第5話


「ここは?」

「俺の部屋ですよ」


一瞬で見える景色が変わって、さぞかし驚いたろう。

5階建ての、そこそこぼろいアパートのようなマンション。角部屋だが、一応は最上階だ。先程までいた学舎も、その向こうに構える11階建の病院の先端も望むことが出来る。

等身大の窓だけがこの建物の売りだそうだが、俺には迷惑極まりない。しかしやはり普通の人間には良いものらしく、女は少しうっとりして窓の外を見つめている。


「思わず誘拐してきてしまいましたが、後でちゃんと病室にお連れしますよ。それまで、私ともう少しお話をしませんか」

「いいわね!ここ」

「この部屋ですか?」

「学校も、車も、空も見える。うるさいけど静かで、周りから切り離されてる感じがして居心地がいい……」

「………………」

「ここをお墓に出来たらいいのに」


女は深く呼吸をするとそのように言った。

どうやらここを気に入ったようだが、それは残念ながら無理な話だ。

窓に向かう背中から、身体に流れる血液の白い光の輝きが強くなってきたのが見える。死期の近い人間の光だ。これを、咄嗟に逃したくない衝動に駈られた。


「もしも」


もうごく近いうちに俺の目には手に届かないところへいってしまうのだな。

そう思うと何か妙な気分だったからなのかもしれない。目の前のか細い肩を強く掴んでいた。


「もしも俺が貴女に命をあげることが出来たら、喜んでくれますか」

「え?なあに?」

「………俺は」


この世に災厄を振り撒いた悪魔だ。もしかすると貴女の病気も、お孫さんとのことも、みんな俺の作った鏡のせいかもしれない。


「そうなのね」


今俺はそのせいで、悪魔としてはもう死んだようなものになってしまっている。神の罰を受け、死ねない 身体にもなっているが、貴女のような人間にならこの命を捧げることを打診すれば、神はきっと許すだろう。


「そうすれば、あんたはまだ生きられる」

「……そうかしら」

「ええ。俺は、生まれてはじめて人間に対して生きて欲しいと思っている。どうか俺のこの命、受け取ってください」


飲み込んだ鏡は全部あの世に持ち帰ります。


「どうか」


女はなにも言わなかった。

身動きもしないで、薄い病院服の袖を風に遊ばせている。


「ありがとう」


長い沈黙の後、女はようやく少し大きな声でそう言った。

交渉は成立したと、俺は思った。


星空の夜が更けた頃になって、そっと彼女を一日中空いたままになっていたベッドに横たえてやった。

満ち足りた1日の夜だった。






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