第5話5.
5.
私は、ただの管理者に過ぎないのか。
私は、幸せではないのか。
私は、ここで一体何をしているのか。
メアリ・セジウィック。
愚かな私が、遠い過去に忘れてしまった人。
私は、全宇宙の管理作業を行いながら、彼女が私と共に暮らす光景を思い描くようになった。
不可能だったことを。
今のような宇宙文明の絶対的管理者としてではなく、私自身がヒトとしての人生をメアリと歩み、ヒトとしての一生を過ごすことができれば。
それは、どんなに素晴らしいことだろう、と私は思った。
あの、初歩的な知的生命体である通常のヒトとして生活し、ヒトとして生涯を終えることができれば。それがメアリという人と共にあるならば、どんなに幸せだろう、と。
情報処理駆動体の中で夢想するのは、すぐに飽きてしまった。
私は、その世界を実現させようと考え始めた。
『私とメアリの人生』を、私が作るのだ。
たとえ、その何もかもが嘘であろうと、どうでもいい。
私は、メアリと幸せに暮らす。
全次元・全宇宙の支配者である、この私に、それができないはずがない。
◆
私は、知的生命体ネットワークに蓄積された科学力を用いて、独りでその研究と実験に着手し始めた。
過去の情報が直接採取できるために、生命体としてのメアリのコピーを作り出すことは容易だった。ヒトの組成的構造が単純であることも大きい。
しかし、実際に『再現』を開始してみると、想定していたよりも困難な問題が次々と浮かび上がってきた。
まず、メアリが本来の存在から離れるものであってはならなかった。それはつまり、彼女という存在に対しての不要な介入を極力避けなければならないということだ。生命体としてのコピーは容易だったが、その精神構造や記憶における精緻な構成についての設計には最後まで苦労した。前提として“私と結婚して幸せに生活すること”が不自然でないような形にしなければならなかった。しかしそれは、彼女の再現度を犠牲にすることにほかならない。
その条件に重ねて、メアリ・セジウィックの人生を分析し、私と結ばれるための最適なシナリオを形成しなければならない。いわば脚本の問題がある。
もちろん、私自身のコピーを作ることも必要だった。箱庭の中のメアリと、言うならば『つがい』にするための私だ。特殊能力などない、ごく普通のヒトとしてのウィリアム・グッドマンである。その彼の中にこの私が精神を侵入させることで、限りなく現実に近い形での『私とメアリの一生』が体験できる――というのが計画の簡潔な筋書きだ。だがここにも問題があった。『私が再現する私』は、どのような存在であることが望ましいのか、という疑問が上がったのだ。私は『最適な私』を生み出すための試行錯誤を繰り返し続けた。
更に、舞台装置の問題がある。擬似的な宇宙を作り出し、その中に地球を再現して、徹底的に『あの時代』を構築する必要があった。それらは仮初めのコピーであってはならなかった。その地球には一連の生物史があり、人類史があり、その上で、そのごく一部としての私たち夫婦の生活が存在しなくてはならなかった。そして完璧に再現されたそれらは、無数の実験を通して繰り返されることが可能でなければならない。その環境構築にはかなりの手間が掛かった。
◆
この仕事にのめり込むうち、私は、全宇宙の管理が疎ましく思えるようになっていった。
知的生命体ネットワークの管理システムは、仔細な、どうでもいいような事柄でも私の意識に介入し、その判断を伺った。
それらは、自動判断で済むものばかりだった。
私が必要である局面など、もはやほとんどないのだ。
私の介入がなくても、管理システムの動作は既に完成されている。その自動的な選択により、知的生命体ネットワークに属するあらゆる宇宙の文明は健全に進行するはずだ。
私は、私がやりたいことに専念したい。
私は、管理システムが私を呼び出したり、私に意見を求めたりする「緊急事態」の条件を大きく引き上げた。
そして研究を続けた。
◆
研究を始めてから、およそ十億年が経過した。
時間が経った要因としては、試行回数の多さもあるが、再現度の関係から時の流れの操作が禁じられていたことが大きい。
私の宇宙における本来の時間の流れを利用してシミュレーションを行わなければ、再現率が高い『箱庭』とは言えないからだ。
私は完璧を求めて、研究と実験に没頭した。
◆
……だめだ。
何度でも『箱庭』を自在に構築し、『私とメアリの生活』を再現するための環境を整備することはできた。
しかし、すぐに最大の困難に直面した。
それは巧妙な、しかしごくありふれた問題だった。
“私とメアリの生活が破綻してしまう”のだ。
再現中における直接の要因としては、性格の不一致であるパターンが多い。私たちは衝突し、互いに嫌悪感を募らせた。「どうして私たちは結婚してしまったのか」と両者が思うことも多々あった。私の研究の大前提には『二人が共に暮らすこと』が存在するために、極めて再現度を高くした擬似世界ではその箇所のみが不自然に際立つのだと考えられた。
かといって、無理に性格パラメータなどを変動させても、やはり再現度問題が生じてしまう。メアリが偽物になってしまうのだ。
難解さを引き上げる要素としては、事前予測の困難性も挙げられる。『箱庭』のシミュレーション内では実行者である私自身の意思が常時干渉し、かつ自然形成的な不確定要素が多分に含まれるために、パラメータからの結果予測も極めて難しかった。微妙に条件を変動させるだけで全く異なる結果が発生してしまうバタフライ・エフェクトにも満ちていた。
『箱庭』の再現率への配慮から、二人のどちらかが病死・事故死するケースも多かった。私たち二人だけに不慮の死が起こらない宇宙を作るのは容易だが、それは世界への不自然な干渉となり、完璧な再現には遠くなってしまう。
メアリとの平穏な生活。
それを目指す私の研究は、非常に堅牢な壁の前で立ち往生を続けていた。
突破するためには、実際に繰り返して施行し続け、答えを探る。
地道だが、それしかなかった。
――私は擬似的に記憶を失い、再現された『ウィリアム・グッドマン』として、同様に調整された『メアリ・セジウィック』との出会いや、結婚に至るまでの過程、そして生活の過程を何度も繰り返し、“つつましくも幸せな一生”を完成させようとした。
しかしそれらは全て、平均で八、九年程度、良好なパターンでも二十年程度で破綻してしまった。
繰り返される架空の世界。
その中で、私は糸口を探ろうとした。
◆
時間が過ぎた。
私は、研究と実験を繰り返し続けた。私とメアリを取り巻く『箱庭』のパラメータを僅かに変えながら、何度も。
何度も、何度も。
何度も、何度も、何度も、何度も。
何度も、何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も、何度も……。
……そしてそれらは、すべて失敗に終わった。
私は、思わず頭を抱えた。
分からなかった。
どうして、失敗してしまうのだろう。
私は、この世界のすべての力を有していて、それを完璧に使っているのに。
どうして、私とメアリは結ばれないのだろう。
一体、何が問題なのだろう。
延々と試行錯誤を続けながら、私がその失敗要因について根本的な疑問を感じ始めた時、唐突に私の研究は幕を閉じることになる。
ある人物の出現によって。
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