第25話―絵描き―後編「王の仮面」
「王の仮面……?」
時代とともに変わった、かつての転生の儀式の呼び名。
ヨーゼフは、国王直属の家来である精霊体に向かって、その言葉を復唱した。
家来は言う。
「そうだ。お前の援助だけは今まで王が行なっていると言ったな。お前は、その恩を返す時が来た。」
カルは隣で、嬉しそうに喋っている。
「ヨーゼフ! お前、王様の代わりをするってことじゃないのか!? 皆言ってたろ、貴族とかは美形が代わりを勤めてるって! すごいよ、王様だぞ!」
確かに、前に何度か見た王の姿は美しかった。それこそ、美しさのためだけに生きて来たかのようなまばゆい美しさだった。あれを見れば、確かに王は顔で選んでると思っても仕方がない、ヨーゼフはそう思わざるを得なかった。
しかし今のヨーゼフは、興奮気味なカルの様子とは裏腹に、どんどん胸が冷えていった。
――でも、そんな都合のいいことがあるのだろうか。
――今まで従うしかなかった。村に売られて、なすすべも無くここへ来て。この宮殿でも、ここしか居場所がなくなったから、言われるがまま、流されるがまま今までやって来た。
カルは、目の前にいる家来に目をやる。
――何より、この男の目。
その目は、まるで死刑を宣告するかのような厳しさをたたえていた。
家来は言う。
「バディを捕らえろ」
その言葉が放たれた瞬間、一瞬にして場の空気が変わった。
カルの腕を捻り上げる。カルはうめき声をあげ、地面に膝をつかされた。
「カル!」
ヨーゼフが叫ぶ。そのとたん、後ろにいた別の家来たちが、何か魔法を放った。 無色透明なそれは、魔力を封じる魔法。
家来が、低く、小さな声で言う。
「もし逆らえば、バディを殺す」
ヨーゼフは、その声の静かさに、自分の立場を悟った。
――ああ、何を誤解していたんだろう。
――自分は、奴隷なんだ。僕たちは権利なんて、とっくの昔に剥奪されているんだ。
ヨーゼフは何も言わずにこうべを垂れ、無抵抗の態度を示した。
家来はそれでいい、と言わんばかりに無言で頷いた。
そして家来は、合図を出した。
宮殿に咲くバラのような青い光が、ヨーゼフの視界に入る。ぱっとその光が漏れている方角を見ると、その光はカルを包んでいた。
カルの手の甲にあるエンブレムが歪む。ひときわ明るい光が彼を貫き、彼は倒れた。
ヨーゼフは思わず叫んだ、何をした、と。
家来は言った。
「記憶の消去が完了した。もうお前のことを覚えている者は、誰もいない。」
言葉が出なかった。
そのままヨーゼフは引きずられるようにしてどこかへ連れていかれた。
そして次の日、彼は王座の前で、自らの容姿と人生を奪われた。
その後ヨーゼフがどうなったかは、誰も知らない。
カルが目覚めたのは、見知らぬ寝台の上だった。
どこか宿屋のような場所。どうして自分がここにいるのか、思い出せない。
そして見守るようにして自分を覗き込んでいたのは、かつての懐かしい顔、生まれ故郷の絆兄弟だった。
「カル。起きた? 迎えに来たんだよ。一緒に故郷に帰ろう。」
「迎えに……」
――そうだ、自分はこの国で暮らしていたんだ。でも、どうして。
何が理由でここにいたのだろう。カルはそんなことを自問していた。
そして何故だか、幸せを奪われたような、そんな喪失感が胸を回り続けていた。
懐かしい故郷。風と草の匂いのする、愛しい場所。
そのはずだったのに、帰って来た故郷には、自分の心の中にあった愛しさは感じられなかった。
――思い出を美化してたのかな。
故郷の仲間たちには、いろいろなことを聞かれた。
「オミクレイ国ってどんなところだった?」
「街並みとかが、きれいなところだったよ。あと、海も真っ青で、本当にきれいなとこだった。」
「あっちでは何してたの?」
「……分からない。」
「分からない?」
「思い出せない。」
「一緒に行ったヨーゼフは?」
「ヨーゼフ?」
そのとたん、周りの空気が凍りついた。「しっ」と口止めしたり、気になる反応だった。
ヨーゼフ、ヨーゼフ。
――聞き覚えのない名前だな。
空白の数年を抱えたまま、カルは何十年とその故郷で過ごした。
大分年老い、自分の記憶に空白があることなんて忘れていた。
そんなある日、小さい頃に作った、スケッチブックの隠し場のことを思い出した。
その日は心地よい風の吹く日だった。
ヨーゼフは、岩の間に行き、石を避け、土を避け、もう腐ってしまった葉を避けて。
そこに変わらずあったスケッチブックに、思わず感嘆の息を漏らした。
「感動だな、まだあるなんて。」
早速そのスケッチブックを開けてみる。すると。
そこには、何枚も何枚も、同じ男の子が書かれていた。
ここの岩の上に座って、風に髪をなびかせている、あまりにもきれいな少年。
最初は空想上の人物かと思ったものの、その絵は明らかに写生した絵だった。
何枚も、何枚も。
その男の子は次第に成長していく。
何故だか動悸がしてくる。胸の奥がざわざわとしてくる。
何かが溢れてくる、何かが、何かが。
そしてその絵の下に、小さく文字が書かれているのが見えた。
『ヨーゼフ』
ヨーゼフ、ヨーゼフ。
カルの目から、涙がこぼれた。
――誰だ君は、誰なんだ。
その時、頭の奥で銀のエンブレムがちらついた。
自分にだけかかりにくかったあの魔法、手順。
――そうだ、俺は昔から魔法がほとんど使えなかった。それどころか、かけられた魔法の効き目も悪かった。
ぺりぺりと音を立てて、かけられた魔法が剥がれていく。記憶が洪水のように溢れ出す。
「ヨーゼフ……?」
その名前を口にした時、またもや涙が溢れた。そして、カルにかけられていた魔法は解けた。
彼が生まれながらにして持つ体質によって。
カルはオミクレイ国で稀に生まれる、黒水晶、又の名をモリオンという宝石から生まれた精霊体だった。
黒水晶。別名、「魔消しの石」。
その鉱物から生まれた精霊体は、魔力を通さない。カルは若干魔力を通すことができたが、他の精霊体と比べて魔法の通りはかなり悪かった。
オミクレイ国に巣食うポエナという獣で稀に見られる、モリオンの精霊体。カルは唯一の、高い知能を持つ生き物のモリオンの精霊体だった。
不完全なかかり方をしたエンブレム。
エンブレムとは、記憶を司る場所に置かれた受け皿のようなものだった。エンブレムをかけた以降に起こった出来事、その記憶は、器の上に降り積もる。そのため、その器ごと取り除いてしまえば、その期間のことは少ない労力できれいに記憶を奪ってしまえる。
美の宮殿の記憶の消去が完了したあとは、エンブレム以前の記憶に干渉して、頭の中のヨーゼフの存在に霧の魔法をかけてしまう。
つまり、ヨーゼフに関することだけ思い出せなくなる。
オミクレイ国は徹底して、カルの記憶の中からヨーゼフを追放した。
しかしカルの生まれながらの体質がカルに味方をした。
元から記憶の器となるエンブレムはがたがただった。取りこぼし、器からこぼれた記憶は山のようにある。
かけられた霧の魔法も、もうほとんど消えかけていた。彼の体質、「魔消し」によって。
――ヨーゼフは今、どうしてる。この数十年間、たった独りで?
――会いたい、会って、忘れてたことを謝りたい!
カルの中で、止まっていた時間が動き出した。
それからカルは、故郷を出て、オミクレイ国の城下町に移り住み、たくさんのことを調べた。
そして、身分証、又の名を通行証でもあったエンブレムの魔法を何度も練習した。
あの場所に行って、ヨーゼフの居場所を突き止めるために。
しかし生まれつき魔法がほとんど使えないカルにとって、その難しさは想像を絶するものだった。
何度もかけられていたこと、自分の記憶だけを頼りに、せめて似たものを作ろうと何度も練習した。
そしてもうひとつカルが労していたのは、似顔絵だった。
何十年も前に数回見ただけの王の姿。
姿を入れ替える魔法ならば、今ヨーゼフはその姿をしているはず。
ヨーゼフがどこにいても分かるように、カルは何度も記憶の彼方にある王の姿を掘り起こして、それをキャンバスに塗りたくった。
最初は不明瞭だった姿が、だんだん、だんだんと明確になっていく。
自分の記憶を頼りに。
カルは、ヨーゼフに会うため残りの人生をかけることにした。
魔法も安定してきて、似顔絵もだんだんとはっきりとしてきたある日。
いつものように日銭稼ぎで似顔絵屋をやっていると、まるで迷子のように頼りない足取りで歩いてくる少年がいた。亜麻色のふさふさした髪の毛に、若葉色の目。
彼と話しているうちに意気投合して、カルは彼が観光客だと知った。
――観光客であるならば、この国には長く滞在しないだろうし、エンブレムの実験台にさせてもらおうか。
見よう見まねだから、本物のエンブレムとは程遠い。
――もし検挙されるようなことがあれば、エンブレムの偽造として重罪になるだろうが、一週間程度しか滞在しないなら検挙される心配なんてきっと無い。
そんな軽い気持ちで、カルは彼を実験台にした。
しかしその罰が当たったのか。がらがらと唐突に聞こえた、馬車の音。
馬車なんて、この国で使えるものは限られている。
貴族や支配層、そして、美の宮殿の奴隷。
嫌な予感がして、大急ぎで逃げた。画材道具も、そこにいた少年も置き去りにして。
エンブレムの偽造をしていた現行犯になるのを恐れた。カルは、何故あの時あの少年も連れて逃げなかったのか、と後悔した。
何故なら、その少年は、国の馬車に乗せられ、連れていかれてしまったから。
誰もいなくなった店に戻り、彼は呆然と立ちすくんだ。
――どうしよう、俺のせいだ、俺の……。
カルは決意した。
今まで、踏ん切りがつかなかった、美の宮殿への潜入。
何の関係もない少年を巻き込んでしまったのは、ある意味いいきっかけになった、彼の様子を見るためにも、と、カルはそう思うことで、ようやく潜入への踏ん切りをつけることができた。
かなり訝しげな顔はされたものの、偽物のエンブレムと美の宮殿にいた者でしか知ることのできない情報のおかげで、潜入はすんなりと成功した。
懐かしい間取り、懐かしい香り。
しかし、入ったは良いものの、どこを探せばヨーゼフへの手がかりになるのか分からない。
巻き込んでしまった見ず知らずの少年のことも忘れ、ただカルは、ヨーゼフの手がかりの無さに途方に暮れていた。
そんな時、言葉が聞こえた。
――転生の儀式、転生の儀式。
カルは、聞きなれない単語に首を傾げた。
しかし、どこかあの時の光景、ヨーゼフが連れていかれてしまったあの時と似た光景に、目を離すことができなかった。
――王の仮面。
聞こえた単語に、カルは全身に電流が走るような感覚に襲われた。
知っている、その単語は、知っている。
その家来たちは話を続けた。
「王の仮面、は昔の呼び名だよ。今は王も貴族もひっくるめて、転生の儀式って呼んでるの。その名前はあからさますぎるからやめよう、ってさ。」
おそらくあの時の自分が聞いても、疑いの眼差しを向けることは無かっただろう。今も家来たちは、油断しているようでいて、こんなところで姿を奪うだのという話は、迂闊にはしない。
カルは柱の陰に身を隠して、その家来たちのあとをつけた。
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