第21話「白い街で」

 「……んま。」

 すっかり陽が天辺に登った頃。アヤタカは積まれた白レンガに腰掛け、枝垂れた木の木陰で油で揚げたさかなの串焼きを食べていた。

 ストロ先生への連絡は簡単なものだった。

 返ってきた返事は 事情は分かった、早めに連絡してくれてありがとう、というアヤタカとしては意外なものだった。あまりのあっけなさにより一気に緊張から解放されたアヤタカはすっかり憔悴してしまい、今は大分手足もあったまっていたものの、まだかなり頭がぼうっとしていた。

 その後、似顔絵屋のいた場所にも行ってみたが、そこにはやはり誰もおらず、敷いてあった布や散らばっていた絵筆も全て回収されていた。

 そうしてやることが無くなったアヤタカは抜け殻のようにしなびており、味わいせずもそもそと美味しいはずのさかなを無意識に口へと運び続けていた。

 右どなりを見ると、紫色のヴェールを体に巻きつけた相手が、同じようにして目の前にある露店で買ったさかなの串焼きを食べている。

 道の脇に作られたたまり場のような場所には、煮えたぎった油の鍋を構えてさかなの串焼きを売る店や、他にもパン、肉の串焼きを取り扱う露店などがいくつか構えられている。

 そこで談笑しながら昼食をとる精霊体が、他にも何体もいた。

 周りの者たちをぼんやりと眺めていたアヤタカ。食べ慣れていないのか、口にさかなの油がつくのをしきりに気にして食べているフレイヤに声をかける。

 「……どーするかこれから……」

 「……これから?」

 フレイヤはアヤタカの方を見て聞き返した。フレイヤが口元に当てている手にはまったきゃしゃな腕輪が、そのはずみで葉の隙間をぬって落ちてきた光に当たってきらりと光る。

 シルバーのか細い光に一瞬だけ目を細め、アヤタカが言葉を返した。

 「いや、だからさ……もう用事は終わったことだし、せっかく街に来たんだからさ、外国だしさあ、何か、どっか行きたい……。」

 「……どっか、ってどこだ。」

 「何か、楽しいところだよ!」

 「楽しい……。」

 フレイヤはきょとんとした顔をして、少しの間うーんと考えた。そして顔を上げ、首をかしげながら呟いた。

 「闘技場……?」

 「なに? それ……。」

 「奴隷が殺しあう見世物だ。奴隷、と言っても私とは違う用途の奴隷だけどな。この国では最も人気がある見世物だと聞いたから……。」

 アヤタカがぶるっと体を震わせて、ぶんぶんと強く首を振った。

 「そんなのやってんの!? あ、いや、そういうのじゃなくて! 楽しいって言うのはさあ……。も、もっと他のところ!」

 「他……に、人気なもの、と言ったら……劇場や路上で執り行われる演劇……。」

 「……あの、別に人気なところじゃなくても、フレイヤの好きなところでいいよ? 行きたいところに行けばさあ、おれが付いてくから。」

 フレイヤの目が伏せられる。長いまつ毛が影を落とす。

 「好きなところ……。」

 アヤタカは眉を上げて、彼曰く答えをうながす表情をした。しかしフレイヤは一向に目を伏せたまま動かない。

 「……?」

 困ったようにこちらを見てきたフレイヤ、アヤタカはそれを見て、苦く笑った。フレイヤのその様を見て思わず連想したものを、行きたい場所として半ば適当にあげてみる。

 「じゃあ、 犬……や、動物がいそうな所にでも……。」




 二体はその後、強い日差しを浴びて何もかも白くなっている街をあてもなくぶらぶらと歩いていた。道の途中には何やら色とりどりのガラスでできた小瓶がたくさん飾られている店や、公衆浴場、油の入った鍋と串に刺さった鳥肉やらが手元に構えられた露店、布を見せるように広げて飾った布の露店。野菜の露店、陶器の露店……など、露店が集合した市場等、わくわくする場所がたくさんあった。そのうちアヤタカが興味の湧いた店を覗いてみるなどして、適当に暇をつぶしながら歩いていると、選挙よりもやたら闘技場の宣伝ポスターがたくさんぺたぺた貼られた壁を曲がったところで、白くて柔らかそうな鳩がたくさんいる公園が目に入った。

 「うわー! 見つけたー! ここ、ここで休もう!」

 アヤタカは嬉しそうに公園に向かって駆けていく。 腰のかばんに入れたガラス製の容器がかちゃかちゃと鳴っている。ここの鳩たちは自分たちを見て逃げることもなく、それどころかあまりにもよけないため、足の踏み場がなくうっかりアヤタカが踏みそうになる。それでも鳩は平然とその場に立っており、真っ黒のくりくりした目で、まるでアヤタカに 気をつけて歩けとでも訴えかけているかのようにじっと見つめてくる。

 アヤタカは木製のベンチに腰掛けて、ふたを開けたかばんの底を こんこんとベンチに当てた。中でぐちゃっとなった小瓶やおかしな置物やらを軽く整えたかったらしいが、整う気配も無かったのでそのままふたを閉めた。

 「ふー!  やー結構すぐに見つかったな!  おいで鳩ー。おいでー。……フレイヤは、 動物好き?」

 「別に。」

 「……言うと思ったよ、おっ……。ひゃひゃっ、す、すごい! わあぁ!」

 ベンチで座っていたアヤタカの周りに、すごい勢いで鳩が群がってきた。体に当たる鳩のふわふわした白い羽。アヤタカはそれをくすぐったそうに笑い、嬉しそうな歓声をあげる。

 隣で座っていたフレイヤは、 それを無表情で見つめた。

 「エサを寄越すカモとして見られているだけだろう。それなのに喜んで。本当におめでたいやつだな。むしろ、汚い体が群がってきたことを苦く思え。……って顔で見ないでよ……。」

 「……思えとまでは思っていない。思うべきだ、という程度だ。」

 「そこだけか……。あっ、この服借りものっ……。」

 たくさんの鳩がアヤタカの側に寄ってきて、服を軽くついばむような真似をしたり、手を甘噛みしたりしてくる。

 食べものが無い、と分かっているのかいないのか、 アヤタカの膝の上で座ってしまう鳩まで居て、アヤタカは困ったように、嬉しそうに笑っていた。

 フレイヤは鳩がアヤタカに群がってきた瞬間から、ベンチから立ち上がって一歩離れたところで立っていた。

 何も言わないフレイヤに、アヤタカは体を少しだけずらし、鳩を彼の方に近づけるような真似をして聞いてみた。

 「さわってみる?」

 「けっこう。」

 フレイヤは手を前に出し、顔を反対側に向けてそっぽを向いてしまう。

 するとアヤタカは、フレイヤの足元に一羽の鳩が近づいていることに気がついた。

――おっ……。いけ、そこだ!

 アヤタカが心の中で思わず念じていると、鳩に気がついたらしいフレイヤが足元をじっと見つめ出した。

 鳩はすぐに去っていった。その後ろには、氷のような目を向けて牽制するフレイヤ。

 「あーあー。せっかく来てくれそうだったのに。」

 「好かれることを良く思わない者だってこの世にはいるんだ。」

 「はーい。」

 またアヤタカは膝の上の鳩に視線を戻して、おっかなびっくりその暖かい羽毛にふれてみた。

 ふわふわ、ふわふわ、と鳩はいつまでも撫でさせてくれて、アヤタカもずっと撫でていた。

 「……つまらない?」

 ぽつり、と小さな声が尋ねた。

 フレイヤはその質問に、顔を向けず目だけを向け、「普通」とだけ言ってそのまま視線を前に戻した。

 葉ずれの音に、夏の香りがする。

 そのままアヤタカは鳩を体のまわりにくっつけて。

 フレイヤは寄ってくる鳩をしっしっと追い払いながら。

 ベンチに座って、しばらく話をしていた。

 大したことのない、取り留めの無い話しかしていなかったと思うけれども、何だか大切なことだったような気もする。

 「私が、自分でも女寄りになるような身の磨き方をしているのも分かっている。それは先日言ったように絆親の方針と、のちに現れた私の主人の意向であり、私は本当はもっと違う格好をしたかった。」

 「……それで、ちゃんと言われた通りにするってのがまた律儀だよね。授業だってかなり真面目に聞いてるっしょ?」

 「……お前は。本当にどうでも良いところばかり見ているな。それに関しては昨日言った通りだ。」

 「特に好きなことも無いし?」

 「そうなるな。」

 「……美容も好きなことには入んないんだ?」

 「それは、ただ単に生きるために必要なものだったから真面目に取り組んでいるだけだ。好きだとか嫌いだとかそのようなものとはまた違う。それこそ、必要だから、という理由で懸命に勉強を取り組むことと同じようにな。」

 「……ふぅん……。」

 「おい、何だその返事は。」

 「痛い痛いって……何で眉間つかむの! 離して!

 ふー……。ありがとう。

 いやさ、何だかフレイヤが、おれの格好を選んでた時とか、さっきのお店で美容品を見てた時珍しく……というか、はじめて楽しそうにしてるように見えたから……。」

 「……好きじゃない。」

 「……そっか……。」

 「………………。」

 「…………………………。」

 「……気持ち悪いだろ、美容が好きだとか……。」

 「え?」

 「………………。」

 「き、もち悪くないけど……。」

 「私は気持ち悪いんだ。」

 「そ、そう……。」

 「………………。」

 「……。」

 「私は、あの宮殿にいる者たちが嫌いだ。」

 「……うん。」

 「媚びへつらうばかり、気取ってばかりの最低な集団だ。私は……飾り気のない、下町の男たちのような者たちに憧れていた。自分たちが欲しいものは自分の力で手に入れる、口先だけではない強い者たちに。そう、欲しいものを誰かに媚びへつらって手に入れてもらっているような者ではなく……。

 そこが例え汗にまみれた汚い場所でも、私はそこに、そこで生きる者たちに憧れた。私とは違う、私とは真逆の存在……。おきれいな、香の匂いが焚かれた場所で生きる見た目と口先だけの者。分かっている。私は、そっち側の者なんだ。

 だからこんな所で生きるのも嫌だったし、そこに馴染んでしまっている自分を認めるのも嫌だった。 媚びへつらう人種に見られたくなくとも、私はあいつらと一緒に育ってきた。あいつらと同じものが、自分でも意識しないどこかに染み付いているんだ。いくら拭っても拭いきれない何かが……。それがたまらなく嫌で、怖い。

 こんな自分が嫌で、それでも姿かたちを磨くことはどうしても捨てられなくて。もう染み付いてしまっているんだ。この宮殿の価値観が。私は身も心も、大嫌いなあの場所に同化してしまっているんだ。気持ち悪い。だから私が気持ち悪い。私は自分が、最も軽蔑する者たちの同類なんだ……!」

 フレイヤの細い腕に力が入る、拳が強く握り締められる。二の腕には、アヤタカと同じような形をした、赤い宝石のはめられた腕輪が鈍く光っている。

 「こんなに遅くなっちゃってからで、ごめんな……。」

 アヤタカの低く、静かな声が隣から響いた。

 言葉の意味を分かりかねたフレイヤがアヤタカを見ると、アヤタカは前を見据えたまま、どこか一点を見ていた。

 それが普段と全く別人のように見えて、フレイヤら少しだけそれを怖く思った。

 アヤタカがそれ以上何も言わないため、フレイヤはそのまま感情の残りかすを絞るような気持ちで、最後に残った言いたかったことを吐き捨てるように呟いた。

 「……だから私は、こんな自分、とっとと忘れてしまいたい。この姿も、捨ててしまえるなら願ったり叶ったりだ。だから、早くそうなればいい。」

 その言葉に、アヤタカがぴくりと反応したのを肌で感じた。

 アヤタカは若葉のような緑の目で、何か物言いたげに見ている。しかしフレイヤは、それにわざと気がつかない振りをした。

 その後に続けていた感情の吐露をフレイヤはあまりよく覚えていない。恐らく、似たようなことを何度も反復していたと思う。

 アヤタカはそれをひたすら聞いていた。

 何か言いたげなことを、心配そうな目で見ていることをわざと無視して、自分でも嫌になるような醜い言葉を吐き続けていた。

 ようやく気が済んだ頃には、もうわずかに日が傾きかけていた。

 「……帰ろう。」

 フレイヤが呟く。アヤタカは優しげに笑った。

 「うん、今日はおれに付き合ってくれてありがとう。」

 返事はせずに、そのまま身を翻した。

 かすかな葉ずれの音がする。

 夏の夕暮れに吹く風は、生ぬるいのにどこか涼しげで、心地よかった。

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