第2話2.

2.




 ――大きなベッドの中で、私は目を覚ました。

 視界に、見覚えのない天井が見える。

 ……あれ。

 ここは、どこだろう。

 ベッドから起き上がり、寝室と思われる部屋を見回す。夜のようだ。月明かりの射す暗い部屋に、私の他には誰もいない。

 見知らぬ場所だった。来た覚えもない。

 混乱するのも無理はなかった。

 私はバーモンド君に刺されて、死んでしまったはずだ。あの後、誰かが手当てしてくれたのだろうか。それにしては、あまりにもあの傷は深く、『死への実感』があったのだけれど……。

 ふと、刺された場所を手で触る。

 あるはずの傷が、跡形もなかった。痛みさえない。

 何だ、これは。

 何が起きているんだ。

 ベッドの脇にあるランプを灯して、私はこの不思議な状況について考えるために、ベッドを抜け出ようとした。

 あれ。

 私は焦った。愛用の杖がないのだ。普段はベッドの横に立てかけてあるので、ほとんど意識もしていないのだけれど、杖がないと非常に困る。

 しかし、すぐに気が付いた――右脚の古傷の痛みも消失していることに。

 これなら杖がなくても、自在に歩ける。

 部屋の床の上で、一歩、二歩と足を進めながら、私はそれを実感した。杖なしで歩くのは、十代以来だ。実に久しぶりの感覚だった。

 ふと、私は自分の手を良く見てみる。

 まるで別人の手だった。肌が若く、血色もいい。私は六十一歳なのに。

 まさか。

 ある想定を抱いて、私は寝室の角に置かれていた姿見に歩み寄る。

 ――鏡の中にいたのは、私ではなかった。



 ◆



 事態を要約すると。

 私は、「ポール・グッドマン」という人間に“なっていた”。

 ポールは、本来の私であるウィリアム・グッドマンの兄の息子、つまり甥に当たる。そういえば以前に、赤ん坊の顔を見た覚えがある。

 何故こんなことが起きたのかさっぱり分からないが、私ことウィリアム・グッドマンの精神が、そのポールの肉体に入り込んでしまったのだった。

 これはつまり、伝承や神話で語られる『生まれ変わり』という現象に当たるのだろうか。なんだか違うような気もするけど。私がお邪魔するまで、ポールは彼自身の精神で動いていたのだろうし。

 そういえば、そのポール自身の精神はどこに行ってしまったのだろうか。私の心は自覚する限り私のままで、殺されるまでの記憶も引き継いでいた。

 謎だらけだった。

 ただ、とにかく私はここに生きている。その事実も確かだった。

 ポールは、グッドマン・インダストリーの社長に就任していた。つまり私は社長として死に、その後継の社長として復活したことになる。

 本来の私ことウィリアム・グッドマンが殺されてから、十二年の時間が過ぎていたことにも驚かされた。

 時は一八〇一年。ちょっと死んでいる間に、一九世紀になっていた。



 ◆



 創業者だった私の不在により、グッドマン・インダストリーの規模拡大の勢いはやや弱まっていたものの、経営は順調に続いていた。

 周囲の人々の話や書類の情報を整理すると、どうやら私が殺された後、しばらく社長の名目上の権利を私の兄が相続していたが、先日、学問に長けていた息子のポールにその座を譲ったらしい。つまり、今の私に。

 ……さて。

 ポールの肉体に生まれ変わったのにあたって、私はとりあえず、私の邸宅や執務室を改装することにした。どうやらポールは、かなり古風な趣味の持ち主だったらしい。特に嫌だったのが、執務室の壁に掛けられた変な画だった。肖像画か何かだと思うが詳しくは知らない。大きなキャンバスの中で、白いローブを着た女が森の中に佇んでいた。なんだか気味が悪く、邪魔だったので撤去してもらった。

 身の回りの整頓をしながら、私は、“これから自分がどう振る舞うべきなのか”について考えを巡らせていた。

 正直に「実は私は初代の社長なんです。乗り移ったんです」と宣言したところで、不信感を買ってしまうだけだだろう。私自身にさえ訳が分からないのだから。

 私は、とりあえず事態を隠しながら、グッドマン社の経営を進めることにした。体や名前が違えど、地位そのものが同じだったのは助かった。

 ポール・グッドマンの肉体は健常そのもので、以前の私より三十歳も若かったこともあり、私はより精力的に業務に専念することができた。

 『直感』の力は、生まれ変わっても健在だった。私はそれに従い、次々に我が社の拡大のための施策を推し進めていった。



 ◆



 前の私――ウィリアム・グッドマンの最大の失策は、労働力の効率的回収を優先しすぎてしまったことにあると言える。その末に、恨みを買って殺されてしまった。あのような体制を堅持し続けていれば、もし私が生きていても組織は長くは保たなかっただろう。労働力は人間であり、過度な労務を科せば反発を招くのは当然のことだった。やりすぎた。少し反省しなければならないなあ、と思った。

 とはいえ、技術革新により生産性が増したとしても、十分な労働力ももちろん必要だ。労働量とその対価に対しての、人々の心理的な満足感や不足感。その微妙なバランスを設定して維持しなければならないと感じた。

 訳の分からない転生をしたとはいえ、私の業務は先代のグッドマンとさして変わりはなかった。発明家や科学者の発掘による新技術の開発と、その我が社への貢献だ。この点については、前のグッドマンの時代よりも急激と呼べたかもしれない。一九世紀には非常に多くの発明や科学的業績が生まれ、我が社の主導によりそれらの技術と製品は世界中に普及していった。

 一つの転換点があったのは一八三〇年代だろう。必中の『直感』に支えられた私の方針によって爆発的な成長を際限なく続ける内に、我がグッドマン・インダストリーは、言わば世界産業全体への意思決定能力を保有し始めたのだ。商工業や金融、更には各国家の政治や文化、宗教への、直接的あるいは間接的な干渉。それが自在に可能となっていった。邪魔な外敵を的確に排除し、有益なものを貪欲に取り込むことにより、組織は全世界のあらゆる産業をまたがる一連の巨大システムへと成長した。それを媒介として、私という頂点の決定により、人類社会の全体が動き始めたのだ。これは非常に興味深い現象だった。

 私に宿る『直感』の力は、我が社を大きくすることが目的ではなかったのだ、と私は理解した。この地球における、全人類の管理とその規模の拡大を目指しているのだった。



 ◆



 ポール・グッドマンは、一八四三年、七十四歳でその生涯を閉じた。天寿を全うした、と言っていいだろう。部下に殺されるようなこともなかったし。

 そして。

 なんとなく、そうなるだろうとは感じていたけど。

 私の意識は、再び別に人間に転移して――『三代目』となった。

 二代目のポールは、本来の私であるウィリアム・グッドマンの甥だったが、今度はまったく親族ではない我が社の幹部の一人だった。どうやら血縁は関係なく、私はグッドマン・インダストリーの支配権を持ちうる立場の者として復活するらしい。

 新たな姿となった私は、『直感』を駆使して後継者争いに勝利し、速やかに次のグッドマン社代表となり、規模拡大のための施策を今まで通りに進めた。

 どうやら私は、一人の人間としての死が訪れても、別の人間に意識が移るようだった。

 私は、この奇妙な力を、『直感』と並び『転生』と名付けることにした。

 この力が意味するのは、私という存在そのものが絶対に死なないということなのだろうか。私は、『転生』の能力を快く歓迎した。私の組織がどうなるのか、それを何代にも渡って見続け、指揮することができるのだから。

 力の正体は不明だったが、数をこなす内に、ある程度の傾向や特性は掴めてきた。『転生先』の人間の体や地位はもちろんのこと、有していた記憶も私が吸収する形で引き継ぐらしい。

 私は自分が他者の肉体を奪っていることを知られないように、『転生』直後は本来の人物のように振舞い、時間の経過次第、私自身の性格を表していく――という方法を採用することにした。最初は戸惑ったし難しいと感じたが、繰り返す内に、それにも慣れていった。

 代替わりしても、やることに変わりはない。技術革新とその産業への活用。他企業体の吸収とコントロール。政治・文化等を介した全世界の人々への介入。その他の、様々なこと。

 一八世紀半ばに最初の私――ウィリアム・グッドマンが立ち上げた「グッドマン紡績工場」が前身だったグッドマン・インダストリーは、劇的な規模拡大を続けた結果、前述の通り、ある種の巨大産業連関システムと表現できるような存在へと変化していった。名称も次々に変わっていったが、その本質は一貫していた。



 ◆



 一九世紀の中頃に私が活動した『三代目』の時からはもう、事実上私が全人類の頂点に立っているような状況だった。人々には周知されていない裏方の立場ではあったものの、それは明白だった。

 例えば、ある人物の上にその命令者がいて、更にそいつを管理できる命令者がいて……という構図があったとしよう。そういったはしごをどんどん登って行くと、どんな位置から始めても最終的に辿り着くのが、この私、みたいな感じになってしまっていた。私は、人類の究極の命令者であり管理者だった。

 私は今まで通り『直感』に従って、『組織』を動かし、人類全体を管理した。そうしていると、まるで数十億人という人類全体がひとつの機械であるように感じられた。その機械は、大体のことは私の想定通りに動作した。



 ◆



 人類が月に到達した一九世紀末、私が管理する一連の産業連関システムは、もはや明確な名称もないような超巨大組織に成長していた。一方で、その巨大さによるデメリットが問題に感じられるようにもなってきた。

 私は『直感』の力を借りて、産業システムの再構築を行うことにした。

 もちろん巨大な組織を単に分散させるのではいけない。各産業・部門ごとに、外観的にはシステム全体を分割し、しかし同時にそれらを裏側から統率する機構を新たに構築した。その指揮のもとで、散らばった各組織体を適度に協調させたり、時には対決させたりすることにした。

 そのような、言わば表裏構造を世界中に成立させることで、各部門の独立性が高く、競争的に発展するシステムを人類全体という巨視的な思考から管理することが可能となり、かつ、私が背後からそれらの大まかな動向を操ることによって、独立組織の無根拠な暴走といった非効率的要素のない安定的な統治も容易となる。

 すぐ後に、その構造は産業や企業体に限らず応用できることが分かった。つまり、宗教、民族、国家といった集団についても、この仕組みを用いることが可能だと考えたのだ。『機構』による影からの支配。全体の効率性を目指した適度な協調と対立。人口、思想、文化のコントロール。私はそれらすべての統率権を有していた。これはより柔軟かつ強固に人類文明を発展させるための、最適なストラクチャーと呼べた。

 このようなプランに基づき、私は肥大化した組織の分割の一部を、“民主的に決定させた”。新たな世界のシステムは想定通りに動作し、素晴らしいパフォーマンスを発揮した。一見非効率に見えるイベントが勃発したりもするが、その全ては人類全体としては理にかなっていた。非常にうまくいった。



 ◆



 一九三〇年代。月面基地への移住実験が順調に進んでいた頃。

 そんな時代の、ある夜。

 某都市の高級バーの席で、『五代目』の私は、グラスに好みのワインを注いでは飲みを遠慮なく繰り返していた。

 私の隣では、スーツを纏った知的な美女が、カクテルを傾けている。

 今の私の秘書を務めるリザだった。とても優秀な女性で、我が『機構』に入り次第、とんとん拍子にこの私の部下まで上り詰めた。彼女は常に理性的で、完璧以上に仕事をこなし、時にはその意見も参考になった。もちろんボスである私とも良好な関係を維持していた。いや業務的な意味で。

 今夜は珍しく彼女の誘いで、二人で杯を交わすことになったのだ。暇だったので、私は快諾した。

 バーには、他に誰もいない。彼女の手配で貸し切りにしているそうだった。そこまで気を使ってもらわなくてもいいのになあ。嬉しいけどね。

「そういえば、私に話したいことがあるそうだね。何だい」

 私は上機嫌でリザに尋ねた。もうワインを一本飲み干している。

 オリジナルの「ウィリアム・グッドマン」は、アルコールに強いタイプとは言えなかったけど、この『五代目』の肉体はかなり酒に強い体質だったので、私はどんどん好みのワインを飲みまくっていた。

「…………」

 隣のリザは、どこか心ここにあらず、といった様子だった。

 楽しんでいる私の顔を、視線で一瞬伺ってから、すぐに前に戻す。

 ――妙だなあ。冷静な彼女らしくない。

「どうしたの? もったいぶらないで、話してよ」

 私が軽く尋ねても、やはり前を向いたままだ。

 しかしやがて、何かしらの決意を固めたのか――彼女は唇を閉じて、私に向き直った。

 そして、私の現在の名を呼んで。

 リザは、告げた。

「……あなたは、死にます。先程からあなたが飲まれているワインには、ストリキニーネが含まれています」

 へえ。

 素直に気になったので、私は彼女に訊いた。

「何ミリグラム?」

「私が仕込んだのは、三千ミリ。……あなたは、そのほぼ全てを飲み干しました」

「うわあ、完全に致死量だ」

 リザは、私の反応にやや狼狽しているようだった。私の性格を知っているとは言え、あまりにもあっけらかんとしているので意表を突かれたのだろう。

「……驚かれないのですか」

「いや別に、もう飲んじゃったし」

 私を見るリザは、その目の隅に、透明の液体を浮かべていた。泣いていた。どうしたんだい、一体。

「それにしても、訊きたいのは私の方だよ。どうしてまた、暗殺なんか」

 毒が効き始めるまで十分くらいは時間があるだろうし、私は彼女の話を聞いてみることにした。私に毒を盛り、涙を浮かべている彼女に、殺されつつある私がその訳を問うなんて、我ながらなんとも奇妙な光景だけど。



 ◆



「この十五年間。私はあなたのことをずっと探り続けていました」

 ――リザは、語り始めた。

 良く分からないけど、彼女はどうしても弟の死が納得できなかったそうだった。

 彼女の弟さんは二十年ほど前の、さるヨーロッパの紛争で若くして命を落とした。

 大学で国際政治学や多国間戦争の発生構造を学んでいた彼女は、その紛争について調査し、それが一般的な争いではないという『不自然さ』に行き当たったそうだ。何か背後に強大な存在がいて、それが仕組んだ戦いだった――と、彼女は結論づけた。

 そして人生の目的を決めた。

 弟を殺したのは争いそのものであり、またそれを仕組んだ何者かだ。

 『そいつ』に復讐すること。

 その為に、彼女は他の全てを投げ打って歩み、ついに『そいつ』に近付くことができた。秘書という立場で。

 そして今、復讐を実行した。

 ……とのことだった。



 ◆



「……私は、ずっとこの夜を待っていたんです。あなたを殺す、その時を」

「なるほど、ねえ」

 リザの火照った横顔が見える。その瞳は、話の間も涙が消えなかった。

 確かに、あの紛争を仕組んだのは他でもない私だ。確か、重要な新技術の情報を移転させるための目眩ましとして起こしたんだっけかなあ。よく覚えてないけど。

 それにしても、リザはすごいなあと思った。この私に近づいて殺すなんて。誰にもできることじゃないよ。

 前のカウンターに向けて、呟くようにして、彼女は言葉を漏らした。

「これで、あの子も……ショーンも、少しは、報われる……」

 私には彼女が、酷く傷ついているように見えた。そういうのを見るのは、あまり気分的によろしくない。

 どうしたものかなあ。

 とりあえず私は、彼女を慰めようとした。

「でもねえ、そんなに怒られても困るよ、リザ。君の弟は、間接的ではあれど、私が管理する人類文明の発展に寄与したんだから、問題ないじゃないか。別に家族といってもただ一人が失われたに過ぎないし、それに……」

「あなたは」

 私の言葉を遮って、彼女は私を睨み。

 訳の分からないことを、言った。

「あなたは、人の皮を被った悪魔」

 訳が分からなかったので、私はごく普通の返答をした。

「いや、私は人間だよ」

 ――と言い終えた瞬間、毒が効き始めた。

 私は椅子から床に転げ落ちて、作用が体をあらぬ方向に捻らせる。

 全身の筋肉が痙攣し、呼吸が不自由になり、内蔵が内部から引き裂かれるような激痛が走る。

 うわあ。これは強烈だ。

 ストリキニーネ中毒で死ぬなんて貴重な体験だから、よく覚えておこう、と私は思った。

 リザが、死にゆく私を、憎悪の視線で見つめている。

 そんな彼女を見て、最初の私――ウィリアム・グッドマンが、バーモンド君に殺された時を思い出した。なんてこった。五回の人生の内、二回も部下に殺されるなんて。運が悪いなあと思う。

 それにしても、可哀想なのは彼女だ。殺人犯だし、殺した相手がこの私である以上、『機構』によって超法規的に闇へと葬られてしまうだろう。

 優秀だと思っていたのになあ。

 くだらない感傷に囚われて、意味のないことをしてしまった。

 こんなことをしても私は死なないのに。

 私は永遠に生き続けるのに。




 ……次は組織の誰に『転生』するのかな、と思いながら、『五人目』の私は死んでいった。

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