第18話 山の上の隠れ里 1

 最初はレンの示すものが何か分からなかった。

 草原の向こうには、やはり草原しかなかったのだから。


 それと分かったのは、レンの隣に追いついてから。そして彼女が見ている、草原の下の方に目が行ってからだった。


「何だよ、ここ……」


 ルイが感嘆の声を漏らすが、それも無理はないだろう。

 普通に探したら絶対に見つからない。

 レンがそう言っていた意味がよく分かった。


 そう。それは草原の下にあった。

 平坦な草原に、突如巨大な穴が開いていた。

 

 三人の足元で草原は切れて、傾斜のついた坂になっている。

 その坂は途中で段々畑になり、深く下まで続いていた。


 そしてそのすり鉢状に広がる段々畑に囲まれて、その『村』はミヤギ達の足元に広がっていた。


 赤い土の段々畑の先。実りも少なく粗末だが整然と手の入った畑に囲まれて、その真ん中に小さな家が点々と立っている。

 質素な平屋建の家が、全部で三十軒はあるだろうか。


 その家々が間隔を置いて散らばっているため、見下ろす村は相当な広さがあった。

 すり鉢のような村の周りはぐるっと三百六十度段々畑が取り囲み、草原に開いた穴の側面を彩っている。


 眼下に広がるのはまさしく、


「隠れ里、ですね」


 足元に村が広がっている光景は、何とも不思議なものだった。


 これなら外からは見つからないはずだ。


 この草原は周りが他の背の高い山々に囲まれて、外界からの視界を遮っている。

 おまけに村全体が窪んだ土地にあって、これでは山の下からこの村は探せないだろう。


「ホントにあった……」

「へへーん。びっくりしたでしょ。これがあんたの目指してた『村』だよ」


 ため息混じりにつぶやいたルイの言葉に、レンが得意げに鼻の頭を撫でる。


 ルイもミヤギも、しばらくポカンと村を眺めていた。

 そんな二人にレンが噴き出す。


「さ、村に下りよう。リツミもきっと、二人も異界人が集まってくれたなんて聞いたら驚くよ」


 そして彼女を先頭に、三人が村へ下りようとした、そのときだった。


「レン! レンじゃないか!」


 不意に村の手前から声がした。

 段々畑に植えられたつる木の裏からだった。


 見れば赤い土の畑から、大きな籠を背負った若い男がこちらに駆けてくるところだった。

 農作業着なのか、点々と泥汚れの付いた簡素な服をまとっている。

 少し元の世界の着物に似てるな、とミヤギは内心親近感を覚えたものだが。


「レン、帰ってきてたのか」


 声が届くほど近くに上って来ると、男は手を上げてレンに笑いかけた。

 そばかすの浮いた顔が、素朴な笑いじわを刻む。

 歳はレンとそんなに変わらないだろう。

 頭の後ろで短く束ねられた髪、泥の付いた焼けた肌。

 背中の籠には、人参だろうか。やせた根菜が満載だった。


 野菜を背負って微笑むその男に、レンも微笑みを返した。


「大漁だね、ジュナ」

「いんや、収穫はこの籠一杯だけだ。この作物はこの土地じゃこれが精いっぱいだよ」


 ジュナと呼ばれた彼は、人懐っこい笑顔のまま、収穫の終わった畑を指差した。


「それにしても久しぶりだな、レン。街はどうだった?」

「どうもこうも、最悪だよ。作業もだんだん過酷になってきてる。光領の勢いが抑えられなくなって、人手も不足してるからね。港市連合も、ろくに援軍を送る気配がない」

「そっか。このままいくと、やっぱり……」

「その前になんとかしないとね」


 そして難しい表情を浮かべたレンは、ジュナにあの人物のことを問うた。


「リツミは? 村にいるんでしょう?」

「いや、今は留守だ。村の連中と一緒に作業に行ってるよ。十日と、少し前からかな」

「ちぇ、じゃあ入れ違いになったのか」


 悔しげに拳を打ったレンに、ルイが問う。


「村の人も『作業』に出されるのか?」

「そう。街の人間と決めた、ここに暮らすための交換条件。港市連合の基地の労働に人員を出すこと。あの炎天下の作業にね」

「ここで暮らすのにいちいち街の許可がいるのかよ」

「村人のほうが圧倒的に人数が少ない。村で手に入らない物は街で調達しなきゃいけないし、ある程度は従う必要があるんだよ」

「へえ……」

「今回の作業の期間は十二日だって言ってたから、帰ってくるのはもうすぐだと思うけど。……でもレンがリツミを訪ねてきたってことは、いよいよその覚悟を決めてくれたんだな」


 レンに向き直って、ジュナは嬉しそうな寂しそうな、複雑な顔をした。

 剣士はそれに快活な笑みで答える。


「そんな大層な心境じゃないよ。でも、もうすぐ移動の準備が始まるころでしょ? それなら、あたしも行かなきゃね」

「やっぱり来てくれるのか。ごめんな……」

「謝ることないよ。それに、村のみんなに付いて行こうってのはあたしだけじゃないんだよ?」


 そしてふと、ジュナがレンの後ろのルイとミヤギに目を移す。


「てことはレン、その二人は……」

「ルイとミヤギくん。リツミの呼びかけに応えてここまで来てくれたの。二人も異界人だよ」

「そっか。そうなんだな」


 そしてジュナはルイとミヤギの手を取ると、申し訳なさそうに頭を下げた。


「ありがとうな、二人とも。こんな村のためにここまで……」

「あ、ああ。どうも」


 ルイは若干引き気味に、ミヤギは訳の分からぬまま握手を受ける。


 そうだ。リツミ。

 レンとルイの会話に何度も登場した人物だが、ミヤギはすっかりその人のことを聞くタイミングを逃してしまっていた。

 この村に異界人の二人が集った理由も。


 そしてまたミヤギは、それを聞きそびれた。


 ジュナが村の中を指す。


「レン、村長に会って行けよ。久しぶりで、積もる話もあるだろ? ここらの情勢も教えてくれ」

「うん、そうするよ。リツミにも会えないみたいだし」

「そっちの二人も、是非村長に会ってくれ。外からのお客さんなら、村長も話がしたいだろうから」





「それにしても、レン以外のお客さんなんて久しぶりだなあ」


 村の中を先導してくれているジュナが、再び柔和な笑みをこぼす。

 彼のすぐ後ろを歩くレンは、反対に少し険しい表情を浮かべた。


「……やっぱりあれから集まってないの? リツミの呼びかけに応えてくれた人」

「ああ。この辺りの異界人はみんな光領に味方してるからな。港市連合にも異界人が何人か付いてたみたいだけど、それも大方おおかた光領に持ってかれたって話だ」

「そう。光領のやつら、集めた異界人をそろそろ前線に投入し始める頃かもね。そうなったらここは……」

「余裕ないな。村長も、もうすぐ移動を決断すると思う。俺たちも、だいたいの準備は出来てるんだ。ちょっと名残惜しいけど、いいって言われればいつでも旅立てる」


 二人の会話を聞きながら、ルイとミヤギも村の中を歩く。

 ルイは目当ての『リツミ』に会えなかったようだが、とりあえずレンと一緒にこの村の村長なる人のもとへ行くようだ。


 そのルイの後ろで、ミヤギは村の中をきょろきょろ見渡した。


 村の真ん中を貫く赤土の道。

 いまだ誰ともすれ違わず静かだが、ここは壁の街よりずっと生活感に溢れている。

 点々と立つ小さな家々の前に、それが感じられた。


 水が汲まれた桶が軒先に出て、そばの物干しに洗濯物がぶら下がっている。

 家の補修に使うのか薄い木の板が工具とともに放ってあった。

 畑を耕すためのくわのようなものが転がり、収穫物だろう葉物野菜が網かごに積まれている。

 この世界に来て初めて見る、集落らしい集落かも知れない。


 そして何よりこの村が壁の街と違うのは、その過ごしやすさだ。


 村の地面は乾燥した赤土だが、山の上に来たからか周りが緑に囲まれているからか気温が低く、下よりずっと快適に過ごせる。

 あくまでミヤギが見た限りだが、この広大な荒野にあって、ここが唯一人間が住めそうだと思える場所だ。


 しかしジュナという若者は、先ほどレンに『移動』とか『旅立ち』とかいう言葉を口走っていた。

 あれはどういうことだろう。


 と、何かを見つけたルイが呆けたような顔で立ち止まる。


「水だ……」


 ミヤギも、彼の視線の先を追う。


 そこにあったものはルイの言葉通り、水だった。

 段々畑の側面に開いた穴から水が流れ出し、畑に掘られた溝を伝って小さな池に流れこんでいる。

 穴から流れ出す水は澄んでいて、それを貯める池も清浄だった。


 驚いた。

 こんな山の中に緑に囲まれた村があっただけでも驚いたが、それに重ねて驚いた。

 この世界に来て初めて目にする水場だ。


 どうやらルイも同じことを思ったようで、


「すっげえ。こんな綺麗な池久しぶりに見た……」


 そんなただの水場……しかしそんなものに驚いてしまうルイとミヤギに、気付いたジュナが笑いかける。


「ここら辺、荒れ地ばっかでひどいもんだろ? 草も木も、環境に適応する前に全部枯れていった。残ったのは乾ききった大地と、人間も動物も食せない“強い”植物だけだ」

 

 気まぐれに吹き荒れるようになった嵐。

 土砂を崩し、流すためだけに降る雨。

 遮る雲をはらって、いつまでも輝き続ける太陽。


 異常気象にさらされ続け、不毛の土地となった荒野。

 生き残るものを選ぶ大地。


「ここはそんな荒野でどこにも行き場のなくなった人達が、未開の土地を開墾してできた村なんだ。川の本流から水を拝借して畑を作ってる。そのせいで街の人間からは目の敵だけどな」


 どうやらここはそれゆえの隠れ里らしい。

 この村の水源は街の人々が利用する川の上流の水なのだ。

 普通に行けば辿り着けるかどうかも分からないような山奥に集落を作り暮らしているのは、隣人から身を守るため。水の競争者から姿を隠すためなのだろう。


「最初は水も土も汚れてて、野菜を作れるまできれいにするのはずいぶんかかった。でも、ここももうすぐなんだな……」


 ジュナが何故か名残惜しそうに見上げる段々畑には、土の赤色に混じって植物の実りがあった。

 実っているものの大半は穀物、だろうか。見たこともない色をした植物が、大きな穂を垂れ下がらせている。


 そしてよく見れば、そこにはちらほら人の姿があった。

 そこかしこに見えるのは、腰の曲がった老人と、それを手伝う子ども達の姿だ。


 あれがこの村の村人だろう。


 街の住人とは異なり、この村の人々は皆、統一感のない服装をしていた。

 一様に貧しい衣服を着ていることに変わりはないが、着物の作りや色合いはてんでばらばらだ。ここが流れ者の村である故かも知れない。


 一行は村の中を進んでいく。

 人々の服装はばらばらだが、間隔を開けて立つ小さな木造の家は、村全体に共通していた。


 ミヤギが集落の中で人を見つけたのは、その家々の先。

 周りからポツンと浮いたように離れて立っている家の前でだった。


 カンカンと金属を打つ音が、ミヤギの視線をそこに向けさせた。

 見れば扉が開け放たれた小屋のような建物の前に座り、壮年にかかったあたりの男が何かを叩いていた。


 赤い色の火を灯す、先の長い金属。

 刀……だろうか。彼はこちらに目もくれず、一心にその鉄を打っている。


 小屋の奥にある窯にはごうごうと火が燃え盛り、中を照らしていた。

 ということはあそこは鍛冶場か何かなのだろう。


 白いヒゲが覆う厳しく引き結ばれた口元。

 眉間に深く刻まれたシワ。

 

 ミヤギの気配に気付いたのか、男がゆっくりと顔を上げる。


 しかし一瞬目が合ったものの、すぐに無言で逸らされてしまった。

 それからはさっきまでのように、まるでミヤギなどいなかったかのように、彼はまた一心に鉄に向かい始めた。


 代わりに、彼の傍らで窯に薪をくべていた若い女性が立ち上がって近づいてくる。

 背が高く、腕周りはジュナの倍ほどもある、筋肉質な女性だった。

 彼女は黒くすすけた、つなぎのような服の袖で鼻の頭をこすると、申し訳なさそうにミヤギを見た。


「ごめんね。親父は刀以外に興味がなくて」


 そう言うと、その人もさっさと自分の作業に戻ってしまう。

 ミヤギはしばらくポカンと二人の作業の様子を眺めていた。

 そして前を行くレン達三人と差が開いているのを見て、慌てて後を追った。




 村長の家は村の首長らしく、集落の一番奥まった所にあった。


「この時間だと、多分爺さん達も中にいるな」


 他と変わらぬ小さな家を前に、ジュナが中にいるだろう人々のことを語る。

 どうやら中にいるのは村長一人だけではなく、ジュナの言う『爺さん達』も来ているらしい。


「中の爺さん婆さん達を見て二人とも驚かないでくれよ? 昔は名うての賞金稼ぎだったとか、一城の主だったとか、歴戦の勇将だったとか……まあ、とにかくいかつい老人が多いけど、話してみたら気さくな人たちだから」

「……大丈夫なのかよ、それ」


 ジュナが示すその家の戸口は開け放たれ、暗い室内が見えている。

 そしてそこにうっすら、白い頭がいくつか並んでいるのが分かった。


 そのまま導かれるままに、異界人三人は家の前まで進む。


 そしてその家の一番奥、窓の隙間から差し込む一条の光に照らされて、一人の老女が座しているのが分かった。

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