第24話―絵描き―前編「親友」
フレイヤとアヤタカが捕まる少し前。
夕暮れ時の美の宮殿に、まるで不釣り合いなほどのみすぼらしい身なりをした男が歩いていた。
王の家来とも違う、バディとも違う。
右を見ても、左を見ても。まるで造形が良い者たちの巣窟の中、見た目に気を遣っていないだろう浮浪者のような格好をした男が歩いている。
「どこに……。」
壮年期の男は、そこを割くように通る。
美しい奴隷たちの視線が、その男に向いては嫌悪の表情に変わって逸らされる。
おぼつかない足取り。べたり、と壁に手をついて体を支えた、男の手の甲に光る、銀のエンブレム。それが男の目に止まり、その胸はぐぅっと締め付けられた。
――あの少年はどうなったのだろう……
男の脳裏に、亜麻色の髪をした気さくな少年の姿が浮かぶ。外国から来たのに、先生に置いていかれてしまったらしい少年。自分が、エンブレムの魔法をかけた少年。
罪悪と責任という文字の刻まれた重石が心にぶら下がり、進もうとするたびに心をミシミシと軋ませる。
自分が向かうのは、結果的に少年を見捨ててしまうことになるだろう道。
――ごめん、ごめんね。
おれには、悲願があるんだ。
――巻き込んで、ごめん。
心を立て直し、似顔絵屋の絵描きは美の宮殿を彷徨い続けた。
そしてその放浪は、『王の仮面』と聞こえた瞬間に終わりを予感した。
男が長い放浪を始めるまで。それは、子ども時代にまで遡る。
オミクレイ国の小さな山村。太陽の光の中、草原の中。枝を持った黒い髪の少年が枝を振った。どこでもない宙を枝が切り、ぶん、という音がする。
それだけだ。なのに少年は顔をしかめて、また何度もぶん、ぶんと枝を振っていた。
「何でそんなに魔法が使えないんだろうなー、カルパッチョは。」
近くで同じように枝を持った同世代の子どもが、その少年に声をかけた。その枝の先には小さな火の玉が浮かんでいた。
カルパッチョとはただのあだ名、彼の名前はカル。小さな山村に生まれた、精霊体だった。
カルは同世代の子どもに返事もせず、枝に両手を添え、そのままばきりと折ってしまった。
「あーあ。カル、悪いんだ。」
また別の子が何かをぼやくが、ちらりとそちらを一瞥しただけで、カルは何も言わずにそこから去っていく。
「にらまれた〜。」
「目つきが悪いだけだろ。」
「魔法が使えなくて、カルシウム大丈夫なのかなあ。」
魔法が全く使えない落ちこぼれ。
カルは草原に隠れるようにしてある、岩と岩の隙間の空間に向かっていた。そして足元にある、子供の頭くらいの石をよけ、さらにその下の土を少しよける。すると大きめの葉っぱが姿を現し、それをめくるとキャンバスと画材道具が隠されていた。
普通に置いておいてもいいけれども、こうした方が秘密の行動みたいでロマンがある。カルはそんなことを思って、また葉をかけ薄く土をかけ、石を置いて蓋をした。
一陣の風が吹いた。その音に紛れるようにして、馴染みのある声がした。
「カール!」
カルは振り向く。一番最初に目に入ったのは、そこに居たのは、きれいな金髪をきらきらと風になびかせている、一体の少年。
「ヨーゼフ。」
カルは、彼の名前を呼んだ。いつも一緒にいた相手。かけがえのない親友。
そしてとても、美しい少年だった。
ヨーゼフは、カルの隣に座って笑いかける。
「絵、描くんじゃないの? 僕をモデルにしてくれるんでしょ。期待してついて来ちゃったのに。」
「ああ、うん。じゃあそこに座って!」
そう言うと、カルはまた石をどけて、スケッチブックの隠し場を晒した。
ヨーゼフは、ひらりと後ろの尖った岩に飛び乗った。そしてそこに座って、動きを止める。
カルが絵の中に閉じ込めたかった光景が、再び目の前に広がる。草原の中。岩の上で華麗に髪をなびかせて座っている、一体の少年。
カルは心の中で呟く。
――最初に会った時も、こうしてた。
あの日ヨーゼフを初めて見た時も、ヨーゼフは岩の上でこうやって黄昏ていた。ああやって遠い目をして。独りで髪を風になびかせて。そしてカルは、ヨーゼフのポーズや姿が作り出す光景が、奇跡の光景のように見えた。
その風景も、構図も、彼の姿も。理想をくりぬいた、一枚の絵のようで。
ヨーゼフは、同性であるカルから見ても、とても美しい姿をしていた。美しい金髪に、素晴らしく整った顔。体型も、指先も、隅から隅まで奇跡のように美しかったと、カルは思った。
そんな彼が作り出していたあの光景。あのたった一瞬の美しさを、絵に閉じ込め、永遠に残したいと強く願った。
絵の中のヨーゼフは、ページをめくるごとに成長していく。
描く手を止め、スケッチブックをカルがおろす。そこに座っているのは、成長するごとにどんどんと輝きを増していった、ヨーゼフ。
「カル。」
声変わりの済んだその声で、ヨーゼフが呼ぶ。
「なんだよ、ヨーゼフ。」
カルはざかざかとアタリを取りながら、ヨーゼフの方を見もせずに返事をした。
そんなカルに、ヨーゼフは苦笑いをした。
寂しげに笑いながら、ヨーゼフは言った。
「昨日さ。王国から家来たちが来ただろ。」
「あー、うん。青いマントのがぞろぞろと居たなー。」
カルは、まだ ざかざかと手を動かしている。
「……僕さ、あの家来さんたちについていかなきゃならなくなっちゃった。」
「……え。」
カルの手が止まった。スケッチブックから、ヨーゼフへと目を移す。
カルが、どういうことだよ、と呟く。
「あの家来さんたち、えっと、なんというか。見た目的な理由で、僕を宮殿に連れて行きたいんだって。それで、その、行かなくちゃならなくなった。」
ヨーゼフの容姿を気に入っての行動。それなら、カルも理解できた。
だってこうして彼の絵を書かせてもらってる自分自身がそうだから、カルはそう思った。
「何でだよ、断れないのかよ。」
カルは、何のこともないようにまた絵を描き始める。線が荒くなり、絵が崩れていく。
「無理だよ。」
ヨーゼフが悲しげな声で言った。
「だってもう、村長さんはお金をもらったから。売られちゃったから、行くしかないんだ。」
カルの手が、今度こそ止まる。
ヨーゼフは続ける。
「そこね、『バディ』って形で、一体だけなら好きな相手を誰でも連れて行っていいんだって。カル、僕さ。こんなこと頼むの図々しいにもほどがあるんだけど、カルに一緒に来て欲しい。僕にとって、カルは親友なんだ。」
二体の間で初めて出た、”親友”の単語。
この日を境に二体は親友となった。そして、この日を境に二体は村を出て、美の宮殿で暮らすことになった。
美の宮殿やオミクレイ国の城下町は、二体にとって異世界だった。
並ぶ、美しい白い建物たち。色のない建物とは対照的に輝く、瑞々しい植物や花。
そして、世界中のどの建物よりも美しいのではないか、と二体が思えるほどの美しさを誇る、美の宮殿。
バラの甘い香りに包まれながら、二体は精霊体に手を取られ、魔法をかけられる。
銀光を放ち、ヨーゼフの手の甲へとその光は移る。
まるで銀色の烙印が押されたかのように、ヨーゼフの手にエンブレムが刻まれた。
次に、その精霊体は杖の先をカルへと向けた。
そして同じように、杖から銀色の光がくるくると舞いながら出てきた。その光はカルの手の甲に触れて、
ぱしゅん。
音を立てて、跡形もなく消えてしまった。
首をひねる精霊体。もう一度魔法をかけるも、カルに触れた瞬間、その魔法は消えてしまう。
おかしいな、この子は魔法がかかりにくい。
そんな声を漏らしながら何度も魔法をかけ直し、やっとカルの手の甲に、銀色のエンブレムは刻まれた。
こうして、二体の宮殿暮らしは始まった。
何故かカルは、何度も何度もエンブレムが薄れてしまい、その度に魔法をかけられた。何度も見ていくうちに、魔法の手順や魔力の流れが、体を通して分かるようになってきた。
魔法をかけ終わったら、ヨーゼフが部屋で待っていた。そうして、どうでも良い話をする。
とりとめのない会話のはずなのに、ヨーゼフと話す時間は輝いて感じた。こんなにたくさん話しているのに、一秒でも逃すのが惜しい、いつまでたっても貴重で大事なものだった。
――ヨーゼフと一緒なら、どんな所でも行こうと思えた。
――ヨーゼフとなら、どこだって楽しかった。
――だっておれたち、バディだもんな。
美の宮殿に集められた選りすぐりの美形たちとやらも、カルから見れば、ヨーゼフの足元にも及ばなかった。
それがカルには誇らしくて、ヨーゼフを全ての精霊体に自慢して回りたい気分だった。
どうでも良いことで一喜一憂して、村であろうとも見知らぬ宮殿であろうとも、幸せだった。
友が、王の仮面に選ばれる日までは。
カルは、ヨーゼフを自分の半身だと思っていたのに。
自分の半身をもぎ取られた獣は、どんな声で鳴くのだろう。
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