第18話「霧の国」

 「……奴隷……ってそんな、まさか。奴隷って言うのはもっと……。」

 「ああ、お前の想像する奴隷とは違うだろうな。奴隷にもさまざまな種類があるんだ。ただ共通しているのが金で売り買いされること、そして私たちには権利が何も無いことだ。私たちを憂さ晴らしに拷問しても殺しても良い。命を、権利を、奴隷が何を奪われても許される。本当に『所有物』でしかない生きもの、それはここでも同じだ。

 この宮殿では、それが容姿だっただけだ。」

 「どういう……?」

 「いずれ私は、貴族にこの容姿と記憶を奪われる。」

 オミクレイ国、またの名を霧の国。

 真実は、霧の奥へと隠される。




 オミクレイ国の貴族や支配層、いわば権力者は皆一様に見目麗しい。そしてそれは、他の土地から見ても周知の事実だった。

 それに対して、何故わざわざ支配層に美しい者をおいているのか、長い間多くの者の間で謎になっていた。美しい者に政治の教育を施すよりは、元から才のある者を支配層に置いた方が効率的ではないか。国は認めこそしないが、多くの場所でオミクレイ国は美しさで身分を決めている、と今も囁かれている。オミクレイ国にとどまらず、外国の学校にまでもその話は行き届いており、そこに通っていたフレイヤも驚いた。

 偶然で押し切ろうとするオミクレイ国に反して、その説を裏付けるようにはびこる、オミクレイ国のおかしな噂。それは、素晴らしい美貌を持って生まれた者は、貴族たちの家来によってどこか人知れぬ場所へ連れ去られていくというものだった。

 そして尚疑いをかきたてたのが、貴族や支配層は否定をするどころかその噂をひどく避ける。それにも関わらず、美しい者を連れ去った家来は、そこにその者が居たという証拠すら残さないようにと命じて去っていく。次の日から、その地で連れ去られた者の話が出ることは二度と無い。美しい者を連れ去ったこと、その者が存在したことをほのめかすような真似をすれば反逆罪としてお前たちを牢に繋ぐ。そう言い残されて。

 しかしそのような箝口令も、どこからかほころびが生まれている。美しい子を連れて行くことを隠そうとしているらしい話はすぐに明るみに出て、そのため他国も国民も、オミクレイ国の身分は美によって決める話は周知の事実となっていた。

 事実、その奴隷となった美しい子たちはこの美しい宮殿に閉じ込められ、人目をはばかられながら大切に育てられている。

 奴隷たちが教わるのは所作や発声、肌や髪の手入れに柔軟など、どれも美に関わることばかりだった。まつりごとなどは教わらず、それどころか学校で教わるような基礎的なことすら十分に教わることはなかった。ただひたすら美しく、きれいに磨きあげることだけ。

 やがてその宮殿という狭い世界の中では、美貌が自分の価値の全てとなっていった。

 その宮殿へ奴隷という商品を見に、特別な主人たちが現れる。商品を値踏みし、見定め、これだという奴隷を自分の所有物として予約する。

 特別な主人がつけば、それは美しさが認められたという証となり、さらにその主人による支援から更に良い待遇を受ける。

 狭い世界での競争は悲惨なものだった。

 貶める者、徒党を組む者。そして人権の無い奴隷には、美しさという自分の価値を示すものを持たなければ、どうなろうと構わない存在として切り捨てられた。美しさ以外に、価値を与えられなかった。

 美しくなければ生きていけない。

 美しさ以外に、自分に価値は無い。

 美しくなければ捨てられる、美しくなければ無価値とされる。恐怖観念に襲われ、屈辱と命を天秤にかけ、果てに死を選ぶ者は数えきれなかった。

 買い取り先が見当たらず老けだした者、商品として期待できそうに無い者が捨てられる姿。それをみっともないと嘲笑うほど、天秤の上の屈辱は重い鉛へと変わっていく。自分の悪意を糧にしているかのように、醜く肥え太りながら。

 路上へと放り出された奴隷は人並みの知識すら無く、社会の仕組みもろくに知らないため、社会の底辺で生き延びるか、そのまま何もできずにのたれ死ぬしかなかったらしい。

 尚、宮殿に住む奴隷の進める道は3つあった。見切られて捨てられる、特別な主人に見初められる、例外として、金持ちにより使用人にする目的で買い取られる。

 しかし使用人として買われる者はほとんどいなかった。

 それはこの宮殿に飾られる、奴隷の本来の役目ではないから。

 奴隷の本来の役目は、貴族の外見を美しいものと取り替えるための材料であること。

 オミクレイ国は秘伝の魔法を持っている。

 それは他者と容姿を取り替える魔法。

 貴族は貴族として育てられて帝王学を学ぶ。美しい奴隷は、己の身を磨くことだけに人生の全てを費やす。

 そして最後には、自分を買った特別な主人――貴族に、その容姿を奪われる。

 その奴隷の姿はそれまでの貴族の容姿となり、さらに口外しないよう、宮殿に関する記憶の全てを消し去られる。

 奴隷たちは貴族に見初められれば、美しい自分たちが表舞台に立ち、貴族ら、その部下たちが用意する知識や戦略をあたかも自分が考えたかのように発表するものだと思い込んでいた。宮殿の外のこと、奴隷がその後どうなったのかは知らない上に、実際に貴族として見かけるのは美しい者ばかりだったため尚さらそう信じ込み、周りの奴隷たちは当たり前のように貴族なったらどうするかなどと話していた。

 奴隷たちに知識は与えられなかった。そうして次第に疑わない、考えない者たちが作り上げられていく。魔法を教えないのは、おそらく反乱を防ぐためだった。そうして、何も考えないきれいな人形が作られる。

 支配層らはこの秘密どうやって守ってきたのかも、フレイヤは調べに調べて、その答えにようやく辿り着いた。

 オミクレイ国の秘伝の魔法はふたつ。姿を奪う魔法。そして、記憶に関する魔法。まずは秘密が漏れぬよう、材料となる奴隷には宮殿での記憶を全て消す。そしてバディーにも奴隷と同様の魔法をかける。

 バディーという形式ができたのは、意外にもつい最近のことだった。作った理由としては、いきなりまったく違う場所に住まわされて、そこで独りっきりは可哀想、代わりに誰か一体だけ好きな人を連れてきていい。それが奴隷として受けたバディーの説明だった。しかし実際は逃亡することの多かった奴隷。その大切な相手を手中に収めることで、逃亡を企てる奴隷を減らそうという魂胆がその仕組みには透けて見えていた。事実、バディーを取り入れてから逃亡する奴隷は大幅に減った。逃げられては困る奴隷だけに、バディーを付けることが許される。

 フレイヤはあの手この手を使って、ここまで真相に辿り着いた。権力者たちの外への警戒心は強かったが、いずれ記憶を消してしまう奴隷たちへの警戒心は薄い。

 そのためこれまでのほとんどの情報が、宮殿にある図書館にまとめて置かれていた。情報が外に漏れないようにするには、確かに宮殿に隠してしまった方が何かと都合が良い。

 しかしその部屋も、一応は立ち入り禁止とされていて鍵も掛けられている。ただ鍵の管理が甘く、隙を見たフレイヤは鍵に粘土を押し当て、その鍵の型を取ってしまった。その型を元に街で合鍵を作らせ、それ以来立ち入り禁止の書庫へ自由に出入りしていた。

 そこで隠されていた様々な書物を読み漁り、さらにはふとしたはずみで出る貴族の仄めかしを心の中に留めておいた。

 それでも足りない情報はやはり多かった。彼が本当に知りたかった、容姿の魔法や記憶に関する魔法の仕組み。それは意図的と言って良いほどに宮殿から姿をくらましていた。

――使えない! この仕組みのどこかに穴が無いかと探したのに……結局は、肝心なところで尻尾を明かさない!



 「……美しさで身分を決めている、という話は国側が出した囮の噂だ。ばれても良い方をわざとほころばせて、真実に光が当たらないように……な。

 まったく美しさのどこにそんな価値がある。たかだか小さなことのために……私は、全てを奪われるんだ。私はこんな姿欲しくなかった。今回、国に呼び戻された理由もそれだ……! 私は! とうとう私が誰であったかすら分からなくなるんだ! もう、私には時間が無い。私を予約していた貴族がもうじき来るはずだ。とうとうそいつは貴族として、本格的に仕事を行なうときが来た。そして私の姿も……。十分に美しくなった、そう判断されたんだ。……ここの奴らは愚か者ばかりだ。自分がどうなるのか知らない、知ろうともしない! それどころか、貴族に取り入ろうと、少しでも周りを出し抜こうと必死に尻尾を振っている! その姿に、私はなんてみっともないのだろうと思ってしまった。私もあんな風に見苦しい姿を晒さなくてはならないのか、思ったよ、絶対に嫌だって。だから私は必死にあいつらを遠ざけた。来るな、お前はみっともない。お前みたいなやつ、近くにいるだけで恥ずかしいんだ! そう思ってた、ずっと。どうしても、同じになりたくなかった。この国についても調べた。この真実を知った時は……愕然としたさ。そして、どうしてこいつらは不審に思わないのだろう、貴族として政治を治めるのだとしたらそれ相応の教育を受けるはずだろう、それを疑問にすら思わない? 何て愚か者たちなんだと思った。軽蔑した。そもそも、その疑問が私にとって全ての始まりだったからな。この宮殿から出たらこいつらは、いや、私は。美貌という価値が世間ではどんなに小さいものだったのか思い知らされる。そうして、それ以外に何も持たない、本当の意味で価値の無い者になりさがるんだ。そう思ってから、私はとにかく知識だけは身につけようと必死だったよ。記憶を失っても言語が、知識が消えるわけでは無い。いずれ追い出されるこの宮殿から出ても、しっかり生きられるように、あいつらと同じにならないように。

 言ったな、私はお前の態度が不快だったと。お前を見ていると、どうしてもあいつらのことが頭をよぎったんだ。

 ……全く違うのにな。あんな露骨な媚売り、お前はしていないのにな……。

 でも、お前があいつらのように心を殺して必死に理想にしがみつくような姿は嫌悪感と同時に、不気味だ、怖いもと思った。 」

 ひとしきり喋ったフレイヤは、その言葉を境に言葉を切った。廊下に静寂が戻る。

 止まらない言葉によって、無理やり時間が動かされていたかのようなこの空間。いざ静まるとその時間の重たさが身にのしかかってくる。

 二体は見つめ合っている。フレイヤは何故か今目の前にいる男が、生きている者に見えなかった。生き物の形を模した模様。そう見えた。

 「理想……に?」

 模様の口元がゆらぐ。

 フレイヤはすぐさま言い返す。しかしまるで他人事のようにただ勝手に動く唇を、いやに冷静な自分が無感動に見つめていた。

 「お前は怒ったり笑ったり、感情がくるくる変わっていつも楽しそうだ。なのにその中に、お前の顔が全く見えない。大概わがままだとか素直だとか、それぞれの顔がどんな感情にも表れてくる。でもその中に、お前の像が掴めない。お前の顔はぶれているんだ。笑ったり泣いたりするのを真似ているだけで、心の底から感情を出しているようには思えない。

 でも、私はお前が感情の無い嘘つきだとは思えない。八方美人だとは思っているがな。

 ……とにかくお前がそうする理由も分からないし、何よりそれが不気味だとも思った。」

 「はは、 なにそれ……。そこまで言わなくても……。それに、単に普通のことじゃん? みんなそうだよ。周りと上手くやりたいから、多少は自分を押し殺したりもしなきゃってだけで。そうやってその空気に馴染もうとしてるだ……」

 「ほら、やはりその顔だ。そんなことは私にだって分かる。違うんだ。お前はまるで……そう。本当は違う生き物なのに、同じ生き物の振りをして同じであることに喜んでいる異物のようだ。」

 「ちょっと、大丈夫? それに意味が全く分からないんだけど……。」

 「分かっているだろう!」

 いつもならばとっくに投げ出しているようなことに、フレイヤは我ながら嫌に食い下がるなと思った。

 そしてアヤタカへと感じていたものを上手く表せず、言葉として整理できないもどかしさ。

 自分でもこれは理不尽な怒りだと思うものの、それが伝わらないアヤタカにも苛々してしまった。伝えたい事柄を、本人に正確に伝わっている自信が全くない。

――意味が分からないことは私が一番分かっている! 私だって自分が何を言っているのか分からない。上手い言葉が見つからない。意思というものは、言葉を介してしまえばこんなにも空っぽなものに変わってしまうのか。気持ちのまがい物でしか意思を届けることができない、それの何ともどかしいことか。

 自分が今、何故これほどまでに高ぶっているのかが分からない。話を進めるごとに、何故か血が暴れ出だし、口が止まらなくなる。

――何だこの感情は。不安か? 焦り? 自分の思っていることを弁明したくて堪らない。何でこんな感情になるんだ? 全く脈絡の無い感情なのに。

 そんなフレイヤを見て、アヤタカは諦めたように、 寂しそうに笑顔を向けた。

 そうして、穏やかな声で語りかける。

 「……フレイヤは、 分からないことが怖いの?」

 「は? ……どういうことだ?」

 「いや、ごめん。言い方変えるね。フレイヤはさ、おれが何を考えてるのかよく分からないって言って、それを怖いって言ってたから。」

 「……あぁ、そのことか……。 誰だって得体の知れないものには警戒をするだろう。そういう意味では、分からないものは怖いと言えるだろうな。」

 「……そっか……。」

 アヤタカは少しだけ俯いた。その顔は不気味なほどいつもと変わらない。

 「おれは、分かることのほうが、怖い。」

 そのささやき声は廊下に響き、やけに意味ありげな余韻を残して耳に届く。

 「……何を。」

 「うん、まあ……。気持ちとか……かな?」

 歯切れの悪い返事だな、フレイヤはそう思った。

――さっきから、あやふやなことばかりを言われて苛々する。お前のことなんて私にとってはどうだっていいんだから、いい加減はっきり言ったらどうだ。

 そう言いたかったけれども、結局は言わなかった。言いにくかったのかもしれない。

 この時だけは、初めてアヤタカが心の底から辛そうに見えた。

 フレイヤは腕を組み、ふん、と鋭く息をついた。

――今度はもう何も話したく無い。

 フレイヤは目まぐるしく変わる自分の感情に戸惑いながら、それをどうにかしようという気力ももう湧かなかった。

――ああ居心地の悪い。

また、フレイヤは右手で無意識に髪をかき分ける。

 「……晩餐。」

 「え?」

 フレイヤの全く脈絡のない言葉。ぽかんとするアヤタカ。

 「そろそろ晩餐の時間になる。急ぐ。……はやく!」

 言い終わるや否やずかずかとフレイヤは歩いて行く。その気迫に押されたアヤタカも、思わず後に続いていく。

 背中でフレイヤは、いつものようにアヤタカが後ろからとことこ付いてくる足音と気配を感じていた。

――こんな姿を見せたくなかった、こんなもやもやする終わり方になるなら、はっきり白黒つけてしまいたかった。なのに、なんで。何でこれ以上この話の先へと進むのが怖いんだ。

 勝手に前へと進む足は、心が踏み込もうとしていた場所から逃げるように、身体を遠く遠くへと運んでいった。

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