第33話 逃亡劇 1
村人達の話し合いから一夜明けて、ミヤギはその日も太陽が昇る前に目を覚ました。
目を覚ましてしまったというほうが正しいだろう。
今日がその日だ。
この村が空になる日。
いや、丸ごと旅に出る日だ。
紫の空の端から太陽が顔を出す。
壁の街の破壊の時、あの時から一日が経った。
昨日とは違う朝日が、無力な異界人に注ぐ。
夜明けの冷えた空気を吸い込みながら、ミヤギは村の中へと踏み出した。
昨晩行われた村の話し合いの結果は、急ぎ首都に向けて旅立つというもの。
光領の進攻から逃れるには、早くここを離れなければならない。
しかしこの日が来ることを知っていた村人達の準備はほぼ整っている。
早ければ今日の昼頃には移動が始まるだろう。
昨日の夜、村の外れの林の先でリツミと村長と話した後、ミヤギは今日のために眠った。
寝ていた時間は大して長くないが、この世界に来て初めて深く眠ることができた。おかげで疲れはない。
村に借りている空き家ではまだ、レンが一人休んでいる。
彼女とルイは昨晩遅くまで起きていたようだ。
しかしミヤギが起きたときにはすでに、そこにルイの姿はなかった。
どこへ行ったかの見当は、何となくついたが。
村の中は夜明けにもかかわらず、人が動き回る気配に満ちていた。
村人達は出発の前の最後の支度にかかっているのだ。
ルイは多分それを手伝いに行ったのだろう。
ミヤギも急いで自分に出来ることをしなければ。
そう思いながら足早に歩いていたとき、ミヤギはふっとそこを通り掛かった。
他の家と離れて建つ、村の鍛冶屋の前を。
薄暗い鍛冶小屋から感じた人の気配に、思わずそちらの方を振り向く。
その中にいたのは、ミヤギが村に来た最初の日に出会った、刀を打っていた壮年の男性だった。
あのとき彼を親父と呼んでいた女性はいない。小屋の中には彼一人のようだ。
そして今日はその手に鍛冶道具は握られていなかった。
彼は鍛冶に使っていた窯の火を落とすところだった。
火かき棒と灰を使って、静かに炎を消していく。
ごうごうとあの日赤く燃えていた炉が、暗く沈黙していく。
そして立ち尽くすミヤギがその様子をぼうっと見ていると、驚くことに今日は彼の方から話しかけてきたのだ。
「兄ちゃん、あんたもあの無謀な連中に手を貸そうってのかい」
無骨な刀鍛冶が、初めて口を開いた。
無謀な連中……首都への旅に出る村長やリツミ達のことを言っているのだろうか。
そうだとしたら答は是だ。
ミヤギが一つうなずくと、彼は何も言わなかった。
両者の間に沈黙が落ちる。
これ以上長居するのも悪いと思って、ミヤギはきびすを返しかけた。
そしてまた驚くことに、そこに鍛冶屋の声がかかったのだ。
「――待て」
「え?」
「お前さん、これを持って行け」
去ろうとしていたミヤギに鍛冶屋が差し出したのは、壁に立てかけてあった長い物。
それは鞘に入った一振りの剣だった。
「……死ぬぞ、その格好じゃあ」
消えかける窯の火から目を離さない彼は、小さく低い声でそう言った。
彼はミヤギの今の装備のことを言っているのだろう。
確かにミヤギは、これから危険な旅に出るというのに何の武器も持っていない。
リツミは急ごしらえだが、十分武器になる頑丈な槍の柄を持っている。レンは大剣を背負っているし、ルイは武器を持っていないが、その腕っぷしには自信があるようだった。だから本当に丸腰なのは、異界人の中でミヤギだけと言ってもいい。
だが。
「ありがとうございます。でも、僕は大丈夫です」
差し出された剣を受け取らず、ミヤギはそう言った。
返ってきた言葉は簡潔に、
「……好きにしな」
その一言だけだった。
窯の火が消えた。
この先に待つ長い旅がいつか終わるなら、彼がここに戻ってくる日はあるだろうか。
火の消えた窯を黙って見つめる鍛冶屋を残して、ミヤギは一人その場を後にした。
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