第19話「舌つづみ」

 月が昇り、その月は全てを吸い込むかのような静謐な光を放つ。

 そしてそのもとでは、優美な音楽と精霊体たちの話し声が、夜空の静けさを遠ざけるかのように穏やかな光と共に溢れていた。

 晩餐の場は、まるでテラスのようにひらけた場所だった。床も屋根もそこにはあるのに、壁だけが無い。歩いてきた列柱廊と同じように、柱だけが部屋を囲うように佇んでいる。床も屋根も柱も、全てが透き通りそうに白い石だ。そしてその石の上には複雑な刺繍が施された絨毯が何枚も敷かれている。絨毯には真珠、金糸、貝がらなどが織り込まれていて、オミクレイ国特有の宝石を使った布地が、雪の結晶のように、控えめな輝きをたたえていた。

 シャンデリアの下では鴨の肉を薄くスライスして香辛料をかけた料理、魚の肉を煮詰めた煮込み料理ラグーなどが次々と小皿に盛り付けられていた。

 奏者の近くや柱の近く。それぞれが好きな場所に、好きな料理を持って晩餐の舌づつみをうっている。アヤタカとフレイヤは月明かりの届くところ、建物の端の方を拠点として、とってきた料理を絨毯の上に並べていた。お互いに腰を落ち着けると、物音が減って優雅な演奏が耳に入ってくる。

 「……食べないのか」

 先に口を開いたのはフレイヤだった。アヤタカは一瞬きょとんとしてから、あぁ、食べる食べると口早に告げ、薄切りの肉を口に放り込んだ。ぱくりと口を閉じるやいなや、アヤタカが ぱっと顔を上げる。

 緑の目をきらきらさせて、大きく目を開く。

 「んま!」

 「……そうか。」

 アヤタカはフレイヤと目を合わせたまま、二、三秒動きを止めた。そしてまた、何事もなかったかのように肉を噛みだした。

 先ほどからフレイヤは、口を開くたびにアヤタカにじっと見られた。何を考えているのか、分からない顔で。

――面倒臭い。どうして欲しいんだ、こいつは。話しかけられるのが嫌ならそう言え。話したくないなら、もう少し分かりやすい反応をしろ。私の方だって、絶縁なら絶縁でいいんだからな。早く復縁か絶縁か決めろ。それなら、こっちだってそれなりの対応がとれる。

 アヤタカは絨毯の上にたくさん積まれた、柔らかいクッションのうちのひとつを手持ち無沙汰そうに触っている。

 フレイヤはフレイヤで、指をゆるく組んだり、自分の髪を さっと整えてみたりする。

――おい、言いたいことがあるなら言え。お前のその、どっちつかずの対応が嫌なんだ。

 そこでフレイヤは、はっと気が付いた。

――どうして、私はそれを言わない? それを言えば簡単に、この話に決着がつく。

――………………。

 「おい。」

 フレイヤは、自分の呼びかけに対し、アヤタカが顔を上げたことを気配で察した。フレイヤは自分のゆるく組んだ指と足、それが今の視界の全てだったから。

 数秒の沈黙。そして、

 「貴族の方々がいらっしゃる! お前たち、並べ!」

 部屋の向こう側から、唐突に声がかかった。フレイヤの意識が切り替わる。アヤタカに手で こい、と軽く合図し、奴隷たちの列に加わる。

 その奴隷たちの不気味なほどきれいな整列は、 貴族が通るらしき道すじを作っている。アヤタカも反射的にその列に加わり、周りの奴隷から戸惑うような目を向けられる。

 

 貴族たちの行列はいやに仰々しく、しかしただ部屋を通り過ぎただけ、というあっさりしたものだった。

 一体なんだったんだ、アヤタカはそう思いながら、緊張で硬くなっていた体をほぐそうと、周りの相手に当たらない程度に小さく伸びをした。周りの精霊体たちも、貴族が去って緊張が解けたようにさわさわと喋り出す。

 しかしアヤタカはこのお喋りも、あまり明るい雰囲気ではないなと思った。

 ひとまず、自分が先ほどまで座っていた場所に戻り、絨毯に腰を下ろす。絨毯の上にはクッションがもりもり置かれていて、その山に飛び込んで見たいとも思ったが、その上に桜色の花が乗っていたりして潰してしまいそうなこと、そして何より周りの目が気になって、アヤタカはそれができなかった。

 間をおかず、すぐにフレイヤも戻ってきた。フレイヤと目が合い、アヤタカは笑みを浮かべてひらひらと手を振る。

 相変わらずフレイヤは応えるような素振りすら見せない。それどころかアヤタカ自体見えてなさそうなほど、反応もせず腰を下ろす。

 ただ珍しいことに、またもや彼の方から口を開いた。

 「……今の貴族の見た目、どう思った?」

 「え?」

 アヤタカはきょとんと聞き返した。

 首をひねって、貴族たちの姿を思い出してみる。

 正直に言って貴族たちは珍妙な格好、もとい珍妙な髪型をしていた。

 大体がかなりカールのかかった髪型をしており、巻き髪というよりは、アフロのようにも見えた。ここは男性用の宮殿であるため、貴族も男性しかいなかったが男性も髪が長く、頭の上に髪を結い上げて盛っていた。どれほど時間がかかるのか、緻密に作り込まれた髪型はひとつの芸術作品のようでもあった。髪の毛で白鳥を模している者、編み込みが頭の上に盛られていて台座のようになり、さらにそこにたくさんの果物を乗せている者、と一度見たら忘れられないような髪型をしていた。

 「顔、覚えてないだろ。」

 「え。」

 そっちか、アヤタカは思った。

 しかし確かに、思い出せなかった。

 「髪の毛……に気を取られたからかも。あれ、 でも、全然思い出せない……?」

 フレイヤは、涼やかな声で話し続ける。

 「私は先刻、お前に話をしたよな。『どうやって貴族たちはこの秘密を守り続けてこれたのか』……。あれもそのうちのひとつだ。貴族は見た目を入れ替えるまで、決して周りに自分の顔を覚えさせない。そういう魔法をかけているんだ。」

 アヤタカは返事もできず、その話に聞き入っていた。

 フレイヤの話によるとこうだった。貴族は子供の頃から政治に関わるような対人関係を結んだり、どうしても人前に出る。そのため顔が変われば、市民にその見た目が紛い物だということが簡単に分かる。そうならないように彼らは「霧の魔法」という魔法をかけている。

 この霧の魔法は、容姿の魔法、記憶の魔法に並ぶオミクレイ国の秘伝の魔法で、この国が霧の国と呼ばれる所以ともなる、古くから伝わる魔法であった。

 霧の魔法とは自分にかける魔法であり、簡単に言うと自分の顔を相手が思い出せないようにする魔法だった。記憶に霧をかけるかのように、相手の自分の容姿に関する記憶を隠す。それがこの仕組みを支えていた、大きな柱であった。

 アヤタカは目を丸くして、感心するような長い溜息をついた。そして、あっ! と声をあげて、 フレイヤへやや興奮気味にささやいた。

 「だからあんな変な髪型してたのか! 二度と忘れないもんあんな髪! 覚えさせないようにするっていったって、相手に自分のことを覚えてもらわなきゃ意味ないもんな! 顔が使えないから、髪の毛で覚えてもらおうとしてんだ! へえ、 上手いことするなぁ!」

 「おい、うるさい」

 「あ、はい、すみません。」

 アヤタカは、シュッと声を抑えた。

 フレイヤはさっと髪を整える。

 「……しかし、その通りだ。あいつらは、いつも同じ髪型でいなくてはならない。だからあの複雑な頭は、全てかつらだ。」

 忌々しげに呟くフレイヤ。そこでアヤタカはひとつ、ひっかかっていた思い出があったことを思い出した。

 「……もしかしてフレイヤ、だから先生のかつらに火を点けたの?」

 「……わざとでは無い、と何度も言った」

 悪びれもなくフレイヤは答える。

 二体が初めて出会ったその日。フレイヤはアヤタカに女と間違えられ、感情が高ぶりつい魔法を放ってしまった。その彼の怒りは炎となり、部屋中のろうそくと先生のかつらが火を噴いた。

 「あれはつい、あのかつらの教師を見て、貴族たちを思い浮かべてしまって……。あいつらを思い出すから、あんなものはぎとってしまえ、そう思っていただけで……。

 ……別に、あそこまでするつもりはなかった。」

話しているうちに罪悪感でも感じ出したのか、珍しくフレイヤは、決まり悪そうに言葉の最後を小さくした。それを見て、アヤタカは少し笑ってしまいそうになる。しかしフレイヤに横目で睨まれて、何もなかったかのようにきりっと顔を整えた。

 フレイヤが続けた。

 「……教師といえば、あの教師もだな。呪文学のアラノン。」

 「アラ……。」

 フレイヤの呟きに、誰だったかな。と、アヤタカは必死に思い返す。

――思い出した、呪文学といえばあの幻覚先生だ。

 アヤタカは体を低くして、上目遣いになりながら言いにくそうに呟いた。

 「……フレイヤ。あの先生は、かつらじゃあないと思うけど……。」

 言った途端、フレイヤに頭をスパンと叩かれた。

 「そっちじゃない。顔だ。恐らくあの教師も霧の魔法をかけている。」

 「えっ!」

 アヤタカは声を上げた。

 そして瞳を閉じて彼を描いてみる。そして目を開けて、フレイヤと見合う。

 「しかも顔だけじゃない。 声にもかかっている。 お前、 あの教師の声を、 喋り方を少しでも思い出せるか?」

 アヤタカは息を飲んで、それこそ目を点にするかのように大きく見開いた。

 二体で顔を見合わせて、こくりと小さく頷いた。 感心したようにアヤタカが口を開く。

 「いやー……。知らないことってけっこういっぱいあるもんだなあ。それも、まさか身近な相手にまで……。おれ、初めて聞いたんだけどさ。もしかして霧の魔法ってけっこう有名なの?」

 「いや、そんなことはない。本来霧の魔法はこの国秘伝の魔法であるはずだ。私もこの国の外で見て驚いた。この国の民ですらこの魔法のことを知らない者がほとんどのはずなのに、まさか国の外で、それもただの一教師がその魔法をかけているなんて……。」

 アヤタカは話を聞きながら、ほぼ無意識に鴨肉の皿へと手を伸ばした。ひんやりとした鴨肉をつまみ、ちまちまと端っこをついばむように食べる。

 「へー……でも、なーんでそんな魔法かけてるのかねえ、恥ずかしがりやさんなのかな? なーんちゃっ、」

 「霧の魔法はかつて、潜入調査や裏切り者の仕事に多用されていた魔法だ。オミクレイ国が平和になった今は、使い道をなくし、このようなくだ らないことに使うためだけの魔法のようになっているがな。」

 冗談を被せ気味に遮られたことも忘れ、食べかけの肉を指でつまんだままのアヤタカが声を荒げた。

 「う、ら、ぎ……!? そ、それ、やばくない!? こ、校長先生とかに言った方がいいんじゃないの!?」

 「あの校長ならば、そんなことも分かっているだろう。むしろ、私はあの校長の方が信頼できない。あの教師に協力させて、何か後ろ暗いことをさせている可能性だってあるしな。」

 それを聞いた瞬間、アヤタカの緑の目が、すっと暗いものに変わった。フレイヤもそれに気付き、アヤタカの顔を覗きこむ。

 「信頼……アポロン先輩も言ってたな、そんなこと……。ねえ、この学校の先生たちってそんなに信用できないかな? たしかに変だったり、大人気ないというか……まあ社会の常識がないところもあるけどさ。基本的には一応、良い先生たちだと思うよ?」

 フレイヤが、顔を むっとさせる。

 「お前だって、あの教師たちの素性を知らないだろう。お前こそ私に教え諭すような真似をするな。そもそもお前、あの体育教師に身勝手な好き嫌いで弟子入りとやらを拒否されたんだろう? それでも良い先生などと言えるのか。さすが犬なだけあるな、そこまで忠犬になりたいのか。そもそも、何故そこまでして教えを請うんだ。」

 フレイヤの流れるような弁舌に、アヤタカはたじたじと体を縮めた。

 「また犬……。うーん、どうしてそうまでして、 かあ。」

 アヤタカが遠くを見る。すこしだけ瞬きをやめ、かすかに動かした唇から、いつもよりもやや低い声を零す。

 「もちろんストロ先生の姿が格好良かったから、ってのもあるよ。でもそれだけじゃない。 ストロ先生からは、何というか……武術に対する誇りと、強い劣等感が見えるんだ。それが、あの先生がおれを子どもにしない理由なんだって何となく分かっちゃって。あの先生は、おれを子どもにすることに……何か強い引け目を感じている。それも自分のためにじゃない。おれのために、武術を教えちゃいけないと思ってる。……だから、ここで引き下がっちゃいけないと思って。あの先生に必要なのは、武術は魔法ができないからやる処世術や代替じゃない、本当に尊敬して憧れるからやる子どももいるんだ、っていう、自信なんだと思う。」

 アヤタカは、どこか遠くを見ていた。フレイヤはその姿に首を傾げ、また、顔を訝しげな表情に変えた。

 「……お前は、どうやってそれを知ったんだ。誰かから聞いたのか?」

 アヤタカはフレイヤの方を見て、ぱっと明るい顔に戻してかぶりを振った。

 「……んやいや! おれの予想でしか無いよ! ほら、最初は分からなかったけども、付き合っていくうちに見えてくるものってあるじゃん? ストロ先生は感情が読みにくいタイプだし。でもあの先生、割と念が強い方というか。本心がだだ漏れな時って時々あるし。だから……ね。」

 「……そうか? 私はあの教師ほど何を考えているのか想像できないと思っていたが……。それに何だか、嫌に確信めいていた様に聞こえたな。」

 アヤタカが柔和な笑みで、そんなことないってーと間髪入れずに返事をする。

 フレイヤは、しばらく じとりとアヤタカを見つめてから、ふん、と鋭く息をついた。

 フレイヤの胸の中で、ぐるりと不満に似た感情が渦巻く。

――またその顔……。

 頬杖をついて黙りこくってしまったフレイヤに、アヤタカは おーい? と ぱたぱた動いて気を引こうとする。

 その機嫌をうかがうような姿に、フレイヤはまた、じとりとした目で返した。

 演奏は優美なものから、いつの間にか明るく楽しげな音楽に変わっている。

 フレイヤはぶどうをひとつつまんで、いつもはよけてしまう種ごとごくりと飲みくだした。






 夜の静かな街、今夜はやけに獣が騒ぐ。

 手に持っていた油だらけのパレットを床に置き、男が首を窓へと向けた。さっきから、しきりに獣が鳴いている。犬も猫も、鳥も関係なく。手をつけていた絵の制作を止め、そのまま男は窓に近付いた。ついでに油絵の匂いを振り切ろうと、小さく身を乗り出す。

 そこでふっと、道を獣のようなものが駆け抜けていったのが見えた。

――猫? それも、あんなにたくさん。

 そして自分の視界をまたもや横切る、ばさばさと音を立てた何か。

――今のは、 鳥?

――さっきから一体なんなんだ。まるで動物たちが何かから逃げ惑っているような……。

闇に押しつぶされた暗い道。そこをゆっくり、何かが歩いている。

 月明かりだけを頼りに、似顔絵屋が目を凝らす。目が慣れてきて、闇夜に薄ぼんやりとした輪郭が現れだす。

 子どものような背丈。烏の濡れ羽色の髪。目元の赤い宝石に、猛獣のような眼光――……。

 その種族を、似顔絵屋は初めて見た。あれは恐らく土小人。

 その土小人の名はストロ。夜になっても帰ってこない引率した生徒を探しに、夜の街をただいま闊歩している学校の教師である。

 その殺気立った姿に獣は逃げ、騒ぎ、鳴いている。

 似顔絵屋は物音を立てないように窓から離れ、そのまま隠れるようにして身を屈めた。

 見つからないことを祈り、念のためパレットナイフを右手に握る。

 見つかったら理由もなく殺されそうな。その土小人は、そんな雰囲気を醸していた。

 オミクレイ国の獣は、夜が明けるまで騒ぎ続けていた。

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