第7話7.(Fin)
7.
晩夏の青空が、夕焼けの色に染まりつつあった。
ヒューズビーの村の、メドロック川のほとりで。
メアリは普段のように、川辺の野原に咲きほこる花を編んでいた。
僕は、微妙な距離を置いて、彼女の隣に腰掛けている。
僕は川面を、メアリは花を見ながら、僕たち二人は会話を続けていた。
――最初は、比較的楽しく言葉が交わされていたと思う。
しかし、僕はふとしたことから、心に抱えていた重荷を、つい口に出してしまった。
「……軍に、行くことになった」
メアリは、花を編む手を休めて――そっけなく、小声で答えた。
「知ってる」
ヒューズビーの村は狭い。広めたくない事柄も、すぐに人々の間に伝わってしまう。
「父さんの、知り合いの軍人さんによれば、今の状況では、西の大陸に赴くことになるだろう――って。父さんは、僕になんて言ったと思う……?」
僕は……言葉が止まらなくなってしまった。メアリには話したくないことだったのに。
内心の焦燥から、逃れられなくなっていた。父さんや兄たちとの関係がぎくしゃくしており、僕は家に居心地の悪さを感じていた。話を聞いてくれる相手が、メアリしかいなかったのだ。
それでも。メアリにはこんなこと、話したくなかったのに。
まるで自分ではないかのように、口をついて出るように、言葉が溢れだした。
夕暮れの中で、僕は穏やかなメドロック川の流れを見ながら、愚痴のような――いや、愚痴そのものの話を続けた。メアリは花を編みながら、それを無言で聞いていた。
……僕のみっともない話に、一区切りがついた頃だった。
「できた」
メアリは軽く口元をほころばせながらそう言って、僕にそれを見せた。
それは、花の冠だった。小さな白と紫の花弁が彩る、丁寧に編まれたティアラ。
彼女は冠を、僕に向けて差し出した。受け取って欲しいらしい。
僕はそれを眺めながら、戸惑いの思いを隠せずに、つい。
「……いいよ」
と、メアリに告げた。
惨めな気持ちに沈んでいる僕なんかに、綺麗な花の冠は似合わないと思ったのだ。彼女からそれを受け取る資格などない、とさえ感じていた。
メアリ、それは君が着けた方がいい――という思いは、言葉にならなかった。ティアラを着けた彼女の姿を、僕は心に描いていた。それはとても可愛らしかった。
メアリが、表情を固くしているのが見えた。
僕のそっけない拒否は、彼女の心をひどく傷つけたのかもしれなかった。
もしかしたらそれは、どうしようもないような、“取り返しの付かないこと”だったのかもしれない……僕の心が、そんな根拠のない恐れに満たされようとしていた。
しかし――メアリは、引き下がらなかった。
「ウィル。いいから、受け取って」
メアリが、ぐっと腕を差し出して、再び僕に花の冠を示した。
彼女は、何か複雑な感情をその瞳に宿していた。
受け取って欲しいらしい。どうしてなのか、僕には分からなかった。
そんなメアリの様子に押される形で――僕はティアラを手にとって、ありがとう、と言った。
メアリは、どういたしまして、と応えて、夕陽の照らすその顔に笑みを浮かべた。
何故だろう。
それは幸せそうでもあり、しかしどこか儚げな表情にも見えた。
花の冠のやり取りから、しばらく僕たちは言葉もなく、夏の橙色に染まる空を眺めながら、川辺の時を過ごしていた。
メアリの作ったティアラを指で感じながら、どこか気恥ずかしかったけれど、不思議と満たされたような気持ちを、僕は覚えていた。
……そういえば。
言いたいことがあるのを、ようやくそこで僕は思い出した。家族についての愚痴なんかよりも、それはずっとメアリに告げたかったことだった。
僕の夢についてのことだ。
「……羊飼いの、フィリップ伯父さんを知ってる?」
「ええ」
フィリップ伯父さんは僕の父の兄で、隣の村に慎ましやかな牧場を持っている。奥さんを不幸な事故で亡くしていたが、たまに赴くと、それを感じさせない明るい笑顔と、数十頭の羊たちが出迎えてくれた。
「この間、伯父さんが、僕に話してくれたんだ。自分が知る中で、僕が一番『見込みがある』って」
メアリは、話す僕の顔を見てくれているようだったが、僕は彼女と視線を合わせるのが恥ずかしくて、川面を向いてしまっていた。
夏の夕方の静かな風を浴びながら、僕は言葉を続けた。
「……伯父さんが、僕に言ってくれた。『お前は、羊を扱うのがとりわけ上手い。お前は兄たちのように腕っ節がいい訳でも、世渡りが上手い訳でもないが、多くの羊を巧みに扱える。ウィル、お前は羊飼いに向いている』って。それを聞いて、とても嬉しかったけど……僕は羊飼いになりたいわけじゃない」
ふと、メアリの顔を見る。彼女は、真剣な面持ちで僕を見つめていた。
彼女が、僕の今の話を聞いてくれていることを喜びながら。
メアリを見ながら。
僕は、心の奥で密かに思っていたことを、打ち明けた。
「……もし、軍務が終わって、無事に村に戻ってこられたら。いつか……工場をやりたいって、思ってるんだ。羊飼いではなくて。羊の代わりに、大勢の人に指揮して、働いてもらえるような……そういうことができたらいいなって、思ってる。もちろん、お金が沢山必要になるだろうし……準備も要る……だろう、けど……」
話しながら。
僕は、いつの間にか、泣いてしまっていた。
どうして。
……どうして、こんなに感情が溢れ出すのか、涙が溢れてしまうのか、僕自身にも分からなかった。メアリが、僕を見ているのに。
掠れた泣き声で、僕は彼女の名を呼んだ。
「メアリ」
僕は今、どんな面持ちで彼女を見ているのだろうか。きっとひどいのだろうと思う。十五にもなって、顔中を涙で濡らして、体を震わせて、嗚咽を漏らして。
それでも、メアリに言いたかった。
「必ず――なんて、とても言えない。でも、きっと、戻ってくるから。……君にまた会いに、ここに戻ってくるから。……だから……もし、君が、それを望んでくれるのならば……」
すべては、晩夏の夕空の下。
涙で霞む視界の中で、僕は、告げた。
「……その時は、僕のそばにいて」
【完】
インダストリアル・レボリューション,スタンド・バイ・ミー ムノニアJ @mnonyaj
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