第4話4.

4.




 時間軸逆移動システムの素案が完成した。過去の自由な位置に移動できる。

 思ったより時間がかかったものだなあ、と私は思った。

 オリジナルのウィリアム・グッドマン誕生から、およそ八十億年が経過していた。

 私は、システムの確立者であり開発責任者でもある個体を呼び出した。

 懐かしの四次元時空にウィリアム・グッドマンの姿で現出した私は黒杖をついて、責任者に近づいた。

「褒めてつかわす」

 と私は偉そうに言って、君はすごい発明をしたんだから、できる限りならなんでもプレゼントしてあげるよ、と提案した。

 研究者は、もしよろしければ、研究のための資材とスタッフの増加を、と申し出た。なので私はそれを手配してあげた。彼はとても満足した様子で、まるで私を崇めるように感謝した。いやいや、褒められるほどのものでもないって。私は研究者を元の位置に転送した。

 そして時間軸逆移動装置は、すぐに完成した。

 私は、とりあえず権限を使って、早速使ってみることにした。

 現在存在している物質やエネルギーやらの特性や位置から、過去の世界の姿を擬似的に再現する装置はとっくの昔に作られていたけど、それにあくまでも「再現装置」に過ぎなかった。失われた過去をそのまま観察したり、過去の世界に直接行ったりする技術には程遠い代物だ。しかし、今回は本物のそれだ。本当の過去なのだ。

 装置が三次元空間上に発生させた時空の裂け目を前にして、いつのどこに行こうかな、と私が考えたのは僅かな間だった。



 ◆



 ――あ、私がいる。

 私の周囲には、映像が出現していた。私は五感レベルで、その『過去の光景』を観察できるのだった。

 現時点での技術レベルでは、この宇宙の過去そのものを観察したり、観察者が過去の世界に入り込み介入することは可能だが、過去に干渉するとその宇宙は並行宇宙として新たに確立されることとなり、今の時点に影響を及ぼす可能性は極めて低い――みたいなことは聞かされている。私は、今後いろいろ試してはみたいけど、今回は観察だけにしよう、と思った。

 私の前には木製のデスクがあって、そこに一人の男が座っている。ダークブラウンのベストを羽織り、室内なのに黒いつば付き帽を被っている。机には杖が立てかけられていた。

 『彼』は、紛れもなく私だった――私の第一の、原初の姿である、ウィリアム・グッドマンその人だ。彼は、眠そうな目で財務書類とにらめっこしている。

 私が「おーい」と言ってみるが、もちろん彼には聞こえない。遥か未来から来た観察者である私は、この過去世界から認識も接触もできない設定にしてあるので当然だった。私は彼をじろじろ眺めながら、今現在の自分自身の姿を、四次元時空レベルにおける生体情報処理臓器の中で思い出してみた――ああ、微妙に間違ってる。

 周囲を見回してみる。

 この場所は、古ぼけた狭い執務室。十八世紀英国はウィンチェスター郊外ヒューズビーにある「グッドマン紡績工場」の二階に、以前は蜘蛛の巣だらけの物置だった部屋を改造してこしらえた、私の初めての執務室だ。懐かしいなあ。

 何か、大気の振動――音が発生している。

『きぃ、きぃ、きぃ!』

 その発生源に視線を向けると、私は思わず「おおっ見ろ」と自分の左肩に止まっている機構生命体に告げた。

「あれ、お前のオリジナルだよー。懐かしいなあ」

 執務室の隅。吊るされた籠の中に、紅い鳥がいた。ベニインコという種名の通り真っ赤な体なのに、「グリーン」という名前を付けられた鳥だった。言葉を覚えるという話を聞いて気に入り、オセアニアから輸入してきた、これも原初の、第一のグリーンだった。

「そうだ、こんな感じだったなあ……」

 肩に止まっているグリーンと、籠の中のそいつを見比べてみる。かなり違う形態をしている。

 宇宙に散らばった地球人類はともかく、地球における些細な生命体のデータなどはとっくの昔に消失していたので、私の肩の上のグリーンの外観は当時の環境や私自身の記憶を元に再現したものだった。私はともかく、こっちは相当間違ってるなあと思った。オリジナルのグリーンには紅の他に少し黄色い羽根もあるし、くちばしの形が逆だ。なにせ目の位置がぜんぜん違うじゃないか。

『きぃ、きぃ、きぃ!』

 籠の中のオリジナル・グリーンは、また鳴き出した。彼を眺めながら、オリジナルはこんなに頻繁に発声するんだなあと思った。肩の上のグリーンは徐々に物静かに設定していったのだ。参考になるなあ、過去に来てよかったと思った。

 その時、だった。

 三度、籠の中のグリーンが鳴き出した。

 今回は、「続き」も加えて。

『きぃ、きぃ、きぃ! なう、ふぇあうぇる、あでゅー!』

 ……え。

 ――私の、多次元時空から三次元空間に折りたたまれた肉体に、激烈な衝撃が走った。

 私は、痛む右脚も構わずに執務室をまっすぐ駆けて。

 窓際に、身体を乗り出した。

 視認できるのは、地平線まで続く草原と森。私の故郷の、ありふれた光景。

 その風光明媚の一部として、近くに川が流れている。

 マンチェスターの街へと続く、メドロック川。

 私は、愕然として、デスクに座る『私』に振り返った。

 窓枠に掛けた指が、震えだした。



 ◆



 自分で、自分が信じられなかった。

 ……どうして、忘れてしまっていたのだろう。

 メアリのことを。



 ◆



 私とメアリ・セジウィックは、同じヒューズビー村の生まれだった。私は一七二八年生まれで、メアリは一つ下。

 ヒューズビーは小さな村だ。通りを歩けば知り合いと会ってしまう。会いたい人にも、会いたくない人にも。

 そしてメアリは私の子供時代の、前者の代表だ。

 初恋の相手だった。

 メアリは、その小麦色の髪を背中まで伸ばして、耳の辺りの両端をしばしば三つ編みにしていた。私はその髪型が好きだった。淡い赤色の服がよく似合った。

 私たちは歳も近かったし、やんちゃな他の子供とは異なり、川辺や森の風景や、そこに住む動物を観察したりするのが好きな質だった。気が合ったのだ。

 しばしば、村を穏やかに流れるメドロック川の岸に座って、二人で話をした。季節のこと、風景のこと、動物たちのこと。

 メアリは手先が器用な子で、村中に咲いている花を使ってブレスレットやネックレスを作るのが好きだった。彼女が作ったそれらをお互いに被って、二人で笑い合ったりした。彼女の笑顔は魅力的だった。

 彼女は歌が上手だった。子供たちが集まる時や、二人で川辺にいる時に民謡を披露してくれた。民謡は祖母から教わったのだという。子供の自分には良くわからない内容の詞で、彼女も多分そうだっただろう。

 そうして彼女と過ごしている内に、メアリに対して、当時の自分には計りがたい、独自の感情が芽生えるようになっていった。



 ◆



 『なう、ふぇあうぇる、あでゅー』。

 この歌は。

 『グリーン・スリーヴス』という歌だ。

 メアリが私に教えてくれた民謡だった。

 今、私の肩に止まっている、インコ型機構生命体は。

 そのオリジナルである、籠の中の『グリーン』は。

 私が執務室で教えたその一部を、覚えていたのだ。

 そうするように、名付けたのだ。

 紅いのに、グリーンと。

 忘れないように。

 あの時の感情を、忘れないように。

 なのに、どうして、忘れてしまっていたのだろう。

 メアリのことを。

 この八十億年の間、ずっと。



 ◆



 メアリのことを、今やっと、思い出すことができた。

 そして、彼女との決別の時についても。

 ――私の心に重くのしかかる、苦い記憶として。



 ◆



 十五歳の夏だった。

 夕陽の差すメドロック川のほとりで、メアリはいつものように、花を編んでいた。

 失意を抱えて村を歩いていた私は、彼女を見かけると、微妙な距離を置いて川辺に腰掛けた。そして自然と会話が始まった。これも、普段通り。

 はじめは、割と和気藹々と話が進んでいたと思う。村について、他の子供について、そして将来のことについて。

 彼女は花を、私は川面を眺めながら、言葉を交わしていた。

 しかし、その時、私は内心に苛立ちを溜めていた。三男である私の軍への配属が決定して、村を出ることになったから――だったと思う。それに、あの頃の年齢の人類にありがちな、家族との独特の溝ができていた。感情の拠り所がなかったのだ。

 彼女は普段通り、川辺の花を編んで、何かを作っていた。

 私が愚痴のような話を終えた時、メアリは「できた」と笑って、私にそれを見せた。白と紫の花で作られた冠だった。

 それを眺めながら。

 私は何気なく、彼女に言ったのだ。

「いつまで、こんなことをしているつもりだ。花を編んでも、何にもならない」

 ――といったことを。

 メアリは、驚いたような視線で私を見た。その表情には、微かな怒りの色が表れていた。しかし、何故か悲しげにも見えたので、私は自分の言動を悔いた。失敗した、と思った。

 川の流れる音が聞こえた。

 しばらく、してから。

「ウィル。あなたは、冷たい人になった」

 と、メアリは静かに告げて、川辺から通りへと去っていった。

 彼女の背中に、どう私が返答したのかは思い出せない。何も言わなかったのかもしれない。当時の私はたった十五歳の不完全な知的生命個体で、何も知らないも同然だったから。



 ◆



 それから数日後。

 風の吹く、晩夏の午後。

 ヒューズビーの村の埃だった道を、メアリが向こうから荷物を手押し車で運んでいた。

 逆方向から歩いていた私は、彼女にふと目を向ける。

 メアリは私を、ちら、と見て、再び前を向いた。

 すれ違った。

 言葉はなかった。

 メアリと会った、最後の光景だった。

 その後に私は、いわゆるオーストリア継承戦争に英国軍の一兵卒として参加し、遠くカナダまで赴いた。そこで右脚を負傷したりしながらも、なんとか生き残って帰還する。その後に、伯父の遺産と軍からの給金をまとめて、故郷の小さな古工場を買い取り、「グッドマン紡績工場」が誕生したのだ。

 海外から故郷に帰ってきた時、メアリ・セジウィックはいなくなっていた。

 あの頃は、工場立ち上げとかでごたごたとしていたから、結局彼女がどこに行って、どういう人生を過ごしていったのか、私には判らなかったし、信じられないことにメアリのことを思い出しさえしなかった。オリジナルの私――グッドマン工場長は部下に刺し殺され、『転生』が繰り返されて、ヒトには長い時間が経過する。そして、メアリは忘却の彼方に消え去っていく。

 メアリ。

 普段通り、全次元・全宇宙の生命体の管理をしながら。

 彼女の姿をふと思い出すと、何故だかとても妙な感情が私の中に現出して、私を苛み始めるのだった。故郷の家を抜ける、冷たい隙間風のような何かを。

 ――メアリは、どうなったんだろう。どこに行ったんだろう。

 今なら、簡単に調べられる。

 私は情報処理臓器の脳波のようなもので時間軸逆移動装置をコントロールし、私の人生から消え去ったメアリ・セジウィックがどうなったのか、調査しはじめた。

 気になったから、だった。

 移動演算は瞬く間だった。

 メアリという人物が過ごした一生が、私の認識へと刻まれていく。



 ◆



 一七四三年の冬、私が軍に所属した数カ月後、彼女も家族の命でマンチェスターに赴き、家政婦として働き始めていた。

 そして三年後、ジョゼフ・オーウェルという木工職人に見初められて、結婚した。

 メアリ・オーウェル婦人。

 彼女は、四人の子を産み育て、十五人の孫を授かった。

 そして一八〇二年、七十三歳で内臓疾患に伴う心不全で亡くなった。

 家族に看取られた、幸せな最期だった。





 ――広くはない部屋に、カーテン越しの夕陽が差していた。

 薄紅色のベッドを囲んで。

 子供たちが泣いている。孫たちが泣いている。医者がうなだれて、眼を瞑っている。

 私は、悲しむ人々でひしめく部屋の中で、観察者として現出していた。

 ベッドの前だった。

 その中に、老いたひとりの婦人がいた。

 年月が経っても、基本的な顔立ちは変わらないのだな、と思った。

 メアリだった。

 まるで眠っているようだった。

 ベッドを囲う人々が泣き続けている。

 彼女は、これまでの人生で、沢山の人に愛されたのだな、と私は思った。

 医者が、メアリの面影がある息子の男性に、何かを告げている。

 それを聞いて私も、子供や孫たちと同じことをしそうになったので。

 速やかに、私はその過去から立ち去った。



 ◆



 私は嘘をついている。

 もし、各個体の私が死んで悲しむ存在がいても、それは即ち彼らを欺いたことに他ならない。私は、別の個体として再生するのだから。

 私は嘘をつき続けている。

 私は死なない。

 だから、私の死を悼む人もいない。いるはずがない。

 メアリは。

 多くの人に愛されて世界を去った。

 幸せだったのだろうと思う。

 そして、それはメアリに限った話ではない。

 数多くの個体がそうなのだろうと思う。

 私は死なない。

 だから、彼女たちに対して。

 私は嘘つきだ。

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