第32話 評定 4

「よかった。ミヤギがここに来てくれて」

 「え、」


 結んだ唇の端をにっと上げて、リツミは笑った。


 そして目をしばたたくミヤギを置いて、白髪の彼女はさっさと立ち上がる。

 ミヤギは口を開けたままそれを見ていた。


 目を合わせていた間に、彼女は一体何を思ったのだろう。

 ミヤギの瞳に何を見たのだろう。


 ここに来てくれてよかったとは。


 完全に置いていかれたミヤギが、先程の言葉の意味をリツミに尋ねようとしたそのとき、


「あんたたち、本当にいいのかい?」


 不意に林の奥から聞こえた声に、リツミとミヤギの二人は後ろを振り向く。


 気付けばいつの間にか、そこにはこの村の村長その人が立っていた。

 茂みを分けながら、ゆっくり二人に歩み寄ってくる。

 リツミが目を丸くした。


「村長、もう話は終わったの?」

「大方。今は若い連中が旅の細かい道筋を決めてるから、抜けてきたのさ」


 村長は静かに星明かりの下へと歩み出る。

 立ち上がると、彼女の背はリツミの頭一つ分低かった。

 しかし背筋は伸び、足取りもしっかりしている。


「いいのかいっていうのは、これからの旅のこと?」

「ああ、そうさ。異界人の身なら他に道を選べるんだよ? 光領に味方すれば、簡単に帰ることができる。あたしたちを救っても、先はどうなるか分からない」


 村長の目は、まっすぐ目の前の二人の若者を捉えていた。

 

「戦はいよいよ終盤だ。昔はその時々で強い国に異界人がばらついていたが、今はそうじゃなくなった。世界は光領の下に収まろうとしている。異界人のほとんどが、光領に味方するようになった」

「それが一番、早く帰れる方法だから……」

「ああ。でも仕方ないのさ、異界人がそれを選ぶのは。こんな世界だ。生き残るためなら何でもするのが『正解』なんだ。例えそれが別の世界から来た人間でも、この世界は一気にそのことわりの中に引きずり込んでしまう」


 二人は黙って、彼女の言葉の先を待った。


「要するにあんたらは変わってるのさ。目の前で困ってるやつほっとけないって、それも度を超えてるよ。諦めかけてたあたしらに、首都に逃げようと言ってくれた。そしてその旅に付き合うと言ってくれた。つい最近この世界に来たような若者でさえもね」


 そう言ってその目は、ニ日前この世界に召喚されたミヤギの姿を映す。


「リツミはとんだ変わり者だ。あんたも、その口なんだね」

「……あの街を見て、それでも光領のほうが良かったなんて、僕にも言えないみたいです。彼らが強いのは分かりました。この世界の言い伝え通りなら、最後に生き残るのは彼らかもしれない。でも、」


 村長がじっとミヤギの目を見る。

 彼女もまた、ミヤギの瞳をずっと見続けても平気な性質の人のようだった。


「でも、僕はこの村と一緒に行きます」


 ミヤギの言葉に、リツミも大きくうなずく。

 村長に自分の思いを伝えるように。


 それをじっと見つめる老いた瞳は、やがてリツミに負けぬほど無邪気に笑った。


「そうかい。変わり者に恵まれて、この村は幸せだね」


 笑み崩れると、その顔は普通の老人となんら変わらない。

 シワを深めて笑うその姿は、今は厳格な首長ではなく、孫を前にした老婆のようだった。


 リツミが笑い、さあ、三人とももう休みましょうと声をかける。

 ミヤギはそれに従った。


 リツミと村長と話している内に、いつの間にか、感じていなかったはずの眠気が迫ってきていた。

 ポケットの中でネズミが小さなあくびをする。


 休もう。明日歩けるように。


 確かにこの身は無力かも知れない。

 何もできず、過ぎていくこの世界の惨状をただ瞳に映すだけかも知れない。それでも。


 できる限り見届けよう。


 この旅が、少しでも多くの人を生かす旅になれば。





 歩き出した青年を追い、リツミも村まで戻ろうときびすを返す。

 その背に村長の声がかかった。


「悪いねリツミ。あんたも“帰ってきた”ばかりだってのに」


 村長の声はひどく申し訳なさそうで、リツミはもう一度彼女に思いを伝える必要があった。


「いいえ。むしろこのときに間に合ってよかった。あたしも行くわ。どこまでも一緒に」


 それを聞いた村長は、困った顔で、しかし分かったよと微笑んだ。

 そして、一歩先に林を村へと抜けていく異界人の青年の姿を目で示す。


「あんたもそうだが、あれも変わった兄ちゃんだね。あんたほど人間を変わってるなんて思うのは久しぶりのことだよ」


 おどけたような村長に、今まで笑っていたリツミはどこか暗い表情で目を伏せた。


「本当は、一緒に行こうなんて厚かましいのかも知れない。……あたしたち、疫病神かもしれないわ」

「やれやれ、あんたまでシュゼの言葉を真に受けちまったのかい。あんたたちがいなくても、光領はこの村を滅しただろう。それは決まってたことさ。第一、あんたたちがいなけりゃこの旅は乗り切れない。だから、最後まで頼んだよ」

「……ありがとう、村長」


 風に吹かれる白い髪が、微笑んだ口元にかかった。






「――何だって?」


「このまま俺達だけで首都を目指せだと?」

「仕方ねえだろ、それが上の決めた命令なんだから」


 突然渡された指令書に目を通して、男――ユシカはその太い眉をひそめた。

 対するもう一人の男は腕を頭の後ろで組んで、いかにも気だるげに答える。


「オレとお前とコウノ、異界人はそれだけでいい。少数精鋭を引き連れて、いわゆる別働隊ってことだ」

「ずいぶん急な話だ。しかもこのルート……徒歩での移動になるんじゃないか?」

「るっせーな。お前も異界人なら旅くらい慣れっこだろ? 光領にたどり着くまでの苦労を思い出せよ」


 昇る日が辺りを照らしていく。

 荒野の乾いた地表が熱をためていく。


 昨日の光線砲による破壊の瞬間から、早くも一日が経とうとしていた。


 その一日の間に起きた変化。

 焦土と化した壁の街を小さく見る岩影に、光領軍のキャンプが出来上がっていた。


 破壊された街の調査も一通り終わり。

 幾十か張られた軍のテントの一つに、ある部隊の隊長格が集まっていた。

 揃いの赤い軍服に、同じ銀の徽章。

 隊長格と言っても皆若く、階級ゆえの堅苦しさもない。輝く紋様を胸に付けた、戦士の集団といった感じだった。


 その戦士の集団の一角で、二人の男が話していた。


 一人は体格がよく背の高い、ユシカという異界人。

 そしてもう一人は、軍服は着ず徽章だけを腕に付けた、逆立つ短髪の男。

 

 その男は辺りをふらふら歩き回りながら、相変わらず気だるく口にする。


「上は新しい兵器が試せて機嫌がいい。光線砲の発射は成功に終わったしな。調子に乗って、邪魔者のオレたち異界人部隊もさっさと戦場に投入してしまおうってことだ」


 そんな短髪の男の姿を、ユシカはまじまじと眺めていた。

 その視線に、「何だよ」と、歩き回る男は同僚の顔を向く。


「いいや。お前にしてはずいぶん物分かりがいいと思ってな、ハクメ。無茶な作戦を押し付けられたのに」


 その言葉を待っていたとばかり、男……ハクメは口の端を吊り上げた。

 口元の傷が唇と一緒に笑う。


「まあ、ただでやつらの頼みを聞いたわけじゃねえからな。――荒野の基地を出てくるときに、上官殿を二人ほどシメてきた」

「な……!」


 ユシカの大柄な肩が驚きに揺れる。

 周りの軍人達にも戦慄が走った。

 笑っているのは、口元に傷を刻んだ男ただ一人だけだ。


「ああ、大丈夫だって。消しても文句の出なさそうなやつをやってきたから」


 知らない人間が聞けば冗談だと思うだろう。

 しかし彼の性格を知る者にとって、それは冗談ではないのだ。

 為した事実を語るとき、彼が最も楽しげな顔で笑うのを知っている者なら。


 その楽しげな顔のまま、ハクメはテントの隅に座るある青年に声をかけた。


「良かったじゃねえか、コウノ。オレ達の度重なる『勝手な』行動にしびれを切らしたここの責任者の方々が、面倒で体力のいる仕事を申し付けてくれたんだ。運動不足を解消してくれたことに感謝しねえとな」


 狂気じみた男の言葉には一切動揺することなく、コウノは戦場に放たれた斥候からの報告を受け続ける。


 街の残骸の外に張ったキャンプには、間隔を置いてある轟音が響いていた。

 荒野に風が起こり、砂礫が吹き散らされる。


 その音の正体。

 テントの群れの外には、大音量のプロペラの旋回音とともに、黒塗りの飛行艇が下降してくる所だった。


 巨大な長方形の箱のような胴体に、滑空する大鷲のように広げられた翼。

 それは光領が所有する飛行艇の中では小型な方だったが、この世界でこんなものを使える国は限られている。それを光領軍は数機、この荒野に飛ばしていた。


 その小型の飛行艇に与えられた役目は捜索。

 兵士を積んで、空から例の水源の村を探しているのだ。


 件の村は流れ者の隠れ里と言われるだけあって、いまだにその場所が掴めていない。

 この辺りの山の中にあるのは確かだが、徒歩で闇雲に探せば遭難の危険すらある。

 そのために飛行艇が持ち出されたのだった。


 飛行艇からは乗組員の兵士が降り立ち、上官に探索の様子を告げる。

 コウノはその報告を聞いていた。


 村の発見はまだだという報告を終えると、兵士はさっさとテントを出て行く。

 残されたコウノに、にやついた顔のまま近付いたのはハクメだった。

 青年の座る椅子の背に肘をついて、煽るように耳元で囁く。


「どうしたんだよ、コウノ。さっきから飛行艇が帰ってくるたびに憂鬱そうな顔してるけど」

「……まさか上層部が飛行艇まで出すとは思わなかった。村一つ探すのに、ずいぶん大掛かりな探し方を許可したものだと思ってな」

「まあ、それは当然だろ? ちまちまやってたら、その間にネズミどもが逃げちまうかも知れねえからなあ」


 笑ったままのハクメを置いて、コウノは静かに立ち上がった。


「狙いはあくまで水源だ。あの村を破壊することじゃない」

「同じことだろ。やつらがその水源を占領してるんだから」


 「ああ、そうだ」と、ハクメがコウノに向き直る。


「村といえば、メルベの嬢ちゃん恐ろしくご機嫌斜めだぜ? 殺ったと思った相手が生きてたって。まったく、物騒な台詞だよな」

「あの異界人の青年のことか……」

「ああ。でもそれも道理だよな。お前にしては珍しい失敗じゃねえか、コウノ。消すはずだったやつがまだ生きてるなんて。残念だったな」

「……まあな」


 いたって素っ気なく、コウノは答えた。

 ハクメの方を見もせず、話は終わりと言わんばかりに背を向ける。

 しかし男は、すかさずその肩に腕を回して微笑んだ。


「だからこそ今度はやつらを逃がさねえようにしねえとなあ。後顧の憂いを絶つってやつだ。お前もよく言ってるだろ?」


 コウノがその言葉を無視しなかったのは、ユシカもハクメの言葉に賛同したからだった。


「俺もそれには賛成です。やつら光線砲の情報を持っている。他の街でぺらぺら喋られるとまずいでしょう」


 ユシカの太い指が、指令書に書き込まれた地図に添う。


「しかし我々が襲撃することを知っているなら、村人は数日のうちに村を出るはず。どこに行くかは知らないが、その前に見つけてしまわないと厄介でしょう。……どうします? 街の生き残りにやつらの住みかを吐かせますか?」

「壁の街の住人は村の者と仲が悪いはず。村の場所は知らないだろう」


 ユシカの言葉に、コウノは首を横に振る。

 すかさずハクメが割って入った。


「おうおう、相変わらず優しいねえ、コウノくんは。捕虜には手を出さない、か。さすがは甘い甘~いアルテリア様のご忠臣」

「……」


 大袈裟に胸に手をあてる仕草をしてみせたハクメを無視して、コウノは村人達の行く先の心当たりについて口にする。


「村の場所は分からないが、彼らが村を離れるなら行き先の見当はつく。……この国の首都が、国中の難民に触れを出しているらしい。行く先がなくば首都へ集まれと。村を出るとすれば、彼らもそれにすがるだろう」

「首都? ここからどれだけかかると……。しかも我々が道をふさいだことで、正規のルートは通れないはず。となれば山の中の険しい迂回路を行くしかないでしょう? 老人や子どもを連れていては、とても辿り着けませんよ」

「つくづくアホだなあ、リツミちゃんとそのお仲間は。オレ、アホは嫌いなんだよねえ」


 外に再びプロペラ音が響き渡る。

 巻き起こった風でテントの隙間がはためいた。

 また一機、飛行艇が帰ってきたようだ。


 コウノはその音を聞いていた。


「何にしても村が見つからないことには始まらない。捜索は急がせている」

「ホントかよ? お前本当は……」


 皮肉るように笑うハクメの口と、はためくテントの入口が開いたのは同時だった。

 斥候の兵士が踏み行ってくる。

 その足は先程の兵士よりいくらか急いでいるようだった。


「飛行艇から報告。北の山中に山道の入口らしきものを発見。例の村も、じきに見つかるものかと――」



 三者三様の表情が、それぞれの異界人の顔に浮かんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る