第6話6.
6.
そのヒトの女性の姿をした存在は、純白のローブを身に纏っていた。髪の色も顔立ちも、メアリ・セジウィックとは似ても似つかない。
最初に彼女を見た時の印象として、地球時代のどこかで見た、何かの肖像画で描かれた人物に良く似ていると感じた。詳しくは思い出せないが。
彼女は、最後まで自らの名を語らなかった。もしかしたら、名など存在しないのかもしれなかった。だから便宜上、このヒトの女性で現出した存在を、白いローブの女、もしくは『肖像画の人』と表現することにする。
◆
「なんだっ!」
叫びながら、私はその三次元空間に現出した。
全宇宙の管理システムから、「緊急事態」として妙な警告が私の意識に流れ始めたので、現状の再現実験を中止せざるを得なかった。
私は苛立っていた。私を突然呼び出した警告情報の不確定な内容もあるが、『箱庭』の失敗が続き、その原因の糸口も掴めない現状にも怒りを感じていた。再現度を上げるために、私の『本体』の情報処理機能も本来のヒトにかなり近づけていたので、精神的なバランスもやや不安定になっていた。
周囲を見回す。
そこは、構築した覚えのない奇妙な空間だった。
白く輝く床が円状に広がり、周囲と上部には半球状の透明素材の壁が展開されている。その先には、広大な宇宙が見えた。さしずめ、宇宙のドームといったところか。
円形の床の中央に、私を呼び出したと思しき原因がいた。
――それが、『肖像画の人』だった。
◆
『ウィリアム・グッドマン』
白いローブの女――『肖像画の人』は、淡々とした口調で、私に言った。奇妙な言葉だった。音声を放っているのに、同時に一種の思考言語としても認知できる。
『あなたに全宇宙管理のための力を与えていたのは、私です』
女は無表情に私を見つめながら、続けた。
『……しかし、あなたは宇宙を滅ぼしてしまった。あなたが管理を放棄したことで、宇宙は文明継続における一種の臨界点に到達しました。あなたの宇宙は、滅びる宿命が決定づけられました。この時点で調査は終了し、あなたはその役割を終え、『直感』と『転生』の力を失いました。私は、それを伝えに来たのです』
ローブの女はヒトの姿をしていたが、この空間は通常のヒトが生存できる環境ではなかった。私に合わせた姿、ということだろう。
この半球状空間も、女が構築したものだということはすぐに分かった。分析結果は無害だったので、問題はない、が。
その言葉には、大いに問題がある。
私は知的生命体ネットワークの管理システムに意識レベルでアクセスし、その莫大な管理情報を取得しながら、女に言った。
「私が、全ての宇宙を滅ぼしただって? 文明も多数存在するし、管理システムも安定的に現存しているじゃないか……それに」
女は、私の言葉を遮った。
『嘘をつくのはやめてください。あなたなら、分かるはずです』
「…………」
私は、黙るしかなかった。
管理システムからの情報群――その無数のパラメータが、異常値を示していた。取得不能のものもあった。
自分でも、信じられなかった。
たった四十億年で、ここまで駄目になってしまったなんて。
宇宙には、まだ私が必要だった。私が『直感』を活用して、管理し続ける必要があったのだ。
なのに、私はメアリとの『箱庭』に夢中で、それを疎かにした。
私の失敗であることは、明らかだった。
ローブの女が言う通りだった。
――私の管理する全次元・全宇宙は、避けられない滅亡へと進みつつあった。
驚愕の余韻が、私の情報処理駆動体を刺激していた。
思わず、自身の口髭を指で触ってしまう。ヒト由来の無意味な習性。
ローブの女を睨む。
……それにしても、である。
目の前のこの女が、私に力を与え、管理者としての能力を調査していた?
失敗した私から、『直感』と『転生』の力を奪った?
そんなことは、ありえない。嘘だ。
……あって、たまるものか。
「ふむ。興味深い話だった」
私は、右手に持った黒杖をくるりと一周りさせてから、白いローブの女に向けて言い放った。内なる焦燥を抑えながら。
「あなたのような存在が私の前に現れるのは、実に久しぶりだ。しかし、越えてはならない一線を越えてしまったことを、あなたは自覚していますか」
この女の素性など、知的生命体ネットワークが保有するデータベースの一端に過ぎないことは明らかだ。そこには全次元全宇宙の知識が網羅されていると断言していい。その言葉から、ニャントコ星人と同様に、虚偽で私の立場を支配しようとする敵性生物であることは確実だ。
認識した直後から、私はこの女の正体の解析を始めていた。しかし私の情報処理駆動体に直接接続されたデータベース内には、ローブの女の詳細情報は存在しなかった。だがそれは不自然なことではない。今の目的のために――メアリのために必要なこと以外は、ほとんど切り離してしまっているから。
そう、私にはやることがあるのだ。
自分が、苛立っているのが自覚できた。
忙しいんだから、邪魔しないでくれ。
手順に沿って、さっさと終わらせよう。
私は、ローブの女に告げた。
「私は自分では寛大なつもりでいるが、私を滅したり支配したりしようとするような愚か者には、それに見合った対処を下すつもりだ」
私は、自分の左肩に止まる紅い鳥――グリーンに向けて、ある特殊命令を下した。
意識した瞬間にグリーンへの命令は完了しているのだけれど、格好良く音声でも命じる。
「グリーン。『判断』しなさい」
本当に、このコマンドを使うのは久しぶりだった。
このグリーンの機体を媒介として、知的生命体ネットワークに累積する全情報の処理を行い、対象存在の敵性や虚偽が算出できるのであれば、そうであることをグリーンが、『解釈可能』という情報で告げる。ニャントコ星人以来の教訓。
ローブの女は、変わらず無言で私を見つめていた。
――準備など必要ない。グリーンから『解釈可能』の情報を受け取り次第、瞬時に滅殺する。
つもりだった。
前例のない異常を感じたのは、命令を下した直後だった。
『…………』
グリーンが、何も答えなかった。
私の特殊コマンドに返答しない。まるで機能停止したかのように、硬直していた。
奇妙で、不愉快だった。
私は思わず、その名を呼んでしまう。
「……グリーン?」
紅いインコは、沈黙を続けている。
なんだ、これは?
バグ? 不具合? ――絶対にありえない。
この擬似自律生命体様演算端末装置は、その実質として連続的に――プランク時間の概念など超越したスパンにおいて、その内部構造がフィクスされ続けているのだ。不具合など起こすものか。この私のペットだ。
どうして、返答しない。『解釈可能』と言わない。
――後から思えば、焦る私の姿は、実に滑稽だ。
真相は実に簡単で、真っ当なことだった。
グリーンが私が戸惑うほどの沈黙を続けていたのは、“私が戸惑うほどの時間、演算が必要だったから”に過ぎない。
……それは、データベースの隅から隅までを睨むような、徹底的で、網羅的で、呆れるほどの大規模演算だったのだろう。
私に向けて、グリーンは、『判断』コマンドに対する回答を告げた。
今までに、聞いたことのないものだった。
『解釈、不能』
思わず、妙な音が、ヒト型制御体の喉から漏れる。
「……はっ」
私は、率直に、動揺していた。『解釈不能』という言葉に。グリーンを介しての、全宇宙知的生命体ネットワークの中央情報処理駆動体からの、その情報に。
ありえないことだったからだ。
このローブの女――『肖像画の人』が、ネットワークの力ではまったく解釈不可能な存在であるということだからだ。
その語る言葉が、真実ということになるからだ。
私の動揺ぶりは、自分で言動しながら、滑稽と感じるほどのものだった。
肩のグリーンとローブの女を交互に見ながら、私は、グリーンに言った。
「……こ、こいつは、敵だ。解釈可能だ。明らかに、敵性を有している。嘘だ。わ、私にでたらめを吹き込んで、騙し、陥れようとしているんだ。愚かなる反逆生命体だぞ。グリーン! もう一度。『判断』しろ。判断を……」
今度の返答は早かった。肩から、紅いインコは告げた。
『解釈、不能』
……私は、制御体の顔面の筋肉を使って、どんな表情をしていたのだろう。
白いローブの女は、今までどおり無表情に、そんな私を見つめている。
どうしよう。
「……うあ、あっ……あ、ああああっ……!」
私の全身が、恐怖で震えていた。
女を見つめながら、足を一歩、二歩とぎこちなく引き下げていく。
状況を考えればそんな行動には何の意味もなかったが、私は再現された本来のヒトの本能に従って、そういう動作をしてしまった。
別次元に存在する私の『本体』の情報処理機能が、あらゆる補整処理を無視して混沌の渦に飲まれている。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
こんなこと、今までに一度もなかった。
目の前にいる、『肖像画の人』。
彼女は、彼女の言っていることは、真実なんだ。
私に力を与えた存在。
事実上私をこの宇宙に不滅とする『転生』と、宇宙の文明を定常的に発達させる『直感』の能力を、管理者としての力を与えた存在。
今まで姿を一度も現さず、しかし私を常に監視し、その行動を伺っていた存在。
この女が。
私を、使っていたのだ。
常に、その手のひらの上にいたのだ。
「あなたは、あなた、は……」
狼狽を隠せない私に向けて、容赦なく、彼女は言った。
『繰り返します。あなたの役割は終わりました。ウィリアム・グッドマン』
『私の目的は、宇宙の管理をどのような生命体に任せるのが適切なのか、それを知ることにあります。調べるには、管理者を実際に動作させるのが望ましい。あなたはその代表の一個体として選ばれ、私が力を与えた存在なのです』
跪いた私に掛けられる、超然とした声。
荒い息を抑える。
ようやく、平静を取り戻すことができそうだった。
私は起き上がり、白いローブの女――『肖像画の人』に改めて向き合った。
彼女の、全ての言葉が真実だと認めよう。
そう思った。
宇宙は私の怠慢により崩壊への臨界点に達し、私に対する『管理者』としての調査が、先ほど、終了したのだ――と。
私の表情を見てから、『肖像画の人』は、告げた。
『私は、あらゆる宇宙に存在する様々な生物の個体を抽出し、あなたのような力を与えることで、宇宙の管理を任せました。あなたの同類の中には、うまく行った者もいれば、そうでない者もいました』
この私は、どちらだったのだろうか――いや、訊くまでもないか。
そういえば。
私は、ふと思い出した。
『この時』が来た際に、答えを知りたかった一つの疑問を。
「どうしても、私では完全に解明できなかったことがある。質問して、いいかな」
『私が答えられる範囲でしたら。どうぞ』
彼女に、この存在に、答えられない質問などあるのだろうか。
「では……どうして」
――それは、私が彼女に最も訊きたかった質問だった。
「どうして、私が『管理者』に選ばれたんだ」
『肖像画の人』は、もったいぶることなく、平然と答えた。
『あなたが所属していた種族の文明は、あの時点がひとつのターニング・ポイントにありました。そしてあなたは紡績工場の経営者だった。時代的条件、地理的条件、社会における一個体としての立場の三条件から、私は『管理者』を選択しています』
……なんだ、それは。
私は、思わず訊き返した。
「……あとは。それだけの条件では、『私一人』を絞り込めないはずだ。他にも、細かい条件要素があるはずだ。性格とか、経験とか、才能とか……あと、なにか……」
『条件は、以上です。無駄な条件設定を課せば、むしろ私の介入が歪んだ結果をもたらしてしまいます。以上の三条件のほかは、偶発的な要素に任せています』
……そっか。
……なんとなく、“そう”だとは、思っていたけど。
実際に話されてみると、また違うものだね。
私は、私が訊きたいことを、『肖像画の人』に要約した。
「つまり、“私である必要はなかった”――と」
『はい。その通りです。ミスター・ウィリアム・グッドマン』
「…………」
私は、絶対的存在を前にして、口を閉じるしかなかった。
様々な感情の流れが、私の思考を渦巻いていた。
◆
――星の見えるドームの中で。
私は、『肖像画の人』に向けて、私があなたを殺すことはできますか、と質問した。
彼女は、不可能です、と答えた。
私は、私が管理していたあらゆる宇宙が存続の臨界点を迎えてしまったことは承知していますが、それらはまだ滅んでしまったわけではない。私はこれから、知的生命体ネットワークに残存する全ての力を用いて、あなたを殺すことを試みます。私は、まだ管理を続けたい。私は、まだ終わりたくない。もし勝ち目のない戦いでも、あなたを打ち倒すことができれば、その力を奪い、宇宙の再生に活用することができるかもしれない。私はこれからあなたを殺そうとするので、あなたはその力を示してくれませんか、私と一度戦ってくれませんか、と尋ねた。
彼女は、了承した。
それであなたが満足するのであれば、と。
◆
凄まじい戦いだった。
私は、百二十億年の管理の内に全次元全宇宙に蓄積されたあらゆる技術を総動員し、考えられるすべての攻撃を全力で繰り出した。それらは徹底的に相手を抹消することを目的としていた。『肖像画の人』は、私の一切容赦無い攻撃を的確に読み、回避し、防御した。そして全く無駄のない反撃を実行した。私はこの世のあらゆるリソースを掌握しているつもりだったが、彼女は完全に未知の箇所から攻撃要素とでもいうべきものを生み出し、繰り出してきた。
攻防の反動で、無数の宇宙が生まれ、消えていった。私たちのそれを二律相反する神々の戦いと勘違いする宇宙もあったろう。
あらゆる事象が変質し、あらゆる概念が消滅していった。
戦いはしばし続いた。
しかし歴史上の全てのそれと同様に、やがて決着を見せた。
◆
負けた。
フットボールで表現するなら、こちらの先制攻撃を完全に防がれ、十点ほど一気にぶち込まれたあと、なんとか防戦して、二点返したけど、そのまま試合終了……みたいな。そんな感じ。
でも、二点返せてよかった、とさえ思う。
強すぎた。
話にならなかった。本来なら攻撃が可能な相手でさえなかったのだけれど、私の宇宙が築き上げた技術も中々大したものだったのだ。それが一番意外だった。
私は十分に戦った。ネットワークの持つ潜在戦闘能力の百%近くまで引き出して戦うことができた。もしかしたら、彼女がそうさせてくれたのかもしれない。後悔のないように。
完敗だった。
◆
二人だけがいる。
その何もない空間には、何もなかった。光も、物質も、もちろん音も。私と『肖像画の人』の全次元全宇宙を股にかけた決戦のあおりで、あらゆるものを崩壊させた後の場所だからだった。一種の概念的な領域と表現できるだろう。
そこに、私と『肖像画の人』がいた。
本来なら何もないその場所で、私たちはヒトの姿に仮想化されている。
『肖像画の人』は、相も変わらず、静かに佇んでいる。その姿には傷ひとつ見られない。無表情に、私を見下ろしていた。
対して、私はひどい有様だった。ぼろぼろの状態で、彼女の前で仰向けに倒れている。体中に傷を負って、自慢の服もずたずたにされていた。悪くない方の脚と左腕は根本からもぎ取れている。トップハットと杖はどこかに行ってしまった。グリーンの残滓である紅い羽が、一枚だけ私の上に落ちている。
あらゆる再生能力や機構は失われていた。こうやってウィリアム・グッドマンの姿でいる時は別次元に『本体』を格納していたのだけど、現在は違う。今の私の体こそが、最後に残された私自身、本体だった。
すべてを費やした戦いだった。
宇宙には、もう、私と彼女しかいなかった。
……そして、その私に残された時間も、残りわずかだった。
◆
傷ついた私を前にして――『肖像画の人』は、尋ねた。
それは、最も私が訊いて欲しかったことなのかもしれない。
『宇宙の管理は、楽しかったですか?』
「…………」
私は、しばらく、今までの色々なことを思い出しながら、考えながら。
正直に、答えた。
「ああ、そうだね……楽しかったよ。私は……他の誰にも、到達できない場所にいた。それも、常に……」
――色々なことを思い出しながら、考えながら。
私は、言葉を続けた。
「……私は、無限の命をもってして、この宇宙のあらゆる時代を観ることができたし、あらゆる文明を識ることができた。それらを一方的に管理し、意図的に進歩させて、時には統制して、あるいは生み出し、気まぐれに破壊することができた。すべて、自由に。……私だけだ。私だけが、その場所にいたんだ。楽しかったよ。最高に、楽しかった……」
『でも、滅ぼしてしまった』
「そうだ。全宇宙の管理よりも、一人の、思い出の中の女性のほうが、大切に思えるようになってしまったから……。馬鹿馬鹿しい話だ。でも、事実だよ。私は、しくじった。メアリに夢中になって、できもしないことをやろうと意気込んで、もちろんだめで……そして、根本的に、しくじった……」
『でも、楽しかった』
「ああ」
私は即答した。
「しかし……私は、管理者失格だったんだね。森羅万象のあらゆる文明をコントロールし、維持するのは、とても面白い仕事だった。でも、その情熱も始めの頃と比べると、徐々に削がれていることも自覚していた。久しぶりだよ。メアリに関しては、本当に夢中になれたんだ。夢中になりすぎて、今まで築き上げた宇宙を壊してしまったことを忘れるくらいに。……だから、この結果に、後悔はないよ」
『それが、あなたの結論ですか』
私は、頷いた。
何もない空間に、沈黙が降りた。
「……このあと」
私は、焼けた喉の痛みを覚えながら、半ば答えが分かっている質問をした。
『肖像画の人』の口から、はっきりさせたかった。
「このあと、私はどうなるの」
仰向けの私を見下ろしながら、『肖像画の人』は淡々と答えた。
『ウィリアム・グッドマン。あなたからは、『直感』と同様に、『転生』の能力も失われました。あなたはもう“他の誰にもなれない”。あなたは、死にます。それは来たるべき、本当の死です』
「……そっか」
少しの間、思いを馳せてから。
「……でも。やっぱり、怖いなあ」
と、私は思った通りのことを正直に言った。
言葉を返さない『肖像画の人』に向けて、私は続ける。
「こんな体でいるとね。“本当に死ねる”連中が羨ましいなあ――って思うようになってきたんだ。もちろん、あなたのくれた『転生』の力は素晴らしかったけどね。……大昔、私が盛大に弔ってもらった葬式に、転生後の体ですぐに赴いたことがある。でっかいホールに、『前の私』の写真が掲げてあってさ。沢山の連中が『前の私』の死を悼み、感情を露わにしていた。ホールを歩き回って、彼らの顔を順繰りに観ながら、私は、ばかだなあ、って思った。本当は死んでないのにね。……前はそうやって茶化してたんだけど、最近は、ね、ありがたかったと思う。ヒトを含む、多くの生命のサイクルにとっては死は必然のもので、残された者は自らに感情的な区切りをつけるために、葬儀とかをしてくれる。弔ってくれる。死は、絶対に来るものだから。そして、その必然から延々と逃れ続けている私は、ある意味では、根本的に間違ってるんじゃないか――って、思ったんだよね。……でも、やっぱり、今、感じた。それもまた、綺麗事なんだって。死ぬのは、怖いよ。怖い」
『多くの生命体が経験することです』
「……そうだね」
私の体内に残された、最後の、最後のエネルギー残量も、空が近づいてきた。
意識レベルは明確に低下している。私の生命維持を第一義として、肉体の不要な箇所の粒子結合構造が自動的に解かれ、周囲の空間に霧散しつつあった。それも、ほんの少しの時間稼ぎにすぎない。
この概念空間における聴覚機能の喪失を自覚しながら、私は『肖像画の人』に向けて、話し続けた。
相手は、聞いてくれているのだろうか。
「あなたがくれた力のおかげで、私は、楽しかった。……だけど、辛いことも、あった」
一本残った脚が霧散し、胴体もそうなりつつある。右腕は指一本動かない。
「……私は、他の誰よりも、この宇宙に生まれた数多くの生命や、その集合体や、その成果を見てきた。そして、同時に、それらの死や破滅も。……知っていた者たち、新たに知った者たち、そしてまだ知らぬ者たち……。時間はひたすらに過ぎて、それらは全て徹底的に滅んで……私だけが、残された」
視界の霞みが、かなりひどくなってきた。
『肖像画の人』と、その周囲の空間の境界がぼやけてゆく。融けてゆく。
「……だから私は、必要であれば生命体の完全なコピーを作って、死を無効化しようとした。メアリにそうしたように……。でも、分かった。それは、やっぱり、嘘だ。……残された者は、あくまでも残された者として、喪失の痛みを抱えながら生き続けるしかない。宇宙がそうであるように、そこにもやはり永遠はない。だから、私は……」
肺と心臓が分解されつつある。頭部も半分が消失しているのが自覚できる。
もうじき、意識も発声機能も失われる。本当の終わりだ。
自分が誰に何を言っているのかさえ、私には良く分からなかった。
「この世界を去っていく、多くの生命体を、羨ましいと思いながら……。私は……辛かった……」
死した宇宙。
私が管理し、その末に死なせてしまった世界。
その空間へと還りながら、私は、最期の一言を発した。
「辛かった……よ……」
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