第16話 村へ2

 そうして暗闇を下り始め、かなりの時が過ぎた。

 一体どこまで下りてきたのだろうか。

 井戸の入口では生温かった空気が、梯子を下りる度に冷えていく。


 やがて一行の足は梯子の最後の段を下りて地面に着き、縦穴から横穴に到ったことを知らされた。


 梯子を下りたその先には、地下をくり抜いて掘ったような、巨大な洞窟が広がっていた。


 外とは違う、ひんやりとした空気が鼻先を流れる。


 横穴はその下に開いた幅の広い溝に沿うように、どこまでもまっすぐ続いていた。

 梯子を下りて一方は落盤にあったような格好で行き止まりになっているが、もう一方は遠く先に続いている。

 先は暗くて見えないが、レンが照らす限りは一本道のようだった。


 地上から切り離された地下の空気を吸い込みながら、三人は洞窟を歩き始めた。

 先頭を行くのは明かりを持つレン。それにルイとミヤギが続く。

 下に開いた溝の脇を、足元を確かめながら進んだ。


 洞窟の高い天井を見上げながら、ルイがこぼす。


「下水道じゃないだろうな、これ……」

「文句言ってる場合じゃないでしょ。心配しなくても、これは多分昔この辺りに水を引いてた水路だよ。使われなくなってずいぶん経つみたいだけどね」

「へえ……」


 水路ということは、以前は下にある溝に水が流れていたのだろう。

 この地下の洞窟は、貴重な水を乾いた地表から守り蒸発を防ぐ知恵だと、レンは続けた。


「昔はここを通して耕地と市街に水を引いてたんだ。街も今よりずっと活気があったらしい。だけど、水源が枯れるにつれて人口を支えられず、廃れていったみたいだね」

「水、か。昔だったら、あんな苦労して外に汲みに行かなくてもよかったんだな」


 レンの背を見ながらルイがつぶやく。

 

 彼は数か月前この世界に召喚されたばかりのいわゆる新参者で、地理にはあまり明るくないらしい。しかしリツミという人に出会い、村のことを聞いて、何らかの共感を抱いたようだった。

 この辺りの事情に疎いながら、レンと同じくリツミという人物に会うため村へ向かっていたのだ。


 しかし行き着いた壁の街で金を稼ぐ術も食べる物もなく、生きることに窮して仕方なく水商人に雇われ、水汲みに行かされていたらしい。

 そこで彼は、炎天下で必死に働く子ども達と出会ったのだ。


「それで一緒に水泥棒ってわけか」

「まあな……」


 一人軒先で寝泊まりするうち、同じように屋根なしの生活を送る子ども達と打ち解けたのだという。

 そこからは、街で手に入れた食べ物はすべて彼らに分け、自らはほとんど水だけの生活を送っていたらしい。


 改めて先を行くルイの背を見る。

 確かに彼は、体の薄さからして一刻の猶予もなさそうな姿をしていた。

 足取りはしっかりしているが、見た目だけは今すぐ倒れてもおかしくなさそうだ。

 子ども達が彼を早く街の外に送り出したかった理由も分かる気がする。


 一行はしばらく、レンの明かりのもと、一寸先しか見えない暗闇を歩き続けた。


 長らく壁の街に留まり、この世界の街をまだ二つ、三つしか渡っていないというルイは、道すがらレンにこの辺りの情勢を聞いた。

 ちょうどいいので、ミヤギも一番後ろを歩きながらちゃっかり二人のやり取りに耳を澄ませていた。


 この地方は、やはり光領の進軍を受け、いつ陥落してもおかしくないところまで来ているらしい。

 

「光領……一体何なんだ、あいつら。前にいた街で、光領の人間だってやつに味方に付けって誘われた。やつら、見境なしに異界人を集めてる感じだったけど」


 「泣く子も黙るこの世界の最強国だって聞いたけど、まだ戦力が要るのか?」とルイが問う。


 光領。それがこの世界を制そうとする、新興の軍事大国。

 最も多くの異界人を取り込み、新たな兵器を生み出し続け、権謀術数をめぐらし政争に勝ち、ここ数年で急速に勢力を拡大した彼ら。その力を以て、今や世界の半分を手に入れているとも言われるほど。

 ミヤギはコウノからそう聞いた。


 しかしコウノの口調より、レンが光領を語る調子は重々しい。


「“光領”。『光の帝国』の領土、それを縮めて光領。正式には光の帝国の家臣や将軍たちが広げてる領土を本国と合わせてそう呼ぶんだけど……まあ、どっちにしろ『光の帝国』には変わりないね」


 光領というのは正式な名前ではなく、光の帝国という国、そしてその領土を合わせた呼び方らしい。

 その『光の帝国』――光領が、ここに進軍してきているのだ。


「その光領は、何だってこんな辺鄙へんぴな荒野を狙ってるんだ?」

「この大陸の反対側は光領に敵対する大国が塞いでて簡単には進めない。だからどうしても、防御の薄いここを通りたいんだよ」


 光領がこの荒野の地方を擁する大陸に進軍してきたのは三か月前。

 本国から、何千隻という軍艦に乗りつけてやってきたのだという。


 その光領と戦うのが、『港市連合』。侵略されつつある、こちら側のことだ。

 最早一個の国では抑えられないほどに膨れ上がった光領を抑えるため、大陸中の港市国家が同盟して防衛線を張っているらしい。

 壁の街も、その連合の一角を成すある国の傘下だ。


 しかし光領は沿岸部の街や村を一月もかけずさっさと落とし、あっという間に荒野に残るのは壁の街だけになった。

 この辺りは海に突き出す半島の形になっているらしいが、そのほとんどが光領の手に落ちたのだ。


「信じられないかもしれないけど、光領の基地の手前に広がる荒野の先には大きな港町がある。光領はそこを支配してるんだ。その港町から、大量の物資を積んだ商人が基地に出入りしてる。それがやつらの補給路だよ」

 

 川が干上がり、海側へと続かなくなって、元は壁の街と同じ港市連合に属していたその港町は光領とつながった。光領から水を買うために。

 海路を通じて、港のほとんどの飲み水が光領から運ばれてくるのだ。


 光領は武力も要さず制圧してしまったその港町を拠点とし、荒野の戦場に本国から兵と兵糧を送っているのだという。

 彼らはそうしてうまく補給線を付け、地元の部族を制圧してその施設を奪い、自らの巨大な基地に仕立ててしまった。


 そしてそこを足掛かりに周辺の街や村を攻め滅ぼし、あとは街の手前にある軍事基地が落ちれば、壁の街は本当の丸裸。

 港市連合もいよいよ喉元に迫られることになる。


「外側からもだけど、やつら港市連合側の街の中にも間者を潜り込ませてるんだ。あんたに声をかけたのはそいつらだろう。一度狙いをつけたら、光領はその地方を落とすまで抜かりないからね」

「オレを、ここを落とす『戦力』にしようとしてたってことか……」

「あんたに声をかけるぐらいだから、そいつはよっぽど切羽詰まってたんだろうけど」

「何おう……!」

「冗談だよ。……だけど、異界人は一番手っ取り早い兵力だからね。大して金もかけず、ほとんどリスクなしですぐに前線に投入できる。だから、見境なしに集めてるっていうのは間違いじゃない。使い捨てるつもりで集めてるなら、あんたでもあたしでも誰でも声をかけられるよ」


 それはコウノが語ったのとは違う、この世界の現実的な『異世界人観』だった。

 何の希望もない。戦を勝とうとする国々にとっては、ミヤギ達のような人間はただの戦力。使い捨ての駒だ。


 しかし異界人を英雄と語ったコウノの言葉より、ミヤギにはそっちの方がしっくりくるような気がした。

 この世界がまるごと戦場のような世界だというなら、異界人も過酷な扱いを免れないはずだ。生き残りを決めたい世界が必要としているのは、人ではなく『力』だろう。


 暗闇に、ルイが息を飲む音が聞こえた。


 前を行きながら、さらにレンは続ける。

 ルイを驚かそうとしている訳ではない。彼女はただ淡々と光領のことを語った。


「他の国も異界人なら積極的に登用する。でも特に光領はそれを貪欲に集めた。今もそう。集めて集めて、今や世界の半分にまで成長したんだから」


 世界の生き残りを決める戦が始まり七十年。

 その七十年ものあいだ潰し合い、滅亡と興隆を繰り返した国々の中に、彗星のように現れた最強国。光領には、異界人だけで数百人規模の軍隊が存在するという。

 そうして力を束ねて、この世界の願いをいち早く達しようとしているのが光領だ。


 しかし一つだけ勝つということは、その他は――。


「光領が歴史の表舞台に姿を現してまだ十年。でもその十年で、滅んだ国は二十や三十じゃきかない。今や名を聞いただけで人々が逃げ出す、本当の脅威だ。この地方も、貧しいながら光領相手によくってる方だよ。向こうは半ば無尽蔵に物資が手に入るんだから」


 最強国を阻むものはすべて屈服させられ、滅亡したか従属したか。

 その属国から広く食料、燃料、そして武器を集め、光領の武力は天井知らずに膨れ上がったのだという。


 今まで存在した、どの国も及ばない。どの同盟にも止められない。

 攻め込まれるほうにとっては、まさに脅威そのものだった。


 どうやらミヤギが思っていた以上に、光領はこの世界の人々にとって圧倒的な存在であるらしい。

 熟練の戦士のようなレンがここまで言うのだから、彼らの力はやはり相当なものなのだろう。


 あのとき光領の基地で振り払ったコウノの言葉が、頭の中で蘇るようだった。

 後戻りはしないが、この世界を光領に付かず歩いていくことは、窮地に自ら飛び込むのと同じようなものらしい。

 ミヤギは改めて、自分が言ったことの意味を噛みしめていた。


 ミヤギだけではない。重くのしかかるような話題に、いつの間にか一同は沈黙していた。

 お互い光領の大きさ、途方のなさを思っているのかも知れない。


 しかし一同が黙り込むのと、長らく眠っていたネズミが起き出してミヤギのカバンのポケットから顔を出すのは同時だった。


 突然ガサガサとなり出したミヤギのカバンの音に、ルイが振り返る。そしてネズミの姿を見つけて飛び上がった。


「うわっ、ビックリした!」

「起きたんだね。涼しくなったからかな」


 驚く青年をよそに、ミヤギはポケットから綺麗に顔だけ出している小動物の頭を指先で撫でる。


 本当にずいぶん長い間眠っていた。

 歩きながら、なかなか目を覚まさないので内心心配していたのだ。


 しかし長く眠ったお陰で体力が回復したのか、地下の暗闇の中でキョロキョロと動くネズミの頭は、今までよりずっとせわしなく元気そうだった。

 今だ驚いた体勢のままのルイを置いて、ミヤギはホッと息をつく。


 その様子を、ルイは目を丸くして見守っていた。

 先を歩いていたレンも、急に騒がしくなった後ろの二人の様子に足を緩める。そして、手の中の明かりでネズミの鼻先を照らした。


「子ネズミ、かな? ミヤギくんの相棒?」

「相棒……。荒野でたまたま見つけたんです。勝手にここまで連れて来ちゃったけど、よかったかな」


 相棒という言葉に戸惑うミヤギをよそに、ルイがまじまじネズミの姿を覗き込む。


「しかしそんなのがカバンに入ってるなんて、ぜんぜん気付かなかったぜ」

「大怪我をして弱ってたからね。まだじっとしてることが多いんだ」

「かわいい子だね。名前はあるの?」


 レンも興味津々といった感じで、ミヤギのポケットから顔を出すネズミを見ている。

 ネズミの方も無邪気な二人に警戒心を解いたのか、ゆっくり顔を外に出して目の前の人間の匂いを確かめているようだった。


「名前、まだないんです」

「そうなんだ。付けてあげないの?」

「うーん。名前、名前か……」


 そういえば出会ってからずっと、心の中で彼をネズミネズミと呼んでいる。

 いつか放すつもりで連れてきたが、それまでの間、何か他に呼びやすい名前があってもいいかも知れない。

 どんな名前にしたものか……。


 ミヤギが、ぱっと思いついた名前を告げると、目の前の二人は何故か二人とも苦い顔で絶句した。


「ミヤギ、それ本気で言ってんのか?」

「あ、案の一つってことだよね? まさかそんな名前にしないよね」


 悪い冗談を聞いた後のように、その顔は思いっきり曇っていた。

 ミヤギとしては冗談のつもりではなかったので、そんな二人の様子に困惑するほかなかったが。


「え? ……え? ダメでした?」

「ダメというか、ありえないというか……。え? まさかミヤギくん、さっきの本気で……?」


 闇に浮かび上がるレンの顔が再び曇る。


 そうこうしている内に、彼女の行く先から光が差し込み始めていた。洞窟の外、地表からの光だった。

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