第13話 壁の街4
バクは砂埃を蹴り上げ、猛然とどこかへ走っていく。
追いかけるルイの声も届かない。
大きな通りを外れ、狭い路地を駆ける。
小さな体は家々のわずかな隙間を通り抜け、不規則に前を進んでいく。
そのため付いて行くのには、かなりの労力を要した。
そして走り始めてしばらく。
バクは戸口が開きっぱなしになっている貧しい家の前まで来ると、躊躇わずその中に踏み込んだ。
「母さん!」
戸口に立った少年が叫ぶ。
一拍置いてそこまでたどり着いた三人は、家の中に広がる光景に思わず足を止めた。
銃を突きつけられているのだ。
幼い乳飲み子を抱えた、若い女性が。
銃口を向けるのはよく焼けた肌をした筋肉質な男。
バクの母であるらしい女性は息子の声には答えず、ただ部屋の隅に丸まって目の前の男の狂気に怯えていた。
そしてその赤子を抱えて震えるだけの母に、男が怒鳴りつける。
「てめえのガキのおかげで俺たちは……。この落とし前、どうつけてくれるつもりだ?」
「い、命だけは……!」
決して広くはない部屋の中には男が三人。
肩を怒らせ、三人がかりで女性を取り囲んでいた。
この男たちは、先程の水商人の仲間だろう。
彼らと同じく、視線だけで人を刺すような、真っ赤に血走った目をしていた。
しかしさっきの水商人よりも一層体格がよく、女性の最も近くに立つ男は火器を手にしている。
荒野で何度か目にしたのと同じような長銃だ。
その水商人たちの一人、戸口の近くに立つ男がバクの姿をみとめて口を開く。
「おい、兄貴。ガキが帰ってきたようだぜ?」
「ちょうど良かった。おいガキ、これから起こることをよく見とけよ? お前の行いが何を招いたかを」
兄貴と呼ばれた銃を手にした男は、バクの母に狙いをつけたまま、不敵に笑ってみせた。
男が銃の引き金に指をかける。
「やめろ、水商人!」
男たちと母の間に立ち塞がるように、バクが割り込んだ。
小さな体に渾身の力を込めて、少年は目の前の水商人を睨む。
しかし、
「邪魔だ、ガキ!」
男の腕が伸び、バクの体が宙を舞う。
そのまま戸口へと投げ返された彼を、地面に叩きつけられる直前でルイが受け止めた。
「兄ちゃん……」
「大丈夫か、バク!? くそっ、お前ら!」
怒りをたぎらせながら、今度はルイが水商人へと突っ込んでいく。
しかしその勢いは、見事に相手に利用された。
「ぐっ!」
水商人の一人がルイに足をかける。
思わぬ所に現れた障害物に、彼は走り出した勢いのまま倒れ込んだ。
その首筋に間髪入れず男が銃口をそわせる。
「なんだ、ガキどもを煽ってる能無し野郎じゃねえか。てめえもすぐに縛り上げて荒野に捨ててきてやる」
その前にガキの親を教育しねえとな、と、男は銃を構え直す。
引き金に指をかけながら、ゆっくりとバクの母の方に振り向いた。
しかし男が振り向いたとき、
「ああん? なんだ、てめえは?」
「銃を下ろして、ここから出て行って下さい」
そう、最終的に両者の間に割り込んだのはミヤギだった。
ルイが転ばされる間に、うまく部屋の中に入り込めたのだ。
唐突に現れたミヤギに、男たちは困惑の表情を浮かべた。
「誰だ? こいつの仲間か?」
「出て行って下さい」
なおも男の前に立ち塞がったまま、ミヤギはもう一度繰り返した。
男たちが目を見交わす。
レンとルイも、ひ弱そうな青年の行動を驚きの表情で見ていた。
「ミヤギくん……!」
「お前……」
そしてその間に、突然のミヤギの登場に困惑していた男たちは、目の前の面倒を片付けた方が早いと判断したらしい。
銃を持った男は、今度は狙いをミヤギにつけた。
「チッ、おかしな野郎がしゃしゃり出てきやがって……」
強烈な視線でミヤギを睨みつけながら男が言う。
血走った目が、見つめる青年の視線を焼き尽くすように捉えた。
引き金に指がかかる。
レンとルイが息を飲む音が聞こえた。
「まずはてめえから穴だらけにして、」
しかし、男は何故かそこで言葉を切った。
切らざるを得なかったという方が正しいだろう。
「出て行って下さい」
ミヤギはなおも立ち塞がったまま。
そしてじっと見つめる彼の視線に、段々と男の表情が曇っていく。
男が次の言葉を発するまで、ずいぶんと間があった。
「なんだお前、気持ち悪い……」
本当に心底気分を悪くしたように、なぜか男は額に冷や汗を流し始めた。
銃を持つ手がガタガタと震え出す。
その隙を逃さず、レンが男の背に剣先を突きつけた。
「そこまでだよ、水商人」
「ちっ、厄介なヤロウが……」
汗を流したまま、青い顔で男が後ろを振り向く。
どうやらこの水商人はレンの顔を知っているらしかった。
彼女がどれほどの腕っ節の持ち主かも、よく分かっていたようだ。
男は苦々しげに舌打ちすると、仲間を連れてさっさと戸口を出て行ってしまった。
バタバタと、銃をぶら下げて路地を去っていく。
皆しばらくその背を見送った。
部屋の中に静寂が下りる。
それを破るようにレンが口を開いた。
「このレンさんが付いていると知ったなら、やつらもしばらくは手を出してこないでしょう。少年、大丈夫?」
「うん。ありがとう、姉ちゃん」
戸口の近くにしゃがみ込んでいたバクは、レンの言葉に笑みを浮かべながら顔を上げた。
結構な力で男に投げ飛ばされていたが、どこもケガはないようだ。
それを見てやっと、ミヤギも上げていた肩を下ろした。
どうやら難は去ったらしい。
「痛っ、あいつら無茶苦茶しやがって……」
地面が剥き出しの床から、拳を握りながらルイが起き上がる。
口の端が悔しげな形に歪んだ。
彼はそのまま、側にいたレンと視線を合わせる。
「それにしても、あんた一体……」
「何者って顔だね」
「マジで何者だよ、水商人を顔だけで追っ払うとか。……けど、あんたの言う通りだったな。やつらがこんな所に報復に来るなんて」
どうやら水商人達は水泥棒の一員、バク少年の居所を知っていたらしい。
彼の家を襲い、その中にいた彼の母親に報復を試みたようだった。
レンは腕を組み、胸を反らしてルイに横顔を向けた。
「ミヤギくんに感謝しなよ? ミヤギくんが割って入ってくれなきゃ、あたしも間に合ってなかったかも知れない」
その言葉に、床から起き上がった青年は素直にミヤギを振り返った。
そして、歯切れ悪くも礼を口にする。
「その……ありがとな。お前、なまっちろい顔して結構度胸があったんだな」
「ああ、うん。気付いたら飛び出してた……。ごめん、考え無しだったね」
「何で謝るんだよ。結果的にあいつらを追い払えたんだから」
そこでルイは、部屋の隅に目を移す。
さっきから部屋の隅で、女性……バクの母は顔を伏せ震えたままだった。
腕の中の赤ん坊を相変わらずきつく抱きしめている。
その母に、バクがゆっくりと近づいていった。
そして彼女に、自分が背負ってきた水の袋を差し出す。
袋の中で、水がたぷんと音を立てた。
「母さん、水だよ」
母を落ち着かせるように、少年は小さな声で呟いた。
そう、彼女の目の前の恐慌は去ったのだ。
母は肩を震わせたまま、かすかに息子へと視線を向けた。
どこか虚な瞳がバクの姿を捉える。
少し間を置いて、彼女の細い手が水の袋へと伸びた。
そして。
水の袋が、少年へと投げ返される。否、それは投げ返すという優しいものなどではなく、当たったバクの体を弾き飛ばすだけの威力があった。
小さな体が、衝撃を受け止めきれず後ろに倒れる。
皆、唖然としてそれを見ていた。
袋を投げた女性は、その腕を伸ばしたまま無言で少年を見ている。
もう片方の腕の中にいる赤ん坊は、ぐったりとして泣き声も上げなかった。
空気を凍らせるような静寂が、部屋の中を襲った。
それゆえ袋から流れ出す水の音が、やけに大きく聞こえたのだ。
バクが倒れた瞬間、無残にも袋の中身は床にぶちまけられていた。
埃っぽい地面が一気に水を吸う。
少年達の苦労が、一瞬の内に残らず流れ出していった。
その床から、よたよたと、バクが起き上がる。
母親は目をむいてそれを睨んだ。
「お前が汲んできた水なんているかっ! 早くっ! 早く私の目の届かないところまで行っちまいな!!」
それは聞いている者に戦慄を走らせるほどの金切声だった。
さっきまでの弱々しい姿とは打って変わって、真っ赤な瞳を血走らせた母は、鬼のような形相で息子に叫んでいた。
「あんたのせいでいつも私はっ……! いいから早く出ていきな!」
それから彼女は、すがるように腕の中の赤ん坊を抱き直した。痩せた小さな体を、同じく痩せ細った女の腕がきつく抱きしめる。
「おお、よしよし。この穀潰し、私たちを殺そうとしたんだよ。なんて子だろうねえ。もう私には可愛いお前だけだよ……」
弱々しい声は、腕の中の赤ん坊に届いているのかいないのか、バクの兄弟は一声も上げることはなく、ただされるがままにされるだけだった。
その様子を見守りながら、バクもまた、何も口に出すことなく静かに立ち上がった。
青い顔をしているが、苦悩や悲しみの表情はない。
そしてそのまま、自らの家を出ていった。
「バク!」
我に返ったルイが慌てて後を追う。レンとミヤギもそれに続いた。
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