第12話 壁の街3

 通りに響いた、陶器の割れる乾いた音。


 続く声は、静かだった街に波紋をもたらすようだった。


「おい、お前ら早く……!」


 ミヤギの行く手の斜め前。


 走る勢いでかめを蹴っ飛ばした男は、後ろに向かって焦るように叫んだ。


 そう、大きな空瓶が置いてあった路地の出口から、若い男が飛び出してきたのだ。

 その肩には、背中の中程まで垂れ下がる巨大な布袋。液体でも入っているのか、底のほうがぱんぱんに膨れている。

 男が動くたび、たぷんたぷんと水の跳ねる音がした。


 そして彼に続いて、路地から五、六人ほどの少年少女が飛び出してくる。

 皆一様に、自分が持てるだけの大きな水袋を担いだ、貧しい服装の子どもたちだった。

 全員歳は十にも満たないだろう。そんな子どもたちが、ボロ着をひるがえしながら、必死の形相で駆け走っていく。


「待てー! このクソガキども!」


 そして彼らが駆け出てきた直後、それを追いかけて通りに響く怒声。

 青年と子どもたちが出てきた路地の裏から、天も割らんばかりの男の怒鳴り声が聞こえて来るのだ。

 その声を背に、水の袋を下げた青年と子ども達の足は速まった。


 そして青年達に続いて、怒声の声の主が路地から飛び出してきた。


 この街に来て久しぶりに目にした体格のいい男たちが、麻の服を汗で濡らしながら、鬼のような形相で青年達の後を追っていく。

 全部で五人はいるだろうか。

 そのすべてが拳に筋を浮かべながら、恐ろしい勢いで子ども達に迫っていくのだ。


 いつの間にか人気のない通りで、青年と子ども、それを追う男たちの逃走劇が繰り広げられていた。


 最初は中々に距離があったが、通りに出た途端それも縮まり、両者の間が詰められていく。

 子ども達の最後尾を走る小さな少年の背に、いかつい男の手が迫った。


「危ない、シュンサク!」


 それに気付いた先頭の青年が声を上げる。


 そして彼は子ども達を先に行かせると、自ら列の後ろに立った。

 追跡者たちの前に立ち塞がるように仁王立ちする。


 それに構わず、追跡者の男は腕を振り上げながら彼に突っ込んでいった。

 しかし青年は男の拳をすんででかわし、代わりにその腹に横なぎに蹴りを入れる。

 液体をたっぷり入れた袋を下げているというのに、その動きはやたら俊敏だった。


 強烈な蹴りを見舞われた男が、呻きを上げながらその場にくずおれる。

 虚をつかれた後ろの男たちの足が止まった。


「今だ、走れお前ら!」


 青年が子ども達に声を掛け、自らも再び走り出そうときびすを返しかける。


 しかし、


「そこまでだ、盗人ども!」


 立ち止まる男達のさらに後方。路地の裏から、別の男が姿を現した。

 その腕に、幼い少女を捕えながら。


「に、兄ちゃん……」

「へっ、手こずらせやがって」


 年端も行かぬ小さな少女が、その男の腕に締め上げられてもがいていた。


「レーラ!」


 青年が少女に向かって叫ぶ。

 しかしそれを聞いた男は、ますます少女を締め上げる力を強めた。

 宙に浮いた小さな足がバタバタと空気を蹴る。

 男はそれに構わず、犬歯を剥き出した口から低く言葉を吐いた。


「ガキが、舐めたまねしやがって……。こいつは見せしめだ」


 男の懐から、鈍い光を放つナイフが取り出される。

 次に起こることを察したのか、青年の顔から血の気が引いた。


「やめろっ! その子を離せ!」


 彼の叫びもむなしく、錆びたナイフは少女の胸の前へと振り上げられた。


 男の腕を止めようと、青年が突進していく。

 ミヤギも思わず一歩踏み出していた。


 すべてがスローモーションのように過ぎていた。

 ダメだ、この距離では二人とも間に合わない。


 少女の胸へとナイフが振り下ろされる。

 彼女が叫び、青年の表情が苦悶へと変わっていく。


 ……しかし、その凶器が少女を傷つけることはなかった。


「がっ!」


 突然、ナイフを持つ男の腕が無理矢理背中側へと引っ張られる。

 引っ張る力が相当強いのか、ぎりぎりと音を立てて捻られた腕から、からんとナイフが落ちた。

 隙をついて、激痛に顔を歪める男の腕から少女が逃げ出す。


「兄ちゃんっ!」


 そのまま少女は、走り寄ってきた青年の腕の中へと飛びついた。

 青年がしっかりと彼女を抱きとめる。


「レーラ! ごめんな」

「怖かったよ、兄ちゃん……」


 逃げ帰ってきた少女を、青年と子どもたちが取り囲んだ。


 男の後ろに立つ背の低い人物は、なおも凄まじい力で男の腕を押さえている。


「てんめえ……」


 後ろを振り返った男は、自分の腕を折らんばかりに捻る女――レンの姿を涙目で睨んだ。

 しかし男の形相は意に介さないように、さらにレンは腕を掴んだまま男の膝の裏に蹴りを入れ、その場にくずおれさせる。


「さっさと消えな、『水商人』」


 冷ややかな声が、男の頭の上に注いだ。

 小さな体格のレンが、くずおれたガタイのいい男を見下ろしていた。


 しかし仲間の窮地に焦ったのか、その様子を見ていた別の男がレンに向かって突っ込んでくる。


「訳の分からん奴が出しゃばってきやがって……! 消えるのはてめえだ!」

 

 筋張った拳が、彼女めがけて突き出された。


 しかしそうしていきり立って突っ込んできた男の体は、何故か次の瞬間には宙に舞っていた。

 レンが鞘におさめたままの大剣を振り抜いたのだ。


 男の体が、十メートルほど吹っ飛ぶ。そしてそのまま、後ろにいた仲間を次々なぎ倒した。


「……馬鹿力だけが自慢でね」


 小さな呟きは、しかし驚愕に目を見張った男たちの背を震え上がらせるのに十分な迫力を持っていた。


 こともなげに剣を下ろして、へたり込む男たちにレンは不敵な笑みを浮かべた。


「気を付けたほうがいいよ、あんたら。あたしは力の加減がド下手だからね。次は瓶じゃなくて……」


 微笑むおさげの女性が剣を横なぎに振る。その風圧だけで、通りの家々の軒先に置かれた瓶が粉々に砕けた。

 とどめの一言は、


「あんたらの頭の番かも」


 ひいいっと、恐慌状態に陥った男達が駆け出す。全員、目の前で起きた恐怖に顔を引きつらせながら。


 砂埃を撒き散らしながら、あっという間に路地の奥へと消えていった。


 残されたのは、水袋を抱えた青年と子ども達。そしてレンとミヤギが通りの上にいた。


 去っていく男たちを静かに見送って、レンはふうっと息をついた。


「瓶を割っただけでこれとは……。異界人を見るのは初めてだったのかしら」

「すごいですね、レンさん」


 追いついたミヤギがおずおずと声を掛ける。

 中々に凄まじいものを見た。これがコウノが言っていた異界人の力というものなのだろう。

 橋に片手でしがみつくどころの話ではない。

 レンが割った瓶は、綺麗に粉々になって太陽に照らされている。


 またも何でもないことのように、彼女は笑った。


「異界人なんて皆こんなもんだよ。この世界より頑丈にできてるから、誰だって強くなれるよ」

「そう、そうなんですね……」


 レンの力も、やはり異界人に備わった力。

 いかつい男達を息も切らさず返り討ちにすることができるほどの。


 その『力』があるからミヤギもこの街まで来られた。

 今の暑さや乾燥した大気に適応しているのも、体がより頑強になったから。体が軽く感じるのは、ここが違う世界だからだ。

 ミヤギが目を伏せてもの思いにふけっていると、


「いたたた……」

「だ、大丈夫? レーラ」

「ケガは? ケガしてないか?」

「うん、平気。ちょっと痛かったけど、どこもケガはしてないよ」


 男の腕に捕らえられていた少女が、青年と子ども達に心配そうにされながら立ち上がっていた。

 彼女はそのままレンに視線を移すと、まっすぐな瞳で礼を口にした。


「姉ちゃん、助けてくれてありがとう」


 他の子ども達も、次々と礼の言葉を口にする。

 いいっていいってと、レンは軽く手を振ってみせた。


「ううん、お陰で兄ちゃんもおれ達も助かったよ。本当にありがとうございました」


 子ども達のなかでも年長だろう、利発な目をした少年が、重ねてレンとミヤギに頭を下げる。


 その様子を、水袋を担いだ青年は何故かばつの悪そうな顔で見ていた。


「おいバク、別にオレ一人だってなんとかなったぞ? 異界人のオレが本気を出せばあんなやつら、」

「兄ちゃんの悪い所だよ、無謀なのは。まさか水を盗んだ後ダッシュで逃げるだけの作戦とは思わなかった」


 バクというらしい少年は、呆れたようにため息を吐いた。やけに大人っぽいため息だ。

 騒動の原因を察したらしいレンも、同様の視線で青年に向き直る。


「呆れたねえ。異界人の力を過信して水泥棒とは。しかも子どもを巻き込んで」

「……あんたらも異界人か」


 砂埃に汚れたズボンをはたきながら、青年がレンとミヤギに問う。

 レンはそれにスパッと切り返した。


「そう。神さまに連れてこられた異界人」

「あっそ。オレはルイ。悪かったな、変なことに首突っ込ませて」 


 所々はね上がったくせ毛を押さえながら、ルイというらしい青年は若干ふてぶてしげに謝罪を口にした。


「水泥棒、ですか?」


 二人の会話が飲み込めずに、ミヤギが口を挟む。


「ああ。ここら辺、だいぶ乾いてきてるからね。街のすぐ脇を流れてた川が干上がったおかげで、水は数時間かけて外に汲みに行かなきゃならなくなった。地下水脈はあるけど、それは全部この街の為政者や上流階級のものだ。……それ以外の人間は、『水商人』から水を買わなきゃいけない」


 レンは目だけで、軒先に放置された巨大な筒状のタンクを指した。どうやら錆び付いて穴が開いたそれは、水商人が水を貯め、売りさばくのに使った残骸らしい。


 この街も、ほんの数年前は大きな川のそばにあったようだ。その川が干ばつして、迂回して。かろうじて水源は残ったものの、川は以前の十分の一ほどに細くなり、海に注ぐ前に完全に干上がっているという。

 

 気温が低いとはいえ街の周りはミヤギが歩いた荒野と大差ない。

 普通の人間が水を汲みに行くにはあまりに酷な道のりだろう。


「水商人……」

「そう。この街の水商人は、街の外れを流れる川の水を街に運んで売りさばいて荒稼ぎしてるんだよ。近頃は子どもを働かせる輩が増えてね。治安の悪化を利用して、やつらやりたい放題だよ」

 

 開戦以来、壁の街にはこの国の首都から食料の配給が行われていたという。

 しかし、戦局はすぐに光領の優位となり、彼らは一気に街まで迫った。

 街の周りには光領の偵察兵と盗賊がうろつき、首都からの食料を積んだ荷馬車を狩ってしまう。

 そのため街の中には物資が届かず、住人の生活は細っていくばかりだった。

 今までは飲み水さえ手に入れることが危ういほどに。


「きれいな真水は高値で売られる。買えない人間は、そこら辺のドブ水を飲むしかない」


 最前線となり、常に門を閉じて戦々恐々としているこの街。

 金持ちは逃げ出し、残ったのは逃げる余裕のない貧しい者と、統制の緩みに目を付けた悪徳な商人たちだった。


 乾燥しきったこの街では、水は『水商人』なる商人たちから買わなければならない。彼らによって好き勝手値を付けられた水を、それでも生きていくために。

 

 レンの話を聞いていた青年が、眉間に深いシワを刻む。


「……くっそ、何が水商人だ。水泥棒はやつらのほうじゃねえか」

「だけど、ここらの水商人から水奪い取るなんて、あんた下手したら消されるよ」

「オレはいいんだよ。あの水だって、あいつらが無理して街の外まで汲みに行かされた水だ。汲んでくれば、少しは分け前をもらえるって言われて……。結果はこれだ」


 分け前というのは水のことのようだった。彼らは自分たちが汲んできた水を水商人にすべて取り上げられどうしようもなく、結果、水を奪ったらしい。

 自分たちが持てるだけの水を抱えて、やっとここまで逃げてきたのだ。


 水を運ぶ車の燃料も尽き、代わりに荷を引いていた馬が食され、働ける大人という大人が軍に駆り出されたこの街。

 水商人たちは、馬の代わりに子ども達に荷車を引かせるようになったのだという。


 それを見かねたのだろう。青年は子ども達を手伝って、一緒に水を汲みに出ていたのだ。


 話を聞きながら、さすがにレンの眉間にもシワが寄っているようだった。

 そのまま彼女は、気にかかっていたことを吐き出すようにルイに問いかける。


「で、あんたはいつからこの街にいるの? あんたの、その体は……」

「一か月前だ」

「一か月!?」


 初めてレンの口から頓狂な声が漏れる。続いて彼女はまた青年に呆れが混じった視線を向けた。


「首都から街への配給がなくなって一月。……そこから着の身着のままここで暮らしているとしたら、あんたまともな食事をしてないね?」


 ルイが着ているものはあちこち擦り切れて、元の色が分からないほど砂ぼこりにまみれていた。異界人だと名乗られなければ、ちょっと見ただけでは彼もこの街の人間と変わらない。


 そしてミヤギも気になっていたが、極めつけはそのこけた頬だ。

 ルイは貧しい服装の子どもたちと同じくらい、いやそれ以上に痩せた顔をしていた。


「平気だよ、オレは。この体なら一月くらい水だけで耐えられる。あんたも知ってるだろ」

「いくら異界人でも摂るもん摂らなきゃ動けなくなるよ。だから水商人なんかに追い込まれるんだ」

「うっ……」


 レンの視線に、青年は言葉を詰まらせる。

 そんな彼を庇うように、レーラと呼ばれていた少女が前に踏み出した。


「姉ちゃん、そんなこと言わないで。兄ちゃんは手に入れた食べ物を全部あたしたちに分けてくれてたの。だから……」

「……そっか。ごめんね」


 揺れる少女の眼差しに感じるところがあったのか、レンが見をかがめて彼女に謝る。

 その言葉に、ルイはそっぽを向いた。


「変な気を使わなくていいよ。オレがしたくてしたことだ」

「あんたの心配はまったくしてないよ。異界人だし。……心配なのはこの子たち。こんなことして戻ったら、あいつらに何されるか」

「それは……。じゃ、じゃあ、助けない方がマシだって言うのかよ!?」


 食って掛かるルイに、レンは胸をそらした。


「助けんなって言ってんじゃない。もっとうまく助けろって言ってんの」

「うまくってどういうふうに?」

「うまくはうまくだよ。あたしだったら何かうまいことうまくやった後に、水を盗むなんてチマチマしたことしないで、やつらを全員縛り上げてすべての水を奪う」


 苦々しげな視線はミヤギに向いた。


「……おい、お前この女の連れか? 言っちゃなんだが、あんたとんでもないのに捕まってるぜ?」

「――あん?」

「い、いえ、何でも」


 瞬間発されたレンの圧に、その先にいる青年が怖ず怖ず退く。


 気の抜けるような会話に、見守るミヤギは思わず声を出して笑ってしまっていた。

 ルイの悔しげな視線が刺さる。

 レンは反対に、満足げな様子で姿勢を正した。


「まったく。ミヤギ君は異界人上級者っぽいけど、あんたは新参者だね」

「っ、新参の何が悪い。これでも街を二つほど渡り歩いてんだ。……乗る馬車を間違えたら、こんなどんづまりの街に辿り着いちまったけど」


 ルイはこの街に着く最後の補給の馬車に忍び込んでここまで来たらしい。

 それが思いもよらない所にたどり着いたようだが、彼は今まで子ども達に手を貸しながら、この街でたくましく生き抜いてきたようだった。


 しかしそんな彼よりも、ミヤギの方がこの世界にいる時間はずっと短い。

 さすがに申し訳なくなって、レンの誤解を解こうと、ミヤギは口を開きかけた。


「いえ、僕も……」


 新参者です。そう言おうとした声は、駆け寄ってきた子どもの悲鳴じみた叫びにかき消された。


「兄ちゃん、大変だよ!」


 通りの向こうから、一人、少年が息を切らしながら走ってきたのだ。

 汗を振り撒きながら、その様子は尋常ではなかった。


 彼の目線に屈み込みながら、ルイが何事かと問いかける。


「どうしたんだ、ケノ?」

「た、大変だよ! やつらが……水商人がバクの家に……!」

「……!」


 その言葉に、バクという名の少年の顔から一気に血の気が引いた。

 そのまま、彼はいずこかへと猛然と駆け出す。


「ま、待てよ、バク!」


 ルイもまた、水の袋も放り出して後を追っていってしまった。


「ちょ、ちょっと!」


 状況が飲み込めないながらも、少年達の決死の形相に何か感じとったのかレンも同じ方向へ走り出す。


 ……ミヤギもまた、彼らの行く先に嫌な気配を感じて走り出していた。

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