インダストリアル・レボリューション,スタンド・バイ・ミー

ムノニアJ

第1話1.

1.



『きぃ、きぃ、きぃ! なう、ふぇあうぇる、あでゅー!』

 籠の中で、紅いインコが鳴きはじめた。

 私は、ハッとなって思わず顔を上げる。執務室のデスクの上で。

『きぃ、きぃ、きぃ!』

 部屋の隅で、インコが鳴き続けている。鳴き始めると止まらなくて厄介なんだよなあ、こいつは。

 私が飼っているこの妙な鳥は、ベニインコという種名の通り、その体を覆う羽毛のほとんどが鮮明な紅色であるのにもかかわらず、「グリーン」という、不適切な名前を持っていた。

 ……あれ、どうしてだっけ。

 私はグリーンの籠を見つめながら、思い出そうとする。

 えっと、確かこいつを輸入して、飼い始めたのも名付けたのも私だったと思うんだけどな。そういえば、どうしてこんな名前にしたんだっけ。完全に忘れてしまった。

 考える私に構わず、グリーンは鳴き続ける。ちなみにオスである。

『きぃ、きぃ、きぃ! なう、ふぇあうぇる、あでゅー!』

 ――おいおい、静かにしなさいってば。

 私は彼をなだめようと、席から立ち上がった。

 少し焦ったので、杖の操作を誤る。右脚の古傷に鈍痛が走った。いってて。

「グリーン。静かになさい。ね」

 万全とは言えない足取りで部屋を横切り、私は籠に左手の指を添えてやる。すると、紅いインコのグリーンは頭をきょろきょろと巡らせ、何かを思案したような挙動を見せる。そして、私の指を弱くつつき始めた。

 よし、これで大丈夫。グリーンは、見かけよりも賢い奴なのだ。

「グッドマン工場長」

 私を呼ぶ声が扉ごしに聞こえたのは、籠の中のグリーンをぼんやりと眺めていた時だった。

 ああ、言い忘れてた。

 私の名前は、ウィリアム・グッドマン。年齢は四十一歳。独身だ。

 この部屋は、小さな町外れにある小さな工場の二階にある執務室。私はとりあえず、この「グッドマン紡績工場」の長という立場なのだ。この時代に、私のような人物が小さいとはいえ工場を持つのは結構大変だったのだけれど、今はその話は、まっ、いっか。

 ドアに向けて、私は返答した。

「ちょっと待ってて」

 扉の先の相手は分かっているけど、うたたねしていたようだし、身だしなみが気になる。

 私は、鳥籠の隣に掛けられた姿見に視線を移した。

 見えるのは、もちろん私の姿だった――頭の黒のトップハットはずれていない。糊の利いたシャツにダークブラウンのベストを羽織り、下は動きやすいグレーのコールズボン。外出の際にはいつもモーニングのコートを身に付ける。チャームポイントは、黒い蝶ネクタイと、左右に伸ばし手入れされたお洒落な口髭だ。くるり、と右手のオークのステッキを回す。

 普段着にはちょっと格好付けすぎのような気もするけれど、普段からこの姿でいるのが一番落ち着くからいいのだ。

「いいよー、入って」

 私が声を掛けると、ドアを開いて、部下のバーモンド君が現れた。艶やかな黒髪を左右にハッキリと分けた長身の男だ。年齢は私の一周り下。私の補佐役であり、実直で仕事がよくできる。

「グッドマンさん。私を呼ばれた理由は……」

「ああ、それはねえ」

 ……えっと、なんだっけ。

 私は要件を思い出すために、口髭を指で触りながら考え始めてしまう。バーモンド君をこの部屋に呼んだこと自体は覚えているんだけど。……やれやれ、歳を取るのは嫌だね。忘れっぽくなって。

 あ、思い出した。

「そう、そう。なんか閃いたんだよ」

 私は愛用の黒杖に体重を乗せながら、自分のデスクの方へと戻る。

「さっきね、今日の新聞のこの記事を読んでてさあ……この……なんだっけ? 蒸気の……」

「蒸気機関、の実験ですね。失敗した」

「そうそうそれ」

 私のごちゃごちゃとした机の上に、一部の新聞が折り畳まれている。

 一七六九年、七月二日号。

 言うまでもなく、本日の西イングランド新聞だ。

 その端に、小さな記事が存在していた。

 見出しは「新技術実験、騒動のうえ失敗に終わる」。

 記事によれば、大学教授か誰かがマンチェスター郊外の河原に巨大な機械を設置して、“石炭を燃やした蒸気の力で重量物を引っ張る”旨の実験を試みたけど、装置から蒸気が漏れ出して大変な騒ぎになったらしい。

 私はこの記事を見て、妙に惹かれるものを感じた。

 ――我ながら、変に思うほどに。

 異常に、気になったのだ。

 言わば……『直感』のような、実に奇妙な感覚だった。

 新聞記事をとんとんと指でつつき、私はバーモント君に示した。

「これだよ。この実験、すごく面白くない? 蒸気だよ、蒸気。蒸気でものを引っ張るなんて、変なことを考える人がいるもんだよなあって」

「え、ええ……?」

 私の言葉の真意を図りかねたらしく、バーモンド君は少し困ったような様子を見せていた。

 だから私は、素直に考えたことを言った。

「『工場の動力に使えないかなあ』って、なんとなく思った」

「いえ、工場長」

 私の言葉を制して、バーモンド君は博識を披露した。この辺り、私には学がないから助かっている。

「お言葉ですが、その提案は現実的ではありませんよ。蒸気動力については、聞いたことがあります。初歩的な蒸気機関による井戸汲み装置は五十年ほど前に発明されたそうですが、不安定かつ危険であり、通常の使用にはとても適さない代物だったそうです。これもその類でしょう」

「うーん……」

 なんだか、ここは押さなければならないような気がしたので、私は食らいついた。

「でも、この研究者を呼んでみるくらい、いいんじゃないの? 記事によれば、マンチェスターの大学にいるって。近所だし」

「……え、ええ。いいですけど……」

 バーモンド君はかなり戸惑っている様子だ。私の言っていることが、あまりに思いがけないことだからなんだろうか。

 確かに私も半ばそう思ってるんだけど、率直に思ったことを言っているだけなんだよね。

「……それでは。工場長の名義で、この研究者に招待状を送ってみます」

「よろしくね!」



 ◆



 ――思えば、あれが最初の『直感』だったのだ。

 現在の私を、私が有する組織を、この状況を作り出した、すべての始まり。

 私は、薄暗い部屋の中、独りで息を潜めている。

 この館の周囲にごった返す人々の、絶叫じみた罵声が、彼らを抑える警官隊の号令が、閉められたカーテン越しに聞こえてくる。

 一七六九年。

 あれから二十年が過ぎた、今。

 この私、ウィリアム・グッドマンは、混沌のただ中にある。



 ◆



 私は、蒸気機関なる技術の研究者を招いて、その話を聞いた。それからすぐに、彼の所属する大学に赴いて、実際に蒸気機関のプロトタイプや研究資料を見せてもらった。

 私は研究者に、自分の紡績工場にこの技術を応用したいと申し出た。しかし、彼は首を横に振った。この技術はまだ開発途上の段階であり、工場での運用には研究開発が必要です、と。

 研究者も乗り気ではなかったし、もういいでしょう、と補佐役のバーモンド君が何度も私を抑えようとした。

 正直に言って、機械工学の分野に疎い私には、研究者の話も彼の見せた蒸気機関の試作品も資料の内容も、ほとんど分からなかった。

 だが、“この技術を産業に利用しなければならない”という猛烈な意思は常に湧いていた。その感情は我ながら無根拠で、異様とさえ呼べるものだった。

 そう――『直感』的な、考えだった。

 私は研究者に、研究資金を提供したいと申し出た。私の工場の敷地で自由に研究して構いません、技術面で必要なことがあれば我が社が全力でサポートします、と告げた。

 それは言わば、蒸気機関という新技術への投資だった。当時の我が社の資産全体から考えるとその額は小さな割合ではなく、会計担当でもあったバーモンド君は頭を抱えた。

 私からの強烈な、しつこいほどの推薦が功を奏して――私の工場の隣、メドロック川のほとりで、蒸気機関の研究開発が始まった。

 最初は失敗が続いたが、私は諦めなかった。諦めるつもりなどさらさらなかった。自らの『直感』に従って新たに技術者を招聘し、問題解決に向けての試行錯誤を続けてもらった。

 ――私は、『直感』の力、とでも言うべきものが芽生え始めたのをその頃に自覚した。それまでの人生には覚えのない奇妙な感覚だった。『直感』は、まるで私を導くかのように、“これを使えばいい、この人に頼るといい”というような考えを私に与えてくれるのだった。そして、私がそれに従うと、まるで冗談のように問題が解決していった。

 この『直感』の力で呼び出した技術者に任せることで、思いもがけない偶然のような形で開発中の大きな課題が解決された。その糸口を作った私は研究者たちに感謝されたが、いえいえあなたたちの力ですよ、と答えた。

 開発開始からおよそ二年後、ついに実用可能な一連の蒸気機関装置が完成した。この新たな生産・輸送システムは、私自身が驚くほどの生産効率性の上昇を工場にもたらした。こうして蒸気機関への投資は大成功を収めた。

 一挙に利益が増大し、工場の経営に余裕が生まれた。しかし私はそれに飽きたらず、今度は技術者に更なる改良、そして「人も高速で陸上輸送できる蒸気機関装置」の開発を急がせた。船への蒸気機関の導入も提案した。他工場からの需要大に伴い、蒸気機関そのものの量産体制も構築した。

 この一連の流れは、目覚ましいまでの変化だった。以前までは、自分の小さな工場を安定的に運用し、規模を維持さえできればそれでいいという程度の考えで、私は工場を経営していた。不要な危険を渡るべきではない、と。しかし、今の私はまったく違う。新技術への投資やその生産への活用を繰り返し、可能な限り速やかに我が社の規模を拡大すべきだと感じていた。これも、『直感』に支えられた意思決定だった。



 ◆



 一七七〇年代中頃。単なる紡績工場という殻を早々に脱ぎ捨てて、我が社はその事業体制の拡張を開始した。

 蒸気機関は単なる始まりに過ぎなかった。この世界には、優れた発明家や技術者、科学者たちが存在した。彼らの取り込みと研究開発への投資は常に欠かさなかった。中には実現性に欠ける技術や、虚偽を触れ回る者さえ存在したが、私の『直感』は見事にそれらの不純物を選別してくれた。私は的確な技術投資を行い、それを生産に活かし、また製品として社会に普及させていった。

 英国中、更にはヨーロッパの企業さえ、我が社が次々と生み出す革新的な新技術に注目し、そして模倣し始めた。私はその状況を歓迎した。新たな技術や製品が世界中に普及すれば、それは産業全体の進展に繋がり、更なる新技術を普及させる土壌が生まれる。そして結果的に我が社の規模拡大の効率性を高めると考えられたからだった。何よりも、彼ら競合他社に私が追い越せるはずがない。我が社は常にその遥か前方を進んでいるのだから。



 ◆



 一七六〇年台には小規模な会社組織に過ぎなかったグッドマン紡績工場は、その組織規模と着手事業の爆発的な拡大を背景として、一七八〇年台には「グッドマン・インダストリー」へとその名称と組織体制を変えていった。その流れに伴って、私は王都ロンドンへの影響力を発揮し始めていた。政界・社交界への進出である。

 といっても、別に私は政治とか社交とかいうものに興味があった訳ではない。というか、ない。ただ私の会社を更に拡大・発展させるためには、この国家の中央を構成する人々とのコネクションの構築や、産業発展を阻害するだけでしかない邪魔な法制度の『改善』が必要だと強く感じたのだ。そう、ここでも『直感』にもとづいて私は行動方針を決定している。

 私は自在に影響力を行使できる議員群を編成し、強力な支援団体をその背後に構築することで、法制度の変更を中心として積極的に政治介入を行っていった。もちろん最初は抵抗もあったけど、すぐに仲間も増えて、英国議会も思うがままになった。そして英国の産業界はほぼ私の独断で動かせるようになった。すごいね。これも『直感』の力だった。

 法制度の改善にともなって、私の組織は以前よりも遥かに機敏かつ柔軟な存在になっていった。その変化にはひとつの大きな目的があった。労働力の効率的運用だ。生産力の向上には生産設備の技術革新が不可欠だが、その生産設備を実際に動かしているのはもちろん労働力にほかならない。産業発展の下支えをするのは労働力の存在なのだ。グッドマン・インダストリーの発展を目的とする私にとって、配下の労働力を合理的に増加させ、より効率的に運用したいと願うのは当然のことだった。生産に伴う労働力になるのであれば、どのような手段を用いてでもシステムに組み込みたいと思った。それが我が企業、ひいては産業全体の発展と拡大に寄与するのだから。

 もちろん思想的な介入も行った。性別はもちろん、幼児期でも、そして高齢でも、病気でも、皆が額に汗して労働に寄与するのは自身や社会にとって良いことなのだと、積極的に宣伝を展開した。私は信心深い人間とは言えないけれども、この時に宗教を利用するのが非常に効果が高いと分かった時には驚いた。働き者であればあるほど天国に行きやすいということにしてもらった。いつでも必ず存在するなまくら牧師さんたちに経済的・政治的な取引を行い、そういった「聖書解釈」を広めてもらったのだ。信仰に応じて右往左往する人々を、その顔を眺めながら、私は楽しいなあと思った。

 私に宿る素晴らしい『直感』は、同時に経済学を勧めてくれた。私は組織をコントロールする傍ら、書物を次々と読み進め、学者の講義も受けた。それらは無学な私にはとても為になった。経済理論の中には、私のような立場の者がどのようにして産業資本を効率的に拡大するのかを理論的に解説したものがあって、それは非常に役立った。単純な例を挙げるなら、賃金は労働力が維持できる限界まで引き下げることで、その差分をより設備投資に回せる、というような話だ。そうした施策はとっくにやっていたけれど、私はその傾向を更に強くした。経済や産業にまつわる学問は、組織の行動の理論的な下支えをしてくれた。

 以上のような政策を並列的に続けることにより、安定的に、大規模かつ強固な一連の産業構造が、グッドマン・インダストリーという姿で存在を続けた。一七八〇年台も中頃になるとそれはもはや英国内に留まる勢いを知らず、ヨーロッパやインド、南北米大陸に拠点を持つ関係組織も含め、一つの巨大システムとして確立されつつあった。私はそれを頂点からコントロールし、時に『直感』に従って変化させ、改善し、次々に新技術を導入して、より洗練されたものへと推し進めていった。すべてが順調に行っていた。

 事件が起きるまでは。



 ◆



 一七八九年のことだった。

 マンチェスターにある私の屋敷を、人々が取り囲んでいる。

 溢れ返るような数の群衆は、怒号を上げながら、屋敷を守る警官隊と対峙していた。

 私は薄暗い自室の椅子に腰掛けて、嫌でも耳に入るその音響に包まれていた。

「グッドマン社長。無事ですか」

 扉を開けて、部屋に入ってきた人物がいた。

 バーモンド君だった。この二十年余、私の補佐を続けてくれた人物だ。かつての黒髪は、灰色に変わりつつあった。

 私は杖を使って立ち上がり、カーテンを開けて明るくしようと思ったけど、ふと手を止める。そういえば、この部屋に私がいると知られたら群衆を刺激するらしい。

 やってきたバーモンド君の前まで歩み寄り、私は笑顔で迎えた。

「えっと、外の人たちは、何を訴えているんだっけ? というか誰だっけ?」

 尋ねた私に、彼はなんとも微妙な表情を見せた。ごめんね。でも本当にどうでもいいことなので、覚えてないんだよ。

 社長補佐役のバーモンド君は、やや疲れ気味の声音で、言った。

「……労働者たちと、その家族などの関係者です。彼らは、我が社の関連組織を含め、英国中の、更には全世界的な労働環境が加速度的に悪化しており、その元凶が、グッドマン・インダストリーとあなた個人にあると訴えています」

 思い出した。労働力への思想コントロールが不完全だった問題だ。参ったなあ。

「私が外に出て行って、どうにかなるものじゃないよね?」

「彼らの怒りに触れ、暴徒化を加速させるだけでしょうね」

「じゃあ警察の皆さんに任せておけばいいんだね。犯罪者だし。そのうち、収まるでしょ」

「……そうですね」

 妙な沈黙が、暗い部屋に降りた。

 バーモンド君の様子が、少し変に見える――何かを諦めたような、それでいて、どこか吹っ切れたような。

 この騒ぎで疲れているんだろうなあ。お疲れ様。

 そのバーモンド君が、無言でコートの懐から何かを取り出して、私に見せてきた。

 赤ん坊の写真だった。写真は私の会社が普及させた新技術の一つだ。

「私の、娘です」

「へえ。今、何歳だっけ?」

 私の何気ない質問に、何故かバーモンド君が妙な反応をした。

 言葉を詰まらせて、歯を食いしばり、頭をうなだれさせた。急にどうしたの。

 苦しげに、彼は答えた。

「……三歳、でした」

「でした――って、亡くなったの?」

 バーモンド君は、耐えられなくなったように、体を震わせ始めた。

「……おととい、坑道内の輸送作業中に、落盤事故に遭って……」

 私は、心の底から思ったことを、彼に伝えた。

「残念だね。システムに寄与できる労働力が減って」

 良く分からないけど、その言葉がまた彼を刺激してしまったらしい。

「う、ううっ……」

 彼は更に頭を垂れて、それを両の手で覆うようにした。全身の震えが一層強くなっている。

 沈黙を挟み、バーモンド君は妙なことを言い出した。

「グッドマンさん。……あなたは、変わった」

 彼が、下げていた頭を戻して、目の前の私に向けてその顔を見せた。

 バーモンド君は、泣いていた。

 大粒の涙を、ぽろぽろと零していた。

 流れる涙に一切構わず、彼は私に、まるで訊くような語調で告げる。

「……あなたは、こんな人じゃなかった。あなたは、もっと周囲に優しい人だったじゃないですか。いい人だったのに。一体、何があったんですか? 本当に、あなたは変わってしまった……」

 いや。

 私は、特に変わったつもりもないけど。まあ直感は冴えたよね。

 バーモンド君が、涙を流しながら、言葉を続けた。

「……私を雇ってくれた時のことを、覚えていますか。務めていた海運商社に詐欺の疑いを押し付けられ、路頭に迷っていた私を、あなたは拾ってくれたじゃないですか。グッドマンさん。……あなたは、あ、あなたは……!」

「ごめん、覚えてない」

 私が、そう答えるや否や。

 バーモンド君が、唐突に隠し持っていた「何か」を、私に繰り出した。

 私のみぞおちに、それが突き刺さった。

 訳が分からず、私は間抜けな声を漏らした。

「……え?」

 バーモンド君が両手を離したのは、大型の狩猟用ナイフだった。磨かれたそれは、深々と私の胴体にめり込んでいる。

 いっ。

 い、痛い、じゃないか……。

 全身から力が抜けるようだった。足腰がふらついた。右脚が悪いのもあって、私は見事に転倒してしまった。

「バ、バーモンド君、助けて……」

 まさか助けてくれるとも思わなかったけど、この部屋には彼しかいなかったので、とりあえず呼びかけてみた。

 そんな私を、バーモンド君は物言わず見下ろしている――涙に濡れた、様々な感情でぐしゃぐしゃになってしまった顔で。

 熱い液体が傷口から漏れて、床に黒い染みを作り始めていた。

 体が思う通りに全然動いてくれない。部屋の空気が異常に冷たい。血流の音が妙に大きく感じられる。外では群衆が、相変わらず私に向けて罵声を浴びせていた。

 ……これで、私も終わりか。

 でも。

 「まっ、いっか」程度に、私は考えていた。

 私は自分の会社をそれなりに大きくすることができたし、きっとグッドマン・インダストリーは今後も続いていくのだろう。それが残せれば何よりだった。

 ……視界が霞み、意識が薄らいでいくのを感じながら。

 私は、私の残した産業システムのことを考えていた。


 そして、ほんの少し、籠に残したままのインコのグリーンを思ったりもした。

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