第35話 逃亡劇 3

「……」


 旅立つ前にどうしてもそこを見ておきたいと言ったルイは、まだ村の外れ。林の先の、荒野を見られる場所にいた。


 見つめる先には、一つの街の残骸。


 明るくなれば見えるものがある。

 眼下には渇ききった荒野が広がっていた。一晩のうちに消し飛んだ街が、今はその一部となって。


 大地には、それを裂く一直線の焦げ跡。

 街を二つに割る谷ができていた。


 そして夜が明けると、その街の残骸の上に鋭いくちばしの猛禽たちが集まり始めていた。

 何十羽と競い合うように、次々街の中へ下りたっていく。

 彼らが厳しいこの土地に生きるのは、こうして破壊の後の死肉を漁るためなのだろう。


 喉の奥にせり上がってくるものを抑える。


 何かに願うように、祈るように、ルイは目を閉じた。

 前に進むには、何が必要だろうか。

 

 旅に出る。


 集まった異界人は四人。

 リツミ、レン、ルイ、そしてミヤギ。


 この四人で村人達を守らなければ。

 守りきらなければ。

 あの街の悲劇を胸に焼き付けたなら、もう二度と失えない。


 村人を、そしてあの大人びた少年を、今度こそ守らなければ。


 後ろで足音がした。


 いつの間にか、この旅の発案者――リツミがルイのそばに立っていた。

 何も言わず、そのままルイと一緒に荒野を見る。


 はっとして、ルイは振り返った。


 そしてやっと言った言葉は、


「こんなケガしてるけど、足手まといにはならねえから」


 リツミの答えは一言。


「ええ」


 その真摯な眼差しに、ルイは唇を引き結んだ。

 そうしなければいられなかった。


 レンが呼ぶ声がする。

 旅の出発の前の、村長の号令が始まるのだ。


「行こう、リツミ。……あのときのお前への借り、オレ、この旅で必ず返すから」


 リツミの脇を抜けて、ルイはその場を後にした。







 ジュナは自らの畑から最後の収穫物を取り、それを背負子しょいこにくくり付けた大かごの中に入れた。

 畑はきれいに実りだけが取り尽くされて、後には寂しく赤い土だけが残されていた。


 昇った太陽が村を照らす。


 段々畑の下。

 村の入り口近くでは、この村の村長が村人達に号令をかける所だった。

 それは予定より数刻早い、旅立ちの前の号令だった。


「皆、急かして悪かったね。だがあたしらは、なるべく早くこの村を出なければならないらしい」


 そう。急がなければいけなくなった。

 光領が、飛行艇を使って村を探している。


 それが分かったとき、この村の住人は凍りついた。

 光領はこの小さな安息の地にも容赦ない。それがよく分かったから。


 こうしている間にも、その脅威は近付いてきているのだ。

 彼らがなりふり構わずこの村を探していることが分かった今、思い出の場所との別れを惜しんでいる時間はなかった。


 村長は、集まった村人ひとりひとりの顔を見渡すように、ゆっくり首を巡らせる。


「壁の街と光領の戦いも終わりだ。あたし達も、ここを離れなきゃいけない。しかし辿り着けるかどうかも分からない旅だ。望む者は、途中の街で離れてもかまわない。それ以外の者は首都へ。あたし達と同じ境遇の者達のもとへ行くんだ」


 村長を囲む老人達が言葉をつぐ。


「ここから先は山の中を通っていく。道は細い上りだ。慣れてない者は気をつけて進むように」

「特に年寄りは足元に気をつけろよ。若いもんに遅れをとるぞ」

「大丈夫だよ。婆さんや爺さんの分まであたし達が荷物持つから」


 数少ない村の若者達は、背負子に満載した旅の荷を軽く揺すって見せた。

 老人達の倍はある荷物を、それぞれの背に負っている。

 その何とも頼もしい姿に、老人達は目をうるませた。


 しかしその様子を不安げな表情で見つめる老人が一人。

 文官のあだ名を持つその人物は、伸ばした髭に長いため息を吹きかけた。


「荷物はいいが、問題は金じゃ。路銀がもてばいいがのう……」

「今から気弱なことを言うんじゃない、文官。少しは村長を見習え。金のことは一つも口にせん。あの能天気なら、わしらをどこへだって連れていってくれるさ」


 顔に傷を刻んだ老人が、皆の前に立つ村長を指す。

 他の老人もそれにうなずいた。


「今までだってそうだったじゃろう。村長は多少馬鹿じゃが、悪運だけは強いからのう」

「聞こえてるよ……。ふん、老人がこの調子なら首都まで何の心配もないだろう。いい歳の取り方をしたねえ、あんたらも」

「そうだ。わしらがここまで歳を取ったのは、今日こうして若いもんらの旅を支えてやるためだろう。殺して殺されるような世界だったが、長生きしてきてよかったじゃないか」

「たっくましいのう、まったく。若い頃からハラハラの連続じゃ、お前らに振り回されて……」

「最後にもう一回、振り回されてもらうよ。若い連中の足手まといになるわけにはいかない。年寄りもまだやれるんだってこと、見せてやらないとね」

「そのやる気が危なっかしいわい……」

「文官、愚痴が長い」


 いつもの老人達のやり取りを、ジュナはいつものように笑って見ていた。


 荒野には吹かない、山の上の涼しい風が髪を揺らす。


 ふと地べたに、同じように風に吹かれるものが目に入った。


 いつか農作業の途中で種を落としたのだろうか。

 そこには一本、畑の赤土に新しい緑の芽が出ていた。

 これは多分、うまく育てば大きな木になる果樹の芽だ。


 微笑んで、この世界に顔を出したばかりの柔らかい双葉に触れる。


 残念ながら、もうジュナはその成長を見届けることはできない。


 いつか誰かがもう一度この村に戻って、一本の樹になったこの芽を見つけるだろうか。

 分からない。今は目の前の試練を越えなければならない。


 リツミが村長と何か話している。その近くには、つい数日前この村にやって来た異邦の若者が三人。

 旅に出ようと言ってくれた彼女がいて、それに呼応して集まった異界の若者達がいる。


 旅など無謀だと誰かが言った。

 それでも彼らがいれば、案外越えられない道ではないかも知れない。

 

 陽光が段々畑を、小さな家々の屋根を、貯水池の水をきらきら照らしていく。

 すべては変わってしまうけれども。


「出発だ。いつものように命懸けの旅だが、気を楽に。――皆で歩いて行こう」


 村長の声に、ジュナは一人うなずいた。






 光領の兵士達の間には少なからぬ衝撃が走っていた。


 荒野とは違い、いくぶん涼しい風が吹く。


 陽も高くなって、兵士達はやっとその村に降り立っていた。

 この辺りで光領の支配の及ばない最後の村となった、流れ者が集うという山あいの村へ。


 轟音とともにプロペラを回す飛行艇から、次々と士官が降りてくる。


 山道の入り口を見つけたものの、そこからの道が複雑で、村そのものの発見にはずいぶん時間がかかった。

 一つめの想定外はそれ。


 そしてもう一つの想定外は、たどり着いたときすでにその村がもぬけの殻になっていたことだった。


 光領の者達が飛行艇から村の赤土の上に降り立ったとき、そこには人っ子ひとりいなかった。何もない段々畑、静まりかえった通り。


 そして兵士達は今、飛行艇から降り立った三人の異界人の背を見守っていた。


「予想以上に、この村の人間は頭が切れたということか」


 わずかな生活の営みの跡を残して、村はきれいに空になっていた。

 コウノは、並ぶ小さな家々を見渡してつぶやく。

 

「まさか村人がこれほどまで早く村を出るとは思わなかった」

「やられましたね。夜に村を出ているとしたら、どれだけ遠くに行っているか……」


 となりでユシカも苦い表情を浮かべる。

 家の壁に背を預けて、いまだ余裕の表情なのはハクメだった。


「悲観するのはまだ早いぜ」

「何か分かることでも?」

「いいや。ただの勘だよ」


 ハクメが笑うのと、空になった村を調査している兵士がそれを見つけるのは同時だった。


 彼は家々の外れ、貧しい鍛冶小屋の前に来ていた。

 そして、


「この窯、まだかすかに温かい……」


 それを発見して、兵士はすぐに村の入り口へと戻った。


「隊長!」


 駆けてくる若い士官がコウノに向かって叫ぶ。

 ハクメは笑みを深めた。


「ほらな」


 村人に使用されていたであろう窯がまだ熱を持っている。

 それはつまり、村人達がこの村を出て間もないということだ。


 そして何より、追えば間に合うということだった。


「向かったのはやはり首都か……」

「斥候を放ちましょう。山の中をどう進んでいるか調べなければ」


 ユシカの言葉にコウノはしばらく考え込む表情だったが、顔を上げると言った。


「上に伝えておけ。少し早いが、我々はこのまま首都の制圧に乗り出すと」

「やつらを追うのですね」

「俺たちの行く道に彼らがいれば、だ。今は住処を失ったただの流民。さして脅威ではない」

「上からはやつらを殺せって言われてるくせに。勝手に命令変更かよ」

「俺たちが従うべきはここに駐留した軍の長じゃない。あくまで光領の主アルテリア様だ」

「はいはい。……まったくお熱いねえ。了解しましたよ、殿


 煽るハクメにも、コウノはまったく動じない。

 就いた役に従って命令を下すだけだ。


「斥候は前へ。後続は後から追ってこい。斥候の出発の後すぐに俺達も出る」

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