第13話「アポロンとの約束」
窓辺の白く透けた、スズランの隣。亜麻色の髪の少年がぐっと伸びをする。
「あー、晴れた晴れた……。」
彼の名前はアヤタカ。太陽より生まれた精霊体であった。
今日は休日、普段は時間割としてかかげられている学校の文字盤が、現時点で空に浮かんでいる星の早見表になっている。ある英雄の星が真ん中に来る日。それは、アヤタカがアポロンの部屋に遊びに行くという約束の日取りを指していた。光の間で出会い、アヤタカと同じ太陽の精霊体である先輩、アポロン。
とうとう約束の日が来た。楽しみなものの、同時にあれ以来話をしていないので相手の気が変わっていないか心配、と書かれた紙が昨日授業中にラムーンへと回され、彼女は送り主がアヤタカであると分かるや否や、その手紙をびりびりに破いた。
そんな不安を他所に時間は刻々と過ぎ、約束の時間へと近づいていく。
アポロンは学校に自分の部屋を持っていて、場所ももう教えてもらっていた。アポロンたちの学年に振り当てられた建物は、「幽霊船」。
ダークブラウンの立派な豪華客船のようなその船のどこが幽霊船なのか、生徒たちの間でつけられたあだ名なのか、本当に幽霊船なのか。
半分が座礁に上がっていて、半分が水の中に入っているその大きな船に、アヤタカは足を踏み入れた。
「本当に、来ちゃったなあ……。来てよかったんだよ、な?」
誰にも聞こえないように、小さな小さな独り言をアヤタカは漏らしていた。
ふかふかした赤い絨毯が敷かれた廊下を、右に曲がったり左に曲がったり。金色の、ランプや小さなシャンデリアが、ダークブラウンの壁や天井を照らしている。良く見れば、そのランプやシャンデリアの飾りに星っこが使われている。
お前があんな奴だったとは思わなかったよ、とアヤタカは星っこに心の中で吐き捨てて、そのまま通り過ぎて行った。
いくつもの扉が並ぶ廊下で、アヤタカはアポロンの部屋の前で立った。二、三度ためらいつつも、コン、コンと軽いノックをした。
「……あれ。」
一向に返事が返ってこない。その上、誰かいる気配すら感じられない。
――忘れられちゃった? すっぽかされた? もしくはあの約束はやっぱり夢だったんだろうか?
「その部屋の男の子、今日は出かけてるよ。」
通りすがりの声に、憶測に対し悪い意味の太鼓判を押された。
アヤタカは幽霊船の幽霊のように陰気な笑顔を浮かべ、後ろの男子学生にお礼を言った。
「ありがアポロン先輩っ!?」
通りすがりかと思いきや、後ろに居たのはアポロン、アヤタカの約束していた当の先輩であった。
「なんちゃってね。」
彼は朗らかな笑みを浮かべて、コーヒーカップをふたつ持って立っていた。
「いやー、ごめんね。丁度コーヒーを淹れに行ってたんだ。待った?」
アポロンは椅子に腰掛け笑っていた。右手に持ったコーヒーカップからは、湯気がたっている。
「いえ、むしろありがとうございます。おれの分まで用意してもらっちゃって……。」
アヤタカは、アポロンが今日のために用意してくれたらしい、学校で貸し出される折りたたみ式の椅子に腰掛けていた。
アポロンの部屋からは、コーヒーカップを持ち込む前から仄かにコーヒーの香りがした。普段から飲んでいるのだろうと思いながら、アヤタカは大人になったら自分も飲めると思っていた、手元のコーヒーを眺めていた。
アポロンはあまり家具を置かない性質らしく、家具も飾り気の無いシンプルな造りで小ざっぱりした部屋だ。
特に色に統一性はなく、強いて言うならば黒や茶、白が多めであり、机には割と乱雑にプリントやらが置いてあった。多少散らかっている粗雑さはあれど、一応整理されているらしい部屋。
――うーん。男の子の部屋……って感じだなあ。
アヤタカは満足げに うんうんと頷いた。何に満足したのか、アヤタカは満足だった。
そんなアヤタカに、アポロンが声をかけた。
「……大丈夫? もしかしてコーヒー、苦手だった……?」
「い、いえっ! そんなことないです! いただきます……。」
我に返ったアヤタカは、コーヒーを慌てて飲んでしまった。心の準備もできてないまま、苦い液体が口に入る。
「おいじいです」
アヤタカは、何とか飲みくだし、何とかその言葉を言った。
――苦いだけで、コーヒーに美味しいや不味いの違いがあるのか分からない。おれの味覚は甘いとしょっぱいに分ける機能しかないんだもん。
しかしアポロンが自分のためにコーヒーを淹れてくれたことが、美味しい不味いに関係なくただ嬉しかったため、何としても美味しそうに飲む自分に見せたかった。
「そう、良かった。」
アポロンはにっこりと微笑んでいる。
「えー、ここって本当に幽霊船なんですか。シャレじゃなく。」
「そうだよ。正式名称はあったと思うけど……。正真正銘、本物の幽霊船。昔は本当に色々出たらしいよ。」
アヤタカとアポロンは、自分たちが今いる幽霊船を肴に盛り上がっていた。
この船は誰も居ないはずなのに航海を続けた、死者しか乗らぬ幽霊船であった。
未だに何故、誰も舵を取っていない船が航海を続けられているのかは分かっていない。
この船が幽霊船として見つかったばかりの頃は、立派な船だったため航海用に再利用された。しかしこの船に乗れば不幸や事故ばかり起きて、たくさんの者が死んだという。
どこの国の物のかさえ、分からないこの船。いつしかこの船は、「魂を食らう船」と言われ、恐れられていた。
「そんな怖い所割り当てられちゃったんですか……!?」
自分たちの琥珀塔も何かあるのだろうか、とアヤタカは思ったものの、あんな琥珀がへばりついた塔、何もないわけないよな、と思い直した。
「ここの建物はみんな大体、世界各地でそびえていた、誰も手がつけられなかった曰くつきの建物をラズィク校長先生が引き受けたものなんだよ。」
この学校は供養場か何かなのだろうか。それとも曰くつき物件のコレクションなのだろうか。アヤタカは思うにとどめたものの、ここの校長先生、大丈夫かと思わずにはいられなかった。
そんなアヤタカに、アポロンは言った。
「大丈夫。もうどの建物も浄化や復元が完了してるから。でも、許可を取らなきゃ行けないけどまだ途中の物が集められてる所もあるんだよ……。今度行ってみる?」
アポロンがにやりと笑う。身を乗り出して、アヤタカは首を縦に振った。
「行きたいです! 何そこ、面白そう!」
とん、とん。
唐突にドアの向こうから聞こえた、控えめなノックの音が二体の会話をせき止めた。
まさか幽霊か、とアヤタカはほんのすこしだけ期待した。
アポロンが首をかしげながら、ごめんね、と断りを入れてドアに向かう。アポロンは はい、という返事とともにガチャリとドアを開けた。するとそこには、肩のあたりで黒い髪を切り揃えた、大人しそうな女子学生が立っていた。
――なんだ、ただの精霊体か。
アヤタカは体をねじりながら後ろに傾けて、アポロンの背中に隠れかけた訪問者を若干残念そうに見る。一方の女子学生と目が合う。アヤタカの存在に気づいた彼女は げっ、という顔をした。
その反応にアヤタカは思わず顔をしかめたくなった。しかし彼女は嫌そうにするも、時間を改めて来る、という選択もしなかった。顔を真っ赤にして、うわずったままの声を振り絞る。
「あ、あのっ! アポロン先輩!わっ、私、一年前の学年混合授業の時に話したこと……!」
そこで彼女は ばっ! と後ろに隠していたらしい、小さな可愛らしい小包を胸の辺りまで持ち上げた。
「そ、そそそれであの、これをおおお、す、ううう!」
彼女はそこまで言った所で舌が回らなくなり、真っ赤な顔に涙目を添えて、ごめんなさいごめんなさいと叫びながら走って逃げて行ってしまった。
アヤタカがドアから そっと顔を出すと、廊下に投げつけられた小包と、走り去る純情な女子学生の後ろ姿が見えた。
無言でいるアヤタカの後ろで、アポロンがひょい、とプレゼントを摘まんで左手に乗せた。
アポロンは ぱたむ、と静かにドアを閉め、すたすたと机へ歩いて、彼女の置き土産を自分の机に置いた。
アヤタカはまだドアの前で立ちすくんだまま、表情を硬くしている。
そして祈るような声音で、アポロンに話しかけた。
「あ、あの。えっとその、先輩もあるんですか? そういうのというか……その……。」
アポロンは何を言いたいのか察してくれたのか、言い淀んだその言葉の、まるで続きを話す体で答えた。
「うーん、無いかな。ぼくは恋愛の感情を持っていないからさ。」
アヤタカがすぐさま ぱあっと顔を明るくする。そして意気揚々と元の椅子に腰を下ろした。
明るい声で、先を続ける。
「おれもです! よかった、仲間で。そういう感情はちょっと……持ちたくないというか!」
力のこもったアヤタカの声。
――だって恋愛感情とか……テークじゃん。やー良かった良かった、あんまりそういう人には関わり合いにならないのが身のため身のため。せっかく大好きになれそうなアポロン先輩がそうじゃなくて、良かった!
テークとは、この世界の差別用語だった。それは、恋愛感情の概念を持つ精霊体を指して使うもの。
アヤタカたち精霊体は光や水から生まれるため、彼らが子を成すことはない。従って恋愛という概念、もっと言えば下心の概念を持たない者が多々存在する。そのため、恋愛は下心から生まれる、恥ずかしい感情だと言う者は多い。特に太陽などの光や炎、水などは元から子孫を残すことが無い物体なため、恋愛の概念を持たないものが多い。しかし、恋愛の概念を持っている精霊体も当然存在した。例えば植物の精霊体などは、植物自体が子孫を残す物体であるため恋愛の概念を持っている者が多かった。
――テーク……変態……。おれは物語で公序良俗に反する場面がでてくれば、三日はショックから立ち直れないし、ふとした瞬間にそれを思い出ししちゃえばものすごく気分も滅入る。周りから色恋沙汰の話を振られれば舌打ちだ。なのにテークはそれを好むなんて、ああ恐ろしい!
自分には関係なくとも、アヤタカは今起きたことが、人間で例えるなら親の昔の恋の話を聞いてしまった子ども心のような、得体の知れないショックを感じていた。
何食わぬ顔でコーヒーを飲んでいるアポロン。そんな彼に、アヤタカはおそるおそる、それでも聞かずにはいられず、尋ねてみることにした。
「あの、先輩は、嫌じゃないんですか……? そういう感情を持たれたりして、傷付きません?」
本当は、「気持ち悪くありません?」と聞きたかった。
アポロンが微かに表情を変えてアヤタカを見つめる。アヤタカは、目を逸らした。
少しだけ悲しそうにアポロンが笑う。
「あの子は自分がテークだって事実に、もう十分傷付いた。想いに答えることはできないけど、僕を好きになって、それを僕になら伝えても良いって思ってくれたこと。それを心の中で裏切るような真似を、ぼくはしたくない。」
陽光が窓の隙間から差している。
「あっ。ごめんね、答えになってるようで、なってないね。んーと傷付くどうかって話だったよね。いいえかな。」
「ねえアヤタカ君。君は ”世界の監視者” って聞いたことある?」
世界の監視者、かつてミザリー先生と校長先生が話していた単語。
アヤタカは口に含んでいたコーヒーを、大きな動作でごくりと飲み下し、再び目を上げてはぱちぱちと瞬きをした。
「いや、初めて聞きました。なんだか、危険思想の集まりみたいな名前ですね……。」
アポロンはコーヒーを口元に運んだまま、ふふっと微かに笑った。
「そうだね。ある意味そうかも。でも、君は特にこの存在を知っておいて欲しいんだ。あのね、世界の監視者っていうのはざっくり言うと、光の間で一番明るいところに行ける精霊体のことを言うんだ。」
アポロンの顔には相変わらず優しい微笑が浮かんでいて、どんな話をしていてもそれは変わらない。
「そして、人を助けるためだけに生まれた存在、なんて言われてる。自己犠牲、博愛精神の象徴……だとかね。」
アヤタカはいまひとつ言いたいことを掴めていない顔で微笑を浮かべ、カップの中身をくるくる回している。
「へぇ……。なんか、随分遠い世界の精霊体の話ですね……。」
「ぼくたちのことだよ。」
「……ふふっ?」
唐突な振りに、アヤタカはつい変な声で笑ってしまった。
「や、ごめんなさい、バカにしてるとかじゃ無くて……。ちょっといきなりだったんで笑っちゃって。」
アポロンは相変わらず穏やかな笑顔のまま、組んだ指を膝に置いた。
「いやいや、ちょっと話を飛ばしすぎたね。えっと、今回のことで伝えたかったのは、信じるとか信じないとかじゃなくて、気をつけて欲しいってことなんだ。」
「え?」
カーテンを透かし、差し込んでくる日差しが一瞬だけ強くなる。部屋に潜む影が色濃く染まった。そんな中、アポロンの爛々とした目が逆光の中で光る。
「迷信に振り回された大人たちが、”世界の監視者” とやらを求めて近づいてくることがある。
特に、ここの教員には決して気を許しちゃいけないよ。ここの教員たちは、生徒に名誉のために命を削れと教えたような奴ら――そしてそれを教えられた世代だ。 ……彼らの思う、名誉や誇りを鵜呑みにしてはいけない。
とにかく、世界の監視者だとかの真偽はどうであれ、光の間の最高位に行けることは言わない方が良い。その位を利用したがる奴らは、この時代にもたくさんいるんだ……。」
アポロンは、どうかアヤタカにこの言葉が届くことを祈りながら、言葉をきった。少しだけ早めに切り上げた。
何故ならアヤタカが、話の途中から様子がおかしかったら。
視線があらぬ方向に彷徨い、落ち着きをまるでなくしている。小魚の様にせわしないアヤタカに向かって、アポロンは声をかけた。
「どうしたの?」
「えっ! ……や、えっと、実はですね。」
アヤタカの焦りや迷いが、分かりやすいほどにじみ出ていた。
「光の間のこと、実はミザリー先生から聞かれてて……それでおれ、喋っちゃって……。」
動揺の理由はそこではなく、アポロンもいたとばらしたことであったが、アヤタカは、それは言わないでおいた。
アポロン先輩が、納得の声をあげた。
「あぁ……ミザリー先生か。彼女には、 ぼくも何度か聞かれたよ。聞かれた、って言うよりは探られたって感じだけどね。でも、多分あっちはもう分かってる。確認を取っているだけだ。本によると、敏感な精霊体には生気というものが見えているらしくてね、その生気でもう分かっちゃうんだって。光の間のどこの位にいるのか。」
アヤタカは、顔では驚きつつも心の中でほっとしていた。
――よかった、全部おれのせいって訳じゃ無さそうだ……。それにやっぱり言っちゃったこと、 言わないでおいて良かった……。
顔に若干の安堵が滲み出ているアヤタカは、精一杯弾みそうな所を抑えた声で返した。
「いやー、そうなんですか。だだ漏れですね。 それは。怖いなあ、見抜いちゃうのか!」
「うん、だからあの先生には気を許さないでね。君なら大丈夫だろうけど、あの先生は魅了の属性の気があるから。」
「え? そうだったんですか?」
――魅了の属性……恋愛感情のある精霊体はあの先生の虜になりやすいのか。学年の数体はもう手遅れだな。
アヤタカは彼女が天性の魅了体質であることに、学年の数体を通して納得した。
そうしているうちにやがて日も傾き始め、アヤタカは名残惜しいがアポロンの部屋からおいとますることにした。またこの日に会おう、約束して、アヤタカはその場から去っていった。
傾いた陽に照らされ、アポロンはもう誰もいない、アヤタカが去っていった方向をじっと見つめている。光の間でアヤタカを送った時と同じ構図で、光だけがあの時と反対を向いて差し込んでいる。
「君なら、きっと選んでくれる……。」
かつて光の間に揺蕩った言葉と、同じ言葉が彼の唇から零れる。あの時は見えなかったアポロンの表情が、逆向きに差した光に照らされ黄金色に浮かび上がった。
笑っている。
とても悲しそうに、そして何かにすがりつくように。
「だって、そっくりだから……。」
俯いて、もうその顔は陰に隠れて見えない。すっと彼が姿勢を戻した時には、いつもの穏やかな顔に戻っていた。
そのまま彼は、光から背を向け歩き出した。
星空の装丁の成された本が、ぱらららら……とひとりでにめくられる。
本がめくれる動きに伴い生まれる僅かな余波。それがその部屋の、鍵のかかるドアノブに、無数の爪弾きの爪に、不思議な文様が浮かぶ白金色の壁に当たる。
しゅる、しゅると鬱金色のローブを擦れさせながら、老いた男性がその分厚い本に近付いた。
本は開く頁が定まると同時に、青と白の光を放ち出す。
彼の部屋が、老人の黒い肌が、青と白の光に照らされる。
光がしゅるしゅると集まり紡がれ、それはやがて文字へと変わる。
『魔法学校ラピス・ラズィク ラズィク校長宛て』
最初に紡がれた一文はそれだった。
男性は、神秘的なスモークブルーの目を細める。
彼はくうに浮かぶ文字に向かって、ひらりと指を振る。その男性がラズィク校長本人であると承認した光の文字が、光の粒となりはらはらと崩れていく。
そしてまた、新しく生まれた光が集まり、紡がれる。
『事態は急転 至急 彼の引き渡し求む 来週迎えを寄越す』
その文字たちは、全文が揃うか揃わないかという時点で、ほろほろと頭の文字から崩れていった。
本から光が失せていく。
ラズィク校長の目から、光が消える。
開かれた頁には、「オミクレイ国」という文字が刻まれていた。
ある一体の、精霊体の物語が幕をあげる。
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