第10話 壁の街1

 ミヤギは幌馬車の荷台に乗せられて、朝の谷を運ばれていた。


 基地を出てしばらく、馬車は岩山の裏に隠れた細い道を走った。

 側面が切り立った岩肌に囲まれた、ほぼ馬車の幅ぎりぎりの狭く険しい道だ。

 平地が戦場になっているからこそ、こんな所を通らなければならないらしい。


 この馬車自体も、目立たないように幌が岩山になじむ赤い色で塗られている。

 これも一応軍用ということなのだろう。


 昨日窪地に響き続けた砲音は、今日はまだ聞こえてこなかった。

 もしかしたら、昨日の内にすべてがしまったのかもしれない。


 岩が切り開かれただけでろくに整備もされていない道を、馬車はひた走る。

 車輪が地面の窪みを踏むたび、車体ごと体が飛び上がるほど振動が来た。


 それでも御者は無言のまま、荒れた道を飛ばせるだけの速度で飛ばしていく。

 ミヤギはカバンの中のネズミを馬車の揺れから守るように抱えた。


 そういえば基地から街までどれくらいかかるのか聞いていなかった。窪地の外に存在するということだけはコウノから聞いていたが。

 しかしこの広大な窪地の先ということは、恐らくまだ相当な距離があるだろう。

 この揺れはしばらく続きそうだった。


 ミヤギがその揺れの中で唯一できることと言えば、幌の隙間から外の景色を見ることだけ。しかしその景色というのも、いまだ見慣れた岩肌の連なりが続くだけの単調なものだった。

 やはりこの窪地はかなり広いらしい。


 荷台が揺れる。


 落石でもあるのか、時々馬のいななきとともに馬車が急停車し、その度に荷台から放り出されそうになるので、ぼんやり景色を眺めながらもその点だけは注意しなければならなかった。


 後ろへ後ろへ流れていく赤い景色。

 そっとネズミの背を撫でる。すると彼は目を閉じたまま、尻尾でぱたぱたミヤギの手の甲を叩いて応えてくれた。その仕草に思わず微笑む。

 いまだ包帯を巻いた姿が痛々しいが、彼は確実に回復していっているようだった。


 そして徐々に強まっていく陽光を受けながら、ミヤギは、昨日コウノがした話をぼんやりと思い出していた。




「――君はこの世界の『たった一つの国』を生き残らせる必要がある」


 振り向いた青年の横顔は太陽の影。影にあるその瞳に、これから口にすることへの揺らぎはまったくなかった。


「いや、言い方を変えようか。……君はこの世界を生き残る必要がある」


 わずかに吹いた風に流される軍服、それをありふれた普段着のように着こなすコウノ。

 随分と、様になる姿だった。

 目の前の軍人は話を続ける。


「寄る辺を選んで、生き残るんだ。最たる強者に付けばいい。そうすれば、いずれ元の世界に帰れる」


 何でもないことのように言ったコウノの声は、だからこそ、この世界を生き抜いてきた者の自信を感じさせた。


「そして君が、君が選んだ強者に力を貸すことで、この戦いはより早く決着することができる。それがこの世界と俺達の約束……いや、契約というべきかな」

「それが、僕がこの世界に引き込まれた理由……」

「そう。この世界は俺達の力を必要としてるんだよ」


 ミヤギの言葉を肯定し、また自らの言葉を飲み込ませるように、コウノは力強くうなずいて見せた。


 どうやらミヤギには、コウノの言うこの世界の『神』とやらとの面会がかなわなかったらしい。

 この世界と異界人の関係については、無知の状態。

 コウノが話すことが、今得られる情報のすべてだ。


 帰るためにこの世界の一国を生き残らせること。

 そしてその方法とは、延々と続く争いに参加し他国を潰していくこと。

 その争いに勝ち続け、今世界の頂点に立っているのが、コウノの属する『光領』であること。


 彼は言った。ともに光領の世界制覇を助け、元の世界に帰る道を開こうと。

 ミヤギのことは、コウノが身元を保証し、光領本国に取り次ぐと。そこでこの世界のことを学び、戦い方を覚え、己に合ったやり方で国に力を貸せばいいと。そう言った。


 コウノの話が事実だとすれば、誰にだって分かるだろう。何が最善で最短なのか。

 第一、今コウノたちに見捨てられ、荒野に投げ出されればどうなるか。

 明日まで生きていられる保証だってないはずだ。


 答えは一つだった。


 彼の話を聞いて自分の出した答えは、


「――その、光領に付かないあと少しの人たちは、どこへ行くんですか?」


 コウノの目は穏やかなままだった。

 彼は軽い冗談を受け流すように笑った。


「まだ、勝ち馬を選びたくないということかな?」


 その笑みに、ミヤギは真顔で返していた。


「この世界を見て、知りたいんです。僕がどうしたらいいか」


 メルベの顔が引きつる。眉間にしわを寄せ、眉を高く吊り上げ、渾身の力を込めてこちらを睨んでいる。

 コウノもしばらく面食らったようだったが、すぐに表情を改めた。


 そして苦笑混じりにも、『あとほんの少しの人たち』が行くことのできる道を示してくれた。戦災を逃れた者たちの集う、隠れ里のような村のことを。


「ここに来て早々、そんなことを言った異界人は、多分君が初めてだと思うよ」


 ふっとコウノが笑う。嫌みのない、自然な笑みだった。


「大人しいようで、しっかりしてるね」

「すいません。助けてもらったのに」

「いいよ。俺の話だけじゃ、信じられないことも多いと思うから。自分の目で見てくるといい」


 優しげな瞳が微笑む。

 決してコウノが信じられないわけではなかったが、ミヤギは何も言わなかった。

 彼が信頼に足る……少なくとも極端な嘘をついているわけではないということは、何となく分かっていた。

 

 しかし自分が口にする言葉は、彼とは違う方向に行くのだ。

 この場面を何度繰り返してもそうだったと思う。

 自分にはこの一択だけだったと、何故だか分からないが確信していた。


 この世界の強国、光領には味方しない。

 それが結果的に先の見えない旅に出ることになっても、それは変わらない。変わらなかったと思う。


 穏やかな中にも少しだけ落胆したようなコウノと、隠すこともなく怒気を放つメルベ。


 ミヤギの答えを聞き終え、岩の城に戻るため歩き出した彼らの背を、その答えを出した青年は黙ったまま見つめていた。




 ――馬車が一際大きく揺れて、ミヤギは昨日の記憶から今日へと引き戻された。

 幌の外には、いまだ変わらぬ岩肌の景色が続いている。


 それにしてもどうして自分は、一人で旅する自信もないのにあんなことを口走ったのだろうか。


 ただ自分の言葉通り、この世界をもっと見て回りたいと思ったのは本当だ。

 資源が枯れ、終わりを迎えつつあるというこの世界を。

 そして自分がそこでどうすればいいのかを。


 しかし、そんな世界だ。最後まで旅する前に、いいやもしかしたら踏み出した途端に、ミヤギがどうにかなっている可能性の方が高い。

 そのとき自分は、昨日の言葉を悔いるだろうか。

 コウノの言葉に従っておけば良かったと、後悔するだろうか。


 ……そんなことを考えていると、不意にカバンの中から、ぐうぐうという規則的な音が聞こえ始めた。何事かと慌ててカバンをのぞく。

 するとポケットの中のネズミが、安らいだようにいびきをかいているのだった。

 ぐうぐうと、若干人間のようないびきが響く。


 ミヤギは一瞬呆気にとられた。しかし、あまりの呑気な光景にすぐに吹き出してしまった。


 どうやら彼もゆっくり眠れるくらい、時間を追うごとに回復していっているらしい。

 コウノが言ったように、この世界の生き物はミヤギが元いた世界の生き物よりずっと体が丈夫なのかも知れない。


 ふっと、肩の力を抜く。

 せめて彼を、この手で安全な場所に連れていくことができれば。


 それさえできれば、後はそんなに悔いもないような気がした。





 光領の基地を出てどれくらい経っただろう。

 紫色の朝焼け空は完全な青に変わり、気温が上がり始めていた。


 そして馬車は岩に挟まれた細い道から、平地を見渡せる開けた道に出ていた。

 幌の外に、赤い荒野の景色が広がる。


 その街がミヤギの眼下にはっきり見え始めたときには、もうすっかり太陽は高く上り、岩山の影も短くなっていた。


 荒野に街が一つ。

 

 遠くからでも分かるような、大きな街があった。恐らくあれがミヤギの目指す場所、『壁の街』だろう。


 その街は、街全体が巨大なコロッセウムのようになっていて、厚い外壁に丸く囲まれていた。

 だから『壁の街』という名で呼ばれているのだろうか。

 

 しかしその壁というのは石造りのようだが朽ちてところどころ崩れ、風化がひどくまるで砂の城の壁のようでもあった。


 それにしても不思議なものだった。

 元の世界ならあり得ない距離から、それがどんな街なのか分かってしまう。

 ここまで目がよくなったのも、『異界人』の力のお陰らしい。


 そしてミヤギは、丸く見える街の他に、もっと不思議なものを目にしたのだ。


 ミヤギが遠目に見る街に向かって、群れをなして歩く人々の影を。


 荒野に、たくさんの人がいた。


 列の長さからして百、いや二百はいるだろうか。

 貧しいずだ袋を肩に下げた人々が、険しい赤土の道を歩いていく。

 構成は男女半々。女性は若年から老年にかかるまで年齢は様々なようだが、男性のほうはそのほとんどが老人だった。


 遠目にもくたびれた様子で、足を引きずるようにひたすら街に向かって歩いていく。


 異様な光景だった。


 ミヤギがじっと人々の列を眺めていると、不意に馬車は山を下り、歩く人々のかなり後方の岩山の裏で停まった。


 そして御者は初めて口を開いてミヤギに降りるよう指示を出し、自らも馬車を降りて、青年が行くべき方向を示した。


「あいつらに付いて行けば街に入れる。目立たねえように後ろから付いて行きな」


 節くれの多い指が、歩く人々の列の後方を指す。彼らに付いていけば、街の中へ入れるらしい。


 ミヤギは初めてじっくり御者の顔を見ながら、ここまでの礼を言った。


 ミヤギを送ってくれたその人は、軍人というよりは今歩いていっている人たちに近いような気がした。

 胸につくほど伸びた白いひげと、しわに囲まれた素朴な瞳。

 所どころつぎのあてられた服を着た、背の低い老人だ。


 端から見れば、彼を軍の関係者だと思う人はいないだろう。

 ミヤギだってそうは思わなかった。

 軍人ではなく、下働きか何かで雇われている人だろうか。


 老人は軍服ではなく、小さな布をつなぎ合わせて作られた質素な服を着ていた。この意匠は確かどこかで見たような気がしたが……。


 そんなことを思っていると、早く行きなとしゃがれた声がかかった。

 老人はすでにミヤギに背を向けてしまっている。

 その背に、ミヤギは改めて礼を言った。


「あの、ありがとうございました」


 返事は返ってこなかった。

 慌てて、去っていく人々の背を追いかける。ネズミが入った布カバンは肩から斜めにかけた。


 陽が昇ってしばらく。焼け始めた大地はやはり熱かったが、足並みは昨日と同じ。上り下りが続く険しい道も、風を切って歩けた。


 踏み込めば砂煙を上げる地面を蹴立てて、少しずつ列に近づいていった。

 肩を落として歩いていく人々は、疲れ切っているのか一人として振り向くことはない。前方の街だけ目指して、ただただ歩いていく。

 肩の上の荷物袋はしぼんで軽そうに見えたが、今はそれが鉛の重りか何かのように、彼らの背を丸めさせていた。


 最初はずいぶん距離があったが、のろのろと引き上げていく人々には、ほどなく追いつくことができた。

 前方を見れば、並ぶ人々のさらに前に、固く閉ざされた街の門が迫り始めていた。


 列の先頭の人々がたどり着くと、門扉がぎしぎしと音を立てて下りてくる。

 木製の門はそのまま轟音とともに地面に着地し、街の壁の周辺に広がる深い堀をまたぐ橋になった。


 くたびれた人々は、その上を街の中へと、何故か今だけ足早に渡っていく。

 ミヤギもその順番を待った。

 追いつきはしたが、密集して歩く人々の一番後ろにいたのだ。


 そしてその声は、ミヤギが橋を渡る順番を待っているときに響いた。


「おい、閉めるぞ! とっとと歩け!」


 まだ人々が完全に通過しきっていないというのに、門の上の見張り台のような場所から誰かが怒鳴ったのだ。


 砂煙を上げて、予告通り橋が浮き上がり始める。

 列の後ろにいた人たちは、遅れまいと一斉に走り出した。ミヤギも慌ててそれに倣う。

 

 ミヤギが堀の前まで辿りつく頃には無慈悲にも、橋は彼の腰の上くらいまで持ち上がっていた。


 最後尾の人々は何とか上がっていく橋に食らいつき、街の入り口を通過していく。

 しかし、


「邪魔だっ!」


 人々に混じってミヤギが橋に上ろうとすると、すぐ後ろにいた人物に弾きとばされた。

 虚をつかれて、思わず地面にしりもちをつく。


 しかしここで締め出されるわけにもいかないと、頭の上まで浮いていた橋に跳びつくため、再び手を伸ばした。

 何とか、右手で橋のふちを掴む。

 片手で自分の身一つ支えるなど、今までなら考えられない芸当だ。

 この腕力も、異界人の恩恵なのだろう。


 しかし、そこから橋の上へと体を持ち上げることができなかった。

 異世界に来て力が強くなったとはいえ、もともと運動神経がいいほうではない。

 片手で自分を支えるだけで精いっぱいだ。


 橋にぶら下がったまま、しばらくもがいた。

 このままでは手が離れる。深く口を開ける堀の下に落ちてしまう。

 そう焦っていると、突然体がぐんと持ち上がった。

 そのまま一気に橋の上まで上がっていく。

 上れたのは、もがく手を掴んで引き上げてくれた人がいたからだった。


「――危なかったね」


 引かれた手の先を見る。

 ミヤギを引き上げてくれたのは、白く細い手だった。しかしそれに見合わぬ力強さで、『彼女』は軽くミヤギを立ち上がらせた。


 殺伐とした世界だった。

 だからかミヤギには、その人が背負う大剣よりも、その人が二つ結びのおさげであるということのほうが先に目に入った。

 この世界に来て、初めて向けられた屈託のない笑顔も。


「さ、行こう」


 呆然としているミヤギの手を離し、その女性は街の入り口を目で示した。

 すでに門は、下り坂のように鋭い傾斜を成して、もとあった形に戻ろうとしている。

 早く渡ってしまわなければ、街の入り口へと転がり落ちてしまうだろう。


 走り出した女性の後を追って、ミヤギもまた、街の入り口へと急いで駆けていった。

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