第26話 街の終わり 1

 ミヤギはルイの背を追い、夜明けの山中を走っていた。


 まだ日も昇らず。暗い林の中は、生い茂る木々と草で一寸先も判然としない。

 尖った木の葉が皮膚に突き刺さる。

 あっという間に肌は細かい切り傷だらけになった。


 それでも前を風のように走る青年、ルイの足は止まることはない。

 山を下るために、より早く下るために、最短の道を突っ走っていく。

 ただまっすぐ前に。


 村へ来るまで、山の中にはレンの教えてくれた一応村人が通っているという隠れ道がある。

 しかしそれも完全に無視して、ルイは草むらを自分の身一つで切り開いて進んでいく。


 ポケットに抱えたネズミを落とさぬよう、ミヤギも必死で彼の後を追った。


 突然荒野に現れた赤い炎。

 壁の街を包んで焼くそれ。

 その光景は二人の青年に息を飲ませ、目を見張らせ。


 何が起きたのか、問う前にルイは走り出していた。

 そう、何が起きて街が燃えているのだとしても。


「あいつらが……みんなが……」


 前を行くルイが漏らしたつぶやきが、後ろを走るミヤギの耳まで届く。

 彼が誰を思って走り出したのか、燃える街に向かっているのか、ミヤギにもよく分かっていた。


 あの街にはルイを支えたものがある。

 水泥棒の子ども達がいる。


 彼の頭の中にあるのはその安否だけだろう。


「待って、二人とも!」

「レンさん!」


 気付けば後ろに、大剣を背負ったレンが追いかけてきていた。

 武器を負っていても確かな足取りで、ミヤギ達に追いついてくる。


 しかしルイのほうは合流したレンに構わず、まったく速度を緩めることなく前を突っ走っていた。

 林を突っ切り、転げるように山を下りていく。やぶがあっても谷があってもお構いなしで、ただ前を目指して一直線に走っていく。

 異界人の持てる力を使い、下るというより飛び降りるように山を進む背に、追いかける二人の声はまったく届いていないようだった。


 そうまでして彼が向かっている場所はただ一つ。

 彼が昨日までいたあの街。


 猛然と山を走るルイに、後ろの二人も障害を避けながらついて行った。

 もどかしい思いはルイだけではないだろう。ミヤギのとなりを走るレンは唇を一文字に引き結んでいる。

 ミヤギも、全身を巡る悪寒を振り払うように走った。


 山を下りている間は木々に隠れて見えなかった街は、山の裾に出る頃には再び姿を現していた。

 日はまだ昇りきっていないがその様子はよく分かる。


 壁はもはや砂の色ではない。

 荒野に赤く炎の光を灯すものはただ一つなのだから。


 赤黒く立ち昇った、天を焦がす炎。

 近づくほどに分かる。


 すべてが燃え盛っていた。

 砂の壁が炎を宿して、赤く灯っていた。

 

 ……やがて日が高く昇って大地が熱を貯めても、ルイは立ち止まることなくぶっ通しで走り続けた。

 レンとミヤギもその後を追う。


 ルイは昨日街を抜けるとき使った秘密の通路へとまっすぐ向かっていく。

 しかし旧水路の奥からは熱気が流れ出し、その先が尋常な状態ではないことを伝えていた。


 そのままそこへ突っ込んで街の中へ入ろうとするルイを、肩を掴んでレンが制止する。

 そこでやっと、青年は我に返ったようにレンとミヤギの姿を瞳に映した。

 その顔は焦りと恐慌に引き攣れて、とても見ていられるものではなかった。

 歯を食いしばって、今にも嗚咽を漏らしそうだった。


 仕方なく一行は気温を増していく地上を街に向けて走り続ける。

 早く早くと、最悪の予感と闘いながら足を進めた。

 皆、言葉はなかった。


 よく晴れた日だった。

 向かう先は目の前によく見えていた。

 隕石が衝突したかと思うほどの衝撃。光領の攻撃だと、村の誰かが言っていた。

 しかし今はまだ何の確信もない。

 その街に何が起きたのか。教えてくれる者もなく、三人は走り続けた。


 近づけば近づくほど、温度は上がった。

 炎を巻き上げた風が、すぐ横をかすめていく。


 辿り着く頃にはもう、街は完全に焼け落ちていた。


 街の門――だったと思われる場所に立ち、一同は言葉を失った。

 そこにもう街はなかった。


 空は晴天。

 くすぶる炎を残す街の残骸は、その下にあった。

 三人はそこへたどり着いていた。


 堀はなくなっていた。

 街自体が陥没して、深く沈んでいたのだ。

 街を囲む壁は所々崩れている。

 しかし瓦礫が邪魔をして、容易に中には入り込めない。


 それでもルイはしゃにむに瓦礫をかき分け、入り口を探し始めた。

 レンとミヤギもそれに続いた。

 瓦礫を掴む手が赤く火傷しても、ルイは止まることはなかった。


 そしてずいぶんと時間をかけて瓦礫をどけ、三人はやっと街の中に踏み込んだのだ。

 そして息を飲んだ。


 街と言えるものはもう、どこにもなかった。

 来るのが遅かったと、そういう言葉すら出てこない。


 赤かった壁は黒く焦げ跡を残して、家を焼いた炎は風にまかれて鎮火へと向かっていた。

 砂壁以外のものは、すべて真っ黒だった。それまで、息づいていたとおぼしきものも。見渡す限り、生きている人間の姿はなかった。


 空気が熱い。そして静動入り交じって物が焼けた後の、凄まじい悪臭がした。

 それが合わさって胸を突く。

 異界人の体でなければ、五分も耐えられなかっただろう。


 黒い山になっていた燃えかすの中から、衣類のはぎれのような布が風に運ばれ飛んでくる。

 そのままミヤギの手に引っかかった。

 大部分が黒く焦げているが、下地は白い布だ。


 この街の人々が白い服をまとっていたことを、ぼんやりと思い出す。


 そして燃える瓦礫を避けながら、三人はその場所へと向かった。

 昨日街を抜けるための道を教えてくれた、水泥棒の子ども達がいた下街……そことおぼしき崩れた家の石壁の山まで。

 壊れ過ぎて砂の山のようになってしまったその中に、もはや下街などなかった。


 その光景を前に立ち尽くした三人の中から、最初に声を発したのはルイだった。


「ケノ……! レーラが……!」


 そうして彼は、水泥棒の少年達がいた家のほうへと駆け出した。

 レンとミヤギの二人はその背を追おうと足を踏み出す。

 しかし、


「待って、ルイ! ……!?」


 追おうとしたレンの足元に、地面をえぐって穴が開く。

 ミヤギも自分の前をえぐった弾痕に、思わずその場に立ち止まった。


 銃弾は前方の倒壊した石の塔の上から。

 そこにいつの間にか、少なくない人影が集まり始めていた。


 顔を上げてその先を見る。

 ミヤギが見上げる視線の先には、幾十もの赤い軍服姿があった。

 光を示す紋様の軍旗を掲げ、こちらを見下ろす兵士達の姿があった。


「光領……!」


 低い声でレンがつぶやく。

 いつの間にか、立ち尽くすミヤギとレンを取り囲むように、褐色の軍服が集まっていた。



 その中に見知ったコウノの顔があることを、ミヤギは顔を上げたまま、言葉もなく見ていた。

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