第31話 評定 3

 荒野にたたずむ街の残骸に、深く赤い闇が下りる。

 それは昨日見ていたのとは違う景色。

 本当の沈黙に沈んだ景色だった。


 ミヤギは座り込んだまま、いつまでもその空と大地を見ていた。


 昨夜はろくに眠っていない。

 今は休むよう告げられたが、眠れない。眠りたくなかった。

 眠れないのはミヤギだけではない。レンとルイも、休んでいた床を抜け出して村長の家の前にいる。

 村人達の話し合いの様子を見守っているのだ。


 ミヤギも村長の家の前で、漏れ聞こえる評定の声を聞いていた。

 それによれば、首都への旅の出発は早められるだろう。

 誰かが明日にでも出発したいと言っていたから、それが通るかも知れない。


 それを聞いた後こんな所まで来てしまったのは、まだ一人で後悔したかったからなのだろうか。起きたことをもう一度確かめたかったからなのだろうか。


 ミヤギは村の外れの林の先、昨夜も座っていたその場所に座って、また壁の街を見ていた。

 壁の街だったものを。


 正体も分からぬ昨日の胸騒ぎは今に続いていた。

 瓦礫の街を眺める無力感に。

 様々なことが起きて、それがミヤギの目の前を通り過ぎていった。

 何もできないミヤギの目の前を。


 夜風が前髪を吹いていく。


 荒野を見つめ続けていると、不意にミヤギの指先を小突く温かいものがあった。

 ふっと息をついて、その頭をなでる。


 そしてミヤギは、自分の脇に置いていた水の小瓶を持ち上げた。

 この村の涌き水で入れ替えた中身を、薄い星明かりにかざす。

 その水を数滴手の平に落として、ミヤギはポケットから顔を出す相棒……ネズミに水を飲ませた。

 

 だいぶ傷が癒えてきたのか、ネズミは勢いよくミヤギの手の平に顔を突っ込んで水を飲む。

 その体には、村に帰ってきてから替えた包帯が新しい。

 ルイがジュナに怪我の手当を受けたとき、少し包帯を分けてもらったのだ。


 しかしこの新しい包帯でさえ決別の象徴だろうか。

 最初にネズミの手当てをしてくれたその人は、もうミヤギとは完全に住む世界を隔ててしまった。

 近いうちに兵を率い、この村を潰しに来るという。


 それがこの世界だという。


 ミヤギの考え事はよそに、ネズミは水を飲み続ける。

 それを見守って、ミヤギはさらにポケットからもう一つ、いや数粒、小さな穀類を取り出した。


 これはこの世界でハトムギと呼ばれている作物。

 ミヤギが連れるネズミに興味を持った、村の子ども達がくれたものだった。


 ミヤギは元の世界のハトムギを数えるほどしか目にしたことがないが、この世界のものとそんなに差はないだろう。

 ふっくらと丸い実に、真ん中に走る太い麦の線。


 試しに口元まで持って行ってやると、ネズミはハトムギの匂いを鼻先で確かめた後、がりがりとかじりついた。そのままハトムギを食べ始める。

 どうやらものを口に出来るまで回復したようだ。

 そのことにミヤギはほっと息をつく。

 

 この村では村人達の手で、試験的に様々な穀類が植えられてきたらしい。

 ハトムギもその内の一つだ。


 それもすべては旅立ちのときのため。

 これから始まる長い旅を支えるために、なるべく日持ちのする作物が育てられてきたのだ。


 そしてその出立のときは、刻一刻と迫っている。


 そんなことを考えていると、ふっと気配が、後ろから近付く人間の存在を教えた。

 ゆっくり振り返る。名前を呼ばれたのは同時だった。


「ミヤギくん?」

「リツミさん」

 

 そこには壁の街で出会った異界人の女性、リツミが立っていた。

 林の影に白い髪が浮かび上がる。

 彼女はしばらく驚いた表情でミヤギを見つめていたが、はっと我にかえると慌てて両手を振った。 


「ああっと、ごめんなさい、邪魔するつもりはなかったんだけど」


 そうしてリツミは、星明かりのもとミヤギのほうへ歩いてきた。


「他に人がいるなんて思わなかったから……」


 昨日から皆忙しく動き回っていて、まともに会話をするのはこれが初めてだ。


 この人が、村の住民に首都へ避難することを提案し、ともに逃げのびようとしている人。


 リツミは崩壊した街で見たときとは違って、いかにも柔和な、穏やかな人物だった。

 皆の慕いようから、どのような人物かと思っていたが、まだ若い。

 多分同い年、くらいで当たっているだろう。

 しかしやはりこの世界に来て長いのか、レンとは古くからの友人のようだった。


 目を引くのは肩まで伸びた真っ白い髪。後ろから見たらまるで大きな雪玉だろう。

 老人達を除けば、ミヤギがこの世界で出会った誰とも違う髪色だ。


 その格好も驚きだった。

 少し褪せてはいるが、リツミが身につけているのは、間違っていなければミヤギの世界にもなじみのあるパーカーとジーパンだ。

 そんな姿であの光領の兵士たちと渡り合う、この人も紛うことなき異界人なのだ。


 そして彼女は壁の街で会ったときと同じく、棍のような長い棒を手にしていた。

 街で武器として使われていたそれは、立ててみると彼女の身長より少し高い。


「ああ、これ? ここに来る途中で適当に引き抜いてきたの。なかなか強度があるから、元は槍の柄か何かだったのかもね」


 気に入っているのか、棍を慣れた手つきでクルクル回しながら近付いてくる彼女は、今はミヤギと同じ、ただの若者だった。


 そう、普通の若者だ。

 素朴な笑顔に、遠慮がちな声音。


 そして何より。


「う、うわあ!」


 手にした棍を地面につこうとして、それが思ったより深く地面に刺さって、リツミは勢いよく前のめりにつんのめった。


「だ、大丈夫?」

「あっはっはっは……。ごめんなさい。大丈夫よ」


 ミヤギも自分のことをかなりのドジだと思う。

 しかし彼女はもしかしたらそれ以上の……。


 光領の兵士を前にしていたときとはまったく顔つきが違う。

 ミヤギも初めて見たときは驚いた。

 彼女は何というか、……妙に抜けているのだ。


 壁の街から村へ帰る際、傷付いたルイを支えると彼女も手を挙げた。しかしあまりの危なっかしさに皆それを止めたのだ。

 彼女ともどもルイがすっころんでしまうのを防ぐために。

 彼女のそういう所は皆には周知の事実のようで、ルイを支えようと手を出したその瞬間に止められていた。


 ミヤギの頭の中のことはよそに、体勢を立て直したリツミはこちらに近付きながら微笑む。


「ミヤギくんも風に当たりに来たの?」

「ミヤギでいいよ。僕はちょっと考え事してただけだから……」

「ああ、あたしのこともリツミでいいわ。あたしも考え事があるときはここに来るの。でも、それも今日が最後ね」

「……やっぱり、明日出発なんだね」


 どうやら村の会議は旅の出発を明日に決定したらしい。

 そうだとしたら、彼女がここで考え事をして過ごせるのは今だけかも知れない。

 ならば村に来たばかりのミヤギがその時間を横取りしてはいけないだろう。


「ごめん、僕のほうが邪魔だったね」

「ああ、いや、そんなつもりじゃ!」


 腰を浮かせかけたミヤギに、白髪の女性は慌てて手を振る。


「謝るのはあたしの方だわ」


 そしてリツミは、ミヤギの横に並んだ。


「レンが言ってた。あなたはこの世界に来たばかりだって。……巻き込んでしまったわね」

「ううん。僕がいいと思って選んだ場所だから。って、僕みたいなのがいても、多分足手まといだけど」

「そんなことない。聞いたわ。壁の街であの子――バクを助けたんだって」


 バク。

 その名前に、ミヤギは再び荒野の奥に目をやった。


 バクは他の村人と一緒に休んでいる。

 壁の街で一人だけ助かった彼は、村人達に保護されこの村まで連れられた。

 傷は浅いものばかりで心配はないようだが、彼が負ったのは体の傷だけではないだろう。


 あの夜、一人で街の外へ水を汲みに行っていた彼は、夜明け前にやっとその門までたどり着いたという。

 だからこそ、すんでの所で光領の攻撃を逃れたのだ。


 しかし彼が目にした光景は、ミヤギ達とほぼ変わらないものだっただろう。


 誰もいない街。炎を上げる故郷。

 それをバクは見てしまった。


 見せてしまった。幼い瞳に。


 だから、


「本当に助けたって言えない。街があんなことになって、バクが知ってるものは全部なくなった。僕は何もできなかったから……」


 ミヤギの視線を追うように、リツミもまた、荒野の先へと目を向けた。


「……そうね。みんな助けたかった」


 彼女の声は硬く、ゆえに揺らぎなかった。


 光線砲の使用は異界人の存在のせいだという、コウノの言葉を真に受けて落ち込んでいるわけではない。

 ただ、瓦礫の山となった街を見つめる視線は声と同じく揺らがなかった。


 その瞳に映っているのは、絶えずこみ上げる憤りだろうか。

 明日を開こうとする勇気だろうか。


 そういえば彼女の考え事とは一体何だったのだろう。


 思いふけるミヤギの視線の先で、ふっとリツミはこちらを向いて笑った。


「街であなた達に会えてよかった。レンとあなた、それにルイがいて、嬉しかった。珍しい子も仲間に入ってたしね」


 穏やかな瞳が、いまだハトムギにかじりついているネズミを指す。


「ケガをしてるの、その子?」

「ああ、包帯の下の傷は治ってきてるよ。……でも、鳴けないみたいなんだ。高い所から落ちて、かなり弱ってた。そのときに声帯を潰したのかも知れない」


 それは今までネズミと過ごして気付いたこと。

 元々鳴かない種類ではないようだ。

 しかしネズミは、ミヤギに気付いてほしいときは必ず指を小突いてくる。

 鳴き声が上げられないのだ。


「そうだったの……」


 心配そうに、リツミは視線をネズミへと下げる。


「その子、名前はなんていうの?」

「名前……そうだ、名前まだ無いんだった」


 リツミの言葉で思い出した。

 色々あって、結局ネズミの名前は付けずじまいだった。

 名前。名前か。


 そして考え込むミヤギをよそに、リツミはまじまじネズミの食べているものを見つめていた。


「じゃあ、“ハトムギ”」

「え?」

「名前。ハトムギ食べてるから」


 いたって真面目な顔で言う彼女の言葉に、背中に衝撃が走った気がする。


 ハトムギを食しているから名前がハトムギとは。

 一瞬ポカンと口を開けてしまったのを、彼女にも見られただろうか。


 しかしミヤギが慌てたのは、そのことではなかった。


 不意に、リツミの瞳がミヤギを映した。

 ポカンと口を開けたミヤギを、そのまま見つめ続ける。


 内心ミヤギははっとした。


 大抵の人は、ミヤギにじっと目を見られることを嫌がる。

 たまにコウノのように、ミヤギの瞳をじっと見つめ続けても平気な人もいる。

 彼はこの瞳を落ち着いてるとまで称してくれたが、しかしそんな人間はほんの少数だ。

 

 幼いころから、ずっと気味悪がられてきた。

 理由はないが、この目をじっと見続けていると気分が悪くなるらしい。

 その故をミヤギ自身は知っていたから、誰も責めようがなかったが。


 だからいつしか、他人とじっと目を合わせることは避けるようになった。


 だがリツミは、ミヤギの目から視線を外さなかった。

 唇をきゅっと引き結んだまま、じっと見つめ続ける。

 そのまま、ミヤギが心配するほどの時間が流れて、そして、


「よかった。ミヤギがここに来てくれて」

 「え、」


 結んだ唇の端をにっと上げて、リツミは笑った。

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