第44話 水の関所 4
「くっそ、速え!」
リツミを先頭に、ルイ、彼に手を引かれるバク、ミヤギの四人はダムの堤を走っていた。
もうすぐ堤を抜けて貯水池の岸にかかる。
一行のすぐ目の前には、その岸辺に建つダムの管理棟が見えていた。
しかし後ろから追ってくる二つの影は、恐ろしい速さで逃げる背に迫る。
ハクメとユシカ。
光領の軍に属する二人は、二人とも武器を手にリツミ達を追っていた。
首都を目指す村人達を守る異界人を抹殺し、光領の障害となるものを排除するために。
堤の上でリツミに投げ飛ばされて虚をつかれた彼らだったが、すぐに体勢を立て直し、いよいよ一行に迫ってきていた。
特にハクメ。彼の尖ったブーツが地面を蹴る速度は凄まじい。
「追いつかれる!」
後ろを振り返ったルイが叫ぶ。
凶刃はすぐそこに迫っていた。
一方追う側のユシカも、ハクメの危機迫る足取りに戸惑いを隠せないでいた。
男は今にも前を行く異界人達を狩りそうな勢いで走っていたからだ。
「ハクメ! やつらを連絡橋の上で挟み撃ちにする計画は!?」
「そんなまどろっこしいことやってられっか!」
ユシカの声を払うように、ハクメは目の前の獲物を仕とめようと突進していく。
自分とコウノの提案がよほど気に入らなかったのか、あるいは獲物を前にして我慢がきかなくなっているのか。
「……獣が」
呟くユシカの声は、すぐ前を行く狂気の男の足音にかき消された。
「うあ!」
「バク!」
足をもつれさせ、一行の最年少・バクが転ぶ。
ルイは急いで彼を立ち上がらせたが、ハクメはすぐ後ろに迫っていた。
さらにそこへ、
「危ない!」
ハクメの後ろから追ってきていたユシカの銃撃が、バクを狙う。
かばったのは一行の一番後ろに付いていたミヤギだった。
少年の前に自分の体を割り込ませて盾になる。岸辺に何発か銃声が響いた。
辛くも光線銃の一撃は二人を外れたが、畳み掛けるように獣の足は迫っていた。
バクをかばったミヤギの前に、さらにリツミが立ちはだかって二人を守る。
しかし狂気の男が狙ったのは最も近くにいるリツミでもミヤギでもなく……。
「!」
リツミの手前でハクメは地面を蹴って大きく跳び上がった。
そのまま男はミヤギをも跳び越え、そして、
「まずはお前らからだあ!」
一気にルイとバクに襲いかかった。
「ルイ、バク! ……っ!」
残ったリツミとミヤギにも、光線の雨が注ぐ。
ユシカの銃の狙いは二人につけられていた。
リツミはミヤギの肩を引いた。
ここで銃撃をかわせる場所は一つしかない。
「こっちへ!」
ドアの破れたダムの管理棟の中へ、リツミはミヤギを突き飛ばす。
建物全体に絡んだ蔦をブチブチと断ち切りながら、二人は白塗りの建物の中へ転がりこんだ。
ハクメの一撃を逃れ、バクを抱えてルイは走った。
背後には、管理棟に隠れた仲間を追っていくユシカの姿。
しかし立ち止まっているひまはない。
「よう、子連れ! そのハンデ、今すぐ捨てた方が長生きできるぜ?」
「くそ……!」
ハクメの短刀の一閃が背をかすめる。
リツミから借りた棍はまだ彼の手の中にあった。壁の街で遭遇したあのときと違って、今のルイは武器を持っている。
しかし正面きって戦えば一緒にいるバクがどうなるか分からない。
仲間を救うことも、反撃することもできぬまま、青年は先に進むしかなかった。
破れたドアをさらに粉砕して管理棟の中に転がりこみ、リツミとミヤギの二人はユシカの銃撃を逃れていた。
入り口の壁に背をつけて、ユシカの足音に耳を澄ませる。
向こうもこちらの出方をうかがっているのか、しばらく銃撃は止んでいた。
ミヤギは改めて管理棟の中を見渡す。
思ったより中は広い。そう感じるのは、置かれた物が少ないからだろう。
そこは薄暗くひんやりとした空気が満たすだけ。使える物がすべて持ち去られた後のような、灰色の空間だった。
あるものといえば針の止まった計器。そして計器の間に配された、真っ暗なモニター。
この世界の科学技術に思いをはせている場合ではないが、あれでこのダムの整備を行っていたのだろうか。
しかし何もない故に逃げる所も隠れる所もない。
出口は一つ。入ってきたドアだけだ。
「追い込まれたか……」
となりで身をかがめるリツミが呟く。
相手は一人。こちらは二人。しかしともに素手の状態の二人だ。
おまけに二人の内一人はろくに戦えないミヤギ。遠距離で攻撃を仕掛けられる向こうに圧倒的な分がある。
こんなとき自分にできることは一つだろう。身をていして仲間を逃がすことぐらいしか。
少し早いが、そのときが来たのだ。
ミヤギは上着のポケットから、そっとハトムギを外に出しながら言った。
「僕がおとりになるよ。リツミは先に行って」
「あたしに考えがあるわ。しばらくここにいましょう」
「え」
思わず、同時に口を開いたとなりの人物を見る。
いや同時に口を開いたが、言ったことは真逆だった。
だからかリツミもきょとんとした顔でこちらを見ていた。
「ここにいましょうって……リツミだけでもルイとバクに追いつかなきゃ。僕は足手まといになる」
異界人に追われる、というこの旅路で考えうる最悪の出来事が今まさに起きている。
鈍臭い自分がおとりになるというのは究極の選択かも知れないが、それでもルイやバクを失うよりは……。
しかしミヤギの思考を遮って、リツミはまたもミヤギの予想外の言葉を口にした。
「待って、ミヤギ。誰か一人でも欠けたら、この窮地は脱せない。二人一緒にここを出られる方を取りましょうよ」
果たしてそんな方法があるものか。
ミヤギの見つめる先で、リツミはもたれた壁のさらにその向こうに意識を向けるように目をつぶる。
それは今まさに光線銃を持ったユシカが迫る方だった。
「彼の足音が聞こえる? ……建物の周りをゆっくり回ってるわね。ずいぶん悠長に構えてる。距離を保ったままあたし達を狙い撃ちするつもりよ。この先ここ以外に隠れられる場所はない。だからじっと出てくるのを待ってる。彼が思ってるあたし達の心の中はこうよ。……仲間が狂戦士に追われてる。今すぐに助けに行きたい。だから焦って出てくる。――彼はそう考えるはず。相手の心さえ読めれば、あとはこっちのものよ」
思わず、目を見開いた。この人は……。
「ね?」
焦りも惑いもないリツミの瞳が、こちらを向く。それでやっと気付いた。
自分にできること。自分にしかできないこと。おとりになる以外で。もう一つあったではないか。
感覚を澄ませる。ゆっくり、壁の向こうに集中した。
向こうもこちらに意識を向けていればいるほど、この力は精度を増す。故に彼の位置は簡単に認識できた。
「うん。分かるよ。……僕らに動きがないのを不審に思って、あの人は入り口に戻ってきてる」
壁の向こうの熱源が動くのを感じるように、まぶたに浮かぶユシカの姿。
「一歩進む、立ち止まる。まだ出てこない。また一歩進む」
集中している。相手も、こちらも。
しかし向こうは少なからず焦り始めているようだった。
「たまらず歩き出す。三歩目、銃をかまえた」
入り口から二発、管理棟の中に光線が撃ち込まれる。床に焦げ跡が刻まれた。
二人は動かなかった。
一歩一歩、ユシカは建物の入り口へと迫ってくる。それを感じる。
その気配はいよいよ近くに。
上着から出した相棒を、守るようにミヤギは手の平におさめた。
それを見ていたリツミが、はっとしたように呟く。
「ミヤギ、ちょっと」
「え?」
「ちょっとだけそれをあたしに……」
「出てこない……」
しんと静まるばかりの白塗りの建物を前に、ユシカは構える光線銃の銃口を下げた。
光領の開発した最新式といっても、さすがにあの建物の壁を貫く威力はない。
銃のエネルギータンクに大した減りはないが、無駄撃ちはしたくなかった。
やつらが潜んだ建物の出口は一つ。入り口から姿を消せば焦って出てくるかと思ったが、目標に動きはない。
静かだ。
まさか自分が見落とした出口からもうすでに外に?
いや、そんなはずはない。
しかし不審に思い見つめる先はいたって静かなまま。
ネズミさえ出てくる気配はなかった。
銃を構え直す。
一歩一歩、慎重に建物の入り口へと近付く。
そこから撃てば、確実に何者かに当たるはずだった。
外からは空に見える室内に向けて、二発撃ち込む。
動きはない。
仕方なく、入り口まで近付いた。
そこから中を覗き込もうとして、そして、
「ぐっ!?」
突然、何かが視界を真っ暗にふさいだ。大きな布か何かが、頭に覆いかぶさっている。
それを剥がそうと必死でもがく。その拍子に何発か銃撃がこぼれたが、残念ながら敵には当たらなかったようだ。
やっと頭にかぶさる何かを剥ぎ取ったと思えば、首の裏に叩き込まれた強い衝撃に、ユシカの体は脆くも崩れていった。
光領の軍人・ユシカが己にかぶさった布を剥ぎ取ろうともがく。
しかしその隙に、リツミの手刀が彼の首に入った。
大きな体が白い床に崩れる。
時を戻せば数秒前。
管理棟の入り口の壁に息を潜め、リツミはミヤギから借りた上着を持って待っていた。
そしてユシカが建物の入り口をくぐる一瞬。
彼がこちらに首を巡らす前に、間髪入れずリツミは上着をユシカにかぶせたのだ。
あまりの速さに、相手は銃を構えるひまさえなかった。
「さあ、早くルイとバクの所に」
気を失った光領の兵から上着を取り返しながら、リツミは管理棟の入り口を振り返った。
鮮やかな手並みに呆気にとられていたミヤギは、慌てて手の平にハトムギをしまって彼女の後に続く。
しかしふと、あることに気付いた。
暴れるユシカが外した光線銃の弾丸。それは計器の間にあるモニターの近くに当たっていた。
驚くことに、そこに光が灯ったのだ。
それまで真っ暗だったモニターに映し出されたのは、何かの設計図? かつて放水が行われていた水門の機械図だろうか。
いや、今はそれどころではない。
光領の狂戦士に追われる仲間のもとに、早く駆けつけなければ。
倒れるユシカをその場に残し、リツミとミヤギの二人はようやく管理棟の外に出た。
それにしても……。
前を行くリツミの背を見て思う。
「相手の心さえ読めれば」と、彼女は言った。
この人は気付いているのだろうか。この変わり者が持つ不可思議で到底信じがたい力に。
いや、そんなはずはないか。さっきの彼女の言葉は、ミヤギを落ち着かせるためのものだ。別に力を見抜いてあんなことを言ったわけではない。
ポケットにハトムギを戻そうとしながら、ふと、ある人物を探してミヤギは首を巡らせた。
そういえば後ろから追ってきたのはハクメとユシカだけで、コウノがいない。
彼は一体どこに行ったのだろう。まさか。
岸辺に身を乗り出して、対岸を見渡す。
もしかしたら彼は向こう岸で先回りを――。
しかしそうやって気をとられていたからだろうか。
その男が意識を取り戻し、管理棟からはいずって出てきたのに気付かなかったのは。
ミヤギの足元に光が走った。一瞬だった。
足元の地面はそのまま、脆くも崩れ去っていく。体が岸辺を滑り落ちていくのを、止める術はなかった。
リツミが叫ぶ。
「ミヤギ!!」
その声を背に残し、ミヤギは一人、貯水池の水の中へ落ちていった。
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