第17話「宮殿に咲く花」

 外に面した廊下、列柱廊の前で馬車が止まる。

 御者の手によって馬車の扉が開かれ、そこから二体の少年が降りてきた。二体は一様にくたびれた顔をしている。紅茶色の濃い髪をした少年フレイヤ、そして亜麻色の髪の少年アヤタカ。二体は外に出るなり、長い長いため息をついた。馬車の中は話す雰囲気では無いのにも関わらず、狭い空間であるで嫌でもお互いの存在を意識せざるを得なかった。かなり気まずい思いをした、そんな二体をよそに、御者は慌ただしく荷物を降ろす。急いで帰ってきたことの報告をしなければ、門限を破ったとみなされる。その報告や責任はフレイヤではなく御者に課されるということで、御者は ではこれで、と手早く挨拶をして報告に走った。

 残された二体。アヤタカは夕焼けに染まる宮殿を見つめ、そのあまりの美しさに感嘆のため息をついた。

 夕焼け空の色は、この国に咲く薄紅色の花のような柔らかな赤で満たされていた。その花びらと金の蜂蜜が溶けあったような光がこの白い国を包み、町並みだけでも絶景だった。

 大理石でできた流麗な宮殿。

 まるで世界の美しさをここに集めて、一つに組み上げたような建造物だ、アヤタカはそう思った。

 磨き上げられた、柱や、噴水、男性や女性の像。紛れもなく本物の、庭中に咲き誇る青いバラ。

 どこを見ても絵画を切りとったかのように美しい宮殿だった。

 そしてアヤタカは、ストロ先生にどうやって連絡とろう、まずはそれをしないと心配させたり苛々させたり、とにかく不快な思いをさせてしまう、と焦りながら。夢の世界のような光景に見入っていた。

 ヴェールをといたフレイヤ、宝石を紡いだような衣を頭から外し、きれいな指でさっと髪を整えた。

 「説明は後でする。来い。」

 淡白な命令。それにアヤタカは大人しく従って、フレイヤの後ろを忠犬のようにとことこと付いて歩いていった。






 ろうそくに灯された炎の色は暖かい。だと言うのに、石で造られた建物のせいか、この場所で揺らぐ蝋燭の炎はどことなく寂しげな印象がある。

 ブーツのかかとが当たるたび、冷たい石の音が廊下に響く。やがて二体が辿り着いたのは、食堂のような部屋であった。

 そして入るや否や、二体の前には肉の壁が立ちふさがった。

 待ち構えていたかのように仁王立ちをする、骨太な体格の良い女性。パーマがかかった褐色の髪は、下の方でまとめられていて、大きな二つのわたあめを取り付けているかのようだ。そのわたあめを揺らしながら、女性はのっしのっしと近づいてきた。

 「おかえり! フレイヤ! そっちの男の子は誰だい?」

 「……。」

 フレイヤは一連の流れを包み隠さず説明した。

 女性が返事をする。

 「おやま、そうなの! 学校でできた友達がねえ、ふうん。まあ理由は聞かないさ。それで、口裏を合わせといて欲しいんだろう? 分かった。 私がアヤタカくんにエンブレムを付けたことにしといてあげる。それよりもほら、食事の前には風呂だろう。ほら行った行った。 」

 からっとした口調にさらっとした決断で、アヤタカにかけられた疑惑は無事にもみ消された。

 沐浴室までの道のりには、列柱廊という外に面した廊下を通る。柱の上に屋根があるだけの、壁のない通路だ。

 柱にぶら下げられているランタンが、夏の夜風にゆらゆら揺れる。揺れる灯りが影を躍らせ、檻のようなバラの影をうつしだす。

 「……聞いていい?」

 「……。 」

 フレイヤは黙ったまま歩く速度を落とした。アヤタカはそれを「よし」だと解釈して話を続けた。

 「エンブレムって? バディーって何? フレイヤは偉い身分なの? そもそも何で学校やめたの? おれはどうしてここに居るの? ストロ先生に連絡とりたいんだけど、とれる?」

 矢継ぎ早に飛んでいく質問、フレイヤがじとりとアヤタカの方を睨んだ。

 「……何が聞きたいんだ。 」

 「つまりあれだよ、おれは何で連れてこられたの?」

 「……お前は、どうしてエンブレムを付けているんだ。」

 「あ……これ? これは……。 」

 アヤタカは一部始終を歩きながら説明した。

 「道ばたに居た似顔絵屋に付けられた……? そんな、あり得ない。そもそも、付けた理由だって分からない。……愉快犯か? でも何故、エンブレムの魔法のかけ方を知っているんだ……。」

 フレイヤは、独りでぶつぶつと呟いている。

 またもや置いてけぼりをくらったまま話が進み、アヤタカは「まて」ができずについ口を挟んだ。

 「んーっと、つまりエンブレムは身分証みたいなもので、勝手につけちゃだめなやつってこと? あとはバディーって確か、相棒って意味だよね。 」

 フレイヤは意外そうな顔でアヤタカを見た。そして視線を宙に泳がせてから、また言葉を続けた。

 「あ、あぁ……。そこまで分かっているのならば丁度いいな。そう、身分証……。この宮殿に入る、通行手形のようなものだ。」

 アヤタカは少し誇らしげに、やっぱりという顔で頷いた。そして次に、周りを見て誰もいないことを確認し、声を潜めて切り出した。

 「それで、この国って顔で……。 」

 「その話になるなら質問はやめだ」

 分かりやすいほどにフレイヤの声色が変わる。

 「あ、ご、ごめん……。じゃ、じゃあ最後に、あのおばさんおれの分もご飯用意してくれるって言ってたけど、ごちそうになっちゃっていいの……?」

 「じゃ、ないか。それとあれは私たちの絆親だ。ここの宮殿全部ではなくて、あそこの部屋の精霊体に限るが。」

 「あっ、フレイヤに『私』って言うよう教育したとか言う精霊体さんかあ。」

 フレイヤが眉根にしわを寄せた。

 「どうでも良いことばかり覚えてる……。ああそうだ。絆親は世話以外にも、外見の方針を決める監督でもあるからな。言われた通りにしていたら、こうなった。」

 アヤタカは、中性的に磨かれたフレイヤを上から下までまじまじと見た。

 そこでフレイヤに凄まじい目つきで睨まれ、さっと視線を進行方向に戻す。

 そしてすかさず違う話題、そして大事な話を持ち出した。

 「あと、ストロ先生に連絡が取りたいんだけど……。」

 「明日にしろ。」

 「え?」

 「門限を過ぎれば、そしてそのエンブレムがある限りここからは出られない。強制的にここに住まわされる。明日、外出許可をもらって謝りに行け。学校に帰れない、ここに住まなくてはならなくなりました、とな。」

 「えっ!? ちょ、ちょっと! おれ、そんなつもり無いんだけど!? どういうこと!? だって、フレイヤがおれをここに連れてき……。」

 「私だって何とかしようとした! 上手くこの場をごまかして逃がそうとした! しかし……。 エンブレムの偽造は重罪だ。管理だって厳しい。お前が牢屋に入りたかったのなら別だが、これ以外に事が小さく済む方法が無かったんだ! 」

 フレイヤは俯いて歯噛みをした。

 「それに……。私のバディーであるならば、すぐに解放される。恐らく一週間もせずにな。だからそれも言っておけ。 」

 「えっ、ほんと!? よかった、それなら大丈夫だ! それだけならストロ先生と帰れるだろうから、ストロ先生の責任問題とかにならないで済む!」

 フレイヤは冷ややかな目で、フンと小さく息を吐いた。

 「重罪とか巻き込まれただけとか言えば、多分ストロ先生も怒らないよね? あ~~よかった。フレイヤありがとう。かばってくれたおかげで助かったよ。 」

 アヤタカの笑顔に対して、フレイヤは氷のような眼差しでそれを射抜く。そして小さく、憎々しげに呟いた。

 「……よかったな。」

 そのまま身を翻し、沐浴室への道のりに体の向きを戻した。アヤタカはフレイヤの細い背中を追いかける。

 後ろにつくような形で歩き、決してアヤタカはフレイヤの顔が見える位置へ行こうとはしなかった。




 「わあー……。」

 沐浴室は、アヤタカにとって完全な異世界だった。

 まず、誰かと一緒にお風呂に入るということが驚きで、更にそれをフレイヤが受け入れているということに信じられなかった。しかし聞いていると、沐浴にはお湯着という衣服を身につけるらしい。それを聞いて安心とともに納得した。

 お湯着はフレイヤが昼間に身につけていたような布を体に巻きつけるような形の服で、服というよりはヴェールのようだとアヤタカは思った。お湯着は触った限りでは普通の布と変わらず、服を着てお湯に浸かるのは気持ち悪そうと思う反面、服を着て水に入っても怒られないのかあとわくわくもしていた。

 沐浴室に入ると、アヤタカは更に驚いた。とてつもなく広い。そしてかなり手の込んだ装飾があちらこちらに施されていた。風呂場のはずなのに、石膏像や観葉植物に果物もある。歩いている最中には、台の上に寝ころんだ者が油や蜜、クリームを塗られて体をもみほぐされている場面も見た。

 湯船そのものもかなり広く、様々な色や香りの湯船がいくつもある。赤い花びらが浮かんだ乳白色の湯、どろりとした緑色の湯、何やら果物のような甘い香りのする飴色の湯……。

 アヤタカはそのなかで最も何の変哲も無い湯を選び、なかなか浸かることのできない湯船に身を沈めた。湯気の立ち上るなか、たくさんの精霊体が行き交っているのが見える。果物や飲み物を楽しみながら椅子に座り談笑している姿は、風呂というよりも喫茶店や談話室のようだった。

 そして遅まきながら、アヤタカは周りの者たちの容姿に関することに気が付いた。ほぼ全てが、と言っていいくらい、美形しかそこにはいない。場違いを感じたアヤタカは、せっかくの湯船なのに肩身が狭くてくつろげない、そう思って口元までお湯に浸かった。





――ここは相変わらず騒がしい。沐浴は好きだが、本当はこんなに混んでいる時間に来たくなかった。

 花びらの浮かぶ湯船に身を沈め、フレイヤは手についた赤い花びらをうっとうしげに雫と一緒にふり払った。湯の白は牛乳、牛乳風呂はフレイヤのお気に入りだった。

 いつもであったら誰もいない深夜や早朝に沐浴をしていたものの、今日は予想外の出来事もありそうもいかなかった。

――しかし、沐浴室とはこんなにも騒がしかっただろうか。混み合う時間に入るのは久しぶりだからなんとも言えないが、ここまで騒がしくはなかったような……。

フレイヤはやけに騒がしい方へちらりと目をやった。

 「えー! このお湯シュワシュワする! 面白ーい!」

 「だろ? あっちも入ってみろよ?」

 「それより露天風呂の方行こう! ほら果物持ってってさー。」

 「何言ってんだこいつアヤタカだぞ!? あっちのお茶の湯に決まってるだろ?」

 フレイヤは、何事もなかったかのように前に向き直った。うるさかったのは自分の連れだった。知らない場所に戸惑っているアヤタカを無視して、さっさと置いていったのは失敗だった、フレイヤはそう思った。予想以上にアヤタカはここに馴染んでいて、それどころかいろいろな相手に構われている。

 「やー、お湯着ってすごいんだな! 水に濡れても張り付いたり重くなったりしない!」

 「水を弾く魔法が織り込まれた布なんだよ。アヤタカのいたとこじゃ、海とか水浴びの時に着たりしないのか?」

 「や、こんなの初めて知った! こっちじゃ海とかなら、分厚い布を何重にも腰に巻いてこう、がっちりしたギブスみたいにしてる!」

 その話が終わったかと思えば、今度はパックで盛り上がっている。真珠を砕いて、天然のシアバターに混ぜたパック。それを人前で塗りたくられ、顔の白いおかしな様相になる。

 私が、みっともないから人前でしたくないことだ、フレイヤはそう思った。

 アヤタカは相変わらず楽しそうで、おどけてみせたり、誰かの言った言葉に大げさに笑ってみせたりしている。

 フレイヤの顔がわずかに歪み、きつくまぶたが閉じられる。

――どうしてそう、お前は私の嫌うことばかりする。

――こっちに来るな、お前はみっともない。

 フレイヤは花びらのついた手で、両耳を覆う。髪や頬に濡れた花びらがはりつく。

――恥ずかしげもなく尻尾を振る犬のくせして、一丁前に自尊心だけはある。犬ならば犬らしく振る舞っていろ。忌々しい、腹ただしい。

 「反吐が出る……。」

 堪えきれず口の中で漏れた、フレイヤの本音と悪意。侮蔑のこもった、自分の耳にすら届かない汚い言葉。

 ふっと、沐浴室の楽しげな空気が揺らいだ。

 不思議な空気が流れる。

 しかし揺らぎは瞬間的なものだった。偶然の沈黙に皆笑いだし、 またさわさわとお喋りが始まる。

 精霊に操られたんだね、そんな声が聞こえる。

 その場がいきなり示し合わせたように静かになること。それを『精霊に操られた』と表現する、昔の精霊体が考えた言葉。

 思わず辺りを見回していたフレイヤは、何でもないと分かり、前に向き直る。その途中、見慣れないものが目に入った。

 いつも圧倒されるほど活力に満ちている緑の目。それがこの一瞬の視界に入った時、闇の中に突き落とされたように暗い目をしていた。

――サイオウ……?

 フレイヤがさっと視線を戻すと、アヤタカはもういつもの顔に戻っていた。アヤタカの側にいる者たちも気にした様子は無く、勘違いだったのだろうかとすぐに興味は薄れていった。

 しかしほんの一瞬だったものの、あの時の頼りない視界の中のアヤタカは、確かに辛く、悲しそうな顔をしていた。





 列柱廊に吊るされたランタンの放つ、申し訳程度の灯りの中。夜風となった涼やかな風を身に浴びながら、フレイヤとアヤタカはしんとした廊下を歩いていた。

 夏を感じさせる緑の匂いがする。しかしこの宮殿の中はバラが溢れんばかりに咲いているため、それ以上に深い、甘い香りが香っていた。

 あまりにも幻想的なこの空間は、他の世界全てから切り離された違う空間、そのような感覚にさせられる。それほどこのバラの宮殿は異質で、不思議な場所だった。

 アヤタカはひとまず簡易的な服を借りて身につけていた。着てきた黒いシャツにだぼっとしたズボン、縛り紐にしていた魔法の布はお手伝いさんらしき者たちに回収されていった。さすがに爪弾きの爪まで持っていかれるのは心細いと思い、アヤタカは爪をこっそり隠して身につけた。

 「涼しくて気持ちいいなあ。 」

 アヤタカは静かな声で、独り言のように呟いた。

 フレイヤは返事もせず、もくもくと歩き続ける。いつものことといえばそうなものの、今のフレイヤには尖ったような空気が漂っていた。

――腹の虫が治まらない、とはこのことだろうか。

 フレイヤは、胸の中がうわんわんと小虫が飛び交っているように騒がしく、煩わしかった。うるさい小虫を抱えているのに我慢ならなくなってきて、つい声と共に居所の悪い虫たちを吐き出した。

 「お前を見ていると苛々する。 」

 思った以上に響いたその言葉の音は、闇の中に吸い込まれず辺りに漂い続ける。その場全てから音が消えて、無音の空気に変わる。がらりと変わった空気。その空気に飲まれたフレイヤ。収まりのつかなくなった悪意が引きずり出されるように止まらなくなる。

 「いつも機嫌をうかがって媚を売る。さっきだってそうだ。面白くもないことをわざと大げさに笑って、ご機嫌取りをしようとしているようにしか思えない。うるさいうえに、みっともない! お前みたいな種類のやつは居るだけで不快になる!」

 言えなかった苛立ち、それを伝える罪悪感と高揚感 。

――感情を吐き出すのは格好悪い、恥ずかしい、みっともない。こんなひどいこと言いたくない、思いたくない。もうこれ以上自分のこんな姿をさらしたくない、なのに、止まらない。

――もういい! 全部壊れてしまえ、取り返しがつかないほどぐちゃぐちゃになれ、こいつがどう思おうとどれだけ傷つこうと、もうどうでもいい!

 せめぎあう二つの心。それでもすぐに自制も良心も、煮えたぎる感情に塗り替えられてしまう。止まらない、自分が理性の無い獣のように感じだす。

 「そうやってプライドのない真似をして、権力のある奴に取り入ってあいつらはのし上がろうと必死だ。分かりやすく機嫌をとって必死に笑っているあの姿、あんなみっともない姿、同じになんかなりたくない! だから来るな! 私を巻き込むな! お前なんかとそばにいるだけで、それだけで私は屈辱的なんだ!!」

 何故ここまで言ってしまったのか分からない。何故か途中から、異様に感情が高ぶって勝手に口が回って、普段思っていないことまで、口からついてでた。

――違う、そんなこと思っていない。こいつにだってあんなこと、関係ない! それに今の……そこまでひどいことは考えてない。あれはそのまま、自分が一番言われるのが怖かった、心の中の言葉だ!

 なのに苛立ちは尚も募っていく。この苛立ちがアヤタカに対する純粋な嫌悪なのか、決まりの悪さをごまかすためなのか、分からないと思いながらも分かっていた。

 息が荒く、浅くなっている。呼吸の狭間で、フレイヤは声を出し続けた。

 「お前は私の身分やらについてとやかく聞いたな、教えてやる。言っておくが、これは比喩なんかでも何でもないからな。

 エンブレムは烙印、バディーは人質、私の身分は……奴隷だ。 」

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