第2章 オミクレイ国

第14話「おねだり」

 薄暗く、埃っぽい部屋。

 辛うじて窓の隙間から差す光の筋は、舞う埃たちを白く染め上げていた。

 「違う……。」

 男の低い声が唸った。

 チャプチャプ、カラン。

 「色か……? いや、鼻の筋かもしれない……。」

 男は手に、か細い筆を持っている。そして彼の見つめる先にはキャンバスがあった。キャンバスの中の目も彼を見つめ返している。そのキャンバスに塗りたくられた絵の具たちは、誰かの顔を模している。

 しかしその顔はまるで涙で滲んだようにぼやけており、細部が全然はっきりしていない。

 無造作に床に置かれたキャンバス。似たような絵が、この部屋中に散乱している。どの絵も一様にぼやけており、恐らく描かれている絵は全て同じ男だった。

 どれも大まかなところは同じで、細部や陰影が微妙に調節されている。そしてその無数の絵は、 段々と彼が今手がけている絵に近づいていっていた。

 おびただしい数の肖像画に囲まれながら、男は不明瞭な言葉をつぶやき続けていた。






 「せんせー、今日は木を削ってそれっぽいものを作ってきましたー。」

 さんさんと輝く夏の太陽が砂を熱くさせ、その上を滑る海の水が優しくほてりを鎮めていく。 その砂浜と海の上に建つ、柱のような白い建物。ストロ先生の道場であった。

 ふてぶてしい態度で木の棒を差し出す少年はアヤタカ、太陽から生まれた子どもである。

 その道場の師範、ストロ先生は じとりとアヤタカを見た。

 現在、彼女の弟子たちは剣の使い方を練習している。

 アヤタカは彼女の道場に入門を望んでいた。アヤタカは断られ、それからというもの執拗にこの道場へと通ってくる。

 周りの絆兄弟――精霊体に肉親は存在しないため、彼ら彼女らの示す家族とは絆を結び家族となる契約をした相手のことを指す。ここでは弟子たちのこと。――は、模擬刀で型の練習をしながらも、心配そうにアヤタカとストロ先生の会話を聞いていた。

 ストロ先生が呆れ気味に返事をする。

 「あのなぁ、何度言ってもお前をうちの子どもにはしない。いい加減、しつこいぞ。」

 何度目になるか分からないこのやり取り。アヤタカは目が全く笑っていない笑顔で切り返す。

 「先生、お邪魔はしません。これからも隅っこで独りで練習します。他の絆兄弟たちのお邪魔はしないように、二体一組にも試合にも合戦にも参加致しません。」

 アヤタカは意外としつこく、普段の彼とは思えないほど食いさがる。

 ストロ先生も最近は絆の子らから、いい加減子どもにしてあげたらどうですか、あいつ努力家だし良い奴だし、そろそろ可哀想ですよ、と言われていた。しかしストロ先生は絆の子らに聞かれても、全くアヤタカの入門を断っている理由を明かそうとしない。ストロ先生は はぁ、とため息をついて他の者への指導に移った。

 ストロ先生の道場では体術が基本なものの、武器の扱いや器械体操、水泳など様々なことをやっていた。彼女曰く体術の技術を底上げするには、他の動きも知っていたほうがいいという考えらしい。そして最近は剣が中心であったが、模擬刀は絆の子らの分しか用意していないため、アヤタカはそれらしいものを用意するしかなかった。アヤタカはいつも絆兄弟たちから離れた所で練習をして、自分には指導をしてもらえないため、絆兄弟が注意されていることを盗み聞きして技を盗んでいた。

 「おい、テッチ。腕全体で剣を振るな。動きが遅くなる。斬りつける瞬間、ぐっと柄を握れ。」

 アヤタカは友の受ける指導を凝視して、その注意を自分にも取り入れて木の棒を振るった。

 しかし取り入れた、盗んだと言っても、それは頭の中の論理としてのこと。実際はアヤタカにその動きはできていない。できていないことすら分かっていない。しかし最近できていないことに気が付いてきた。しかしできていない。

 理解は早いが、実行ができなかった。

 ざーん、ざーんと波の音が聞こえる。この道場は砂浜から見て、精霊体八体分の高さがある。潮が満ち引きするため、初めて来た時は潮が引いていて一面が白い砂浜だった。今の砂浜は、海の水がヴェールのように薄くかかっている。満潮になれば、この道場のすぐ下まで海が迫ってくるらしい。

――早く海が満ちて、水泳になってくれないかなぁ。そしたらこの狭い空間の気まずさも、大海原へと流れていくのに……。

 一応、うっとうしそうなストロ先生の目や、他の絆兄弟たちの気遣う視線を、アヤタカは気にしていた。

 はあ、という重いため息が、狭い空間に流れていった。






 「ストロ先生、どうやったらアヤタカのこと子どもにしてくれんだろうな。」

 「え?」

 小さな講義室、爪弾き学の最中にテッチが唐突に口を開いた。

 爪弾き学はシラース先生による最初の授業を終えた後、くじ引きによるクラス分けが行われた。そのため教師も変わり、結果、二体は変人で授業が分かりにくいと評判の教師に当たっていた。

 そのせいか、授業中にも関わらずほとんどの生徒がだらけている。男性教師のしわがれた、妙に楽しそうな声が耳の穴を流れる。

 「そうこの呪文はね、そのままお返しするの相手の魔法を。でもこれは試験には関係ないの。私は学生の頃不真面目でしたからね、試験に出ないのにずっとこれを練習していましたよ。やり返してやりたい相手がいましたからね。ウフフ。でも難しいからねこれ、できる人がいないからテストの対象外になってたの。でも私は不真面目ですから。そればっかやって、すぐに出来るようになっちゃった。授業では使うことなかったけど、普段の生活で仕返ししたい奴がね。私結構しつこいですから。あ、でも授業では私怨を挟みませんよ、 態度が悪くても私は点さえとれば評」

 「もう、おれアヤタカのこと見てられないんだもん。」

 テッチは教師の説明も構わず続ける。

 「そこで、おれは良い情報を手に入れました! 」

 「はい、じゃあ103ページ。」

 テッチの声に被せるように教師は口を開いた。

 アヤタカがページをめくると、やり返し呪文の魔法式やらがつらつらと並んでいた。男性教師はそれをひたすら読み上げる。

――この授業、老人の昔話と音読に付き合わされてるだけなような……。

 学校生活には大分慣れたものの、ここの教師には一向に慣れない。一癖も二癖もある上、 教師によってムラがある。アヤタカは、もう少し足並み揃えて来てくれないかな、教師に対しそう思っていた。

 いつまでも沈まなかった紫の星が、ようやく地平線へ沈んでいった。アヤタカらは よっしゃ! と言わんばかりに羽ペンや紙ををしまい出した。先生も はい、終わりねと教材をまとめ出す。

 ボワ~~ン、とドラの音が鳴り響いた。これは呼び出しなど、何らかの知らせがあるときに鳴らされる音だ。続けて、拡声器を通して大きくなった声が校内に響き渡る。

 精霊体は耳をすます。

 『フレイヤさん、フレイヤさん。校長室までいらしてください。』

 紫の瞳が、さっと声のする方に向けられた。太陽の光が惜しげもなく降り注がれる廊下で、眩しさも忘れて足を止めた少年。

 炎から生まれた子ども、フレイヤ。彼の見開かれた瞳が、太陽と星の光をたたえて微かに揺れていた。






 太陽が地平線に沈みだした頃。青白い空に弱々しい緋の色が、ワインの澱のように溜まっていった。

 太陽が、最後の光を地上に投げかけている。

 部屋に灯るろうそくの灯りは、外から入ってくる太陽の光を追い返そうとしている。それを見かねたストロ先生がカーテンを引こうとしたが、ラズィク校長が 気を遣わずとも良いですよ、と言って止めた。

 ここは校長室、そしてそこに居るのはラズィク校長とストロ先生だけであった。ストロ先生が姿勢を正して、低く凛とした声を放つ。

 「……して、ラズィク校長。私にオミクレイ国から仕事の依頼が来たとのことですが、お受け致します。その間の授業のことですが、私の絆兄弟が来てくれるとのことですので、宜しくお願い致します。」

 「ありがとう、ストロ先生。数日だけの出張ですし、一、二体なら生徒を連れて行けますよ。先生だけでは不便なこともあるかもしれません。誰かを連れて行ったらどうです? 旅費はあちらが出してくれますよ。」

 「いえ……。それはいいです。私一体で大丈夫です。」

 この学園ではよく教師の出張に、学生を連れて行くことがある。その目的は大体が小間使いとしてだが、表向きには留学経験となっている。

 「おれが行きます!」

 突然校長室に、若い声が飛び込んできた。二体の先生の目がドアに向く。 そこには汗だくで息を切らしている、亜麻色の髪に緑の目をした男子生徒がいた。

 呆然と見ている二体の視線に、生徒は し、失礼します……と小さく付け足した。

 「おお、こんにちは。君、名前は?」

 ラズィク校長が、少年に向かってにっこりと微笑んだ。少年は息を整え、唾を飲んで答える。

 「一年のサイオウです! ストロ先生の手伝いとしておれを連れて行ってもらいたく、馳せ存じました!」

 「え、サ……? あれ、アヤ…?」

 アヤタカです、と返って来るものだとばかり思っていたラズィク校長。アヤタカの本名は冬こそ旬である、この国の味覚に応えるお茶の名前では無い。アヤタカは、アヤタカではなくサイオウだったのだ。

 そんな校長も、ストロ先生の怒声で我に返った。

 「お前は! ノックくらいちゃんとしろ! それに校長先生の部屋を盗み聞きとは何事だ! 試験についての話だったらどうするつもりだ! それだけでお前はカンニングになって、 全教科の点数を剥奪されるんだぞ!」

 怒られたアヤタカは体を小さくして、ごめんなさいとしょぼくれた声で謝っていた。

 ラズィク校長が口を挟む。

 「君はストロ先生の手伝いとして、オミクレイ国に行きたいのかい?」

 「はい!」

 「どうしてかな?」

 アヤタカは、う、と言葉に詰まった。それらしい理由を用意していない。

 「どうした、まさか観光気分で行きたかったのか。ならば連れて行く訳にはいかないぞ。」

 アヤタカの本当の目的は、ストロ先生も察していた。私に取り入るつもりだったのだろう、お前の魂胆は見え見えだ、そうはさせないからなという目でストロ先生が威嚇をする。

――このまま何も言わなかったら、 理由が観光気分にされる!

 そう思ったアヤタカは、一か八かの賭けに出た。

 「正直に言います……! 少しでもストロ先生に気に入られるため、手伝いをしたいと言いに来ました! 個人的な願いではありますが、ぼくも学校の外でストロ先生のご鞭撻を頂きたいのです!」

 ストロ先生はぴくりと顔を歪ませた。 ストロ先生が道場を開いていることも、 ラズィク校長は知っている。

 はあ、と小さくため息をつき、ストロ先生はラズィク校長の方をちらりと見た。

 見ると、ラズィク校長は何故だか目をむいていた。その限界まで見開かれた目、でこっちを見てくる。 ストロ先生は思わず肩を跳ねさせてしまった。

――な、なんだ。なぜ校長先生はこうも驚いている。

 ラズィク校長は、アヤタカをちらりと見て、もう一度ストロ先生の方を見ては、驚愕したような顔をしている。

 そこでストロ先生は あ、とひとつの予想が頭を掠めた。

 ストロ先生はアヤタカに向き直り、いつもよりやや抑えめな声で、一応、話しておいた。

 「アヤ……じゃない、サイオウ。 別に単体でも意味は通じなくもないが ……”ご鞭撻”はな、”ご指導” と一緒に使うんだ。”ご指導ご鞭撻を頂きたい” が正しい言葉だ。 お前の言った”ご鞭撻を頂きたい” はな、”ムチで叩いてください” だ。」

 ストロ先生が後ろを見ると、ラズィク校長が腑に落ちたような顔で頷いていた。やはり校長先生は、ムチで叩く方を想像していたか、ストロ先生が心の中でそう呟く。

 はあ、とひとつ、ストロ先生が大きなため息をついた。

 外の陽は、もうとっくに沈んでいる。真っ暗な外に向かって、部屋のろうそくは灯りを伸ばしていた。

 まるで助けを求め、外へと手を伸ばすかのように。

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