第23話 破壊の足音 3

 起き出したのは、まだ夜明け前。

 赤黒かった空が薄く紫に変わりはじめた頃だった。

 村もまだ寝静まっている。


 ミヤギは山の上の冷えた空気の中を、一人段々畑の方へ抜けていった。


 そして畑の上へのぼり、その先の林を抜ければ、山と山の隙間から遠く荒野にたたずむ壁の街の姿を臨むことができる。

 村長の家からの帰りにジュナから教えてもらった場所だ。

 向こうから村の姿は見えないが、村の人間はこうして街の外観を眺めることができるのだ。


 黒い山影の間から見える、静かにそびえる壁の街。


 複雑な経路を辿ってここまで来たが、直線距離なら街と村はわりと遠くないのかもしれない。


 ミヤギはそっと、上着のポケットに入れてきたネズミの頭を撫でる。それに答えるように、暖かい鼻先が、夜の寒さに冷たくなっていた指に押し当てられた。

 この世界に来て、夜を迎えるのはまだ二回目だ。

 それでもずいぶん長い時を過ごしたような気がする。


 最初に見た荒野の景色からこの村まで、確かに大移動だった。

 しかしそれも始まりに過ぎなかったことを、今は知っている。


 この村の人々に付いて、この国の首都を目指す。

 その首都というのは、ここから一月ひとつきをかけて辿り着けるか着けないかの遠くにあるという。

 目的地へは壁の街の先へ行き、そこから十近い街を経由する。村人五十人が連れだって、その長い道を行くのだ。

 向かう道筋は決まっているが、この辺りは光領の偵察が絶えない。

 集まった異界人は、その脅威から村人を守るのだ。


 出立は『リツミ』なる人物が他の村人とともに基地の作業から帰ってから。

 しかしそれまでには数日ある。

 とりあえず明日はレンとルイとともに壁の街に帰り、例の水泥棒の子どもたちの様子を見てくることになっている。


 彼らはあの壁の街で、今頃どうやって過ごしているのだろうか。

 そんなことを思っていると、何故か治めようとしていた胸騒ぎが強まるのを感じた。

 一体自分はどうしてしまったのだろう。今感じているこの脅威は、どこから来るというのだろう。


 草むらに座り込んでひたすら考える。周りを見渡しても、しかし一向に答えのものは見つからない。


 と、不意に背後で草を分ける音がした。


「ふあーあ。どうしたんだよ、ミヤギ」


 いつの間に目覚めたのか、そこにはルイが立っていた。


 なるべく音を立てないよう出てきたつもりだったが、どうやら起こしてしまったらしい。

 あれだけいびきをかいていたのに、出て行くミヤギの気配には気付いたようだ。


「ごめん。起こしたね」

「いや、どっか調子でも悪いのかと思って」

「何でもないよ。ただちょっと枕に慣れなくて」

「そうか。実はオレもよく眠れなくてな」


 それは嘘だ。とは言わなかった。

 代わりに再び謝る。


「ごめん……」

「いいんだよ。オレもこの世界に来て最初はよく寝れなかったから。安全に眠れる場所もないし、先のことも全然分からない。これからどうなるんだろうって、不安で眠れたもんじゃなかった」


 彼は起き出したミヤギを心配して後を追って来てくれたようだった。

 胸騒ぎを治めようとここまで来たが、悪いことをしたなと思う。

 そんなミヤギに気を遣わせないためか、空を眺めるルイはおどけた調子でつぶやいた。


「レンの姉ちゃんは、眠れないなんてことなさそうだけどな。いや、昔はそうだったのかな」


 レンはやはりこの世界が長い旅人らしい。

 数ヶ月前までこことは別の大陸を旅していたが、村の窮地を聞き付け、移動に協力するためはるばる海を越えてきたのだ。

 しかしどんな異界人でも、ルイの言う通り、最初は迷い戸惑うだろう。


「いきなり知らない世界に連れて来られたら、誰だってそうだよ。知らない土地に立つのだって勇気がいるのに、それがいきなり異世界だなんて言われたら……」


 と、ミヤギも空を見ながらそう言った。

 しかしまじまじと見つめられる視線に、思わずルイの方を振り向く。


「え? え? ごめん、また変なこと言ったかな」

「いや。ほんと落ち着いてんな、お前」


 コウノとレンと同じことを、ルイも言った。

 落ち着いている。そうだろうか。少なくとも自分にその自覚はない。

 ルイの言葉にミヤギは苦笑を返すしかなった。


「きっとよく飲み込めてないだけだよ。この世界に来て、まだ頭が混乱してるんだ」


 荒野で戦闘は見たが、遠目にだ。

 ルイのように長い空腹を味わったわけでも、レンのように世界を巡ったわけでもない。

 ミヤギはまだ、この世界を覆う困難をろくに目にしていないと言える。

 だから冷静に見えるのだ。


 そして混乱している以上に、ミヤギには自分の持てる能力に何の自信もなかった。


 異界人は、これから旅立つこの村の人々の護衛をするためこの村に集った。

 しかしミヤギに何ができるのか。

 物静かなだけで、それ以上はまったく役には立たないだろう。


 いざというとき誰かの壁くらいにはなれるかも知れない。

 だが、できることと言えばそれくらいだ。


 そんなことを考えていると、ルイが笑うのが分かった。


「やっぱお前はすげえやつだな、ミヤギ」

「え?」

「オレはこの世界に来て、二つ街を回ってリツミに会って、やっと自分の進む方向を決められたけど、お前には最初からそれが見えてるんだな」


 笑いながらルイがつぶやく言葉は、わずかに自虐のようにも聞こえた。

 

「この世界に引っ張りこまれて『神さま』に会って、オレはことわりのことを聞いた。そうして身一つで、廃れた街に放り出された」


 青年の瞳が赤黒い空の星を見上げる。


 どうやらこの世界に来たからには、どの異界人もミヤギと同じ扱いを受けるらしい。

 まるで世界への適性を試すように、たった一人で異境の地に投げ出されるのだ。


 ミヤギのとなりまでやって来たルイがしみじみつぶやく。


「最初は荒れたなあ。お前とは全然違った。異世界って言ったらみんな楽園みたいな世界を想像するだろ? それが、連れてこられたのがこんな渇いた大地と終わらない戦いの世界なんて嫌すぎるだろ。……そんな世界から抜け出せるなら、異界人は何だってやる。自分の世界に帰るために、どんな破壊にだって手を染める」


 帰るために必要なこと。

 最も強い国に味方して、他の国を滅ぼし、最後の生き残りになること。『神さま』の願いを叶えること。


 それが、この世界に引き込まれた者達が今まで為してきたこと。

 眉間に深いしわを刻んだルイの横顔に、ミヤギはふとシュゼという青年の言葉を思い出す。


 彼が言っていた、消えてしまったというテウバの人々の話。


 ……長らく苦しめられたゲリラ戦法。

 それに終止符が打たれたと、あのときコウノは言った。

 しかしどうやって終止符を打ったのかは聞かなかった。


 人対人ひとたいひとの兵器として、テウバの人々に対抗するために異界人が投入されたのだろうか。

 彼らが、岩の住みかに隠れていたテウバの人々を捕らえ、光領の前に引き出したのだろうか。


 七十年続く争い。


 異界人の目の前にあるのは、いつだって淡い希望だけだっただろう。

 帰れるかも知れない。

 誰かの待つ自分の世界に。この過酷な世界から抜け出して、帰れるかも知れない。


 そのためなら、破壊を選ぶことはひどく簡単なことかも知れない。そしてそれを『神さま』にも迫られるのだ。


「オレも他の異界人と同じだった。食いもんも寝るとこもなくて、どうしようもなくて、光領の人間に誘われて、軍に参加しようとしたんだ。でもそんなときに、リツミと会った。そうして気付いたんだ。……こんな世界に来た。でもオレは何かを壊すのは嫌だって」


 ルイが見つめる先にあるのは、壁の街。

 彼が一月を子どもたちと過ごした所。


 そしてルイが破壊の道を踏み止まってあの街まで来れたのは、『リツミ』と会ったことが大きいらしい。


 ――リツミ。

 レンに一目置かれ、ルイを助けた人。その人もまた異界人だという。


 レンとルイが教えてくれた。


 リツミこそが、この旅の発案者。

 このまま光領に飲み込まれることを良しとせず、村人に首都へ逃げようと提案した人物。


 この村はずいぶん昔から流れ者を受け入れ、その流れ者が村民となって今まで続いてきた村だという。今住んでいる人々も大半が外から来た元旅人だ。

 リツミも元々その流れ者達の旅について回っていた異界人で、彼らがこの村に定着した後も用心棒の役を買って出ているのだ。

 故に、村人からの信頼も相当厚いものだった。

 なんでも村人に港市連合軍基地での『作業』が命ぜられるたびに、毎回過酷な労働に同行するのだという。村人が不当な扱いを受けぬよう、護衛をするためにだ。


 その人の帰りを、誰もが待っているのだ。


「僕はルイの言うような、すげえやつじゃない。だけどリツミさんやレンさん、それにルイみたいな異界人もいるって分かった。だから僕もこの旅について行きたいと思ったんだ。……やっぱり、足手まといにしかなれないと思うけど」


 この旅の行く末を、素直に見届けたいと思う。

 自分にできることは、何の助けにもならない小さなことばかりだと思うが。


 どこまでも謙虚だなあとルイが苦笑いする。

 それはお互い様だと、ミヤギは思ったが。

 彼も様々悩んで、壊すことを放棄したのだ。


 空が白んでいく。

 もうすぐ夜明けだろう。


 壁の街が闇の中に浮き上がってくる。


 大丈夫だ。あの街にはこれから行ける。

 微力かも知れないが、自分も街の子どもたちを思うルイの力になれるといい。


 そのルイはすっかり体が冷えてしまったのか、もう寝床に戻ろうときびすを返す。

 ネズミをポケットの中におさめながら、ミヤギもそれに続いた。

 気付けば結構長い時間彼を付き合わせてしまった。


 相変わらず胸騒ぎのような感覚は続いているが、それはここにいてもどうしようもないものだ。

 争いが続いているというこの世界で二日過ごして、少し過敏になりすぎているのかも知れない。

 戻ってもう数刻眠って、気を休めよう。


 一人頷くミヤギに、歩き出したルイは明るく言った。


「心配することなんかないさ。リツミが帰ってきたら、オレ達は鬼に金棒だ。あいつはコウノなんかより何億倍もすげえやつなんだから」


 その名前はふっとミヤギの前に姿を現した。

 そういえば村長の家でその名前を耳にしたとき、彼のことを聞きそびれていた。


 コウノ。異界人部隊を率いてこの地方に派遣されてきたという、あの青年のことを。

 彼はルイやレン達にも名前が知れているような、有名な異界人なのだろうか。


 そして口を開きかけた瞬間、確かにミヤギはそれを感じた。



 ――空気がざわめいた。


 辺りが赤い光に包まれた。

 彼方から響いた轟音に、二人が振り返ったのはそのときだった。



 爆風は程なくして届いた。

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