第11話「母なる指導者」

 二体の学生は眩しいほど目をキラキラさせている。

 「……何故だ?」

 二体はほぼ同時に説明し始めたので、どちらがどの言葉を言ったのかを正確には把握できなかった。

 「えっと、さっきの先生、すごくかっこよかったんです!」「はい! あんなの先生以外に見たことなかったんです!」「先生がひまな時とか、本当にちょっとでいいのであの動き方教えてもらえませんか!? 少しでいいんです!」「いや、おれは完璧に教わりたいです! 仕事の手伝いでも家事でも何でもするのでお願いします!」

 二体は、えっという顔でお互いを見つめ合った。

――お互い、相方のやる気の度合いが予想と違っていたんだな。

 ストロ先生が心の中で呟く。二体の生徒がぜえぜえと息を切らすのを俯瞰しながら、彼女は黒い目を細めた。

 なるべく冷ややかに、感情のない声を意識して、ストロ先生は二体にこう告げた。

 「それは授業以外で個人的な指導を望むということだな。私は教師としてはそのようなことをしない。……ただ、学校外では望むものに教えることもある。しかし基本的には少数精鋭だ。中途半端な者に本気の者の足を引っ張らせたくはないからな。教師としてではないので来るもの拒まずでは無い上、贔屓さえする。意思なき者、そして才なき者にも私は教えない。心ばかり本気で実力の無い者ほど実力者の足を引っ張る存在はない。

 ……分かったか。学校の外では、私はこんな精霊体だ。教わりたいのなら授業中に聞け。教師としてならば、私はお前たちを平等に教えることができる。」

 低くよく通る声が二体を押さえつけた。

 いつの間にか自分の前で正座していた、その生徒二体を見下ろす形でじっと見つめる。授業でかいた汗が額に光っているのを確認できるほどには、黙って見つめていたと思う。

 しかしストロ先生は、片方はこの言葉にもひるまず向かってくるだろうと思っていた。身を翻し、歩き始めると、その一体の生徒が追いかける。

 「……構いません。だからどうか教えてください、お願いします。」

 ストロ先生は来るであろうことを分かっていた、タワシのような頭をした背の高い生徒を横目で見やる。

 「……それなら今日の放課後、私の研究室に来い。今日私は稽古場に行くんだ。来るまで待っていてやるから、焦りすぎて他の先生方の授業をおろそかにしたりしないように。分かったか。」

 「はい!」

 目を輝かせてその生徒は答えた。

 一方彼の相方は、未だに最初にいた場所で正座をしたままだ。ストロ先生は取り残された亜麻色の髪の少年の気配を感じながらも、目をくれることはせずにその場を去った。

――授業以上のことを望んでくれた真面目な生徒を、ないがしろにするのは辛いが……。変に甘くして、より辛い思いをさせるよりはよほど良い。すまないな、せっかく来てくれた生徒の子。

 昼を過ぎ、午後の授業も終わり放課後の鐘が鳴った。 ストロ先生が最後の授業を終えて自分の研究室へ戻ると、ドアの前に生徒が立っていた。

 タワシ頭のテッチという背が高い少年。彼が来ることはもうわかっていた。しかし彼の隣ではふさふさした亜麻色の髪の、アヤタカと呼ばれていた少年も立っていた。 彼はさっきのやる気がなかった方か、とストロ先生が心の中で呟いた。 しかしすぐに、いや、わざわざ時間外でいいから教えてほしいと言いに来てくれたのだ。むしろやる気はある。 言い方が悪かった、弟子になりたいとは言っていない方の生徒だ。と心の中で訂正をした。しかし彼女が思っていることと外側に出す態度は、いつもそれぞれ独立している。

 「どうして来た。お前は呼んでいなかっただろう。」

 アヤタカというらしい生徒は、口を引きむすんだまま押し黙っている。

 「……ついてくるのは勝手だが、学校から一歩出れば私はただのいち精霊体だ。学校と違って公正を志す教師ではいられないから、そのつもりでな。」

 ため息混じりにストロ先生がそう告げた。

 彼女は二体を研究室に入れ、丸めた絨毯のようなものを出してきた。アヤタカとテッチが見守る中、 トロ先生は絨毯を広げる。

 そこには複雑な文様の魔法陣が、銀の糸で刺繍されていた。

 「すごい……。先生、自分の魔法陣もってるんですか……。」

 テッチが囁き、アヤタカもそれに頷く。

 自分だけの魔法陣、とは。ハインリッヒ先生の授業のプリントを参照する。

 一般的に魔法陣は、瞬間転送のためのものをさす。公的な場所では移動魔法陣を見かけることが多いものの、 個人で所有する者は少ない。 高価なうえ手続きが非常に面倒なためだ。

 移動魔法陣は政府に認められた職人に依頼し、政府に魔法陣を申請しなくては使用を禁止されている。以前魔法陣を悪用して、どこかの金庫にある集団がもぐりこんだなどの事例が相次いだためだ。もしこれを破り個人で魔法陣を作った場合、もしくは職人に作らせ、上に申請せずにその魔法陣を所有していた場合は重罪となる。魔法陣は移動用以外にも存在するものの個人の魔法陣制作は禁止されているため、ほとんどの者が魔法陣に移動以外の用途があることを知らない。

 以上が彼のプリントの抜粋だった。

 銀の糸の魔法陣は公的な魔法陣である証拠だ。 ストロ先生がロイヤルブルーの絨毯の上に立ち、二体に手招きをする。アヤタカとテッチは銀の刺繍を踏まないようにして足を踏み入れた。

 ストロ先生は懐から小さな袋を出し、紐をほどくとそこには青緑に光る欠片が入っていた。

 欠片をつまみ、 魔法陣の中心に置く。

 魔力の光を帯びていた欠片。その光がすぅっと薄く引き伸ばされて、魔法陣の上で水が張るように魔力が行き渡る。

 その途端、コウッという澄んだ音とともに、周りの景色が淡い青緑色の光に隠された。

 移動が始まった。

 青緑の世界で、光の雨が降り注ぎ、遠くで星のような光の粒が瞬いている。

 そしてその光景はすぐ、花開くように頭からほどけていった。朽ちた光の花びらが床に横たわると同時に、光の粒に姿を変えて淡雪のように儚く消えた。

 移動が完了したらしい。アヤタカとテッチは周りを見回し、ストロ先生の指導場と思われる部屋を見渡した。

 石膏で作られた真っ白な床。広々としていて、光の間に少し似ていた。

 壁はほぼ全てガラス張りで100度は外を見渡すことができたが、そこからは青い空しか見えない。二体がガラスに近づき下を覗いてみると、下に広がる世界全てが白い砂浜だった。今日は雲ひとつないが、雲がある日は海の代わりに雲海が砂浜を覆っている。

 見渡す限りの空の青と白い砂で、まるで海が逆さまになった世界のようだった。

 二体があまりにも壮大な自然に圧倒されていると、ドアの向こうからばたばたと音が聞こえてきた。

 ばん! とドアが荒っぽく開け放たれると同時に、朗らかな声が部屋に響いた。

 「母さま! おかえりなさい!」

 現れたのはストロ先生と同じ土小人、そしてアヤタカとテッチにとって見慣れた姿をしている相手だった。

 「ショウ!?」

 「あ……? アヤタカ! テッチ! 」

 ショウとは二体と同じ新入生であり、面倒見の良い性格から、周りにとって良い兄貴分として慕われている。アヤタカは爪弾き学という授業で初めて彼と話し、その時彼は泥だんごを作って遊んでいた。

 背の高いテッチは、普通の精霊体の腰くらいの背しか無い土小人のショウに向かって、思い切り腰を曲げ問いかけた。

 「なんで……ショウがここに?」

 「それはおれのセリフだよ! でも、まあ……。おれ、小さい頃から先生のところで武道を教わってたんだよ。お前らこそ、どうした?」

 するとショウが出てきた扉の向こうからまたガヤガヤと音が聞こえてきた。そこから出てきたのは、アヤタカ達と同じくらいの背の者や、かなり巨漢の者まで様々な精霊体。

 「母さま、おかえりなさい!」

 「母さま! 今日はアザクロ兄さんは休みだそうです!」

 母さまと呼ばれたストロ先生が、小さくただいま、と返事をした。

 アヤタカが小さく、ストロ先生、ここの子たちと絆親子なんだ、と呟いた。

 アヤタカたち精霊体に人間のような家族は無い。太陽の光から生まれてくる、母なる大地から生まれてくるなど、強いて言えば自然が生みの親であった。しかし精霊体の多い認識としては、自然は親というよりは自分の分身、という感覚だった。双子という可能性を除いて血の繋がる親や兄弟、姉妹というものはこの世界には存在しない。育ててくれた者に対して絆の父や母と呼び、ともに育った相手を絆の兄さん姉さんと呼ぶ。文献に残る、人間界の話。その物語に存在した家族という概念を真似て、絆の親子、という言葉を作ったという説が今は最も有力なものだった。

 精霊体たちにとっての絆親子は師弟関係にも言えたことで、教える方を親、教わる方を子どもと表現するところもこのようにある。

 母であるストロ先生は、この二体は学校で私の担当する授業の生徒だ、私に教わりたいらしく付いてきた、と簡単に二体のことを子供達に教えた。

 すると絆子どもたちの大きな歓声が上がって、にこにこの笑顔で、アヤタカとテッチに拍手を送った。

 「へい、パス!」

 そしてアヤタカはボールになった。

 パスされて、トスされるアヤタカ。

 道場の子がおもむろに、自分の力自慢を兼ねてアヤタカを持ち上げ、他の道場の精霊体にトスをするという所業を前触れもなく行い、それを見て、我も我もとその精霊体たちがここぞとばかりに張り切りだしたのだ。

 それはまるで内輪受けの披露や、普段そこまでノリは良くないのに普段からこのノリですよと言わんばかりに盛り上げる、部外者に引かれることすら得意げな例えるなら新入生歓迎会のようなあの異様な空気に包まれていた。

 まだ基礎すら知らない新入りに、自分の技を見せたくて仕方がない彼ら彼女ら。止めに入ったショウを、別の弟子がが「邪魔するんなら、あたしを倒してからにしなさい!」という芝居掛かった動作で止めた。そしてショウもショウで「おっ、やるか?」などと言って構えをとり始め、パフォーマンス的なバトルが始まった。

 恥ずかしいテンションをひとしきり新入り二体に見せつけた辺りで、ボールになっていたアヤタカが、やっと年齢の高そうな精霊体によってその役を下ろしてもらえた。

 意識が半分違う世界に行ったままのアヤタカ。弟子たちが、カエルのような格好で座ったままのアヤタカを覗き込むが、返事がない。ただの抜けがらのようだ。

 反応の無いアヤタカの前に、すっと拳だこだらけの厚い手のひらが差し出された。

 ばぁんっ!

 そして唐突に道場に響いた、何かを思いきり引っ叩くような音。

 アヤタカは我に帰った。

 彼の目の前には、いただきますのように合わせられたゴツゴツの手のひら。

 おじさん必殺、ねこだましが炸裂した。

 文字通りに言えば必ず殺す技をアヤタカにかけたおじさんは、アヤタカをボールから救ってくれたあのおじさんだった。

 がっしりとしていて、熊のような体格をしているおじさんが優しそうな笑顔で語りかける。

 「お前さんの名前、アヤタカでいいのかい?」

 「……違います、サイオウです。」

 意識が朦朧としていてもそこだけは譲ろうとしないアヤタカが、焦点の合わない目で主張する。

 「……お前、サイオウという名前だったのか。」

 ストロ先生が隣にいた。

 ぎゃっ、と叫んで、何故かアヤタカに飛び退かれた。ストロ先生が目を白黒させていると、道場の子どもに母さま、また気配消して動く癖出てたよと教えられた。

 それはともかくとして、ストロ先生はそのサイオウという名前に聞き馴染みがあった。少しだけ唇をにやりと吊り上げ、瞳孔が開きかけてるくらい驚いているアヤタカに声をかけた。

 「お前がミザリー先生お気に入りの学生か、愛玩動物とはよく言ったものだな。」

 しっぽを振りそうなくらい嬉しそうに駆け寄ってくる姿や、亜麻色のふさふさしたポメラニアンのような髪質は確かにそれだ。ただ仏像のような顔で違いますと否定してくる姿にそれは見つからなかった。

――仏像のような可愛げの無さでも、彼女は愛玩動物と見なすのだろうか。いや、そもそも『でね、サイオウくんって言う子にそれを話してみたんだけど、なんだかその子、愛玩動物みたいな可愛さがあるの。』と、教師が言っていたということを言うべきじゃ無かったかもしれない。しかもあの時のミザリー先生は、なんだか少し嬉しそうに話していたし……。これはもしかして公私混同ではないだろうか。いや、そんな短絡的に考えてはいけない。しかし。

 ストロ先生の後ろでテッチがアヤタカにミザリー先生のお気に入りアヤタカどうやって教えてくれよおれもミザリー先生のお気に入りになりたいんだよと肩を揺さぶりながら問い続ける姿を背景に、ストロ先生は延々と考え続けていた。

――ええい、今私は学校の教師じゃない。道場の師範だ。道場の子たちのために頭を回らせよう。そうだ、そろそろ始まる時間だ。

  そしてストロ先生の突き刺すような声で空気は一転した。

 「集合!!!」

 アヤタカとテッチはその厳格な声に、えっ、今そういう空気だった? と言いそうになった。

 「はいっ!!」

 しかし弟子たちは、一瞬で意識を切り替えていた。アヤタカとテッチを置いてけぼりにして、いつもの形態らしい並びになった。

 「基礎はじめっ!!」

 「はいっ!!」

 唐突にかけられた号令にひるむ者は誰もいない。数秒前に談笑をしていた者達が一糸乱れぬ動きで拳を突き出している光景は、一言で言って異様だった。

 「おい。」

 ストロ先生に突然話しかけられ、 二体は体をびくっと震わせた。

 師範の目となった彼女は、 見られているだけでも体がすくむほど怖かった。 自分の意思とは関係なしに、神経が張り詰める。

 「お前たちは別のことをやってもらう。 そこでお前たちを私の子として教えるか否かを決める。」

 二体の表情がよりいっそう硬くなる。ストロ先生は他の子どもたちから少し距離を置くため、空いている場所に二体を呼んだ。足が着くたびにカツン、コツンと大理石の床は無機質に音を響かせた。

 えー、そういう空気だったかなー。アヤタカは未だにそこに意識が残ったままだった。

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