第36話 逃亡劇 4

 深く続く緑の森と、細く急に流れる足元の川。

 上流から下流へと、山を下っていく流れ。

 これが村の貯水池に注いでいる、この山の水源から続く流れだ。


 今朝村を捨てた村人達は、列をなしてその川辺を行く。

 水場に沿って、山を登っていくのだ。


 畑で採れたものを商売に行く者は時々通る道のようだが、しばらく使っていないのかその跡は草に隠れてしまっている。

 道というより、森の木と茂みの間の通れるところを通っていくといった感じだ。

 聞いていた通り、人一人通るので精一杯の道だった。荷物はすべて旅人の背に負えるだけだ。


 この旅の発案者、リツミは村人の列の先頭にいる。

 手にした棍を使って、後ろの者のために道を開いているのだ。

 それに続く老人達も、杖を片手に若者が開いた道を進んでいく。


 彼女を先頭に、細く長くつながって歩く村人五十人。


 そしてミヤギはというと、その列の後ろのほうにくっついて歩いていた。

 最初は薄い体を心配され大きな荷は持たなくていいと言われたが、今は寝袋の束を背負わせてもらっている。

 背に重みがずっしりくるものの、異界人の力のおかげか足取りは確かでよろけたりはしない。


 それだけでずいぶん力持ちになったような気分だが、レンとルイには及ばなかった。

 レンは大剣の上から、村の大人五人分の荷物を背負い、それでも息も切らさず歩いていた。その姿が長い間この世界にいる者の貫禄を感じさせる。

 ルイのほうも、ケガをしながら荷物の中でもかなり重量のある水と燃料を任されていた。


 村人も異界人も、重い荷を背負って歩いていく者達の顔に陰りはない。

 しかしそうやって黙々と足を進めていくしかないのは、これが普通の旅ではないことを誰もが理解しているからなのだ。


 続く列の最後尾の者は、前の者が通った道の倒れた草を起こし、村人達の足跡を隠していく。

 深い森の中にできた、人が進んだ不自然な形跡を消すため。そして来るかも知れない追跡者の目をくらますために。


 そう、これは追われて出た旅。後戻りのできない旅だ。


「……光領は、追ってくるかな。追われてもここじゃ身動きもとれないよ」


 レンが足元を見ながらこぼす。

 道は狭く険しい。

 異界人のミヤギ達はいいが、重い荷を背負った村の人々にはどれだけの負担になるだろう。そしてその重荷を背負って、光領……圧倒的な戦力差のある追跡者を警戒しなければならないのだ。


 ふっと空を見る。

 硬そうな葉をてっぺんに生やした針葉の木々の先には、よく晴れた空が広がるだけ。

 しかしここからは見えないが、光領の飛行艇は今もこの辺りのどこかを飛んでいるかも知れない。水源に住んでいた人々の村を探すために。


「この森は木が高いから、うまく俺達の姿を隠してくれるだろう。俺達なんかを、どこまで探しに来るかは分からないけど」


 薬草博士のジュナはこの道を通ってよく商いに行くためか、村の人間ながらしっかりとした足取りで歩いていた。

 問題といえば彼の弟……シュゼだけ皆から離れた位置で、一人黙々と道を開き先を急いでいるということ。そしてそれをジュナが心配そうに目で追っているということくらいで、それ以外は今のところ旅は順調に見えた。


 兄弟といえば、


「大丈夫か、バク」

「うん。平気だよ」


 小さな背に大人の三分の一ほどの布袋を背負ったバクを、ルイが追う。

 この世界で出会った兄と弟のような二人は、並んで列の中程を進んでいた。

 村の子どもたちは皆それなりに気丈だったが、バクもそれに劣らず、弱音を吐くこともなかった。


 そしてその相変わらず強かな少年の様子を、ルイは複雑な顔で見守っていた。


 バクは強かった。

 愚痴も漏らさず、投げ出さず、ただ目の前のことを片付けていく。それがどんな苦難でも。


 それはこの世界を生きる子ども故の強さだろうか。それとも……。


「うわっ! もう、ミヤギ、よそ見してると危ないよ」

「ああ、ごめん」


 後ろから来ていた村の子どもが、ミヤギの背にぶつかる。

 青年は慌てて足元の道に目を戻した。

 今はとにかく前に進まなければ。

 

 そうして一行は、日暮れまで山の中を歩き通した。






 そして辺りに薄闇が落ちる頃、一行は細い山道を抜け、古い吊橋つりばしの前へとたどり着いていた。


「この橋の先が山を下る道だ。それを過ぎれば『砂の街』に続く砂漠に出られる」


 村長が橋の先に広がる林を指す。

 あの向こう側に山を下る道が続いているらしい。


 しかしその前に目を引くのが橋の下に広がる光景だ。


 垂直に切り立った、底がかすむほど深い谷。

 かすむ谷の底は崖にはさまれて狭く、まっすぐ平坦に続いている。

 昔川が流れていた名残だろうか。

 しかし今はそこに水は流れていない。落ちればただ地面に体を叩きつけるだけだ。


 その危険な谷に架かりながら、一歩足を踏み出せばグラグラと揺れる吊橋にルイは顔をしかめた。


「いつから架かってんだ、この橋……大丈夫なのかよ」

「ここに水が流れていた頃からだから、結構前っちゃあ前だけどね。村人が渡る分には大丈夫だろう」

「こんなとこに、水が?」

「ああ。あの谷底の枯れた川はもともと、街に注ぐ川とつながってたんだ。あの先に大きな貯水池があってね」


 村長は夕日の影になった、一際背の高い山の向こう側を見上げる。


「貯水池、ですか?」

「そうさ。でもダムの口が閉じたままになっててね。今じゃ中で貯まったり干上がったりを繰り返すだけ……。今さら壊そうにも、その技術も失われた。だから村の連中が苦労して別の貯水池を造ったんだけど、そのおかげで街の連中には疎まれちまった。――さて、今日はここまでにしよう。あとはもう、この吊り橋を渡って山を下りるだけだ」


 吊橋の手前で荷を下ろして、その日はそこで野宿となった。

 木立を少し切って薪を確保し、何とか平らな場所を見つけて五十人が寄り集まる。


 付近を見張り役の村人が探って、自分たちを狙う者の姿がないか確認した。

 どうやら夜になって、光領の飛行艇も姿を消したらしい。

 それを確かめ、集めた薪に火を起こす。

 森の木々を背に、歩き通しだった者達はようやく腰を休めた。


 ミヤギもやっと靴を脱いで、裸足になって足をばたつかせる。

 元の世界から履いてきたスニーカーの底がかなり減ったように感じる。

 ずいぶん忘れていたように思うが、これが歩いて旅をするということなのだ。


 ふと、長い間上着のポケットにもぐっていたネズミ……改めハトムギが顔を出す。

 鼻先を動かして自分を見つめる彼に、ミヤギはそっと微笑んだ。


「うん。僕は大丈夫だよ。険しい道だけど、もうすぐ山を下りられるよ」


 しかしその言葉を、ハトムギ以外に聞いていた者が一人。

 通りすぎざまにそれを聞いていた村人がいた。


「険しい道、か。こんな所を通らなきゃいけなくなったのも、もともとは……」


 シュゼ。

 偶然ミヤギの後ろを通りすぎようとしていた彼は、機嫌悪くつぶやいて地面を蹴る。

 ミヤギはとっさに何も言えなかった。


「やめないか、シュゼ!」


 と、村人の誰かがシュゼをいさめる声がした。

 小さな舌打ちを一つ残して、シュゼはさっさと行ってしまった。


 はっとして振り返る。

 いつの間にかミヤギの後ろに、禿頭の中年の村人が歩いてきていた。

 壁の街で、兵士を火薬の発火装置で脅していた男性だ。

 驚くミヤギに、彼は笑いかける。


「おおっと、悪いな、兄ちゃん。俺のことはおじさんとでも呼んでくれ」

「おじさん、ですか」

「本名はずいぶん昔に忘れちまってな」


 壁の街ではかなり劇的な出会いをしたが、リツミと同じく今のおじさんの目は素朴で優しげだった。

 おじさんは寂しげな顔で、去っていくシュゼの背を見送る。

 すっきりとした額にシワが寄った。


「気を悪くしないでくれ。シュゼは異界人にいい思いを持ってないんだ。昔、色々あってな……。異界人はみんな、自分の世界に帰るためなら何でもすると思ってる。それこそ、この世界を壊し尽くすくらい。もちろん、お前らを見てればそんなやつらだけじゃないってことはすぐに分かる。それに、破壊をはたらくのは異界人ばかりじゃないしな」

「……すいません。気を遣わせましたね」

「いいや。俺はリツミに感謝してるから」


 おじさんの遠い目は、いつしか焚火の向こうで話し込むリツミと村長に向けられていた。


「俺はもともと村に住んでた住民の一人だ。両親と一緒に麦を作って暮らしてた。途中から作物を育てられる環境なんてなくなっちまったがな。その両親ってのも、食糧難のなかで死んじまったよ。……なんとか暮らしていけるようになったのは、村長たちが流れてきてからだ。村人と一緒に、新しく水を貯められる所を造ってくれた。乾燥に強い野菜の種を蒔いて、もう一度立ち上がれって言ってくれた」


 そう、おじさんはしみじみと語る。

 この人にとっては故郷である村。そして村長達にとっては、流れ者としてたどり着き、苦労して立て直した村。そうやって長い間暮らした村。

 今さら気付いたが、この人も村長達も、それほどの場所を捨ててきてしまったのだ。

 だが、おじさんは笑った。


「村長も、村長を救ってくれたリツミも俺の恩人だ。リツミがいなきゃ、村人は首都へ逃げようとも思えなかっただろう。シュゼの言うように、己の世界へ帰るためだけに俺たちを虫けらのように潰す異界人もいるが、そんなやつばかりじゃない。お前らみたいな異界人もいる」


 信頼してるぜ、とおじさんはミヤギに微笑む。

 それに頷き返した青年に、おじさんはふと不思議そうな顔で問うた。


「ところで兄ちゃん、さっきから一人で誰と話してたんだ?」

「えっ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る