ねこ

『好きかも……だよね 』


放課後の教室。


黒板の文字を消す私の背中に松田祐希が言ったので、私は大袈裟に溜め息を吐いてから振り返った。


『好きかも、じゃ駄目でしょ? 親友として言わせて貰えば。 彼女の事を不安にさせる様な男は確実にフラれる運命だよ』


『でも、美咲には……何かが、足りないんだよね』


二人だけの教室。


最前列の机に腰掛け、ペンを噛みながら宙を眺める祐希。私は、再度溜め息を吐いて、そのペンを祐希の口許から抜き取った。


『止めなよ、汚ない。 アンタ、自分の事を棚に上げて彼女が物足りないなんて良く言えるよ』


私は、ペンを机に置くと腕を組み、祐希と同じ様に宙を睨んだ。


私は祐希の事なら、殆んど何でも知っている。


好きな教科、嫌いな教科。


好きな音楽、苦手な音楽。


食べ物、洋服、楽器に、アイドル。


全て、祐希の好みは分かる。


もっと言えば、一年の時に付き合っていた彼女の癖や、二年に成ってから三人の女の子と同時に付き合っていた事。 最近は祐希の部屋の鍵の調子が悪い事まで知っている。


まぁ……


幼馴染みだから………なんて言い訳は止めて、本心を告白すれば。


祐希が好きだからだ。


幼い頃から、ずっと好きだった。


好きだから、全てを知りたいと思う。


それでも、私はストーカーでは無い。


だから、祐希に接する態度には気を付けている。好きな女の子が出来たと相談されれば夢中で仲を取り持ち。別れて寂しいと言えば、仲間を集めてカラオケに繰り出した。無意味で情けないと自己嫌悪に陥る時も多々あるが、祐希の好みを完璧に把握している私としては、完全な告白などと言う自殺行為だけは避けたかった。


『んで……別れたいの?』


私は宙を睨み続けながら訊いた。


『どうかな? 嫌いじゃ無いよ』


『嫌いじゃ無いよ、ってアンタ本当に何様なのよ……なんでアンタみたいのが、モテるのかが分からん』


祐希の気の無い返事に溜め息を吐きながら言った私も同じだが、なぜか裕希には女子が群がる。特に美男子な訳でも、凄く話が上手い訳でも無い。又は、金持ちでも粗暴でも無い。


なんだろ?


上手くは、言えない。


でも、あれだ!


祐希には放っておけない何かがある。


例えば、雨の日の学校帰りに、見付けた捨て猫だ。


切ない声で呼び止められると、父に説教されると分かっていながら家に持ち帰らずにはいられない。自分が守ってやらなければ直ぐに駄目に成ってしまうと、女性に感じさせる危うさと儚さを持っている。


でも、当の本人はヌクヌクとした室内で高級猫缶を平らげると礼も言わずに何処かへ旅立ってしまう。


正に、そんな奴だ。


『ってか、留美は?』


『何が?』


突然の切り返しに言葉に詰まった。


『留美の好きな男は、どうなったのよ?』


そんな私の仕草に気付いてニヤ付きながら祐希が訊いたので、私は黒板に向き直った。


『別に!告白したけど……通じなかった。』


『何だ、それ?』


祐希が両手を上げてジェスチャーする。


『通じなかったの! 告白したけど! 告白に成らなかったの!』


私は既に消えている文字を更に黒板消しで擦り付ける。


二週間前の、恥ずかしさと苛立ちを無意味な行動に転換させる。


あの時、確かに私は祐希に告白したのだ。


そりゃ……逃げ腰で、回りくどくて、不明瞭な、告白だったかも知れないが私はあの日確かに、祐希の恋人が羨ましいと告げたのだ。


まぁ、好きな奴が私の気持ちに気付いてくれない鈍い奴だから告白する気にも成れないとかなんとか……とにかく回りくどい言い方はしたが、私は言いたい事は言ったのである。


『そっか……大変だな』


祐希は、そっけ無く言うと机から降りて鞄を漁り始めた。


『何してるの?』


『携帯……探してるの』


『何で?』


『美咲にメ―ルするの』


『何て?』


『別れて下さい! ってね』


『馬鹿なの?』


淡々と話す祐希に驚いて大声に成っていた。


『何で?』


『何で、って簡単に別れて良いの? しかも、別れをメ―ルで? 無責任だし相手の事とか考えないの?』


私は、段々と腹が立って声の調子は上がる一方だ。


『簡単……じゃ無いよ』


『嘘! 今、決めたでしょ?』


『うん、今決めた』


私は、馬鹿だ!


祐希の言葉にはっきりと自覚した。


同時に、こんな無責任な男をずっと好きだったのかと情けなく成った。情けなさが憤りに、憤りが怒りに変わる。


『本当に何なの? 自分は何様のつもり? 好きな女を苦しめる事を平気で出来るんだ? 最低だね。 見損なったよ』


私は一気に捲したてると、大きな溜め息を吐いて自分の席に戻った。


早く、教室から逃げ出したかった。


早く、視界の中から愚かで自意識過剰な男を追い出したかった。


それ以上に、自分の情けなさに泣きたく成った。祐希の事で泣いている自分を見せたく無かった。


『でも、ずっと迷ってたんだよ』


祐希の言い訳を無視する。


鞄に筆記用具を乱暴に投げ入れる。


溢れ落ちそうな涙を必死で堪える。


『好きな奴が、出来たんだ。 だから、仕方無いだろ? 美咲に嘘をつきたく無いし』


都合の良い言い訳を弾き飛ばす。


教科書とノートも鞄に入れる。


嗚咽しそうな唇を噛み締める。


『二週間前から……好きな奴が出来た……ってか、その時初めて気付いた』


二週間前と言うキーワードに呼吸が止まる。


だが、昂った感情は冷めてはいない。


苛立ちが消えた訳では無い。


『いや、ずっと……好きだったのかも知れない。多分、本当は好きだった』


身勝手な思考が苛立ちを消す。


祐希が新たに好きに成った人が気になる。


誰だ?


『好きなのに……そいつに嫌われるのが怖くて……俺は、いつも自分に嘘をついて誤魔化してた。 だから……だから、誰と付き合っても上手く行く筈も無いよな』



子猫が泣いている。



切ない声で泣いている。



『でも、そいつが好きな奴に告白したいって話を聞いて、はっきりと感じた。 手放したく無いのは目の前にいる女の子だって……』



子猫が泣いている。



濡れた段ボール箱の中で、切ない声で泣いている。


家に連れて帰って温かいミルクを飲ませたい。


柔らかいタオルで包んであげたい。


例え、猫が家を飛び出し新しい飼い主を見付けるかも知れないと分かっていても。


私は、猫を無視する事が出来そうに無い。



『そんなに好きなら、告白してみる?』


泣きながら訊いた私の向かい側で、笑顔の祐希が微笑みながら頷いた。



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