第34話 逃亡劇 2
段々畑に植付けられた最後の穀物が、村の老人達の手で刈られていく。
子どもたちはたくましく、刈り取った穂の束を運んで行った。
あっという間に、色とりどりに植えられていた穀類は残らず刈り取られ、後には何もない畑が残された。
今日まで植わっていた実りはすべて収穫され、干されていた穀物は脱穀されていく。
村の貯水池から水が汲まれ、村人が使っていた布団で寝袋が繕われた。
村が丸ごと移動する前の、まさに最後の準備だった。
食糧はとりあえず最初にたどり着く『砂の街』まで持つ分を用意しておかなければならない。
その街までの道のりは長くて三日。
絶対に一度は野宿になるという。
食糧が切れれば、この旅は終わりになる。
実りは一つも無駄にできない。
故に村人達は、畑のものを取りこぼさぬよう、夜明け前から作業に当たっていた。
そしてその実りを収穫する村人達の脇で、ルイはすぐに見つかった。
彼はずいぶん早く起きて畑の作業を手伝っていたらしい。
いや、もしかしたら昨夜よく眠れずここまで出てきてしまったのかも知れないが。
青年は段々畑の中腹、朝露を落とす草むらに一人座りこんでいた。
傷の痛みが引いたのか、その顔は昨日より少し血色がいい。
しかし火傷に包帯を巻いた手を顔の前で組んで、彼は何か考え事をしているようだった。
そう、彼が見ているのは目の前にある自分の手ではなく。
「バクのやつ……」
つぶやく彼は、後ろで草を踏んだミヤギの足音に振り向いた。
「って、何だミヤギか」
「ごめん、驚かせたね」
「いや、ここは大方終わったぜ」
そう言うルイの服には細かいもみ殻が多数くっついている。
どうやら先程まで村人と一緒に穀物の刈り取りの作業をしていたらしい。
そしてその作業から解放された彼が今目で追っていたのは、恐らくあの小さな少年の姿だろう。
ルイの視線の先……少年バクは村の子ども達に混じって、穀物を刈り終わった畑の落ち穂拾いに精を出していた。
背負った籠に細い穂を拾っては小さな手で投げ入れていく。
ルイはその様子を心配そうに見ていた。
街の破壊から一日。
バクは今、村の子ども達と一緒に旅の準備を手伝っている。
街からやってきた少年に、村の子ども達は昨日からずっと付いていてくれた。
そして昔からの友人のように、バクの方もすぐに彼らに溶け込んだ。
それがあまりにも早くて、小さな少年は沈んだ瞳さえ見せない。何事もないように、ただ目の前のことを片付けていく。
彼は本当に『大人』な少年だった。
しかしだからこそルイの目にも危うく映るのだろう。
悲しみをどこにも吐き出さないバクの姿が。
「何を聞いても、『平気だよ。兄ちゃんは?』って……あいつの精神年齢はどうなってんだよ」
青年の眉間のしわが深さを増す。
声に悔しさと歯がゆさがにじんだ。
「平気なんて言ってられるわけないんだ。街には誰もいなかった。あいつのお袋も弟も、仲間も、誰も……。こんなことになるなら、みんな一緒に
ルイはしばらくそのままだった。
ミヤギはかける言葉もなく、その背を見ていたが……。
「ねえ、ミヤギ。ハトムギ見せてー」
不意に、落ち穂を集めていた子どもたちの数人が、ミヤギの周りに集まり始めていた。
彼らはミヤギがこの村に来たときから、ポケットの中に連れているネズミに興味津々だった。
子どもの一人が、そっとネズミ……いやネズミ改め『ハトムギ』の背に手を伸ばす。
「撫でていい?」
「まだ傷が治らないから、優しくね」
ミヤギはネズミの頭にぽんと軽く指を置きながらそう言った。
子ども達が呼んでいたが、どうやらネズミの名は「ハトムギ」ですでに決まってしまったらしい。
彼らはその名をリツミから聞いたようだった。
ミヤギ自身に反対の意はないので構わないのだが、あまりの浸透の早さに少し困惑する。
ミヤギが最初に提案した名前は、荒野の地下道でレンとルイに何故か却下されてしまったというのに。
発案者のリツミは、昨日はミヤギ達とは別の元々この村に借りていた家で休み、今は水汲みの作業に加わっていた。
しかしどういう失敗をしたのか知らないが彼女は頭の先からつま先までびしょ濡れで、全身に水を被っているようだった。
白い髪からぽたぽた雫が落ちている。
それを遠目に見ながら、ミヤギは「ハトムギ、ハトムギ」とネズミの名をつぶやいてみる。
ネズミがこちらを見上げた。
呼ばれたことが分かったのだろうか。
それなら彼のほうも異論はないらしい。
ハトムギは子ども達の手を避けることもせず、じっと撫でられるままにしている。
そして子ども達はしばらくハトムギをかまっていたが、「そろそろ戻らなきゃ。ありがとうミヤギ」と言うと、作業を再開するために走っていってしまった。
小さな体に抱えるほどのかごに、持てるだけの収穫が運ばれていく。
この辺りは今子ども達だけで作業を任されているようだった。
畑の中を動き回る小さな姿を見る。
ミヤギの数倍は彼らのほうが自立していてたくましいだろう。
しかし戦いはこの地方を飲み込み、この旅は問答無用に彼らを巻き込んでいくのだ。
いつしかミヤギも、ルイのように畑を見つめながら何も言えなくなっていた。
「偏った構成だろう、この村は? 老人と子どもばかりで。……この世界じゃ老人と子どもを残し、若い者は早々に戦場に散っていくからね」
背にかかった声に思わず振り向く。
いつの間にか、そこにはこの村の村長が立っていた。
ミヤギの視線の先にあるものを彼女も追って、ふっとため息をつく。
「あの子達はあたしらがとある戦場を通り掛かったとき見つけた子ども達だ。その街でわずかに生き残った赤子だった」
そういえば村の子ども達は皆バクと同じような年齢に見える。
それは彼らが同じ街で、同じ時に村長達に見つけられた故だ。
当時村長達は、根付く場所を求める長い旅の途中。
戦の跡に残された赤子を偶然見つけて旅に加え、一緒にこの場所に腰を下ろしたのだという。
レンが教えてくれた。村人はそのほとんどが故郷をなくし、村長の長い旅に加わった人々、同じように戦災を逃れた者達なのだ。
血がつながっている者同士のほうが少ないという。
そして子ども達が生まれた街は今、この世界に存在しない。当の戦で滅んでしまったのだ。
街が滅ぶ、とは途方もない言葉だが、それがこの世界ではざらに聞かれる言葉だった。
壁の街のように……。
ふと、村長の目がバクを見る。
「
ミヤギはしばらくその言葉にうなずくかどうか悩んでいたが、村長はそんな青年の様子を見やり、ふふっと吹き出すと「水汲みにまだ人手がいるね。行っておいで」とミヤギに道を示した。
青年はそれに従う。
今は立ち止まっている場合ではない。自分に出来ることを。
例え何の武器も持っていなくても、力は弱くても、戦い以外にやれることを。
それだけは分かる。
歩き出した背で、村長が去って行く自分の姿を見守っているのを感じた。
村の池の方へ去っていく異界の若者の背を見やって、老女は一つ息をついた。
「とうとう来たねえ、この日が。旅には慣れているが、これほど感慨深い旅立ちは久しぶりだ。……そう思わないかい、アカジよ」
村長の後ろには、静かにたたずむ一人の男。それはミヤギに剣を渡そうとした鍛冶屋の男だった。
アカジと呼ばれたその人物は、髭に囲まれた真一文字の口を開いた。
「ああ。これほど先の見えない旅は初めてだ。……村長、あんたの読みは外れてる。やつらに頼ったところで、この旅の果て俺達が首都の土を踏むことはないだろう」
「嫌なことを言うねえ、あんたも」
異界人の青年の背を目で追ったまま、村長は続ける。
「別にあたしは、あたしらのためにこの旅に出ようと思ったわけじゃない。ただ、可能性とやらがあるなら、若い者のためにそうしたかったのさ。……あたしたちは生き終えてる。先は短い。でもあの子たちはまだ若い。こんな所で終わるのは可哀想だ」
風が、短い草のきれを吹き上げた。
「今まで、さんざん流れ流れてきた。ここから、旅の続きだと思えばいいのさ。あの子たちが、あたしたちに先を見せてくれる。だからアカジ、あんたもあの子らに力を貸してやりなよ?」
「……所詮は異界人だ。自分の不利が身に染みて分かるときが来れば、俺たちを見捨てるさ」
アカジの言葉に、人間歳をとるとこうも偏屈になるもんかねえと村長がつぶやく。
その直後だった。
「村長、大変だ!」
一人の村人が、慌てた様子で近付いてくる。
そして息せき切って彼がつむいだ言葉が、二人の会話を打ち切ったのだった。
村の評定から一夜明けて、明くる朝レンが村の空き家で目を覚ましたとき、すでにそこにミヤギとルイの姿はなかった。
目をこすりながら外に出る。
昨夜は深夜まで村の周りを巡回していた。
村人の跡を付けてきた光領の兵士がいないかどうか確認するために。
幸い辺りには怪しい人間の気配はなかった。光領はまだこの村を見つけていないのだろう。
確信はないがそう願いたい。
今日はこの村の運命が動く日だ。
ミヤギとルイは気を使って寝かせておいてくれたようだが、そんな大事な日に出遅れてしまった。
戸口をくぐれば聞こえる、夜明けと共に仕事にかかる村人達の生活の音。
それはいつもと変わらないようなこの場所の朝だった。今日が最後とは信じられないほどの。
作業している人々の下へ、レンは足を早める。
いつもの日常の風景を、もう一度見ておきたかったから。
……しかしそれが最後の平穏なときであったことを、レンはすぐに思い知らされた。
いつもの朝を乱したのは、一つの異様な光景だった。
「レン、レン、ちょっと来て」
開けていく朝もやの中、感慨にふけっていたレンを呼びに来たのは、村の小さな子ども達だった。
何かに焦っているのか、体温の高い手でレンの腕をぐいぐい引っ張る。
「何? 一体どうしたの?」
「うちの爺ちゃんが気付いたの。荒野に大きな鳥が飛んでるのー」
「鳥?」
不思議そうにするレンの手を、子ども達が引いていく。
ぐんぐん引いて、レンを村の外れの林の先へといざなった。
山々の隙間から、荒野の景色を眺めることのできるその場所には……。
「あれは……」
旅立ちの準備にかかっていた村人達だろう。
そこにはすでに何人かレンの顔見知りが集まっていた。
その全員が目で追っているもの。
それはぱっと見、一羽の大きな鳥だった。
しかし翼を一直線に伸ばしたまま飛ぶ黒塗りのそれを、鳥と思う大人はこの場にはいなかった。
「飛行艇……!」
「ああ。飛行艇だ。あんなものを飛ばせるのは光領しかない」
髭の長い老人がレンのつぶやきに答える。
彼の手には古びた望遠鏡が握られていた。
その望遠鏡を借りた他の村人が言う。
「光領のやつら空からこの村を探してるんだろうが、ずいぶん見当違いな所を飛んでるなあ。全然遠いぞ」
「でも見つかったら一瞬だ。あの一機でこんな村簡単に潰せる」
先程子ども達はあの鉄の塊を大きな鳥と言った。
確かに知らない者が見れば変わった鳥に見えるだろう。
空飛ぶ兵器など、この世界で使える者は限られているのだから。
光領をはじめとする軍事国家の技術力の粋。
戦場を上空から見下ろす脅威。
多くが旅人だった村人達には、その兵器の用途がよく分かっていた。
空を飛べる飛行艇は、偵察のためだけにあるのではない。
見つけた標的を破壊するための、巨大な機銃を備えているのだ。
それが火を噴けば、こんな小さな村は跡形もない。
偵察に来た一機で村人を全滅させてしまうだろう。
「時間がないな……」
老人のつぶやきは、その場にいた大人たち全員の心情を表す言葉だった。
光領に抜かりはない。
こんな小さな村でさえ見逃す気はない。
その執拗さが、人々の心に恐怖を植付けるのだ。
レンは拳を握り、焦りを打ち消すように息を吐いた。
「村長に伝えなきゃ。じっくり名残惜しむ時間も、やつらは与えてくれないって」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます