第14話 壁の街5

 小さな背は、通りを行った先ですぐに見つかった。


「バク……」


 ルイが静かにその背に歩み寄る。

 彼の家から数軒行った軒先で、バクはこちらに背を向けて立ち止まっていた。


「ごめん、兄ちゃん。あの人、ちょっと疲れててさ」


 冷静な声音で、バクが呟く。

 母を『あの人』と呼ぶその横顔は、すでに子どものものではなかった。


 すぐ近くに立ったルイに目も向けることなく、少年はそのまま、その場に立ち尽くした。

 怒るでもなく、泣くでもなく、ただそこに立っていた。


 ルイも、何も言わずただ彼の側に立っていた。


 レンとミヤギも、何も言えなかった。

 突然襲った衝撃に、掛ける言葉が見つからない。


 水商人の襲撃。それ以上に先程の痩せた母の言葉が、全員の思考を鈍らせていた。


 今でも飲み込みがたい。この少年に起きた出来事が。

 そしてこの少年とその母の関係が。


 皆しばらく黙ったまま、太陽がカラカラに照らす乾いた通りに影を落としていた。

 



 通りに落ちる影が短くなっていく。


 少年を見守る三人は、言葉もなく通りに立ち尽くしたままだった。


 バクの家に押し入った水商人を退散させることには成功した。

 武器を向けられはしたが、誰もケガはしていない。


 難は去った。

 しかし……。


「バク! 兄ちゃん!」


 通りの向こうから先程の水泥棒の子ども達が駆け寄って来る。

 ことの顛末を心配したのだろう。

 皆一様に不安げな顔をして、砂埃を蹴立ててくる。


 しかしバクとルイが無事なのを確認すると、彼らは安心したように二人を取り囲んだ。


「バク、大丈夫?」

「水商人は追っ払ったんだな。すげーじゃん」

「ああ、びっくりした……。じゅみょうが縮まったよ」

「兄ちゃんがあいつらをやっつけたんでしょう? やっぱり兄ちゃんは強いね」


 感想はそれそれだが、皆口々に仲間の少年が無事であることに安堵の言葉を漏らす。

 そこでバクはやっと顔を上げ、かすかにだが青白い顔に笑みを浮かべた。


「……うん、みんなありがとう」


 ルイもその様子にほっと息をつくと、レンとミヤギに向き直った。

 そしてそっと、神妙な面持ちで頭を下げる。


「本当に悪かったな、二人とも……えっと」

「あ、ああ、あたしはレン。こっちはミヤギくん」

「レンとミヤギね。あんたらが通りかかってくれてよかったよ。お陰で助かった」

「うん。力になれたなら良かったけど……」


 ルイはどこかまだ青い顔をしていたが、レンの言葉に微笑んだ。


「どこに行くのか知らないが、旅の途中だったんだろ? 後はオレたちだけで大丈夫だ。行きなよ」

「そうだね。いつまでもこんな所に立ち尽くしてられないね」


 青年の言葉に、レンも無理矢理気をとり直すようにミヤギを振り返る。

 それから彼女は、申し訳なさそうにこれから行く先のことを話した。

 予想外の出来事に、目的地を変更しなければならないことを。


「ごめん、どうやらもうこの辺りで給水は出来ないみたい。水商人にケンカを売っちゃったからね。あたしは街の奥にある別の給水所まで行くよ。ここから結構かかるけど、ミヤギくんはどうする?」

「リツミさんに付いていきます。まだ聞きたいこともありますし」

「そっか。そういえば、なんか色々あったけど、ミヤギくんは結局どこに向かってるんだっけ?」


 そうだ。

 ミヤギにもまた、目指す所があった。

 そこへ行くために、レンに聞かなければならないことがあったのだ。


「この街の外れにある、『村』まで行きたいんです」


 その言葉に、沈んでいたレンの瞳が大きく見開くのをミヤギは見ていた。


「村? てことは君、まさかリツミの呼びかけに応えてここまで来てくれたの?」


 そのまま彼女は身を乗り出すようにミヤギに問いかける。

 しかしミヤギには、レンの言ったことが何のことやらさっぱりだった。


「リツミの、呼びかけ?」


 リツミ……人名だろうか。

 その人の、呼びかけ?

 それが村と何の関係があるのだろう。


 両肩にしがみつく勢いのレンを前に、ミヤギはひたすら一人で困惑した。


 しかし彼女の言葉に反応したのは、ミヤギだけではなかった。


「リツミ? あんた、リツミって言ったのか?」


 混乱するミヤギの代わりに、まだその場にいたルイが二人の会話に割って入ってくる。


「リツミって、まさかあのリツミか?」

「あんたもリツミを知ってるの?」


 予想外に食いついてきたルイに、レンが目を丸くする。

 ルイは若干興奮ぎみに、つかつかとレンの前まで歩み寄った。


「ああ、こっから二つ前の街で会ったんだ。この世界に来たばっかだったオレを助けてくれた。これから“帰る”ところだって言うから、どこに帰んのか聞いたら、その村のことを話してくれたんだけど」


 拳を握りながら話す青年は、ここから近い街でそのリツミなる人に出会い、恩を受けたらしい。

 そして『村』の存在を聞いたようだった。


「オレもそこに行こうとして旅してたんだ。でも、まさかその村がこの近くなんて……」

「街の連中、村のことは口にしたがらないからね。あんたの乗った馬車は正しかったよ。……でも、よかった。リツミの呼びかけに応えてくれた異界人が二人も!」


 ミヤギを置いて、レンとルイはきらきらとした瞳で話を進める。


 リツミ。

 村の住人の一人だろうか。


 レンとルイは、その人に呼ばれて旅をしていたらしい。

 ミヤギにはまだ何が何やら飲み込みがたいが、どうやらここに偶然、『村』を目指す三人が集まっていたようだった。


 全員、目的地は同じなのだ。


「じゃあ、あたしとミヤギくんがこれから行く先は同じだね。あんたは……」


 そこでレンはルイと、その奥にいる子ども達を見た。

 青年は困惑したように、その視線を受ける。


「オレはまだ……」


 ルイがバクを見る。

 恐らく彼の身を案じているのだろう。

 そして他の子ども達のことも。


 そう。彼には一か月もの長い間、この街で守ってきたものがある。

 

 しかしその視線に、バクはかすかに微笑んで首を振った。


「いいよ、兄ちゃん。そこに行きたかったんでしょう? それに、もうおれ達だけで大丈夫だよ。兄ちゃんが来る前は、自分達で何とかしてたんだから。今日のことで、あの水商人とも手が切れた。これからは自分たちのためだけに水を汲みに行ける」


 それは、子どもが浮かべるにはしたたかな瞳だった。


 集まった子どもたちも、すぐにバクの言葉に賛同した。

 迷う青年の背を押すように、皆まっすぐにルイを見つめる。


「おれ達なら平気だからさ。それよりも、このままここにいたら兄ちゃんが死んじゃうよ」

「そうだよ。兄ちゃんには行かなきゃいけない場所があるんでしょう? あたしたちとの泥棒ごっこはもうおしまい。早くいってらっしゃい」

「お前ら……」


 ルイの瞳が揺れる。

 そんな彼をよそに、子ども達の方は気丈な姿を崩さなかった。


「兄ちゃん、おれ達を見くびらないでよ。おれ達もこの街の住人なんだから、ここでどう生きていけばいいかは兄ちゃんよりよく知ってる」

「そうよ。あたし達はもう大丈夫だよ」

「……レーラ」

 

 青年はしばらく、子ども達の顔を一人一人見つめていた。


 しかししばらくすると、彼は意を決したように子ども達に背を向けた。

 改めてレンに向き直る。

 そして唐突に、街から村までの行程を問うた。


「こっから村まで、どれくらいかかる?」

「往復半日だね。あんたの――異界人の足ならもっと早いかも」

「……何で往復で教えてくれたんだよ」

「村に行った後、この街に戻ってくるつもりなんでしょう? あの子達が心配なんだ」

「リツミにもう一回会って、それから決めたいんだ。村の連中とかどうか」

「そうだね……。これはそう簡単に答えの出ることじゃないだろうから」


 レンの言葉に一度頷くと、ルイは自分の背を見守る子ども達を振り返った。


「遠くに行く前に、必ずここに帰ってくるからな……」

「心配性だなぁ、兄ちゃんは。大丈夫だって言ってるのに」

「……るっせー。オレの元いた世界じゃ、子どもは心配されて然るべきなんだよ」


 そして揺れていた瞳を今度はまっすぐレンに向け、ルイは言った。


「オレもお前らに付いていく。一時の供かも知れねえが」

「そう。ならあんたも一緒に来るといいよ。先をどうするかは村を見てから決めるといい」

「ああ……」


 いまだ完全には煮え切らない様子で、ルイがつぶやく。

 そんな彼に、子ども達の内の一人が声を掛けた。


「兄ちゃん、これ」


 一人の少女が、抱えていた大きな袋をルイに差し出す。

 それは彼が最初に背負っていた水の袋だった。


 気付いたルイは、それを少女に押し返した。


「ダメだ。これはお前らのために盗んできたんだから……」

「ううん、持っていって。あたし達が兄ちゃんにできるお礼、これくらいでしょ。そっちのお姉ちゃんと、ひょろっとしたお兄ちゃんにも分けてあげてね」


 そう言いながら彼女は強く水の袋をルイに押し付ける。

 しぶしぶ、彼は袋を腕の中におさめた。


「気をつけてね、兄ちゃん」

「ありがとよ……」


 小さな少女の視線に、ルイはもう泣き出しそうなくらい声を震わせている。


 それを見ながらいたたまれなくなったのか、バクは彼から視線を外すと、様子を見守っていたレンに声を掛けた。


「姉ちゃん、姉ちゃんはこの街を出る抜け道を知ってるんでしょう?」

「うん。この辺りからなら、西の監視塔の下が近いと思うんだけど」

「そこは最近見張りが厳しいよ。おれがいい抜け穴まで案内してあげる」


 先程までの惨状など嘘だったかのように明るく微笑んだ少年に、ルイが申し訳なさそうに目を伏せた。


「悪いな、バク」

「ううん。旅立ちのときだね、兄ちゃん」

「ああ。でもオレは、またここに戻ってくるから」

「もう……分かった、分かった。そこまで言うなら兄ちゃんの好きにすればいいよ。おれも兄ちゃんのこと忘れてなかったら待っててあげるから」


 おどけたように、バクが肩をすくめる。その様子にレンが噴き出し、ルイは眉間にシワを寄せた。


 ミヤギも、いまだ困惑の中にありながらも、その光景を微笑ましく見守っていた。

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