第6話 岩の城2

 そうして地下道を経てたどり着いたその場所は、薄暗くひんやりとした空気に覆われていた。


 ミヤギが階段を上りきると、コウノが薄暗いその部屋の扉を開け、外に出て行くところだった。

 ドアの先には光が射し、大きな穴が空いているだけの窓が並ぶ、円形の廊下に続いていた。


「ここがさっきまで見えていた塔の一つだよ」


 そう言われて、手近にあった窓から外を見る。

 ずいぶん離れた場所に、先ほどの厩舎が見えていた。


『城』というのは、先ほどの岩の塔の群れのことだったらしい。

 厩舎から地下を通り、地上に出ることなくここまでやって来たというわけだ。

 先ほど見上げていた塔の一つに、ミヤギは立っているのだ。


 窓の外には、どこまでも立ち並ぶ他の岩の塔が見えた。

 塔の内部から見上げても、空に向かって群れをなすそれらは先頭が霞むほど高く、隙間なくそびえていた。


 そしてミヤギは見上げながら、ふとあることに気付いた。

 

 並んだ岩の塔の中でも一番高い塔。群れのちょうど真ん中に建つその塔の頂上にだけ、灯台のようなものが建てられていることに。


 ミヤギがそれを灯台だと思ったのは彼に軍事基地などの知識がないからで、それが何であるかの答えは出なかった。

 分かるのはそれがとにかく巨大だということだけだ。

 あまりに巨大すぎて、灯台の先頭は遥か雲の真下まで届いていた。


「ほら、行くわよ」


 ぼうっと窓の外を見ていると、廊下の先に立ったメルベがこちらを睨んでいた。

 慌てて小走りで駆け寄る。


「さあ、ここからは造りが複雑だから、迷わないように付いてきて」


 コウノが廊下を先導していく。

 彼の言う通り、土造りの内部は丸い廊下に沿って幾重もの部屋に分けられ、通る者の頭を混乱させていた。

 その廊下も小部屋や扉によって何度か遮られ、そのたび足を止めさせられる。

 そしてときたま現れるいくつかの階段をコウノが法則性なく上がっていくため、ミヤギにはもうどこをどう通ってここまで来たか曖昧になっていた。


 しかし塔の中は外の熱気と切り離されたかのように涼しく、そして静かで、歩いていく三人の足音が響くのみ。

 誰かとすれ違うこともない。

 光の届かない部屋の中には地下道にあったようなランプが灯っていたが、置いてあるものと言えば小さな木机くらいで、どの部屋も閑散としていた。

 

 本当に静かだ。


 しかし、同時にどこか言いようのない感覚をミヤギは覚えていた。

 肌にぴりぴりと伝わる、わずかな緊張感を。


 静かだからこそ、いまだ間隔を置いて続く空の砲音がここではさらによく聞こえた。

 正体の分からぬ砲音が外の空気を震わせるのが。


 そして塔の内部をコウノに導かれるままに進み、十数分は過ぎただろうか。


「あの部屋が俺の部屋だ。ずいぶん歩かせて申し訳ないね」


 ある部屋の扉を前に、コウノはミヤギを振り返った。


 その扉の前には一人、今まで出会った人物達と同じ制服を着た兵士が立ち、こちらに敬礼していた。

 コウノはその兵士に何か言いながら、部屋の戸を引く。

 声をかけられた彼は、コウノに向かって頷くと、小走りでどこかへ去っていってしまった。


 そして中に入ると、広い部屋の中にも一人、小柄な兵士が控えていた。

 コウノは彼にも言葉をかける。


「今巡回から帰ったよ、タック。何か変わったことはあったかな?」

「はっ。異常ありません、隊長」


 そう言い終えると、タックと呼ばれた兵士は部屋の真ん中をコウノに譲るように、すぐさま壁際に移動した。そのまま姿勢を正してその場に控える。

 メルベも部屋に入るなり、彼のとなりにむっすりとした表情のまま並んだ。

 その光景を背に、コウノはミヤギを部屋の真ん中に通す。


 広い部屋だった。

 正面にある大きな窓の外の景色から、いつの間にかずいぶん高い所まで上ってきたことが分かった。

 壁際には執務用なのか、文机がいくつか並び、その上に調度品のランプが置かれている。

 そして部屋の真ん中には向かい合った背もたれ付きの椅子が二脚。丸いテーブルを挟んで置かれていた。


 その一つをミヤギにすすめて、コウノ自身も席につく。

 座りながら、彼はようやく向かい合ったミヤギの顔をまじまじ見た。


「ええっと、ごめん。そういえばまだ君の名前を聞いてなかったね」

「そうだった。僕はまだ名乗ってませんでしたね。すいません、ミヤギです」

「ミヤギ、か。何だかお互い親しみのある響きだね。もしかしたら、俺たちは同じ世界の、同じ国の出身なのかもしれない」


 一瞬、頭が混乱した。

 コウノは何と言ったのか。


 同じ、

 同じ世界の出身というのは一体どういうことだろう。


 同じ国の人間というのは多少は頷ける。


 確かにコウノはどこか懐かしさを感じさせる風貌をしていた。顔立ちも、目鼻がくっきりしたメルベよりは親しみやすい。

 だが目の前のコウノは……いわば騎士然としていて、話は通じるがとても同じ『世界』の人間には思えなかった。

 腰に細い剣を佩いた軍服姿はまさしく、昔話の騎士のそれだ。

 詳しくはないが、あの剣はサーベルというものだろうか。

 少なくともミヤギがいた世界には、そんな剣を腰に差している者はいなかった。


 しかし混乱するミヤギの心境など知らぬように、コウノは薄く微笑む。


「ああ、ごめん。これは今必要ない物だったね」


 ミヤギの視線に何か思うところがあったのか、コウノは慌ててサーベルを押さえた。

 腰から外し、そのままタックに預ける。

 またもメルベが苦い表情をしていたが、それも意に介さないように。 


「さて、どこから話そうか」


 剣を置いたコウノは改めてミヤギに向かい合って、長い腕を組んだ。若さに似合わぬ優雅な仕草だった。


「ミヤギくん、ここに来るまではどこに?」

「……よく覚えてないんです。帰り道に、多分、事故か何かで川に落ちて……気付いたらここにいました」

「来たばかり、ということか。それなら、ここのことを詳しく説明しないといけないね」


 来たばかり、というのはどういうことだろう。

 川の中から、一体どこにやって来たというのか。

 ミヤギは次々こみ上げる質問を口にしようとした。

 そのとき、不意に部屋の戸が叩かれた。


「と、話の前に君の相棒の手当てをしなきゃね。動物に薬草が効くかどうかは分からないけど」


 コウノが言うと同時に、先ほど小走りに去っていった兵士が盆を抱えて部屋に入ってきた。

 盆の上には銀色の水差しと透明なグラスが二つ、それと手の平ほどの大きさの紙の袋が載せられていた。


「ケガに効く薬草だよ。この辺りでは一番効き目があると言われている」


 兵士の持ってきた紙袋から包帯と綿、透明な液体の入った小瓶、それから薬壺のようなものが取り出される。どうやらコウノはこれを持ってくるように言っていたらしい。


「ありがとうございます、コウノさん」


 そして薬だという一式を受け取ろうと手を伸ばしたミヤギを制して、コウノは厚手の布をテーブルの上に敷いた。


「彼をここへ」


 その言葉に、ミヤギがそっとネズミを布の上に寝かせる。


 コウノは慣れた様子で、消毒液だろうか……透明な液体を自身の手に振りかけ、それを染み込ませた綿でそっとネズミの傷口をぬぐった。そして薬壺から緑色の軟膏を指にすくい取って、またも慣れた様子で傷口に塗り込んでいく。

 ネズミは眠ったまま目は開けなかったが、しっぽがわずかに上下した。


 それが終わるとコウノは手際よく綿と包帯をネズミの体に巻き、傷にさわらぬよう、ゆっくりと彼を布の上に戻した。


「手当、上手いですね」

「職業柄、ケガと傷は日常茶飯事だからね。さあ、後は彼の体力次第だ」


 コウノは布地にネズミをくるむと、そのままミヤギに渡してくれた。

 ミヤギが改めて礼を言うと、彼はどうもと微笑んだ。


 ミヤギの腕の中で、ネズミはすうすうと息をつく。

 このまま何とか目覚めてくれたらいい。


 ネズミをじっと見つめていると、目の前のコウノが吹き出した。

 ミヤギを安心させるように微笑む。


「大丈夫だよ。この世界の生き物はみんな体が丈夫だから」


 また言われた、この世界という言葉。

 どういうことなのだろうか。ここは一体、何なのだろうか。

 彼はどうして、ミヤギの前に通りかかったのだろうか。


「あの荒野に僕がいること、コウノさんは知ってたんですか?」

「え? ああいや、たまたまだよ。盗賊を警戒して荒野を見回っていたら、偶然君を見つけたんだ。でも不思議なことじゃないよ。あの荒野には、よく君のような人が彷徨ってるから」

「僕のような人が、彷徨う……」

「ああ。だけど、君は不思議な目をしているね。ここに来て、最初にそんな落ち着いた目をしている人は、滅多にいないよ」 


 目の前のその人は一体、何を言おうとしているのか。

 彼は自分を誰と比べ、何を考えているのだろう。

 通りかかったのが偶然なら、どうしてミヤギをここに連れてきたのか。


 そんなことを思っていると、不意に人払いするコウノの声が聞こえた。

 テーブルに水差しとグラスを置いて兵士たちが去っていく。


「本題に入らないとね」


 コウノの視線が、まっすぐミヤギを捉えた。

 さっきまで浮かべていた、穏やかな笑みが消える。


 そして彼が次の言葉を口にする前、ミヤギは確かに空気の震えを感じたのだった。


 何だろう、肌が粟立つような、この感覚は。



「君は、『異界人』だね?」


 言われた言葉を飲み込むのには、だいぶ時間がかかった。


 コウノの目はガラスのように作り物じみて、ただミヤギの姿を映している。

 ……だから、冗談を言われているわけではない、ということはすぐに分かった。

 ミヤギの手の中で、ネズミは静かに息をついていた。今はそれだけがはっきり聞こえる。


 異界人。異界人とこの人は言った。


 その言葉は二人の間の空気に溶けて、何もなかったように沈黙が降りる。


 先に視線をそらしたのはコウノだった。

 彼が見ているのは、テーブルに置かれた銀色の水差し。


 彼の部下――多分そうだろう――が持ってきた水差しを、コウノが手にとる。しかし、わざわざグラスに二人分注いだ水を、彼はなかなか勧めてはこなかった。

 代わりに、じっとミヤギを見つめる。


「君はすでに、この世界で水を口にしているようだね」


 水? さっきから口にされることの全てが飲み込み難い。

 何のことか分からず目を瞬いていると、コウノはミヤギを気にした様子もなく立ち上がった。


 それからようやくさっきまでの穏やかな顔になると、ミヤギにグラスを渡す。


 そして次の言葉も、彼は穏やかに紡いだ。


「――ついてきてほしい。君に見せたいものがあるんだ」

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