第16話「ストロ先生の依頼」

 風雨で削られ、剥き出しになった岩肌が辺りに立ち並ぶ。

 芯のある黒髪をなびかせながら、ストロ先生は佇んでいた。

 ここはオミクレイ国の郊外、国境の近く。岩がそびえる不毛の地。辺りに連なる岩々は塔のようにそびえたち、門のようにアーチを描く。大地に刻まれた風の形は、ゆるやかにその軌道を物語る。

 粉塵が吹き荒び、ストロ先生のズボンや頬に擦れてぶつかっては力尽きたように止まる。砂は地べたへと落とされて、この地のどこかに自分の証を残しに、また風に乗り立ち去った。

 乾いた風の音に紛れ、獣の唸り声がし始める。地層が浮かぶ歪な岩の影からは、三体の獣が姿を現していた。

 太くたくましい肢体に、逆立った色褪せている毛。ハイエナに似ているそれらの獣は、じりじりとストロ先生にじり寄る。

――間違いない。聞かされた特徴通りだ。こいつらが依頼にあった討伐対象。

 ストロ先生は依然として穏やかで、殺意を向けてくる獣を前に全身の力を抜いた。構えもとらず、目は遠い日でも見ているかのよう。次第に獣たちとの距離は縮んでいく。獣はもう、すぐ側まで近づいてきている。ストロ先生よりもふた回りは大きい獣が、彼女を囲う。

 毛の禿げた鼻先がストロ先生の目の前に突き出される。生ぬるい、腐ったような野獣の息が顔にかかる。

 バキッ。

 雷光のように繰り出されたストロ先生の蹴りが、獣のあごを打った。その衝撃で獣の下あごは上あごへと食い込み、食いしばった歯と歯茎の間から血を噴き出した。そのままストロ先生は、わずかに浮き上がった獣の体に自分の体を潜り込ませ、右足に くっと力を入れる。獣のわずかな、落下するタイミングに合わせ、右拳を獣の腹へと叩き込んだ。 獣は今度こそ吹き飛ばされ、弧を描いたのち背中を地面に叩きつけられた。

 血とよだれを口から垂らしながら、獣は仰向けになって失神した。

 闘志を悟られないよう殺気を隠すのは、ストロ先生の得意技だ。

 側にいた二体の獣が、茫然と立ちすくむ。仲間が殴り飛ばされ、地面にバウンドし、動かなくなってから。ようやく二体は動き始めた。

 獣たちは喉に痛みの泡ができるほどの咆哮を上げ、土小人へ飛ぶように駆けていく。

 二体が意識を失う最後に見たのは、冷淡な土小人の目だった。

 荒地の空は果てしなく青い。それは眼窩に入る地上の景色が、土一色でしか無いからだろうか。

 自分はどのような大地から生まれたのだろう、もし分かるのであれば、このように静かでありながら力強い大地からであってほしい。ストロ先生は足元に広がる厳しく広大な大地を見ては、そんな思いを巡らせた。遠くを見ているストロ先生の後ろ姿を、檻に入れられた獣たちがこうべを垂れて見送る。あの三体の獣は滑車つきの檻に入れられ、他の精霊体たちによってどこかへ連れてかれていった。

 ひと仕事終えたストロ先生に、港まで迎えに来た依頼人の片方、枯れ枝のように弱々しい精霊体が話しかけた。

 「ストロ殿。恩に着ます。この国の者たちではどうにもできなくて……。」

 「いえ……。礼には及びません。しかし私はあのような特性を持つ獣は初めて見ましたが、ここではよく現れるのですか?」

 「私らもあんなのは初めてです。まさか、魔法の効かない個体が現れるなんて……。」

 ストロ先生が討伐したのは、ポエナという野生の獣。この国の付近ではよく出没する、獰猛な獣であった。普段であればポエナは、この国の獣討伐隊によって追い払われる。しかしこの三体のポエナには、どうしてだか魔法が一切効かなかった。魔法で追い払っていた精霊体にとって、魔法の効かない個体など初めてであり手も足も出なかった。老人は悔しそうに言う。

 「あんな獣畜生、普段ならば赤子の手をひねるも同然……。私を舐めくさりよって。民家に足を踏み入れるわ、討伐隊のうちの何体かを負傷させるわでやりたい放題……。 ええい、忌々しい……。」

 ストロ先生がただ黙って聞いていると、港まで迎えに来てくれたもう片方、筋肉で膨れ上がった方の精霊体が口を挟んだ。

 「今はその話はいいんじゃないですかぁ。それよりストロさん、もうひとつの依頼の方いいですか? うちの道場の連中に、ポエナ討伐の手ほどきをお願いしますよ。」

 老人は、自分を小馬鹿にしたような話し方に腹を立て、筋肉でできた精霊体にか細い腕を伸ばす。

 「ふん、お前如きの魔法も使えず地位も無い者が、彼女と会えるのは私のおかげだぞ。 部をわきまえろ。」

 「あーっと。おれの外腹斜筋に触らないでくださいよ。あんたらは下民を見下しますけど、大体その下民にあいつらを倒すよう頼みに来たのは誰です?」

 「下民なんて言ってないだろう! 勝手に都合の良いように言葉をすり替えるんじゃない。確かにお前らに討伐を頼んだ。が、え? 彼女に来てもらっているのは何故だ? お前らがこの仕事をこなせなかったからだろう?」

 「先に失敗したのはあんただよ……! そんな偉そうな肩書きつけて、いざとなったら見下している下民に頼むんすね~。それに、なにが都合良く言い換えるな、だ。あんた下民って言ってるも同然じゃないすか!」

 目の前で言い争いを続ける二体を、ストロ先生は静かに見ている。彼女の凪のような目は、感情の起伏が読み取れない。周りで見ていた討伐隊の部下たちはお互いに目配せをし、上司とその相手へ腫れ物に触るような態度を取るだけで何もしない。誰もけんかを止めないまま、ゆっくりと時間は過ぎていった。

 太陽が天辺を少し過ぎる頃、言い争いはようやく収まった。最後までストロ先生はまるで微動だにせず、二体はその目にひたすら見つめられていた。その様子が二体には、逆に恐ろしかった。だんだん集中が逸れ、最終的にはしどろもどろな憎まれ口しか言えなくなって収束していった。

 やがてストロ先生は指南を頼まれた道場へ足を運び、その場に残った老人とその部下たちは、現場調査を始めだした。

 細身の女性が老人に近付く。彼女は、檻に入れたポエナたちに様々な魔法をかけてはメモを取っていた、調査員らしき者の一体であった。

 「失礼いたします。簡易的な結果ではありますが、あの三体のポエナは恐らく宝石の精霊体。それもモリオンでは無いかと思われます。」

 「モリオンとな? 初めて聞く宝石だな。」

 「別名、黒水晶と言います。」

 「黒水晶……。どちらにしても、聞いたことの無い精霊体だ。それが魔法の効かなかった原因と言いたいのか?」

 「まだ断言はできませんが……そういうことかと。どちらにしても非常に珍しい個体です。」

 「……ならば、この件はこれで終いだ。異例な出来事にいちいち付き合ってられん。結果を上に報告。その他は解散。以上!」

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