。
いきなり大荷物を持った五十人もの人間がやってきたことに、この街の住人達は少なからず驚きの表情をしていた。これはさすがに警備の兵士でも呼ばれるかと思ったが、やってきたのはこの街の長の使いだった。
しかも五十人の村人が大挙して押しかけたからではなく、その中に村長がいることを聞き付け会談を申し込んできたのだ。
今は村人達も、オアシスの泉のすぐ側にある街の長の館で軒先を借りて休んでいる。
レンとジュナは館に入っていった老人達を心配して、一応戸口で待っているのだ。
太陽の光を反射させるためか、この街の建物はすべて白い色。町長の館も例に漏れずだ。
しかしさすがに長の住まいとあって、立地は街の中心。このれき砂漠の第二のオアシスである巨大な泉の岸辺に建っている。
庶民の家を大きくしたような質素な外観だが中庭も広く、村人達はそこに布を張って夜露をしのいでいた。
しかしさっきも言ったがいきなり町長ポジションの人物が会談を要請してくるとは。
五十人の旅人の中に、水源の村の長である老女がいたことがよほど緊急を要する事態ととられたらしい。なかなか話の早い町長で感心なものではあるが。
「町長は村長の古い友達なんだ。一緒に何とかの戦場で戦った仲だとか」
「物騒な仲だね……。光領のことを聞いたら、町長さん何て言うかな」
「さあ。光線砲のことは、びっくりするだろうけど……」
「一つの街が滅んだ、なんて聞いたらね」
夜闇を映す砂漠の泉を眺め、レンはふうっと息をついた。
「なるほど。なまじ水源が豊かだったおかげで光領に目を付けられてしまうとは、災難だったな」
夜闇が包む白壁の部屋。
砂漠の隊商が集めた様々な装飾品。古い紙の匂いに満たされた室内。
それはこの街を治める者の執務室として使われていた。
しかし普段は各地を旅する商人を招いて談笑するこの部屋は、今はランプに布を掛けて明るさを絞り、窓は全部締めきっていた。
そしてその薄明かりに座す、四人の老人。
そのうち三人は、水源の村からやってきた老人達。村長である老女と、その取り巻きを務める二人の老将だった。
そしてその正面に座るのは、この砂の街の長。厚い瓶底のような丸眼鏡をかけた男性。背はしゃんとして、前にいる三人よりどこか都会的な雰囲気のある人物だったが、歳のころは同じだ。
村からやってきた老人達は、久しぶりに会ったその男に旅の経緯を話した。
この街の長は、黙って話を聞いていた。そして、
「……よく情報をもたらしてくれた。だが、残念ながら我々は光領に降伏させてもらう」
そう結論を下した。
光領の進攻について、彼が特に驚いた様子はなかった。
進攻してくればいつか征服されることは必至の勢力なのだから驚かないのは不思議でもなかったが、それにしても落ち着いていた。
その理由は、
「君達の言う通り、近々光領に大きな動きがある。この辺りの街や村には、すでに息がかかっている」
「この街も例に漏れず、のようじゃな」
村の老人の一人……顔に傷を刻んだ老将が得心が行ったようにつぶやく。
町長は静かに頷いた。
「ああ……。この国の、いいや港市連合の中枢には光領の回し者が何人も属している。私もつい数日前、その一人に念押しされてな」
「無抵抗で光領に降るようにと、か?」
「本気かどうかは知らないが寝返った場合の見返りも約束してもらったよ。ああ、くれぐれもこのことは外を歩いてる港市連合の兵士には内密に」
「余計な心配をするな。……しかしここまでくると、港市連合は一体何と戦っておるのか」
「強固な港を落とされるまでもなく、内側から食われておるではないか。まったく……昔戦った西国の軍師よりタチが悪いわい」
「文官、今は昔話をしとる場合ではない」
傷のある老人が文官と呼ばれる老人をたしなめる。
それを横目に、今まで黙っていた老女は町長……かつての戦友に瞳を向けた。
「あたし達に口を挟む余地はない。だがお前の判断はこの街の者を生かすだろう。光領はとんでもない兵器を持ち出してきた。寝返らなかった場合の『見返り』も、あんたは聞いているだろうから」
「ああ……聞いたさ。その光線砲とやらを使う使わぬ以前に、否という答えはこの街の終わりを意味すると。……こう言うのは気が引けるが、壁の街の破壊はこの辺りの街への見せしめだ。最後まで抵抗し続けた者に、それに見合う明日などないと示すためのな」
眼鏡の友は悲しげに微笑む。節くれ立った指が、磨かれた石のテーブルを弱く叩いた。
「本当は、君達のようにもう一度旅に出たいよ。……だが我々はどこにも行けない。知っての通り、この街は『旧大陸の民』の街だ。首都までたどり着いたところで、門前払いを食うのは目に見えている。それに、街中の人間を連れて外に出る訳にもいかない。この先は過酷だ。行けるのは君達だけだ」
長年砂漠に暮らし苦労を重ねた手が、コツンコツンと音を立てる。
老女はそれを静かに聞いているだけだった。
かつてはこうして薄明かりの中、ともに敵の目を忍び明日の戦術を練った。それも遠い日。
今この四人が考えるべき戦術は、いかに明日を生き残るか。それだけだ。
光領はもはや戦って立ち向かえる脅威ではない。逃げ延びなければならない脅威だ。
若き日の戦術を捧げ続けた相手の目を見ながら、町長は言った。
「友よ。君に真実を話せるのもこれがきっと最後だろう。次に会うときは、私は街を守る為政者だ。これが別れだ、遠い日の将星よ」
答えの代わりに、老女はそっとシワだらけのまぶたを伏せた。
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