第26話「友達」

 ざっ、ざっ。

 オミクレイ国の家来たちが、隊列を組んで進んでいる。

 ざっ、ざっ。

 広間に鎮座する、玉座に向かって。

 その隊列の真ん中で、華奢な精霊隊も一緒に進んでいた。

 その精霊隊は一体だけ、宝石で編まれたヴェールを身にまとっている。体には宝石の装飾品が、頭には荘厳な冠が輝いている。

 最上級の衣類で飾り付けられたその精霊隊は、恐ろしいほどに美しい容姿をしていた。

 世界中の美しさを集めたようなその姿。王の者が厳かに声をかける。

 「ただいまより、転成の儀を行う。奴隷フレイヤ、前へ。」

 ざっ、という音を立てて、家来たちが傍に避け、道を作る。

 フレイヤは玉座の前へしずしずと歩み寄り、かしずいた。

 光に透けて輝くヴェール越しに、顔を上げる。そうして王の顔を見た。途端、フレイヤは息を呑んだ。

 王の顔は確かに老いていた。が、その眩いほどの美しさを、老いが押しのけることなどできないほどに、彼は圧倒的に美しかった。

 王に相応しい、高尚さのあまり近づくことすら恐れを抱く、品のある顔立ち。

――これが、王に選ばれた顔。

 フレイヤは息を呑み、ただ見とれた。それはフレイヤにとって、初めての感覚だった。

 美しき王が、フレイヤに向かって言葉を奏でる。

 「現物がここまで美しいとは。まるで他の者とは別世界の存在だ。」

 低いハンドベルのような王の声。

 美しい王に褒められたと知り、フレイヤは紫色の瞳を揺らした。

 王は続ける。

 「そして男でありながら女のようなその容姿、非常に稀有で神秘的だ。高貴で近寄りがたい雰囲気も王者に相応しい。今の容姿は青々とした森林のように爽やかな美しさだったが、お前は水に濡れた花のように耽美なものがある。」

 フレイヤはその言葉に、気持ち悪いなと思いながら、何も言わずに聞いていた。

 そして”近寄りがたい雰囲気”だけは、あって良かったと思った。

――おかげで、変に精霊体が寄ってこられないで済んだ。それはこの容姿のおかげだったのか。

 付き合いは嫌いで、面倒。群れるのも面倒。友達を作る利益が分からない。

 さらにその”近寄りがたい雰囲気”に、王が言葉を重ねる。

 「親しみやすさなんて毛程も無い方がいい。あんなもの、馬鹿にされているのと同じだ。」

 その言葉に、フレイヤはかすかに表情を変えた。自分も”彼”を親しみやすいと思うかはともかく、親しみやすい雰囲気を持つ誰かを思い出したから。

――私が馬鹿にしてきた相手。

――誰からでも親しまれることを望んでいただろう相手。

――あいつのそういう考え方とはきっと分かり合えない。そしてあっちも、私の付き合いが嫌いだという考え方とはきっと分かり合えない。

――ただ今はほんの少しだけ、こいつと分かり合うよりも、お前と分かり合いたいって思ったよ。

 フレイヤはそっと目を閉じた。

――私は、最後に……。

 一つ深呼吸をしたフレイヤは、王を見上げ、おずおずと申し出た。

 「王様。どうか最後にお願いがあります。私を、私のバディーと合わせてください。別れの挨拶をしたいのです。」

 そう言ってこうべを垂れると、頭にかかるヴェールがしゅるりと流れる。

 玉座からフレイヤを見下ろしながら、王は、ややあって答えた。

 「いいだろう。ただ、記憶はもう失っている。お前のことは誰だか分からないだろうから、そのつもりでな。」

 フレイヤは、はい、と小さく返事をした。


 美の宮殿のはなれのようにある、小さく、しかし立派な建物。

 立ち入り禁止のこの場所が、まさしく転成の儀の場所だった。

 フレイヤは遠くから眺めるだけだったこの建物の中に、今いること、それが不思議な感覚だった。

 目の前では、磨き上げられた床や柱が、光にあたって神々しく輝いている。

――これが、自分が自分である私の見る、最後の光景か。

 フレイヤは光の中、アヤタカを待った。そしてとうとう、アヤタカは来た。

 亜麻色の髪に緑の目。どこにでもいそうな、でも、どこにでもはいなさそうな不思議な芯を持っているよう思えた精霊体。

 家来に引っ張られながらも、間の抜けた顔で、きょろきょろとこの宮殿を眺めている。今から何が起こるかなんて、自分が何故ここにいるのかなんて、何も分かっていなさそうな顔で。

 アヤタカの目が、フレイヤに向く。その途端、アヤタカは息を呑んだ。

――まさか、覚えて、

 フレイヤの胸に、剣のように鋭く、淡い期待がさし込まれる。そして連れてこられたアヤタカが口を開く。

 「えっと、おれに用があるって、君? お、お姫様?」

――違った。

 それも、また自分のことを女だと思っている。そう思いながら、フレイヤはお互いが最初に会った時のことを思い出していた。

 あの時は声を荒げて怒った。しかし今は。

 「お姫様に見えるか、私が。」

 しゃがんでいたアヤタカに、フレイヤは目線を合わせた。口元にはほんのりと笑みを浮かべて。

 アヤタカは、おずおずとこくりと頷く。

 その様子と答えに、フレイヤは思わず笑い出した。

 今までなかったくらい、思いっきり。

 「お姫様か。可愛い勘違いじゃないか。あははは。」

 そう言ってフレイヤは、アヤタカの髪をわしゃわしゃとかき乱し始めた。

 アヤタカは放心した状態で、されるがままになっている。

 フレイヤはひとしきりアヤタカの髪で遊んだ後、すっと表情を変えた。

 悲しそうな、嬉しそうな、寂しそうな顔に。

 「……ありがとう」

 そして、アヤタカの目をまっすぐ見据え、フレイヤは言った。

 「お前とだけは、友達になりたいと思えたよ。」

 そう言って、フレイヤは腰を浮かせた。

 動いた弾みで宝石がきらりと輝いた。

 まるで永遠の別れの瞬間を、飾り立てるかのように。

 「っの、バカ!」

 フレイヤの耳に、聞きなれた声の、聞きなれない怒声が届いた。

 そして次の瞬間、思い切り袖の裾を引っ張られた。

 袖を引かれるまま、フレイヤは走る。

 だって、その袖を引く相手は。

 「サイオウ……」

 サイオウこと、アヤタカ。太陽の子どもだったから。

 アヤタカは全速力でその場を駆けた。そして手をかざし、魔法、物体浮遊術を発動させた。

 すると壁に飾りとして掛けられていた大きな槍が がたんと外れ、命令を下したアヤタカの元へ、銀光を放ちながら疾駆して行った。

 アヤタカはもう一度命令を出し、槍を失速、そしてその槍にまたがった。

 そのままフレイヤはぐい、とひっぱられ、槍に乗せられた。

 そうするやいなや、アヤタカは浮かせた槍を今度は全速力で進ませた。

 槍を箒がわりにして、その場から逃亡したのだ。

 その乗り物である槍のあまりの速さに、フレイヤは槍に必死にしがみついた。耳元で、風が轟々とうるさい。

――逃げている。私は今この場から、逃がされている。

 風の中で、フレイヤはアヤタカの背を見た。

――私のことをこいつは忘れなかった。どうしてか分からないけれども。

 思わず笑みがこぼれた。

――それもまさか、ここまでしてくれるだなんて思わなかった。

 本当は誰かに無理矢理にでも連れ出して欲しかったのかもしれない。フレイヤはそんなことを思った。

 感極まったのも束の間。槍のあまりの速さに、フレイヤはいつの間にかしがみつくことに必死になっていた。

――こいつ、二体も精霊体を乗っけて、こんなにも速く進めるのか!?

 アヤタカが他の精霊体より若干優秀らしいことはフレイヤも知っていたものの、まさかここまでだとは思わなかった。

 箒乗りも、物体浮遊術遊術の領域だ。物体浮遊術遊術で箒を浮かせて、その上に乗って自由に飛び回る。

 しかし箒といってもただの箒ではなく、飛行用の箒は魔力が送られることで、後ろの部分から進むための力魔法が勝手に働いて噴射するというもので、いわば魔力さえ送り込めれば誰でもできた。

 今アヤタカが操っているのは魔法道具でもなんでもない、単なる棒。純粋な自分の魔法による命令だけでアヤタカは飛び、さらに信じられないほどのスピードを出している。

――何なんだ、こいつは。

 浮く、進む、加速、維持、乗り手の防護……。それ以上にもっとある、無数の命令を一辺にこなす技は、フレイヤにとって、新入生のできる技じゃないと思った。

――こいつ、もしかして。ものすごい魔法の才能があるのか。

 アヤタカの、学校に行くことで伸びるだろうその技量に、フレイヤは思わず身震いした。

 「フレイヤ!」

 そんな最中、その操り手に名前を呼ばれた。ハッと意識が戻る。

 「お前、私のこと覚えて……」

 「あぁ、とりあえず忘れたふりしてた! どうしてか分かんないけど、記憶消去とやらの魔法、全っ然効いてない!」

 アヤタカの手の甲からは、あの偽物のエンブレムは消えていた。絵描きによって記され、全てが始まった、あの原因のエンブレム。

 風の音に負けないよう、二体の声が自然と大きくなる。

 アヤタカが吠える。

 「大体よー、最初っから滲み出てるんだよフレイヤは! 嫌だ、姿や記憶を取られたくないって! なのにヤケクソみたいな感じで諦めて! さっきだってそうだよ、あんなに未練たらたらで行こうなんて! そんな顔で、行かせるかよ! このバカ! バーカ! バーカ!」

 フレイヤは初めてアヤタカに声を荒げられた。風の音に負けないようにかもしれないが、緊張のあまり声がこわばってのことかもしれないが。その声に、フレイヤは反射的に叫びかえしていた。

 「誰がバカだ! お前の方がバカっぽいだろバカ!」

 「バカ!」

 「このバカ!」

 「ハゲ!」

 「死ね!」

 「し、死ねはないだろうフレイヤ!」

 「お前こそハゲってなんだ! 殺すぞ!」

 槍の上では罵倒が飛び交う。

 ややあって、アヤタカが話を切り出した。

 「いいか、フレイヤ。今のフレイヤはさらわれたていってやつだ。戻りたいならおれをいつもみたいに殴って戻ればいい! だけど、もし転生の儀が嫌なら! このままおれに連れ去られてろ!」

 ゴウッと、アヤタカの声に呼応するかのように、槍の速さも増した。

 「選べ、フレイヤ!」

 薄暗い、ひんやりとした廊下を疾駆する槍。

 横から差すわずかな光は、眩さのあまり白かった。

 その光の筋を通り抜けるたび、槍は白銀に輝く。

 フレイヤはようやく口を開いた。

 「校長先生に昨日会って……!」

 アヤタカが、耳を澄ませるのが分かった。

 「私は、お前と同じようなことを言ってきた、彼の助けを断った。」

 また槍が影に遮られては、光の筋に当たってを繰り返す。

 「怖かったから。そうしてもらえただけの恩を返しきる自信がなかったから。」

 そして、とフレイヤは付け足した。

 「元の生活に戻れたとしても、もうお前に合わせる顔がないと思ったから。わ、私はひどく身勝手な姿を見せたあげく、お前を、その、傷つけた。お前がお前のことを話した時に。だから。」

 アヤタカが、ちらりとフレイヤを見た。その顔を見るのが怖くて、フレイヤは目を逸らした。

 「お前が私を許してくれるなら、私は逃げる方を、選びたい。と、思う。」

 何度もつっかえながら、ようやくフレイヤはそれを言った。

 途端、槍にかかっていたアヤタカの魔法がぐにゃぐにゃになった。槍がかなり不安定に揺れだす。

 「わっ! おまえ、何してっ」

 思わずフレイヤが叫ぶと、アヤタカからぐすん、という音が聞こえた。

 眉間にしわを寄せるフレイヤ。対して話し始めるアヤタカ。

 「あのフレイヤから、そんな言葉が出るなんて……。やばい、おれちょっと泣きそうだよ……」

 フレイヤはその言葉に、つい背中をどつきたくなった。

 「お前は私の親か何かか! 一体どういう立ち位置のつもりだ、お前は。」

 「友達だよ。」

 間髪入れずに答えたアヤタカの言葉に、二体の間は しん、と静まった。

 そして一瞬だけ顔を見合わせ、お互いに にっと笑った。

 「……行こう」

 どちらかが言ったその言葉を境に、槍はまた全速力で進み始めた。

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