第12話「呪文学」
春の日差しは、次第に夏の太陽へと変わっていく。肌に当たる太陽の光は暖かいものの、まだ風は冷たく、肌に触れる日差しの暖かさをさらっていく。
アヤタカは暖かい陽射しにも、それに対抗してくる冷たい風にも、何もかもに煩わしさを感じていた。それどころか筆箱が見つからなければ激しく気分を害し、人とすれ違うだけでかなり神経に触った。
その理由は先日、ストロ先生の道場に行った時のことだった。
彼はストロ先生に言われた型をテッチと真似をして、何度も先生に投げ飛ばされては冷たく硬い石に背中を叩きつけられた。
――泣き言だって漏らさなかったし真面目にやっていた。二体とも能力も真面目さも同じくらいだったと思う。でも……。
ストロ先生はテッチだけを子供にしてアヤタカの道場入門を断った。
「何が気に入らなかったんだ……。最初の一言からだったのか?」
アヤタカはテッチとストロ先生に教えを請う際、テッチが「何でもするので弟子にしてください!」と言ったのに対して、アヤタカは「先生の暇なときでいいので体育を教えてください!」と頼んだ。
――そこで先生にやる気の有無を判断されちゃったのかな。でも言い訳の余地があるなら、それはテッチが言った「弟子」の単語の気恥ずかしさと、図々しいことは承知の気遣いだったってことでやる気云々の話じゃなくて……。
そして、それとは別に、どうしても拭えないひとつの想像が頭から離れなかった。
――ショウは言わないでも面倒見の良いみんなから好かれるやつだ。テッチも良いやつで聞き上手だし、面倒な相手にも上手く立ち回る能力がある。もし……。
もし、自分の人徳が先生のお眼鏡にかなわなかったからだったらどうしよう。アヤタカはそればかり考えていた。そしてそうなるたびに、これはストロ先生の人格を疑うような推測だと自分を諌めては「でも……」と悪い心の方の自分が出てくる。こんな失礼なことは考えたく無い。でもどうしても頭からその不安が取れない。考えることを止められない。 不安と罪悪感に嫌気がさしたアヤタカが、ふーっと重いため息をついた。
「うるっさいわねー。授業中私にグチの手紙なんか回さないでよ。休み時間まで我慢できないわけ?」
アヤタカは、顔をなるべく黒板に向けたまま、後ろにいるその相手の方へ視線を向ける。持っている小さな紙をぴろぴろと見せびらかしながら、小さな声で不平を漏らすラムーンと、ぱちっと目が合う。
そして、これまでのアヤタカの葛藤そのまま書かれているその紙を、アヤタカの背中にぴしゃっと押し付けて返す。
返されたアヤタカは、自分が付けたその紙の複雑怪奇な折り目をなぞるように折って、元のやっこさんの形に戻した。
先生が黒板に向き直った所で、ラムーンは後ろから身を乗り出し、ぐわっと手を伸ばした。するとアヤタカのやっこさんを奪い取り、言った。
「私は授業中、手紙とかこういうことするのは嫌いなの、平気でそういうことする奴もよ。」
アヤタカとラムーンは一気に一種即発の雰囲気となり、またもやお互いの授業妨害が始まろうとしていた。
黒板の前で先生が、今回は皆さんに型通りの呪文を覚えてもらう前に、呪文にはちゃんと必ず入れないといけない単語があること、音の数に決まりがあること、呪文を唱えなくても魔法はできるのに、何故呪文を唱えるのかをざっと説明する旨を伝えた。
今の授業は「呪文学」。名の通り呪文を使った魔法の勉強である。今回も、この世界の授業が始まる。
この世界での呪文とは大体が決まった音の数で構成されており、その数は五、七、五が最も構成しやすい呪文の形であり、それを呪文句と言った。武具装備の授業を担当していたミザリー先生も、一度学生の前で基本呪文句を唱えており、あれはミザリー先生が自分の使いやすいようにアレンジした、彼女だけの呪文句である。
呪文句にも決まりがあり、句の中に属性を表した言葉を組み込まなくてはならない。例えば植物の魔法ならば花の名前や木という言葉、というように、植物に関係のある言葉を入れる。もしくはアヤタカなら太陽であるように、自分の種族を句に組み込む方法もある。何にせよ、必ず何らかの属性であるものを呪文句の中に入れることが原則であった。
呪文を唱えずとも魔法は使えるが、ある方が便利だった。その理由は、例えばこの前の爪弾き学でフレイヤが作っていた、大きさの違うふたつの火球を使い分けたい時。呪文句なしだと頭の中で一回一回構成の仕方から大きさまで細かく頭に思い浮かべる必要がある。しかし呪文句があれば細かい魔法の情報は全て呪文句に組み込んであるので、毎度のように自分で頭にその情報を思い浮かべずとも、代わりに言葉が情報を補完してくれる。従って、簡単に思い浮かべるだけで魔法が発動できた。個人が作った呪文句は、 本人が分かりやすいように構成されているため、関係性があまり分からない呪文句も多い。
情報をひとつひとつ思い浮かべなくとも発動できる程その魔法が自分のものになれば、その時はもう呪文句もいらなくなり魔法の発動の速さもぐんと上がる。
尚、以上を説明した呪文学の先生はまるで霧のように影が薄い先生だ。少し目を離せば、途端に先生の面影が頭から消えていく。
優しげで静かな彼は生徒たちから幻覚先生と呼ばれていて、授業以外で見かけることができた日は良いことがある、幻覚先生が食事をしているところを見た者は幸せになれる、などと色々な逸話が作られていた。
幻覚先生は今、初歩的な呪文句の説明をつらつらと並べている。学生たちは黒板に字を書く音と、教科書をめくる音だけに反応をする、上の空の境地に辿り着いている。次第に幻覚先生の声が幻聴と区別がつかなくなる。
ふっと、前からプリントが配られる気配がして大多数の生徒が我に帰った。
幻覚先生が身にまとっている深い森の色をしたローブが学生たちの目の前を横切る。プリントが後ろに回される音とさわさわ話す声が治まりかけた時、先生が説明を始めた。
最初はお遊びとして、自分で簡単な魔法を考えてそれを呪文句にする練習をする。時間が余れば呪文句を唱えてその魔法の練習をし、 もし成功したら点数を加算する。
先生の配った、裏が白紙で、表には走り書きのメモのようなものと不可解な丸や四角が並ぶプリントを生徒たちが眺める。
それは絵らしい。先生が爪弾いて、風を起こし窓を開けている絵らしい。ソーセージが枝分かれしたかのような人体、四角が三つ並べられているだけの開いた窓らしい図。
そして下には呪文句、呪文句の説明、どのような用途の魔法かということが走り書きのように書かれていた。
『風の弾 砲門は窓 発射せよ』
『窓を砲門に見立てて空気砲を発射』
『風を使って、手を使わずに窓を開けられる便利な魔法』
先生曰く、先生が学生の頃に作った魔法らしかった。
属性の単語は風。上の句で属性を表し、中の句でどこを表し、そして下の句で何をするかを表しているため、幻覚先生曰くとても魔法がやりやすい呪文句だったらしい。上の句と中の句でイメージを固めて、下の句で指令を出すという、最も一般的な方法にのっとって作ったものだった。
これを見本にした年としなかった年では、この時間に生徒たちが作る魔法の質がかなり違ったため、幻覚先生は毎年この見本を配ることにしている。これを見本にしなかった年は、火の玉やら水を出す魔法やらがほぼ全てだったものの、見本にした年はトイレの蓋をあける魔法やら髪を結ぶ魔法やら、とにかく、見ていて面白かったらしい。
次第に、教室にはペンを動かす音や紙をめくる音だけが響くようになっていた。アヤタカも、都会の学校へ行くにあたって、恥をかかないように、 と故郷の精霊体がくれた付けペンを装着して、紙の上で走らせていた。
やはりちゃんとしたペンってやつは違うんだな。羽や枝をペン代わりに使ったものとじゃ比べものにならないくらい滑らかで使いやすい。アヤタカは、まだ馴れ親しんだまではいかない付けペンに、何度も感動してしまう。
午後の空はいつの間にか水彩画のような曇り空に変わっており、窓の外にかすかな雨の気配を感じる。
曇天により暗くなってきた教室を、見るに見かねた先生がシャンデリアに光魔法をかけた。
すると繊細な光の粒がぱぁっと降り注ぎ、生徒たちの手元を川のせせらぎのような光が通り過ぎる。シャンデリアは優しい色合いの光をガラスの体にため込んでは、光を宝石のように固めて教室中にしゃらんとばら撒く。
アヤタカはくるくる回るその光を眺めているうちに、ふっと初めて受けた模擬授業のことを思い出した。
わざとらしい髪型をした先生が見せた華麗な物体浮遊術、惑星が弧を描いて空に飛翔していく様はそれこそ幻想の世界のようだった。アヤタカはあれと同じことができないかと思い構想を練ってみる。
まずは教科書で「物体浮遊術」の項目を調べると、呪文句に使えるいくつかの物体浮遊術の魔法に繋がる言葉がでてきた。
力、重力、太陽……。
単語を斜め読みしていると、ふっと目に「銀河」という文字が目に入った。
5個くらいの石を使って、その内のひとつを太陽に見立てる。そしてその石を中心に、残った石をくるくる回す。 恒星と惑星に見立てた小さな銀河…。
アヤタカはその様子を思い浮かべて満足げに にかっと笑った。
――よし、これ絶対いい評価もらえる!
後は五七五に文字を組み合わせるだけ、これは一番に練習できちゃうなぁと考えるアヤタカは余裕のいでたちで、ただ一番になりたいので少し焦り気味に呪文句を考え出した。
雨がぱらぱらと雫をこぼし始めた。春の小雨とは違い、濡れた植物の青々とした匂いが雨の日を彩る。
明かりの灯る広い教室の中は、生徒の声が少しずつ聞こえ始めていた。呪文ができた生徒たちが魔法を実践している。その様をアヤタカは諦めふてくされたような顔で見つめていた。
考えついた魔法を呪文句に変えることは、芸術分野に慣れ親しんでいない彼にとって最難関であった。彼の手元のプリントには『太陽を 中心にぐる ぐる回る』という一句がぽつんと書かれている。そもそも、五文字に七文字に五文字に収めることから難しい、とアヤタカは大幅にはみ出た中の句を見て思ってい。
アヤタカが考えているうちに一体、また一体と同級生が席を立ち始めていく。くそぅ、呪文句さえ無かったらおれが一番乗りだったのに……。とアヤタカは歯噛みした。呪文句の無い呪文句の授業ならば、一番になれる自信があったらしい。
いつまでも悩んでいるアヤタカに、そのうち先生が助け舟を出しに来てくれた。
先生のアドバイスによると、詩のようにせず説明をするような形の句でいいので、何を使ってどうしたいのかをまず書くといいらしい。
アヤタカは先生に物体浮遊術で、五個くらいの石を使って太陽系のようにくるくる回したいと述べた。
先生の指導の元、ようやくひとつの呪文句が完成した。
アヤタカは教室の後ろにある棚に行き、同じように同級生ががさごそと漁るいくつかの箱のひとつを漁り出した。呪文句を考えるのに夢中になって、若干聞いていなかったか、これを使って練習しろと言ったらしい。
なるほどそこには、魔法の練習らしい小物がたくさんあった。何かの種やランプ、ろうそく、水の入った小瓶などの小物が箱の中にごちゃごちゃと詰められている。
種は発芽の魔法、くたびれた人形は物体浮遊術用だろうか、と思いながら、アヤタカは結局箱の中から五つの鞠を探し出してきた。
石ころは無かったものの、鞠ならば丸いため、惑星にも似ていた。
そして早速試してみようと付け爪をはめる。
頭に魔法の銀河を思い浮かべ、ゆっくりと息を吸う。
「石ころよ、小さな銀河の 星となれ!」
ピィン、とぎこちないながらも爪弾く音が高らかに鳴った。
「…………あれ。」
しかし鞠はうんともすんとも動かなかった。白けた様子で机の上に転がっている。
――石ころじゃなかったから? いや、もっと根本的なことかな。にしても、ここまで呪文句とかをわざわざ作って何も無いって言うのはなんていうか……
「うぃしころよぉ~、ちぃーさな ”銀河” の星となれぇ~。」
アヤタカの失態を見逃さないラムーンは、振り向いてそのアヤタカが気恥ずかしさを押し殺して唱えた呪文句を復唱する。
「……あれ。」
彼女はアヤタカの最後の声まで忠実に真似した後に、指をさして鼻で笑った。
「石ころよ! 頭突きしてこい 思いきり!」
ただの勢いでアヤタカはピィンと爪弾いた。
鞠がふわっと浮き、ぼんっ! と音をたててラムーンの額に当たった。
てん、てん と机の上で鞠が弾み、アヤタカもラムーンもその様をただ目で追いかけていた。
「え、できた……?」
アヤタカがぽつりと声を漏らす。すると唐突に ぱん、ぱんと後ろからゆっくりとした拍手が聞こえた。後ろを振り向くと深い森色の壁、ではなく深い森色のローブをまとった幻覚先生がいた。
彼曰く、凝った呪文句にすると体が覚えるまで何度も練習しなければその魔法は使えないけれども、今のようにその場で思いついた単純な呪文句であるならばいきなり成功することもあるという話らしい。しかしそれが自分の技として馴染むにはやはり何度も練習を重ね、体に覚えこませる必要がある、と付け足した。
結果的に自分で呪文句を作って成功させたアヤタカは、その場で10点の特別点をもらった。
悔しそうな顔をしたラムーンをアヤタカは横目でちらっと見て、「ありがとな、自分で自分の首を絞めてくれて。」と鼻で笑いながら感謝を告げた。
ラムーンに頭をめがけてぼんっと鞠をぶつけられたが、今の彼には痛くもかゆくもない攻撃だ。魔法ではなく手で投げられた鞠など、殴ったらでこピンで反撃されたようなものである。
ラムーンもそれが分かっているようで、口をへの字にして大人しく自分の机の上のプリントと向き合った。
とうとう完全なる自分の勝利を確信したアヤタカは、彼女の視界に自分が外れたのを確認して頭をそっとさする。
ぶつけられたところにはコブができているような気がする。指が触れただけで激しく痛んだ。
ちらりと後ろを振り向くと、プリントと必死に向き合っているラムーンの、金色の前髪の隙間からうっすら額が見えた。鞠をぶつけられたラムーンの額は、よく見ればほんの少し赤くなっているような気もして、 しない気もした。
勝負には勝ったが、実質的な試合には何だか負けた気がした。
――……いや、だとしても実質的には勝っているんだ。何も気にする必要はない、何も……。
そうだね! と返事をするように、頭の後ろがずきんと痛んだ。
「あ、アヤタカ。そういえば昨日一緒につくったカレーまだ残ってるでしょ? あれカレーうどんにしようと思ってるんだけど食べる?」
「食べる。」
昨日ラムーンと作ったチキンカレー。ビーフかチキンかで揉めていたが、アヤタカは今晩の洗い物をしなくていいという条件でチキンに決定した。
お前ら一緒に食べてるのかよ、という心の声を周りの生徒は吐き出さず、呪文句の授業も無事に終了した。
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