第7話 戦場1

「……君に見せたいものがある」


 ミヤギをまっすぐ見据えて、コウノはそう言った。

 

 そして彼は、部屋の外に控えていたメルベに声をかけた。


「メルベ、護衛を頼むよ。あそこに行くからね」

「はっ」


 どうやら『あそこ』とは、護衛が必要になる場所らしい。

 ミヤギを連れて、コウノとメルベは歩き出す。


 ネズミのことはひとまずコウノの部屋の涼しい場所に寝かせて、ミヤギは二人に付いて塔の外に出た。


 空に向かって幾百並ぶ塔の群れの隙間を歩く。

 そして連れていかれたのは、またもや地下道だった。

 コウノとメルベはある塔を選んで中に入り、さらにその下へ伸びる階段を降りて、石壁が続く地下道へと足を踏み入れた。


 しかし今度は先ほどの地下道のように、すぐに地上へは出なかった。

 石造りの横穴が、どこまでもどこまでも伸びている。


 この先に、一体何があるというのだろう。

 コウノはミヤギに、何を見せようというのだろうか。

 

 淡い光を灯すランプが等間隔に並ぶ。

 その明かり以外は届かない地下道を、三人の足音が響いた。


 しかしそれだけではない。間を開けて続く外の砲音。

 それが一歩歩くごとに段々強くなるような気がした。


 そうして歩き続けて、どれほど経っただろうか。


 三人は暗い地下に光が射す場所までやって来た。地下の冷えた空間に、地上の温かい空気が流れ込んでくる。そこに上に出る階段がついていた。


 しかしそこまで来ると、彼方から鳴り響いていたはずの砲音は、今や大気を震わせるほどの轟音にまでなっていた。

 その振動で、地下道の天井からわずかに砂埃が落ちてくる。


 そしてミヤギはそれ以上に、肌をそばだてるような空気のざわめきを感じていた。

 この先にあるものからそれを感じるのだ。


 そんなミヤギを先導して、コウノとメルベの二人は先に進んでいく。

 三人は地下を出る階段を上り、太陽の照らす地上へと出た。


 目の前に現れたのは枯れた地表。それと荒野で幾度となく目にした赤い岩山だ。

 ミヤギにとっては、すでに見慣れた景色がそこには広がっていた。


 しかし、違いもすぐに目に入った。


 不思議なことに岩山の周りを、赤い軍服の兵士が絶えず歩き回っているのだ。

 彼らは基地で見かけた兵士とは違い、胸の前に長銃を構えて武装していた。


 その内の一人、見た目には気の良さそうな中年の男性兵士がこちらの姿を見つけ、側に寄ってくる。

 彼は銃を下げ、コウノに敬礼した。


「これは、コウノ様」

「すまない。手間をかけるが、うえに上がらせてもらうよ」

「ええ、構いませんとも。しかし銃撃戦が断続的に続いています。流れ弾にはご注意を。まあ、あなたには要らぬ心配だとは思いますが」

「ありがとう。客人の安全には気を配るよ」


 そしてその兵士は、三人を岩山のある箇所へと先導した。


 連れていかれた岩山の側面はそこだけ垂直に削られ、滑車のようなもので吊された四角い箱が付いていた。その大きさは人の背丈ほど。

 何の用途に使うかは、すぐにコウノとメルベが示してくれた。


 四角い箱の中にコウノ、メルベ、そしてミヤギが乗り込むと、兵士の合図とともに滑車が回り、箱が吊り上げられていく。

 それは岩山の頂上まで登るためのエレベーターだった。


 そしてたどり着いたのは、この辺りで一番高い、平地を一望できる岩山の頂上だった。

 平らにならされたそこには、ちょうど観測台のようにいくつか望遠鏡のようなものが並び、その脇に兵士たちが、まるで何かを見張るように険しい顔で立っている。


「ここは?」

「さっきまで見ていた岩の城の裏側。地下を通ってここまで抜けてきたんだ。さあ、こっちへ」


 どうやら先ほどの地下道は、基地とこの見張り台をつなぐ抜け穴だったようだ。

 塔の群れを越える手間を省き、ここまで掘り抜ける技量。

 天高くそびえる岩の塔だけではない。地面の下にも、相当の技術をもって道が張り巡らされているらしい。


 三人がやって来た見張り台の先端は切り立った崖になっており、そこから平野が眺められた。

 その空を臨む崖のへさきへと、コウノがミヤギをいざなう。

 乾いた空気が下から上がってきていた。


 そこから見渡せば、戦場そのばしょは意外と近くにあった。


 ミヤギの視線の先に一つ、街があった。

 黒煙を上げ燃え上がる、尋常ではない様子の街が。


 ここからその街の中が一望できる。


 巨大な砂煙が舞う。砲音はほんのわずか遅れて響いた。

 その巻き上がる砂煙にときどき赤い色が混じるのは、ここがその場所だという直感が見せる、ただの錯覚だろうか。


 遠目に見える、廃墟のような建物の群れ。窪地に入ってきたときは岩山の影になって分からなかったが、そこに確かに広大な街があった。

 褐色の石積みの家が並ぶ、見渡すような大きな街が。


 しかし今その街に響くのは断続的な砲音。

 上がるのは黒い煙。


 何故だろう。今はその街を駆け回る戦車も、それから逃れる人の姿も、目をこらさなくても見えた。


 となりでコウノが、その戦場についてミヤギに説明する。

 敵の残党を何とかここまでおびき出し、包囲しているのだと。

 あの街は、


「最早人は住んでいない残骸だけれどね。あの奥に敵の本拠地がある。目標はそこだ」


 落ち着き払ったコウノの言葉。メルベは、何も言わずただコウノの後ろに立っていた。


 敵。目標。

 コウノの言葉が頭の中を右から左に流れていく。


 お互い補給が遅れ戦いが長引いていること。岩山に隠れ潜み襲ってくる敵のゲリラ戦法に苦しめられたこと。

 そしてそれも終わり、この戦いが収束に向かいつつあること。


 決着が着いたのだと、彼は言った。今繰り広げられているのは、『敵』の残党の掃討作戦だと。


 すべての言葉が、ミヤギの理解できぬ間に流れていった。

 青年にできるのはただ、目の前の戦場を見ていることだけだった。


 砂煙が上がる。

 

 さすがに人影が動くのが分かるだけで詳細までを見てとれる視力はなかったが、今はそれが救いだったのかもしれない。

 人が隠れていった建物の中に砲弾が撃ち込まれるのを遠目に見るだけでも、衝撃は計り知れないものだったから。


「これが、この世界の姿」


 不意に聞こえたコウノの澄んだ声が、ミヤギをその場へと呼び戻した。


「この世界……」


 胸のつかえは、今確信に変わっていた。

 今、ミヤギが立っているのは。


「違う、世界」

「残念ながらその通りだ。ここは君がいたのとは丸っきり違う、別世界だ」

「……コウノさんも、僕と同じなんですか?」

「そう。俺も君と同じ。『異界人』だ」


 異界人。違う世界の人間。

 目の前のその人は、ミヤギがその異界人だと言う。そして彼自身も。


「君はある使命を持って、この世界に連れ込まれた」


 コウノが言葉を続ける。非常に淡々と。


 川に落ち、水泡を散らし、自分の命も散らしたと思ったあの瞬間から、随分時が過ぎた。

 今が生きている状態なのか死んでいる状態なのか、それすら分からないが。


 今はとなりで話すコウノの声だけが鮮明に聞こえる。


「君は川に落ちて、それで死んだわけじゃない。元いた世界から、違う世界に引き込まれただけだよ」


 ありふれた事実を話すように、彼はそう言った。

 その言葉に腰を抜かさなかったのは、そうかも知れないということがミヤギにも分かっていたからだろうか。


 冷たい川の中から乾いた大地、連なる岩山、規格外の軍事基地、洗練された騎士姿の二人。

 何より救われなかったはずのこの命がまだここに在る理由。


 確かにあのとき覚悟した。

 意識はかすれて真っ暗闇に消えていった。

 それが今、光を受けている。


 川から引き上げられた記憶はない。第一、水の外は見慣れた市街地のはずだった。

 荒野に立っていることの説明がつかない。


 目の前のその人は、君はまだ死んだわけではないと言う。

 それなら、もしまだ生きてここに立っているということなら、それはまさしく一瞬でどこか別の場所に現れたということになる。

 あまりにも突飛な場所に。

 それが別世界だと言うのなら、そうかと飲み込めてしまうくらい。


「どうして、僕はこの世界に……」


 思わず独り言のように呟く。その呟きにコウノは答えてくれた。


「この世界の神は、異界の民の力を必要としているんだ」

「この世界の、『神様』?」

「そう。この世界に入るとき、神と面会しただろう?」

「神と、面会?」

「……? 神に会っていない?」


 改めて飛び出したコウノの突飛な言葉に、ミヤギは瞠目した。

 神。神に面会する。

 一体どういうことだろう。


 異世界。神。単語だけがぐるぐる頭を回る。


 そんなミヤギを置いて、コウノは次の質問をしてきた。


「神に会っていないということは、この世界に連れてこられた理由も? それも知らされていないのか?」

「連れて、こられた、理由?」


 もう、首をかしげるしかない。

 この世界の神が、望んでミヤギを連れてきたというのだろうか。 


「コウノ様、この男は本当に異界人なのですか?」


 しびれを切らしたようにメルベが迫る。それを手で制して、コウノはミヤギに向き直った。


 彼はミヤギの言葉に、難しげに何か考え込んでいるようだった。

 しかしすぐに、「そうか」と一言だけ呟くと、また口元に笑みを浮かべた。


「それなら、不幸中の幸いだったよ、ここで出会えたことは」

「え……?」

「ミヤギくん。見ての通り、この世界は戦乱のただ中にある」


 続く砲撃の音。今は音だけでなく、それに光景が伴う。

 砂煙が上がる。爆煙が黒く立ち上る。

 戦車が人を追っていく。

 高台に取り付けられた砲台が火を噴く。


 戦場を見下ろすというのは、これほどまでに感情を殺さなければ立っていられないものだろうか。

 眼下に広がる破壊にも暴力にも、ミヤギには手が届かない。止めることも救うこともかなわず、ただ目前の恐怖や恐慌が景色のように過ぎていく。


 これがこの場所だけでなく、この空の下の至るところで起きているのだと、コウノは言った。


 そう言ったコウノも後ろのメルベも、戦場を見つめて涼しい顔をしている。二人とも。

 慣れているのだと、そうは簡単に思いたくなかったけれど。


「この世界では、ある目的のためにもう七十年も人々が争い続けている」

「……目的?」

「最後にこの世界に住まう種族を決めること。つまりは他の種族を潰し、たった一つの種族が、国が生き残ること。……この世界にはもう、全ての人間を生かしておくだけの資源がない。今もなくなり続けてる。環境破壊が急激に進み、限界を超えた世界、とでも言えばいいかな。あと十年もせず、この世界は完全に荒廃すると言われている。今の人口をそのまま保ち続ければね」

「……」

「だから、この世界に住まえるたった一つの民を決めようとしているんだ。……野蛮なことに、最も簡単な方法で」

「それがこの戦い、ですか」

「そう。そしてこの戦いを早急に収束させることが、神の望みだ」

「じゃあ僕は、この世界の生き残りをかけた戦いを終わらせるためにここに呼ばれた、ということですか?」

「飲み込みが早いね。まあ、そうだね。戦いを終わらせる、というよりは……」


 コウノの言葉の先を継いだのはメルベだった。


「――この世界の、たった一つの国を。あなたが呼ばれた理由はそれだけよ」

「メルベ……」


 険しい表情でこちらをにらむ彼女に、コウノは困ったように頭をかく。

 しかし、そのまま彼が口にした言葉はメルベの視線以上に剣呑なものだった。


「まあ、そういうことだ。この世界にいる以上、俺たちもこの世界のルールに従わなければ生き残れない。それに、俺たちが最後の一国を生き残らせることができれば――――元の世界に帰れる」

「ルールに従えば、帰れる?」

「残念ながら、それが唯一、神が俺達に示した元の世界に帰る方法なんだ」


 困り顔で、それでも穏やかな笑みを絶やさないコウノ。

 ミヤギは彼に問うた。


「一国を生き残らせる、とは、この戦いに参加して?」


 本当に察しがいいね、とコウノが微笑む。


「そう。見ての通り、俺も軍人としてある国に力を貸している。俺だけじゃない。この世界には何百という異世界の人間が連れ込まれ、目的を達するために戦っている。君もそのうち、俺以外の異界人に出会えるよ」


 生き残るとは、まさにその通りの意味らしい。

 国同士の生き残りを賭けた戦争に参加することが、ここに呼ばれた者の『使命』なのだ。


「異界人はこの世界に来ることで、この世界の人間をはるかに上回る体力や筋力を得る。感覚だって鋭くなる。君もこれから実感するだろう。今の君には、君が思っている以上の力が備わったんだよ」


 コウノの言葉を聞いて得心が行った。

 おかしいと思っていた。荒野をあんなに歩き続けて、体は何ともない。

 一度渇水で倒れたが、雨水を飲んでからはまるで体だけ別人になったように身軽になった。


 それが、異界人に備わった力のおかげだというのなら。


「この世界の住人たちは、異界人の存在を貴重な戦力と捉えている。だからその力を頼って、君を召し抱えたいと言ってくる国が出てくるはずだ。君はその中から、最後に生き残ると思う一国を選ぶんだ」

「コウノさんも、その一国を選んだんですね」

「ああ。俺が力を貸している国の名は『光領こうりょう』。今やこの世界の半分以上を勢力下におさめる一大軍事国家だ」


 彼は自らの胸に輝く徽章、それを右手で押さえて示した。

 注ぐ太陽に眩しく照らされる、光を思わせる八角形の銀の紋様。

 それが『光領』という国の国旗か何かなのだろう。

 メルベの胸にも、同じものが輝いていた。


「君が元いた世界の『道徳』からしたら、これはとんでもない話かもしれない。俺も最初は戸惑ったよ。でも俺たちに備わった力は、俺たちの戦いを助けてくれる。……君は選ばれたんだ」

「選ばれた……」

「そう。この世界の争いに終止符を打つに相応しいと、この世界の神自身が君を選び取り込んだ。誉高き世界の救世主としてね」

「……」

「――さて次は、君がこれから具体的にどうするか、だけど」


 そうして彼……コウノは、鳴り響く砲音の中で微笑んだ。

 

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