第39話 襲撃 2

 森の中を高速で走る黒い人影を、リツミは追う。

 追い込んで追い込んで、もう少しでその背に手が届く程まで近付いた。


 しかしリツミが止めるまでもなく、人影は林の切れ間で唐突に足を止めた。


 そして彼が逃走をあきらめたわけでなく仲間と合流したのだと、取り囲まれてようやく分かった。


 よく似た黒い人影が五つ、リツミを囲んで白い刃の短刀を抜く。


「光領軍……」


 これだけよく訓練された兵士は彼らをおいて他にはない。

 短刀だけを構え、仲間と連携して敵を狙う軽装の歩兵。潜入や偵察を担う斥候だろう。


 その五つの刃がリツミを狙う。

 レンと分かれて来てしまったが、見るからに玄人仕込みの彼ら相手に一人では分が悪いか……。


 リツミは棍をぐっと握って構え直した。


 そして、


「大丈夫か、リツミ!」

「リツミ!」


 リツミを狙う黒い人影の輪。その一角が突然崩れた。

 現れたのは、ルイと、そしてミヤギ。


 ルイの蹴りが背中に見舞われた斥候の一人が、顔から地面に突っ伏する。


 残る兵士達は、意表をついて現れたルイとミヤギに一斉に飛び掛かった。

 その隙を逃さず、彼らの背をリツミの棍が捉える。


 森の中に一度、骨を打つ鈍い音がした。

 リツミの棍の一閃を背に浴び、残る四人の斥候はルイとミヤギに手を伸ばす前にその場に崩れていた。


 森の中に静寂が訪れる。

 自分の周りにうつぶせで倒れる兵士達を見て、ルイはほっと息をついた。


「ふう……やったな、リツミ」

「ええ。二人とも、来てくれてありがとう」


 リツミもまた、棍を下ろして頬を緩めた。


 想定外の加勢のおかげで、一瞬で勝負がついた。

 辺りには気絶して倒れる五人の兵士。

 現れたルイとミヤギが斥候達の気を引いてくれたおかげで、楽にこの数をさばけたのだ。


 緊張を解いたリツミが二人へと近付く。


 しかし、その場に残る殺気に気付いた者が一人。


「リツミ、後ろ!」


 ミヤギの声に、リツミは後ろから飛んできた短刀をすんでの所でかわした。

 そして彼女はそれが飛んできた方向に、すぐさま身をひるがえす。

 リツミの左手から放たれた棍が、一直線に相手の額を打った。


 ガサッと音を立てて木の上から落ちてきたその影は、落ちたその場に気を失って倒れ込んだ。

 木の上に潜んでいた、六人目の兵士だった。





 ――夜明けの暗い森の中、逃走の列は続く。


「まさか光領がこんな所まで追ってくるなんて……」


 木立を走り抜けながら村人達は、この事態に困惑の声を上げていた。


「そうだとしたら、どうしてこんなとこまでオレたちなんかを追ってくるんだ?! 光線砲を見たことの口封じか?」

「決まってんだろ! あいつらがいるからだよ! くそっ、だから異界人は……!」


 シュゼは額に青筋を浮かべながらそう吐き捨てて、他の村人達の後について走る。


 そうだ、異界人。その存在のせいで村は光領にとっての脅威とみなされ、こうして追われる目にあっている。

 忌ま忌ましいその存在のせいで。


 気付けばシュゼは、いつの間にか村人の列の一番後ろに付いていた。

 目の前の村人達は、次々と切り立った崖に架かる吊橋を走り抜けていく。


 橋の入り口まで来た彼は、そのまま村人達の後を追おうとして、


「……なんだ、これ」


 足元に転がる一本の短刀の存在に気付いた。

 何故か吊橋の手前に落ちていたそれを、ゆっくりと拾い上げる。

 戦闘用に無駄な装飾なく切れ味鋭そうなそれは、どこかの兵士の落とし物のようだった。


 そして彼はもう一つ気付いた。

 谷間に架かる吊橋の綱が、村人達が急いで渡ったせいでギリギリと音を立てながら細くなっていることに。

 短刀で断ち切ってしまえるほど、弱くなっていることに。


 それに気付いた彼は、腹の底から沸き上がる己の怒りにも気付いていた。

 この状況を、強大な敵に追い回されるこんな状況を生んだ『やつら』に対する怒りに。


 彼は静かに吊橋を渡りきって、そして対岸を見つめた。

 向こう岸にはまだ、忌ま忌ましい『やつら』が残っている。

 ……そう思うと。


 ためらいもなく、手にした短刀が風を切る。吊り橋を支える綱に向けて。

 ぶつりと、裂け目は瞬時に広がっていった。


 あっという間に橋は千切れ、つながれていた材木は崖下にボロボロ落ちていく。

 しかし橋が崩れ落ちる音は谷底に吸収されて意外に静かで、急いで走る村人達の耳には届かなかった。


 最後に『やつら』がいるはずの対岸をひと睨みして、吊橋を落とした短刀を握る青年――シュゼはその場を走り去った。





「あ~、寿命が縮まったー」


 その場に伸びる六人目の兵士を見やって、ルイは深々とため息をついた。

 彼が投げた短刀は地面に突き立っているが、その場にいるリツミもルイもミヤギも無事だ。


 数えれば六人で村人達を追ってきていたらしい光領の斥候達は、手から短刀をこぼし、残らずその場に伸びている。


 幸い追っ手は異界人ではなく、この世界の人間から成る光領の斥候だったようだ。


「さっきは危なかったわ。ありがとう、ミヤギ」

「ううん。僕は何もしてないよ」


 リツミの言葉にミヤギが首を振る。

 

「レンさんに言われたんだ。リツミを見てきてくれって。それで、戦えないけど勢いで僕もついてきちゃった」


 レンはリツミと別れた後、さらに後ろから追って来ていたルイにリツミの援護を頼んだのだ。とっさのことで、一緒にいたミヤギもルイについて来てしまったのだが。


「来て正解だったな。まさかこれだけの人数が森に隠れてたなんて。それにしても……」


 改めて倒れる兵士達を観察していたルイが、思わずといったふうに漏らす。


「こいつら、」


 木々の影になって黒く見えていた光領の兵士達は、全員ある服装をしていた。

 森の景色に溶け込むための、


「……ド迷彩じゃねえか」


 青年は眉をひそめる。

 ルイの言葉通り、斥候達はみな暗い迷彩柄の戦闘服を身につけていた。

 草むらに隠れるための、その道の専門の者が着る服を。


 そして銃火器の存在するこの世界で、それでも音を立てぬよう彼らが使用している武器。

 黒い柄を持った短刀はまさに、熟練の暗殺者が使うような、


「暗器ってやつだね」

「……。言わないようにしてたのに」


 さらっと口に出してしまったミヤギに、ルイはしかめ面を向けた。


 しかし光領……この世界の最強国が仕向けてきたであろう兵士達の熟達ぶりに、全員の背筋に冷たいものが走る。

 潜伏と尾行、並びに暗殺を得意とする戦いの専門家達の標的になったのだ。


「……こんなとこまで追ってきやがったな」

「ええ。わざわざ追ってきたってことは、これだけじゃないはずよ」

「それに襲ってきたってことは、ただの尾行ってわけじゃない。僕たちを手にかける準備があるってことかな?」

「……。また言いやがったな、ミヤギ。でもまあ、そういうことなんだろうな」


 覚悟を決めたように、ルイもこの状況を認めた。

 命を狙われている。光領軍に。熟練の兵士に。


 追う者と追われる者。

 その二つがこの山の中にある。


「彼ら、吊橋を落としてあたしたちを追い詰めるつもりだったのかも。それを見つかって襲ってきたか」

「まあとにかく、何だかんだで橋は無事だったんだから……」


 つぶやくルイが言葉を止めたのは、となりに立つミヤギがふっと宙を見て目を見開いたからだった。


「ん? どうした、ミヤギ?」

「――音がした。吊橋の方から」


 その言葉にリツミもまた周囲の音に耳を澄ませる。

 そしてミヤギと同じものに気付いて、彼女はもと来た方をすぐさま振り返った。


「……! まさか……!」


 リツミが走り出し、ルイとミヤギも彼女の背を追う。


 暗い森をかき分け、三人は吊橋の前へと駆け戻った。

 そして、


「橋が……落ちてる……」


 誰ともないつぶやきは、しんと静まり返った空気に溶けていった。


 そう。その谷間にはもう、吊橋は架かっていなかった。

 あるのは吊橋だったものの残骸だけ。


 何故か向こう側から落ちている吊橋の跡に、三人はしばらく立ち尽くすばかりだった。





「――斥候の兵が倒された?」


 夜が明けて間もない暗い森の中。

 前を進んでいたユシカの報告に、コウノは思わず足を止めた。


 飛行艇で例の村を探し当て、そこに降り立ったときにはもう村人達はいずこかへ旅立った後。村はもぬけの殻だった。

 そして辺りに斥候の兵を放ち、彼らの行った道を探らせるのに少し時間を要した。


 ゆえに村人達の跡を山深く追うはめになったのだが……。


 斥候達の体には、その所在を知らせるための発信装置が取り付けられている。

 その発信された電波を追ってきてコウノが目にしたのは、予想外の光景だった。


 構えていたクロスボウを下ろして、先にそれを見つけたユシカが呆れたようにつぶやく。


「全員そこの茂みで伸びてます」


 彼の言葉通り、六人の斥候達は林の開けた場所でかたまって倒れていた。

 全員その柄物を手から取りこぼし、静かな森の中にうつぶせている。


 そしてその者達を観察しながら、あることに気付いたハクメが忌々しげに舌打ちした。


「つくづく甘いねえ、リツミちゃん達は。生きてるぜ、こいつら」


 横たわる斥候の肩を、尖ったブーツが蹴りつける。

 ユシカもハクメの言葉にうなずいた。


「恐らく彼らは、あの村に付いている異界人に倒されたのでしょう。しかし追ってきた敵の息の根も止めずに放り出すとは……信じられない」

「そんな甘い奴らにこのザマとは。代わりにオレが消してやろうか、この足手まといども」


 うつぶせの斥候に向けて、ハクメがすらりと自らの短刀を抜く。

 コウノはそれを制した。 


「やめろ、ハクメ」

「チッ、優等生が……」

「斥候全員が倒されたわけではない」


 一人冷静なコウノは、ふっと暗い森の一点を見つめた。

 そこから黒服の男が一人、茂みをかき分けて現れる。


 驚くハクメとユシカをよそに、その男はコウノの前に膝をついた。


 彼はコウノが放った七人目の斥候。

 いざという時は、戦闘に参加せずことの顛末を報告するよう命じられている男だった。


「見ていたな」

「はっ。吊橋は落ちました。村民の大半は向こう岸へと渡りましたが、四人だけ……」


 続いた斥候の言葉にハクメの目は輝き、ユシカの眉間のしわは深まって、コウノは、


「…………」


 静かに、そのガラスのような瞳を伏せた。


「お前はここで後続の兵を待って状況を伝えろ。――こちら側に残った異界人は、俺たちが追う」

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