第15話 村へ1

 先を行くレンの背で、大剣が揺れている。


 彼女の肩から飛び出す大剣の柄と不思議な左右長さ違いの三つ編みのコントラストは、砂埃が舞う街に現れた日常と非日常の象徴のようだった。


 太陽が昇りきり、すっかり影もなくなった街の通りを、ミヤギは二人の若者と、少年一人と一緒に歩いていた。

 少年が知っているという秘密の抜け穴を通って、これから街の外へ出るのだ。


 ミヤギがこの世界に来てからずっと目標にしていた、『村』へ行くために。


 この世界の戦災を逃れてきた者が集う隠れ里。

 コウノが示してくれた、この世界でミヤギを助けてくれそうな場所。


 色々あったが、やっとそこへ向かうのだ。


 そしてもともとミヤギ一人で目指していたその場所に、今は旅の道連れがいる。


 街の入り口で助けてくれた用心棒の女性レンが加わり、行きずりに出会ったルイという青年も最終的に一緒に村まで行くことになった。


 詳しくは分からないが、二人は『リツミ』という人を頼って村へ行くらしい。

 どうやらレンは、ミヤギもそのリツミという人に呼ばれて村へ向かっていると勘違いしているようだが、何も知らないミヤギは実質二人に付いていく格好になる。


 偶然が重なったのか、村を目指す三人はともに異界人。

 それともやはりこの世界では、ミヤギのようにこことは違う世界、別の世界から連れ込まれた人が珍しくないのだろうか。

 いずれにせよ、同じ目的地を目指す連れを得たことは、今のミヤギにとって大きな助けだった。


 砂埃の積もった道を異界人三人と、道案内のために付いてきた街の少年バクが進んでいく。


 バクの仲間――水泥棒の子ども達が水を分けてくれたお陰でレンの給水の手間も省けて、これから彼女とルイ、そしてミヤギの三人で荒野へ踏み出すのだ。

 といっても街の門は閉め切られ常に見張りが立っているので、外に出るには抜け穴を使わなければならない。

 子ども達はその抜け穴の場所をよく心得ているようだった。


 しかし目立つのを避けるため他の子ども達は置いて、抜け穴まではバク少年一人に案内してもらうことになった。

 利発な彼は、兵士や他の住人のいる道を的確に避けて、青年達をその場所へと導いてくれる。


 抜け穴へと向かう道すがら、ルイは途切れることなくバクに話し掛けていた。

 少年はすでに何ともなさそうな顔をしていたが、やはり先程の彼の母とのことが気になっているのだろう。


 青年は身振り手振り、他愛のない話をして何とか少年を笑わせようとしている。

 ミヤギは後ろからそれを見守った。


 しかしバクは年上の仲間に励まされるまでもなく、本当に何事もなかったように穏やかに振る舞っている。

 彼の冷静な態度に、逆にルイの方が困惑しているくらいだ。


 そうして一行は家々の並ぶ通りを歩き、平屋と平屋の間に目立たずたたずむ、ある小屋の前までやってきた。


 少年は辺りに他の人間がいないか周到に確認すると、引き戸を開いてその中へと入る。

 レンとルイ、ミヤギも急いで中に入った。


「ここだよ。ここから街の外に出る道に下りられる」


 少年がつぶやく。

 屋根に開いた隙間から漏れる陽光が照らす小屋の中には、古びた井戸のようなものが一つ。

 少年はどうやらそれが抜け穴の入口だと言いたいらしい。


 しかし、石造りの井戸の上部には分厚い鉄の蓋が乗せられ、隅は巨大なボルブで固定されているようだった。


 井戸の上に手を触れてルイが首をかしげる。


「下りられるって、ふさがってるんじゃねえか? この井戸」


 その言葉に、少年は井戸をふさぐ蓋の端に手をかけた。そしてルイに蓋のもう片方を持つように言うと、すっとそれを持ち上げる。

 きつくしまっているはずのボルブが、少年とルイが蓋を持ち上げると同時に音もなく抜けた。


 そして蓋の下に、地の底へと続くような、真っ暗な穴が現れた。

 大人一人余裕で通れる大きさの、丸い穴。下からわずかに風が上がってくる。


 縦穴の側面には等間隔で幅の広い取っ手が埋め込まれ、それが梯子はしごのようになって下まで続いている。

 ずいぶん年月が経っているもののようだが、気を抜かなければ何とか下まで下りられそうだ。


 井戸の内部を確かめて、レンは感心したようにため息をついた。


「なんだ、開くんだ。けどこんな所にこんな穴があったなんて、全然知らなかった」

「大人は皆この蓋が開けられないと思ってるけどね。……多分、ここを逃げ出したかった港市連合の兵隊がこっそり通ったんだ。外に逃げて無事だったかは分かんないけど」

「そうだね。あたし達も気をつけないと」


 貴賎を問わずどんな人間でも、水なしではいられない。

 水商人は街の為政者とつながっているため門の開閉も自由。銃をぶら下げて歩くのも自由だった。


 しかしそれ以外の人間が街の外に出ようと思うときは、地下に開いた抜け穴をこっそり通らねばならない。

 いくつかの穴は街の住人が逃げ出すのを阻止するためにふさがれてしまっているが、それでも港市連合の兵士が把握できていない出入り口がまだ無数に存在するという。

 ここもその一つだ。


 しかし壁の周りは上から港市連合の兵士が見張っている。

 外からの侵入者を警戒するため、そして中にいる街の住人や兵士が逃げ出すのを防ぐために。


 故に、勝手に抜け出せば、街の人間だろうとかまわず撃たれる可能性がある。だから街の外へ出るのは結構リスクが高いのだと、レンは言った。

 おまけにこの街の周りには光領の兵士がたびたび偵察に現れる。外に出れば彼らに見つかってしまう危険も待っているのだ。


 だがそうは言ってもこのまま街に留まり続けるわけにもいかない。


 それが分かっているだに、ミヤギはゆっくり井戸の入口へと近付いた。

 これが街の外へ出る道だというなら行かなければ始まらない。


 しかしいざ下りようとすると、垂直に暗闇へ伸びる穴を前にルイが顔をしかめた。


「大丈夫なのか? この穴。オレも初めて来るけど」

「子どもだけの秘密の出口だからね。おれもよくここを通るけど、安全だよ」

「よく通るってバク、お前まさか一人で街の外に出てるんじゃ、」

「この道の出口までだよ。子どもには探険が必要なの」

「……リスクの高い遊びだな。てか、ほんとにこの先に外につながる道なんてあるのかよ?」

「もう、神経質だなあ。入ってみれば分かるよ。こっそり街を出るならこれくらいの度胸がなきゃ」


 ルイの慎重さに呆れたようにバクがため息をつく。


 しかしルイではなくても一応先を心配する見た目ではある。

 底が見えない。


 奈落とはこういうもののことを言うのだろうか。

 眼下にはただ闇が垂れ込めているだけだ。


 しかしこんなときでも肝が据わっているのはレンだった。


「迷ってないで前進、前進。子どもが大丈夫だって言ってるんだから、大人が情けない顔しないの」


 背負ったずだ袋の中から、何やらレンが取り出す。どうやら道を照らす照明器具のようだ。


 光領の基地で見たのと同じような一個のランプ。

 白く光る球体から直接ヒモが伸びて、手にさげられるようになっている。

 まるで大粒のガラス玉のペンダントがそのまま光っているような見た目だが、白熱電球一個分くらいの明るさがある。これならこの暗闇も照らせるだろう。


 そして彼女は大剣が穴につっかえないように、背中から外して腕に引っ掛けた。

 そのまま颯爽と井戸の中の梯子に足をかけ、強度を何度か確かめると、躊躇いなく奈落を下り始める。


「ありがとね、少年。君も気をつけて帰るんだよ」

「うん。どういたしまして」


 かんかん梯子の音を響かせながら言ったレンに、バクが答える。

 ミヤギも彼女に続いて梯子につかまった。

 暗闇へと、一歩足を出す。


 しかしその中で、ルイだけはいつまでも井戸の前に立ったまま、下りるのを渋っていた。


「ほら、兄ちゃんも早く。大丈夫だって、ちゃんとこの先から外に出られるから」

「あ、ああ……」

「気をつけてね」


 バクがルイに手を振る。

 しかし、それを映す青年の瞳は複雑な色に揺れていた。


 穴に入りかけていたルイは、不意に後ろを振り返った。

 何事かと、梯子を下りかけていたミヤギは様子を見守る。


「バク、お前、今日はオレたちと一緒に来るか?」


 そして意を決したように、ルイは少年にそう言った。


 少年は突然の言葉に面食らったように、何も言わなかった。そんな彼に向けて、ルイは途切れ途切れだが先を続ける。


「お前だけじゃなくて、他の連中も一緒に街を出りゃいいんだ。その方が……。だってお前の親、あの調子じゃ……」


 どうやら彼が気にしていたのはこれから行く穴の安全性ではなく、バクが帰る場所のことだったようだ。


 それはミヤギと、おそらくレンも気にかかっていたことだろう。


 ルイも含め、三人は異界人。

 この世界に根を持たないいわゆる旅人のようなものだ。

 しかしバクは、あの母の待つ家に帰らなければならない。


 バクに水の袋を投げつけ、力の限り罵ったあの女性のもとに。


 揺れるルイの瞳がバクを見る。


 バクは一瞬何か言いたげに口を開いて、しかしすぐに閉じた。


「ありがと、兄ちゃん」


 そして次の瞬間向けられた笑顔は、すべての苦悩を隠すように。


「でもおれ、母さん心配だから」

「だ、大丈夫なのかよ。だってあの人、」

「大丈夫だよ。――あの人には、おれしかいないし」


 追いすがるルイの背を、バクがどんと押す。


「兄ちゃんにはやらなきゃいけないことがあるでしょ? おれ達のことはいいから、さっさと行った、行った」

「そう、そっか。……ごめん、オレまた何もしてやれねえな」

「いいんだって。ほら、早く行きなよ兄ちゃん」


 いまだ心配そうな顔をしながらも、気丈に放たれた少年の言葉にルイはやっと穴の中へ踏み込んだ。


 バクを見上げながら、暗闇を下へ、一歩ずつ梯子を下りていく。

 少年の顔は、井戸の丸い穴にどんどん小さく見えなくなっていく。


 しばらくして、レンの明かりを頼りに奈落を下る三人の頭上から、縦穴に声が響いた。


「兄ちゃん、ありがと! おれ、うれしかったよ」

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