第11話 壁の街2

 その女性はゆうゆうと、ミヤギの前で服の砂をはらっていた。


「大丈夫? 怪我はない?」


 笑顔と同じく、快活な声がかかる。


 ミヤギがうなずくと、彼女は嬉しそうに「そう」と言った。


 立ち尽くす二人の後ろでは、すでに閉まりきった門が細かい木くずを落としている。

 門の前に列を成していた人々は二人に目もくれず、早くも散り散りになって街の中へと去って行ってしまっていた。


 橋にぶら下がっていたミヤギを引き上げ、街の入り口まで導いてくれたその人は、ミヤギでも見下ろすほど小柄な人物だった。


 砂埃よけのマントに身を包んだ、若い女性。

 背にはその背丈と同じくらいの大剣を背負っている。背負ったまま抜くためか、柄の部分が肩を越えてとび出していた。

 さらにその後ろに、先ほどのくたびれた人々と同様、褪せたずだ袋を負っている。

 精悍な顔つきだが、表情は明るく親しみやすい。何より両耳の後ろから伸びる三つ編みが、彼女の雰囲気を柔らかくしていた。


 この人がいたから、ミヤギはこの街に入れたのだ。

 あのまま橋から手を離していたら、一人堀の中に落ちていたかも知れない。そうなればカバンの中のネズミも道連れだった。

 ミヤギは改めて、女性に礼を言った。


「危ないところを助けて下さって、ありがとうございました」

「なんのなんの。しかし、君、今まで『作業』で見かけなかったけど、新しく徴集された人?」

「……作業?」

「なんだ、『作業』に加わってたわけじゃないんだ。じゃあ純粋に街に入ろうとしてただけか」

「すいません。ここには来たばかりで……その、『作業』って?」

「ああ、ここの連中は決まった期間、軍の“作業”に駆り出されるんだよ。って、君……」


 そう言って彼女は、何か異変を感じたのか、ミヤギの全身をまじまじ見つめ始めた。

 首をかしげると、おさげも一緒に揺れる。よく見れば、左右の長さがほんの少し異なる、非対称な結び方だ。

 しかしミヤギが彼女の髪型についてつっこむよりも早く、


「君、もしかして……」


 ミヤギに詰め寄ったその人は、得心がいったように言葉を発した。


「? はい?」

「この世界っぽくない服、垢抜けない感じ……君、まさか……そう、そうだよね」


 女性が何度か一人でうなずく。

 ミヤギも思わず一緒に首を振っていた。

 そして唐突に、彼女はミヤギに自己紹介した。


「あたしはレン。異界人。――君も、もしかしてそうなの?」


 彼女が口にしたのは、ミヤギにとって少なからず衝撃を受ける言葉だった。

 コウノに言われたときも驚いたが、やはり慣れない。目の前にいる人に、「異界人だ」と名乗られるのは。


 そう、目の前の女性――レンは、自らを異界人だと名乗った。


 異界人。この人も。

 やはりここはそういう世界なのだ。

 この世界の住人ではない人が、引き込まれて生きている世界。


 すぐに他の異界人に会えるだろうとコウノは言っていたが、まさかこんなに早く出会えるとは。


「はい。僕はミヤギ。僕も異界人……みたいです」


 戸惑いながら、ミヤギ自らの口から異界人だと言葉を発すると、レンは満足そうに腰に手を当て微笑んだ。


「ピンポン? いや~、久しぶりだねぇ。知り合い以外の異界人に会うのは。やっぱり雰囲気がここら辺の連中とはぜんぜん違うからさ」


 殺伐とした世界で、ミヤギは周りの険しい顔の人々から少し浮いていたらしい。

 レンにはすぐにそれと分かったようだ。


 ミヤギもミヤギで、レンが先程のくたびれた人々とはまったく異なる人物だというのはよく分かった。


 まずはその気性。あの状況でミヤギを助けに戻ってくれた勇気は、ミヤギにとって新鮮なものだった。この世界に来て、初めて純粋に他人に救われた安堵感を得た気がする。

 彼女の明るい笑顔は、この世界で今まで出会ったどの人にもなかったものだ。


 そしてその腕力。街の前の荒れた土地を結構な時間歩いた後で、息一つ乱さずミヤギを引き上げた先程の力は、彼女が異界人であることに関係しているのかも知れない。

 今もレンは、一切重さを感じさせることなく大剣を背負っている。


「大きな剣ですね……」

「ああ、これね。確かに、好戦的に見える武器かもね。けど安心してよ。見せかけだけで、滅多に抜くことはないから」


 特に警戒心からそう言ったわけではなかったが、レンはミヤギを安心させるように手を上げてみせた。


 しかし本当にミヤギは彼女に対して警戒心が沸かなかった。

 巨大な武器を背負ってはいるが、レンはコウノたちよりよほど信用できる人物と言っていい。

 笑顔に含みがないのだ。

 彼女の笑顔は、同じ国から来たかもしれないというコウノの笑顔よりなんだか懐かしかった。視線や言葉に敵意も感じない。


 その笑顔のまま、レンは再び口を開く。


「ミヤギくん、だっけ。この街は初めて? だとしたら、ここは常に門が閉じてるから、たまたま来て入れたのはラッキーだったよ」


 そして彼女は、ミヤギに街の方を示すように顔を向ける。


 そこでようやく、ミヤギも街の中に目がいった。


 黄色く埃っぽい空気の向こうに、大きな通りが開かれていた。


 通りを埋める黄色い砂と、それを固めて造ったような平屋建ての家。それが隙間なくどこまでも続いている。

 遠くの方には背の高い建造物も見えたが、それは霞むほど小さく、この街の広大さを感じさせた。


 そして並ぶ家々の三倍ほどもある壁が、丸く街を囲んでいるのだ。

 心なしか、その壁が吹き付ける風に崩れて街の空気に砂を混ぜているような気がした。

 それくらい、近くで見ると街の壁はぼろぼろだった。壁の形はしているが見た目は軽石のようで、擦り減ったようにあちこち欠けている。

 これではあまり外壁としての強度はなさそうだった。


 ミヤギが街の様子をしみじみ眺めていると、レンの声がかかった。


「君、ずいぶん軽装だけど、この街に用だったの?」

「いえ、この街で情報を集めて、行かなきゃいけない所があるんです」

「じゃあ、まだここから旅に出るんだ。あたしもなんだよ。これも何かの縁だね。今から街の中に給水に行くけど、君もついて来る?」

「給水?」

「そう。まずは旅にかかる水分を補給しに行かなきゃね。この街にはその給水所が数える程しかないから、初めての人は迷うかも。君も場所を覚えておいた方がいいよ」


 どうやらこの世界では、水というのはそう簡単に手に入るものではないらしい。

 水を汲める場所が限られていて、街中でもそこまで歩かなければ給水できないらしい。

 水道は通っていないか、設備が失われているようだった。


 一拍置いて、ミヤギは先程のレンの言葉にうなずいた。

 まだ喉の渇きを覚える程ではなかったが、レンに付いて街の中を見て回りたかったのだ。

 例の村の場所も、誰かから聞かなければならない。


「じゃあ、行くかね。ミヤギくん、情報を集めるって言ったよね。あたしもこの街の住人ってわけじゃないけど、答えてあげられることがあるかも。道中何でも聞いてよ」

「ありがとうございます。じゃあ、早速。その給水というのは、いくらかお金がかかりますか?」


 水が手に入るということなら手に入れておきたいが、あいにく手持ちは限られている。

 これから何があるか分からないなら、出費は最低限のものにしなければならない。

 ミヤギの問いに、レンは丸い目をすがめた。


「うん。うまくいったら安く済むかも知れないけど……。この街じゃ、その給水の方法ってのが難儀でね……」

「……?」

「まあいいや。案内するよ、付いてきて」


 どうやら給水所というのは市街地の奥に存在するらしい。

 レンが街の中へ足を踏み出すと、ミヤギもそれに続いた。


 砂をかぶった通りへと踏み出す。この世界に来て、やっと街というものの中に入れた。


 しかし……。


 ミヤギは改めて自分の周りの家々を見回した。


 人がいない。


 ごく稀に通りを歩いている人もいたが、彼らは俯いたまま、まるでミヤギ達などいないかのように通りすぎていく。その人たちは皆、麻のような白くて簡素な服を着ていた。


 そしてもう一つ眺めながら気付くことは、歩いている人よりも、軒先に背を丸めて座り込んで、微動だにしない人の方が多いということだった。

 家の入口に置いてある空っぽのかめの影に、まるで死人のようにへたり込んで、ただ空を仰いでいる人もいる。


 服装も体型も、街の人々は皆似通っていた。

 多くが顔に深くしわを刻んだ老人で、そして誰もが一様に痩せている。

 それ以上に、表情や仕草から溢れる労苦の色が濃く、それが辺り一帯を包んでいた。

 街は陽の光に照らされて影も短くカラカラだが、人々の雰囲気は実に陰気なものだった。


 レンはそんな民家の間を縫い、街の高台へと続く階段を上っていく。

 崩れかけた石段を、踏み外さぬよう上っていった。


 そして上りきると、そこから街の雑踏を見下ろすことができた。

 さらさらと、砂っぽい風が吹いていく。


 砂の地面と、黄色い土造りの家。


 見はるかす街は、どこまでも黄色い砂埃に覆われている。


 一段高い所に上がっても、通りの様子は下とさして変わらなかった。

 貧しい家の前に、疲れきったような人々がたたずんでいるだけ。


 街の中心には、レン曰く為政者たちが住んでいたという、石造りの高い建物が連なっているが、それを取り囲むように立ち並ぶ家々はほとんど平屋建てで、その差異を際立たせていた。

 今ミヤギ達が歩いている辺りは、屋根を布で代用している家も多い。


 そして高台から下を眺めている内にふと、ミヤギは町人の代わりに街を歩く、周りから浮いた集団を見つけたのだ。


 通りをつかつかと過ぎていく、街の住人とは明らかに異なる武装した集団を。


 青い軍服姿の彼らは、肩に銃剣を担ぎ、ぎらついた目をして歩いていた。

 彼らもまた光領の基地で会ったのと同じような、兵士というものだろうか。

 それが街の角に、ニ、三人ずつかたまって行ったり来たりしているのだ。


 通りを歩いている兵士だけではない。

 街の壁際に建つ、監視塔のような背の高い建物。

 そこにも同じような兵士が、望遠鏡のようなものを手に立っている。


 見れば監視塔には一本、先頭に大きな旗がはためいていた。

 どうやらミヤギにはこの世界の文字も読めているようだ。

 その旗に、『港市連合こうしれんごう』という文字が書いてあるのが分かった。


「あの人たちは?」

「ここに駐留してる『港市連合軍』の兵卒だよ。光領との戦いが始まって三か月。最初はこの街は自分たちのものとばかり増長してたんだけどね」


 兵士達は光領と戦う『港市連合』なる国の軍人であるらしい。

 この壁の街は、その『港市連合』の一角をなしているようだった。


 今更実感したが、いまだ光領の手によって陥落していないこの街は、光領にとっては敵地ということになる。

 ミヤギは光領の反対側に来たのだ。

 この街の人々が、兵士が戦っているのが『光領』なのだ。


 しかしこの街の兵士達は、光領の基地で会った兵士とは違い、哀愁さえ漂うくたびれた背を丸めるように歩いていた。あの姿はどうしたことだろうか。


 それに海もないこの街で『港市連合』とは、一体どういうことだろうか。

 ミヤギが次々疑問を抱いていると、不意に前を歩くレンが口を開いた。

 そしてミヤギが最初に抱いた疑問に答えてくれた。


「一か月と少し前、首都からの補給線が絶たれた。この街には、ずいぶん長い間、食糧も物資も届いていない。まさに孤立状態だね。……だけど街を出ようにも、周りには光領の兵士がうようよしてる。最前線にあって今や瀕死でカツカツなこの街で、最早逃げ出すことすらできない。それであの有様なんだよ」


 光領の侵攻が始まって三か月。

 その勢いは一切止むことはなく、この辺りの他の街はすべて落ち、この壁の街も彼らの包囲の中にあるらしい。この街はいわゆる兵糧攻めに遭っているのだ。

 すべての補給線は寸断され、物資はもはや街の中に残ったわずかなものだけ。

 人々は食事をまともにとることさえ難しい状況まで追い込まれているという。


 兵士達は運悪くもそんな街に派遣され、敵に囲まれ補給もできず、望みの薄い応援を待つだけの、そんな存在だとレンは言った。

 

「逃げ出すタイミングを図るために見張りだけは続けてるけど、今じゃ街の住人をいびるのだけが生きがいの、どうしようもない連中だね」


 先程の門の開閉を担っているのも『港市連合』の兵士であるらしい。

 人々を急かすような門の閉め方は、敵を警戒するというより嫌がらせの面の方が大きいという。


 レンはさらに苦々しげに吐き捨てた。


「――見ての通り、落ち目の街だよ。光領が攻めてきたと知ったとき、金を持ってるやつらはさっさと逃げ出した。残ってるのは、離れる力を持たない人間と、そんな弱い人間を支配して楽しむ連中だけ」


 働き盛りの男性は港市連合の兵士にとられ、残されたのは女性と老人と子ども。

 その女性や老人達も、この街の手前にある港市連合の軍の拠点で『作業』なるものに従事させられているらしい。

 歩きながら、レンはその作業について詳しく説明してくれた。


「光領の基地とこの街の間に、港市連合軍の拠点がある。その周りに兵糧用の畑が作ってあるんだけど、街の人間はそれを耕しに行かされるの。あたしたちも、帰ってくるのは十何日ぶりだね。……まったく、港市連合様々だよ」


 街の人々は数百人規模で、決まった期間交代で農作業に行かされるのだという。

 拠点からここまでけっこうな距離があるというが、そこまで行くのも自力らしい。

 夜明け前に拠点を発って、太陽が昇りきった今、レンたちは街に着いたのだ。

 

「レンさんも、その作業に?」


 ふと、ミヤギがレンの大剣を見ながら呟くと、彼女はううんと苦笑いした。

 確かに剣など、農作業には不要な物だ。 


「あたしはその作業の間、光領の襲撃を警戒するための……いわば護衛ってやつだね。ここらを歩き回ることは、今じゃとても危険なの。いつどこに光領の偵察兵が現れるか分からないからね」


 周りの街はここを除いてすべて落ち、拠点を一個残して『壁の街』は裸に近い状態。

 その拠点の脇を抜けて光領の兵士の偵察や奇襲が度々行われるため、街の門は常に閉め切られ、休むことなく見張りが続けられているのだ。


 険しくはあったが簡単に通り抜けられた、光領の基地からこの街に続く道を思い出す。

 光領は、すでに街の手前までを掌握しているのだ。


「だから、集団で歩いて帰ってたんですね」

「そう。門も特別なことがない限りずっと閉じられたままだよ。ここは今や最前線だからね。誰も彼も、何もかもが戦々恐々としてる」


 レンは光領の兵士からこの街の人間を守るよう雇われた、港市連合の臨時の用心棒ということらしい。

 しかし街の人々に付き合って『作業』に出ていたという彼女は、それに痛烈な感想をこぼした。


「港市連合軍が一方的に押し付けたその『作業』のおかげで、街の人間は自分たちの食べ物をろくに作ることができない。街の周りも元は畑だったけど、今じゃ荒れ放題だ」


 それが、この街が貧しい一つの所以であるという。

 街のすべて……物も人も全部が光領との戦のために費やされ、もう何も残らぬ程に疲弊しているのだと。

 そこまでしているのに、街の生命線は今や風前の灯だとも、レンは言った。


 改めて、ミヤギは街の様子を眺める。街に当然あるものがすべて抜け出てしまったような、空っぽの街がそこにあった。


「レンさんは、元々どうしてこの街に?」

「ああ、この街じゃなくてこの先にある村に用があってね」

「村……?」

「そこに知り合いがいてね。その人に会うために、ここまで旅してきたんだ」

「その村って――」


 村。今のミヤギにとっては非常に重要な単語だ。

 詳しいことを聞こうとミヤギはレンの方へ乗り出す。彼のはすにあった空瓶が倒れるのは同時だった。


 ガシャンと、瓶の割れる音が辺りに響く。

 その瓶が置いてあった通りから人の声が聞こえてきたのは、その直後だった。

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