第27話「剣」

 大理石が整然と敷き詰められた、広々とした廊下。空の甲冑とそれが持つ、元来使い手はいないだろう長い剣が、死んだように並んでいる。窓からの光すら差してこない場所から、何も言わずにこっちを見つめてくる。

 それはまるで今まで王の仮面にされ、周りから、そして自分にすらも忘れ去られていったかつての者たちのようだ。

 天井近くの壁には、穴のような小さな窓がたくさん並んでいる。そのような明かり取りがたくさんあるにも関わらず、廊下に光はほとんど入っていない。

 そこからかろうじて床や壁に差す細い光の筋をかいくぐって、薄暗いひんやりとした空気の中を突っ切っていく銀光と人影。

 その人影の片方が、ヴェールをドレスのようにはためかせながら、言葉を喋っていた。

 「いいかサイオウ。見て分かる通り、ここは城とは違うし王の秘密を知っている者なんて限られているから兵士もあまり用意されていない! 反逆者だって出たことがないから戦い慣れもしていない! 何なら全員爆破させたって……」

 「ぶ、物騒なこと言うなよ! 違う罪で捕まるぞ! それに、子どもが大人にかなうと思うなよ! 優秀でも、やっぱり自分たちより長く生きてる大人をなめちゃだめだ。痛い目見せられるぞ!」

 「……意外だな」

――おれたちならできる! とか、根拠のない励ましを堂々とするタイプかと思っていたのに。

 アヤタカは続ける。

 「見た限りでは、きっとあいつらはフレイヤのことだけは殺せないし、傷つけることもできない。できたら、あんまりおれから離れないで。おれあんまりやられたくないから。」

 「ださいな」

 「今そんなこと言ってる場合じゃないから! ださくていいからおれのこと身をていして守ってね」

 「情けないな」

 「だから、攻撃に関してはあんまりあっちも本気を出せないと思っていいと思うんだ。だからそこを突く。とにかく速いスピードでここから逃げる、それだけ!」

 アヤタカの言葉に、フレイヤは 分かった、と呟いた。

 「あとは、魔力無効化だっけ? あれだけ気をつけよう。あれも当たらないよう箒を速く動かすってことが……。なぁ、なんかあの魔法って対抗できる魔法あるの?」

 「知らない」

 この国は独自の魔法を発展させてるから、対応策が教科書に載っているわけじゃない。アヤタカは、じゃあもうとにかく気をつけよう、と言った。

 「でもドンパチやるのは本当に最後の手段だ。このまま逃げも隠れもして無事にこの国から出るぞ!」

 フレイヤは、この国を出て外国にいけば、もうオミクレイ国は自分たちに手出しができないことを分かっていながら、わざと聞いてみた。

 「この国から出たところで、安全って保証はあるのか。外国で捕まるだけじゃないのか。」

 それに対してアヤタカは答える。

 「大丈夫! 領事裁判権だか関税自主権だかがここにはあるだか無いだかしてるから、とりあえず外国に行っちゃえば大丈夫!」

――なんだ、知ってたのか。

 フレイヤはどこかがっかりした思いを抱えながらも、その二つの単語の音に、記憶を掘り起こされた。

 「それ、社会の授業でまとめて覚えさせられる二つじゃないか。どっちがどっちか分からなくなる……」

 「分かる!? どっちが税金のやつだっけ!」

 「関税自主権」

 「それー!」

 アヤタカの声に呼応するように、槍がぐわんと揺れた。集中力に比例している魔法の精度。アヤタカは集中し直す。

 「とにかく。おれはフレイヤを人質にとって、なるべく物騒に見えるこけおどし作戦使うから。」

――こいつ、捕まってる間? にいろいろ考えてたんだな。

 そんなことを思いながら、フレイヤは問いかけた。

 「こけおどし? 魔法をガンガン打つのか。」

 「それはちょっと……。器物損害とかいうのは避けたいかな……。だから、そうしなくてもこけおどせる良いアイディアが」

 バゴン! という音とともに、爆発するような勢いで後ろの扉が開いた。

 反射的に振り向くアヤタカとフレイヤ。

 そこにいたのは魔法の絨毯を五体一組で操る家来たち。扉から、蜘蛛の子を散らすように家来たちが飛び出してくる。その絨毯の数はおよそ十。つまり五十体の精霊体が来た。

 鋭くアヤタカが叫んだ。

 「五体のうち、絨毯を操っているのが三体。後ろで魔法を詠唱してるのが二体!」

 フレイヤはその言葉に目を丸くした。

――発動している魔法まで分かるのか!?

 アヤタカは続ける。

 「それもやっぱり、実践慣れしてない。あの家来さんたち、エリートではあるっぽいけど……。早めに心を折った方が良さそう」

――こいつ、意外とえげつないこと言うな。

 魔法の絨毯は操縦が難しいぶん、スピードが速い。

――確か教科書では、真ん中の一体が前進を勤めてて、後の二体がバランスをとっていたはず。

 フレイヤは舌で唇をちろりと舐めた。

――それなら、詠唱している奴よりも絨毯を操る奴をやった方が時間稼ぎになるか。

 フレイヤの体内で魔法が練られる。それを炎に変換しようとしたその時。

 「フレイヤ! 乗り物の方、任せた!」

 急に振られた物体浮遊術の主導権。

 飛びながら操り手を交代する、というのは至難の技だった。受け渡しの時に力加減や息を合わせる技術は、なかなかの練習が必要だ。

――そんなこと、こんな即席でできるか!?

 すると、フレイヤの左足に、家来たちからの衝撃魔法が放たれた。

 すんでのところでアヤタカがスピードを上げ、魔法はフレイヤの左足ではなく冷たい床を貫通した。ガツッという硬質な音を立て、大理石が砕け欠片をばら撒く。

 アヤタカの予想は外れた。周りからは、今も衝撃魔法が撃たれている。

――いや、泣き言を言っている場合じゃない、やるしかない!

 フレイヤは覚悟を決め、恐れと気合の中、空中での手綱の受け渡しに挑んだ。アヤタカの魔法が緩み、フレイヤの魔法が槍に伸びた。すると、槍はまるで主人以外に手綱を引かれ、いやいやと駄々をこねる馬のようにぐわんぐわんと動く。

 次の瞬間、アヤタカはその手綱を全てフレイヤに預けた。

 その途端さらに槍のバランスが崩れ、二体の視界と重力がめちゃくちゃになる。振り落とされる恐怖に、更にフレイヤの魔法がぎこちなくなり激しく揺れる。

 アヤタカは槍から魔法の手を離した瞬間、もうそれを意識の外に締め出した。不安定な足場はもう、関係ない。

 海の中に潜るように、深く深く意識が心の奥へと入っていく。

 周りの空間に、自分の神経――魔力の糸が張り巡らされているかのような感覚。

――いける、意識が研ぎ澄まされてる。

――『これ』を実現するには何をどうすればいいのか、今、不思議なほどはっきり分かる。

――何でこんなに冷静なんだろう。周りがよく見える、分かる。心のどこかで今の状況が怖いって感じてるはずなのに。でも、この異常なくらい研ぎ澄まされた不思議な感覚に……

 恐怖の中で冴え渡る感覚、思わずそれに覚えた、心地よさ。

 ピィイ……ン

 高く、アヤタカの爪弾く音が鳴り響く。儚い音は魔力を携えながら、部屋中へと染み渡った。

 ガシャ、ガシャン。

 いくつも重なり合った、金属が鳴る重厚な音。

 ようやく槍の手綱が取れてきたフレイヤ。首元の汗を拭いながら、その音のした方を見やる。

 宙に浮かぶ、無数の剣。

 自分たちの周りには、控え、隊列を組むかのように。追いかけてくる剣たちが舞っていた。

 わずかに切れ気味になってきた息と一緒に、フレイヤは思わず声を出していた。

 「複数の……物体浮遊術……!? お前、いつの間にこんな……。」

 前に座る亜麻色の髪に問いを投げかけたが、目の前の相手は答えない。肩をいからせ、汗が伝い、血管の浮き出る腕を見た時、フレイヤは話しかけるのをやめた。

――複数のものを同じ動きで操るならともかく、今のあの剣たちは、それぞれ別の動きをしている……。別々に操っているんだ。……複雑な魔法だ。

――どうやって制御をしているんだこいつは。

 周りの兵士たちにも、動揺の空気が流れる。その兵士の攻撃魔法が途切れた一瞬の隙を狙って、その剣たちは一斉に魔法の絨毯へと切り込んだ。

 対応しきれなかった精霊体と操る魔法の絨毯が、いくつかその剣に打たれた。魔法の絨毯が、剣に刺されて床へと磔になる。剣は真剣ではなかったらしく、魔法の絨毯が破けたり貫かれたりすることはなかった。

 いくつかの絨毯の動きが止まる。もう一度体制を立て直して出発するには、若干の時間がかかる。

 まだ残る剣は、まるで威嚇するように、残る魔法の絨毯に切っ先を向けている。絨毯の操縦の手が、若干不安定になる。

 果てにはアヤタカの髪の毛の一本一本にも魔力が及び、髪は魔力を帯びた時特有の、ぶわっと空中に広がった形となっていた。髪には魔法の残滓である、きらきらとした光の粒が付いている。

 アヤタカの口から、荒い吐息が漏れ出ていた。

――あまり長い間はもたない。

 フレイヤはそう直感し、槍を進める手を急いだ。

 ぐんっと急に速度が出て、一瞬アヤタカの体が傾く。フレイヤはアヤタカが傾いた方向の膝をさっと上げ、アヤタカの脇腹あたりを蹴って体制を戻してやった。

 しかしそれでもアヤタカの操る無数の剣だけは、傾いた時も蹴られた時も全く揺らぐことはなかった。

 アヤタカの言っていた、「こけおどしの作戦」。

 当のアヤタカ的にはぎりぎりなのかもしれなかったが、フレイヤから見ても、この魔法は無敵のように錯覚させられた。

 今も剣は、一斉に魔法の絨毯やそれを操る精霊体を叩き落とそうと、ものすごい速さと数で突っ込んでいく。

 その勢いに恐怖し、家来たちは明らかに逃げ腰になっていた。

 これがこけおどしだろうとも、今確かに、アヤタカは家来たちを押していた。

 フレイヤの目の端で、剣光がちらついている。

 目の前にある亜麻色の髪に通る魔力も、廊下の窓から差し込む細い光の筋も輝いている。

 王宮の道。頼もしい剣たちが、自由に生きる道を拓いてくれている。自分は迷いなくそこを疾駆している。

 その瞬間確かにフレイヤは、世界が輝いて見えた。




 しかし後ろでは、魔力無効化の魔法の準備が着々と進んでいた。

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