第2話
「次の方」
ようやく自分が診察室に入ることが出来たのは午後になってからだった。
人間たちに囲まれているというだけで心底嫌な気持ちというのに、まさかこんなに待たされるなんて。
「予約の患者さんが先ですので」
すみません。
へたくそな作り顔で看護士の女は頭を下げた。イラつきの透いた笑い顔。おもしろいので嫌いではないが、俺自身の方はなんだか最近おかしくて、あれほど待たされたというのにかつてのように怒鳴り散らすこともしていない。
「いや、予約していなかった私が悪いんですよ」
自分から頭まで下げてしまう。それは、だれでもいい。助けてくれ。叫び散らしている心境の表れだろう。耐え切れないほど苦しくなる度に惨めな思いで訪れる何度めかの心療科だが、どうせこの嫌らしい目付きの若い医者もこれまでと変わらない診断で俺を突き放すだろう。促されるまま医者の前に座ってはみたものの、まるで下位の者を慰めるようなしっとりした笑みを見せられちゃあ。
どうしました、じゃねーよ。
まあ。だいたいそもそもの話。悪魔を助けるものなどいるはずがないのだが。
見てもみろ、同類(悪魔ども)だってあれから一度も来やしない。
診断は、薬を出してくれる以外は魔界の医者の診断と何ら変わりなかった。待ち時間にみあわない、ごくあっさりとした診察を終え、外に出るなり処方された薬を全て一気に食べきると、途端馬鹿らしくなって笑いが込み上げてきた。
「無駄なことを!」
人間の飲む薬など食ったところで、なんの救いにもならない!益々惨めになるだけだ。
しかしわかっていても、この臓物全部吐き散らかしても足りないような現状に脳が我慢ならなくなるのも事実なのだ。こうして必死の助けを無下に棄されて、改めて絶望を味わうことがむしろ今の俺には助けなのかもしれない。
精神を診る場所とは思えないような、なんの飾り気もないコンクリート造りの階段を下り、向かいのコンビニのゴミ箱に薬の空を放り入れた。
俺もまあこういうことになってから永いもので、慣れてきたといえばそうだが、だからといって全く平気になったわけではない。
定期的にやはり、脳神経がバチバチと弾けてぶちギレるような、激しい拒絶反応が出る。やりたいこととやることとがみんな真逆になってしまうせいで暴れることも出来ないし、汚い言葉で神を罵ることも出来ない。
本当はいっそ死んじまえばよかった。 だが鏡の運搬を小悪魔どもがしくじったおかげで、鏡を飲み込んでしまった俺のことを知って面白がった神に、不死にされてしまった。
腹が立つ。
奴は本っ当に腹が立つ!!
「アキヤマー、がんばれー!」
「お前が最後の希望だーっ」
苛立ちを顔にも出せないままふらふらと歩いていると、子供の声が聞こえてきた。
同じ服を着たガキどもがわらわらと、校庭でまた何かやらされているのか。
うるせえ。くだらねえ。そう言ったつもりが、声に出せば喉のところの細胞か何かが反射して別の言葉に変換される。
「賑やかで、ずいぶん楽しそうだ」
……口に出すんじゃなかったんだった。
俺も今日は大概キている。今日もさっさと帰ってしまうのがいいな。外にいるもんじゃない。
ああ、踏み散らかしたい衝動に反して、炉端の妙な色の花を愛しげに見つめてしまう俺の、なんと気持ちの悪いことか!
さっさと立ち去ろうとぶらつく足を早めたときだった。
「本当ですこと」
その校庭の木の影に、誰か居たらしい。俺の小さな独り言を聞いたんだろう。声のした方を覗きこむと、穏やかそうな白髪の老婆がいて、高価な絹のような声で言った。
「子供の声って、いいですわよね。明るくって」
俺に言っているのか。
わかりかねたが、気付けば足は丸太の策を跨いでいた。
「運動会の練習かしら」
そうかもしれませんね。
そう言って返すと、電動機能のある車イスの老婆は嬉しそうにこちらを向いた。
「あら。お若い方だったね」
本当はあんたよりずっと年は上だよ。言わずに笑い返してやった。
そのババアはまたガキどもの方を向いて、目を細めた。
足が悪いのは見た目ですぐに判るが、それよりも血液が良くないように見える。
「おばあさん、一人でここへ来たの」
「うん。あそこの、病院の庭からね、子供達の声がしたんでちょっと年甲斐もなく冒険がてらに出てきたの」
「危ないなあ」
「ねえ。自分でもそう思ったわ。でも、まあ来られたってことは、来てもよかったのよ」
走り回る子供を眺めながら、独り言のようにそう言った。そのうちに、学舎の鐘が鳴った。教師に礼をして、子供は誰に命じられてもないのに皆同じように校舎の中に入っていった。
「そろそろ戻ろうかしら」
ぎち、と電動イスが少し軋んだ。
ババアは、少女のような目で俺を見て、おそらく何かをねだってきた。
「どこへ行きたいんですか?」
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