第8話 戦場2
「次はこれから君がどうするかだけど」
そう言ってコウノは鳴り渡る砲音を背に笑った。
背筋に冷たいものが走る。
そう、とっくに気付いていた。彼もまた、ミヤギが生きた日常を越えたところにいることには。
荒野で感じた、盗賊などよりよっぽど危険な空気。メルベと、特にこのコウノという人から感じる、拭いがたい争いの気配。
戦いを業にする者が放つ、底の知れなさを感じたのだ。
こうして笑顔で接している間も、彼は決して隙を見せない。
ミヤギは思わず、後ずさりしたくなる衝動を押さえた。
そんな相手の様子も気にせず、コウノは話を先に進める。
「今、君がいるこの場所。荒野の果ての窪地の、そのふちにある軍事基地だということは分かるだろうけど……」
岩山の裏にある先ほどの塔の群れを指すように、彼は首を巡らした。
「俺達がいるから分かると思うが、ここは『光領』の基地だ。でもこの地方はまだ光領の支配下ではない。ここはこの地方を落とすために築かれた、光領の駐屯地ということになる。俺達はそこに派遣された、いわゆる攻略部隊ってやつだね」
コウノとメルベは、この地方――どれほどの規模があるのかは知らないが、コウノの言うこの地方という所を攻略するため、何万という規模で派兵された光領の軍の一員だという。
光領がここに攻め込んで三ヶ月。
窪地の周りの街は大方制圧が終わり、彼らはまた次の街に進軍する段に入っているらしい。
その攻略部隊の中にもいろいろ役割があって、コウノたちはときどき荒野に巡回に出る。
基地に届く物資を略奪する盗賊たちを牽制するために。
そこでたまたまミヤギを拾ったのだ。
コウノとメルベは、戦闘には直接加わっていないようだった。
その代わりに、巡回の役目を負っているらしい。
先ほどまでの兵士達の態度からして、彼らはけっこうな地位にあるようなのに、それが下働きとは謙虚なことだと思ったが。
それを口にすると、コウノは謙遜するように笑った。
「ああ、そうだね。俺も一応、一兵卒というわけじゃない。でもこれは特別なことじゃないんだよ」
彼はもう一度胸の徽章を指で撫でてみせる。一般兵とは明らかに違う、銀色の輝きがそこにはあった。
「この世界じゃ、異界人は誰でも英雄だ。どの国でも特別待遇で迎えられる」
特に光領は異界人を優遇してくれる、とコウノは続けた。
この世界に来たばかりの異界人を守り、育て、この世界を生き残るだけの力に目覚めさせてくれる。どころか、やがては一国を背負う英雄になれるだろうと。
そうして力を付けてきたのが光領という国であり、そこで育った異界人の力で、多くの強国を打ち破った。君もこの国の世界制覇に、ともに力を貸そう。
「今や世界の趨勢は光領にある。ほとんどの異界人がここに味方している。この地方も、あと一月もせず光領の勢力下に入るだろう。君もここにいたほうが安全だ」
「…………」
「神の望みに今一番近いのは光領だ。ここに付けば、元の世界に帰れる可能性も高い。何と言っても、」
「…………」
「…………」
「? どうしたんですか?」
「そんなに驚かないんだね」
「え?」
「こんな話をしたのに。荒野で会ったときからずっと、落ち着いたその目のままだ」
「ああ、すみません。ぼーっとしてるように見えても、話は聞いてましたから」
慌ててそう言うと、コウノがふふっと吹き出した。
今までとは違う、自然な笑みだった。
「いや、ごめん。君は本当に、この世界に来たばかりなのかな? 俺もかなり色んな異界人を見てきたけど、君みたいな人は珍しいよ。その胆力があれば、ここでうまくやっていけるだろう。是非とも、光領に力を貸してほしい」
「……胆力、ですか。僕にもそんなものがあれば良かった」
コウノの視線から顔をそらして、ミヤギは落ち着いているというその目を空中に向けた。
ふと、砲音に耳を澄ませる。
何がしたかったわけでもない。
ここが異世界……過酷などこかだということを確かめたかっただけだ。
この荒野に、戦場に放り出されれば、次は分からない。
この世界で安全に生きるための道を、今コウノが指し示してくれているのだ。
少なくとも今のミヤギにとって『最善』の道を。
すべてを破壊しようとする轟音は、いつまでたっても止むことはない。
爆煙は休むことなく立ち上り続ける。
褐色の街は目の前で壊れていく。
違う世界に来てしまった。
争いが延々と続くという、異世界に。
今瞳に映っている光景。これがこの世界のあらゆる場所で起こっていると言うのなら、自分一人でそこを渡り歩く力はあるだろうか。
それどころか今日を、今を生き抜く力はあるだろうか。
突然訪れた、荒涼とした見知らぬ場所で。
選択肢は限られている。
「さっきの……」
「え?」
「ほとんどの異界人が光領に味方するっていう話」
「ああ……」
「あとのほんの少しの人たちは、どこに行くんですか?」
面食らった、というのが一番いい表現だろう。
目の前の青年は、しばらくぽかんと口を開けたままこちらを見ていた。
さっきまでの余裕のある態度は崩れ、呆気にとられたようにミヤギの顔を見つめている。
今まで『あとほんの少しの人』のことを聞いた者など存在しなかったらしい。光領に味方しない道を選んだ者など。
穏やかだったコウノの表情が初めて崩れた。
いや、表情が消えたというほうが正しいだろう。
またあのガラスのような瞳だ。
そして一瞬、――ミヤギの勘違いではないだろう――本当に一瞬、メルベ以上の冷えた視線が刺さるのを感じた。
やはり彼……コウノは、ミヤギの生きた日常を越えたところにいる人間のようだ。
こんな顔ができるようになるまで、彼はこの世界で何を見てきたのだろう。
目の前のその人は、改めて、ミヤギという人間を芯から観察しているようだった。
視線が交錯する。
コウノは黙ったまま、静かにミヤギの瞳を見ていた。
しかし、しばらくして一つ息を吐くと言った。
「この戦場の向こうに街がある。さらにその外れ。人里離れた山の上に、流れ者の集う村がある。――そこへ行くといい」
「コウノ様……!」
何かを咎めるようにメルベが叫ぶ。それには目もくれず、コウノは話を続けた。
「その村になら、君を助けてくれる人がいるだろう」
「ありがとうございます、コウノさん。そこに行ってみます」
メルベの顔が恐慌状態に引きつる。
コウノは反対に、ミヤギに向かって再び微笑みを浮かべた。
「いいのかい? ここにいるなら衣食住くらいは保証するのに」
「すいません。良くしてもらっておいて……」
「いや、いいんだよ。俺も少し強引だったね。各地を回って、どの国に付くかは君が決めることだ。この先長い旅になると思うけど、頑張って」
コウノの微笑みは苦笑に変わったが、それでも彼は穏やかな物腰のままだった。
そのままミヤギに今夜の宿の提案をしてくれる。
「とりあえず今夜はここに泊まるといい。今出発すると、街に着く頃には日が暮れてしまうからね。明日の朝、馬を用意させよう」
メルベの顔は青ざめたまま。
あり得ない光景を目にしたとき、きっと人はこういう顔になる。
光領に付かず村に行く、とはそういうことらしい。
ミヤギにはまだ、とんでもない答えを出した、という実感は湧いてこなかったが。
「大人しいようで、しっかりしてるね」
岩山を下りるために歩き出したコウノの言葉だけが、ミヤギの耳に残った。
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